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AEU領内、アフリカタワー近郊のとある大型ショッピングモール。
その中にテナントとして入っている立ち飲み形式のカフェはカウンターに面したテーブルとグループ客用のハイテーブル三台で構成されていた。
MA-1をメインに構成したカジュアルな装いのクレインはカウンターで二人分のコーヒーを手にし、店内を見渡す。探していた人物は人目につかない店内の隅に陣取っていた。カウンターに背を向ける形で、だ。
───確かに目立たないけど、探す方の身にもなってくれないかな?
ったく、この人は……などと心の中でひとりごちながらもシエルの前へカップを置く。
「お待たせしました。ご注文のブレンドになります」
「どうも」
わざとかしこまりながら渡してみたが反応は実にあっさりとしている。
やれやれと思いつつシエルの位置取りが不自然にならないよう、クレインは向かい側の壁際に立つ。そして気付いた。
見つけづらかろうと背を向けている必要があったのだ、と。
シエルはウェリントン型のサングラスをかけていた。テーラードジャケットを羽織り、マニッシュな服装でまとめていた彼女によく似合う逸品が、彼女にとっては単なるファッションアイテムではない。
ある事をする時に目元を隠す必要があるのだ。
色の濃いレンズの奥に仄かな金色の輝きが点っている。ゆらゆらと揺れる輝きはろうそくの炎のようだ。
ふいに輝きが消え、ゆっくりとサングラスを外すと彼女本来の色───薄紫の瞳がある。
「報告完了。頼まれているものを買ったら宇宙に上がろう」
抑揚のない声で告げるシエルにクレインは拍手を送った。
端末を介す事なくヴェーダへアクセスできるイノベイドを模した技能に対するものだ。
脳量子波を用いたヴェーダとの通信は何度見ても興味深い。
「便利だなー。ついでにオレの報告書もアップしてくれたらいいのに」
「それはあなたの仕事でしょう。それにここでは不用心すぎる」
当然の指摘に分かってるよとジェスチャーで応える。
クレインの扱うデータはモビルスーツや武装に関する性能試験データや今後の開発プランが主で、セキュリティ面を考慮するならプトレマイオス2改かファクトリーの端末から直接アクセスするのが望ましい。ただ言ってみただけだ。
「ね、こんなに便利だと今まで不便だったんじゃないの?」
「別に。いつの間にかないのが当たり前になったし、失ったからこそ得られたものの方が多い」
「そういうもんかね。てか、外だとそうやって隠すの?いちいち隠すの面倒じゃない?」
「一瞬だとしても見咎められるリスクは減らしたい」
「さいですか」
相槌を打ちつつコーヒーを飲む。酸味と苦味のバランスがとれたマイルドな口当たりは追い込みをかけたい時や眠気覚ましには物足りないものの、リラックスしたい時には丁度いい塩梅だ。
「それにしても方針変わってから仕事やりづらくなったと思わない?繁忙期に比べたら全然いいけどさ」
あえてぼかした言い回しをするとカップを傾けていたシエルが口から一旦離した。
「そういう時期だから仕方ない。協調し合う必要があるからこそ上の意向も適度に汲まないと」
頬にかかったサイドの髪が気になったのか、を耳にかける仕草をしてからぽつりと呟く。
「じきに忙しくなる」
静かな口調からはどこか確信めいたものが感じられた。
アロウズとの決戦から二年。
現政権の宥和政策に水を差すわけにもいかず、おいそれとガンダムを出せなくなってしまったソレスタルビーイングは三陣営時代のモビルスーツに手を加えた機体をメインに据えて武力介入せざるをえなくなっていた。
クレイン達が今回地上に降りたのも、地上に配備されている各機体の調整と武装の試験データ記録を兼ねた武力介入を行うためである。
とはいえ、擬似太陽炉搭載型が世に出てから七年も経過している。
連邦の技術発展速度はめざましく、改造を重ねてようやく奇襲用の機体として及第点。奇襲戦法とガンダムマイスター達の技量で無理やり性能差を埋めている有様だ。
「それもまた困りものだよなー。とっておきが使える状況ならいいけど、今の主力じゃ厳しいものがある」
「それを少しでも上向きにするのが今回の目的。期待している」
「はーい。頑張りますよっと」
そう言いながら軽くなったカップをテーブルへ置いた時、隣のハイテーブルから怪訝そうな男の声とそれに被せるように興奮気味な男の声が飛び込んできた。
「怪音波ぁ?」
「な、ヤバくないか!?」
隣席していたのは二人組の男で社会人同士といった風体だ。
聞き手になっている方はいかにも眉唾物といった様子で聞いている。聞き耳を立ててみると、どうやら話し手の男が勤める企業で怪現象に遭った人物がいるという話題のようだ。
曰く、数日前から耳鳴りとも幻聴ともつかない怪音波と悪夢に悩まされ、変調を来たしていた社員が交通事故に遭った。
奇妙な事に運転席には誰も座っておらず、衝突後も無人で動いていたそうだ。
駐車スペースは平地で車の持ち主はエンジンの切り忘れなどはなかったと主張しており、事件を小耳に挟んだ社員達から悪霊に取り憑かれている、宇宙人に狙われている、果ては怪音波が聞こえた者達を抹消する連邦政府の暗躍といった陰謀論めいた噂まで出てくる始末だという。
「話盛ってるんじゃないだろうな?」
「ガチだよ。今入院しちゃっててさ、事故に遭う前から突然頭押さえて蹲ったり何かが来るってうわ言呟いて怯えた様子を見せたらしい」
「事故はともかく前半はお前んとこの労働環境がアレで病んだ説ある」
「いやいや、怪音波聞くまでは普通に働いててさ。評価も良かったんだよ」
もう充分と話を切り上げるようなジェスチャーした聞き手の男が先にハイテーブルから離れ、話し手の男が追いすがる。まだ熱心に語っているようだが周囲のざわめきでかき消されてしまった。
聞き耳を立てていたクレインは空のカップを弄びながらハイテーブルに肘をつく。
「なーんか、尾ひれつきまくってそうな話」
「前半はともかく……」
「シエルさんって都市伝説とか好きなタイプだっけ?」
「事故に絞るだけでも最近各地で似たような事例が頻発している。例えば……」
ドイツの地下鉄で停車中の車両に無人の車両が衝突した事件。
タクラマカン砂漠で数日前地球に落下した破片撤去作業中に調査員を無人車両が撥ねた事件。
モスクワ市街で起きた衝突事故も無人車両が突っ込んできたという。
それ以外の小事を含めて共通するのはどれも動くはずのない無人の車輌や金属製の工業用機械などが動き出して被害を出し、その後も無人で動き続けるというものだった。
淀みなく挙げられた事例をふんふんと聞き終えてクレインは首を傾げる。
「関連性はありそうだけど繋がりがあるとは断言できないんじゃない?破片撤去作業現場はいかにもって感じだけど、中には人為的なミスによって起きたケースがあってもおかしくはないし」
「否定はできない」
「ほらね」
「偶然が重なっただけ……だとしても……」
「やけに気にするじゃん。ま、それより目の前の事から片付けようよ」
どこか納得していない様子のシエルの肩を叩き、二人はカフェスタンドを出た。
向かうのは食料品や嗜好品を取り扱うスーパーだ。
プトレマイオス2改の物資は大抵定期補給で賄われるので、クルーから頼まれる買い出しは個人の嗜好品がメインとなる。
クレインがカゴを持ち、シエルが携帯端末に表示されているリストを見ながら商品を入れていく。精算時にレジを通っていく商品を見ながら、ふと漏れがある事に気付いた。
「コレ、買ってかないの?」
一服する仕草を見せるも、シエルは「少しは控えた方がいい」と言って取り合わない。
クルーの中に愛煙家は一人しかいないので、それを知った上で除外していたのだろう。
「また勝手に決めて。今度は過干渉で拗れても知らないよ」
「健康への配慮だから過干渉って程じゃない」
「歩み寄りが大事って学んだんじゃないのー?」
「…………」
目線を落として考え込むそぶりを見せること数秒。
渋々といった体で店員に番号と頼まれた分の半量を伝え、「少し待ってもらえますか」と言い残して列を抜けていく。どうやら何かを探しに行ったようだ。
店員に「連れがすみませんね」と愛想笑いをしていると、彼女はロリポップキャンディの大袋を片手に戻ってきた。
「ぶはっ!はははっ!」
クレインが盛大に吹き出した。
当のシエルは大笑いする同行者の様子を見て大真面目に「歩み寄り」と付け加えるものだから可笑しくてたまらない。困惑する店員に会計してほしい旨を伝えるとロリポップキャンディも無事レジを通過していった。
飴やガムで口寂しさを抑える減煙方法は昔から存在するので物足りない分は飴でも舐めて減煙しろという意図なのだろう。間違ってはいないだろうが大雑把すぎる。
善意とはいえカラフルなキャンディが詰まった大袋を突き出され、困惑で引き攣るライルの顔が目に浮かぶようだった。
「いやー反応が楽しみだなぁ!」
ヒヒヒと笑いを引きずっているクレインとは対照的に、シエルはカゴの中の煙草を見ながら「少しは減るといいけど」と呟く。
すれ違いが解消された結果、気兼ねする必要のなくなったシエルがライルを大っぴらに可愛がるようになったのをトレミークルー達は呆れるやら微笑ましいやらといった様子で見守っていた。
当人は「三十路だろうとお構いなしで可愛い弟分扱いされるんだから堪らねぇよ」と零していたが、一方で「孤独を埋めるのに丁度いいんだろ、お互いにな」とも言っていたので悪い気はしないのだろう。
精算を済ませた二人は人が行き交う通路を進む。他に予定がなければ出入り口に向かってもいい頃合いだろう。膨らんだ買い物袋はクレインが肩に掛けていた。
フェミニストを気取るつもりはないが、酒のボトルも数本入っているとなると男手の出番だった。
「クレインの買うものは?」
「急ぎで欲しい物ないしなー。ミレイナも最近は好みが難しくて」
「フェルトにはないの」
いつもの淡々とした調子で予想外の名前が飛び出し、クレインは心臓が跳ね上がった。
ソレスタルビーイングに参加したばかりの頃のクレインはかつて、外の世界を知らない彼女を温室で大切に育てられた花に例えた事があった。擦り切れた自分とは異なる、可憐だが繊細で傷つきやすい存在として見ていた。
今では柔和さがありつつも凛とした面差しを持つ女性へと成長を遂げている。
いくつもの辛い別れと厳しい局面を乗り越えてきた経験がフェルトの中にあった芯の強さを引き出し、より魅力的に映しているのだ。
いつからか目が離せない存在となっていた彼女の名前。
ここで何故その名前が出るのか?
一呼吸置き、へらりとした笑顔ですっとぼけてみせた。
「えー、なに?なんでいきなりフェルトが出てくるんだか」
相変わらず何を考えているか分からないと思いつつ横顔に目を向けると、口角がわずかに上がっていた。仏頂面で分かりづらかったが、どうやら先ほどの意趣返しのつもりらしい。
普段からかう側からからかわれるなんて。
面白くないと思いながらもこの程度でペースを乱されるほどヤワではないのがクレイン・エアハルトという男だ。
「シエルさんが他人の人間関係にそこまで関心あるとは思わなかったなぁ」
「ライルが言ってた。あとミレイナ」
皮肉を込めて言うとあっさりと情報源が割れた。
ライルは後でロリポップキャンディの件を弄り倒してやろうと心に決める。可愛い妹は不問だ。
身近に色恋の予感を探してしまう年頃なんだろう。
トレミーに戻り次第、義兄をネタにするのはやめるよう言い聞かせなければならない。
そんな心づもりをしているクレインをよそに、シエルはなおも問いかけてくる。
「それで、買っていくものはないの?」
「余計なお世話だよ」
「そう」
あっさり退いたのでそこで話は終わりかと思いきや、何を思ったのか「ねぇ、」と話は続いた。
「私は人の機微に疎いと言われた事が何度かあるけど、あなたを見ていると聡いのも考えものだと思う。よく気付く分、自分の事は疎かになっているから」
「オレはやりたいようにやってるけど」
「他人に対しては比較的そう。家族には、前より遠慮がないかも。でも例外はある。そうでしょう?」
他人への関心が薄そうなのに妙なところばかり気がつく人だ。
呆れながらも促されるように目を伏せ、彼女の事を思い浮かべる。
最初の頃は観察を通してより多くの情報を得るのが生きるため身につけた手法だったからだ。
それまで見てきた世界がかけ離れていたせいで悪気なく傷つける事もあったが、フェルトとの交流は真っ当な社交性を身につける足掛かりになった。
その後も気にかけるようにしていたのはそれだけ身近な存在になっていたのも大きい。
閉鎖環境で引っ込み思案な性分だと気詰まりしかねない。気軽に話せる存在が一人くらいいた方がいい。そんな理由だ。
それが少しずつ変化してきたのはいつの事か。
「ま、例外ってのはそうかもね」
そして、あの子の変化に気付いたのはいつ頃だっただろう?
無事を祈る姿や安堵する表情にこれまでとは違うものを感じ始めるようになったのは。
碧眼が誰を追いかけているのか。
彼女が伸ばしていた髪を切った時に誰の反応を気にしていたのか。
脇目も振らず自分で定めた生き方を邁進する後ろ姿にどんな想いを向けているのか。
それらをすぐ近くで見ていて何を思ったのか────。
「でも、」
いつの間にか歩調を緩めていた足が止まる。並んで歩いていたシエルも自然と足を止めた。
仮に何かを思ったとしても。
それらをどう扱おうと他人にとやかく言われる筋合いはないだろうに。
クレインの緑眼が様子を窺うような眼差しを向けるシエルを見据えた。
「だとしても、シエルさんには関係のない話だ」
これはオレの中だけの問題なんだから、と。はっきりとした口調で言った。
その本意は彼自身にも掴みきれない。これ以上踏み込まれたくなかったのか、それとも気付く前に目を覆ってしまいたかったのか。きっと、分かる必要もないはずだ。
「まあ、そう言うのなら。長い付き合いだから柄にもなく口出ししたくなったのかも」
らしくない事をした自覚があるのか、口下手な同僚は自分から話を振っておきながらもどかしそうにブルーアッシュの毛先を弄る。
「……後悔、しないといいけど」
そう呟くいつもの無表情がどこか気遣わしげに見えてなんだか腹立たしかった。
その時、ハッと顔色を変えたシエルがクレインの腕を強く引きながら姿勢を低くした。
「伏せて───ッ!」
崩れ落ちるように伏せた瞬間、凄まじい衝突音と不特定多数の悲鳴が響いた。
音の発生源はショッピングモールの入口付近。ガラス張りの自動ドアにトラックが突っ込んできたのだ。
辺りに砕け散ったガラスが周囲にいる人へ容赦なく襲いかかる。ガラスの破片はかなり広範囲に飛び散ったようでそこかしこから悲鳴や呻き声が上がっていた。
ほんの少し前まで穏やかだった午後に相応しくない、緊張感を孕んだ喧騒が商業施設を包んでいく。
「ひどいな……」
過酷な環境はこれまで何度も経験してきたが、平穏だったはずの場所が突如不幸に見舞われたショックで思わず声が漏れる。
そこに新たな動きが生まれた。停止したはずのトラックがのろのろと動き出し、突っ込んできた入口へとバックしていくのだ。
周囲にいた人物の中から次々に困惑と畏怖の声が上がる。
怪我人の救助をする人。腰を抜かしたまま動けずにいる人。現場を遠巻きにしつつじわじわと集まり始める群衆と慌ただしい様子で駆け寄り、状況把握と事態の収拾を試みるスタッフ。
理屈の分からない現象を引き金に不安と恐怖、そして動揺が人から人へ伝播し、じわじわと膨らんでいく。膨らみきって弾けたらこの一帯はパニックで収集がつかなくなるだろう。
その前に退散しなければ。と、腰を浮かせた時、眼前に手のひらに収まる程度の紙片を差し出された。
差し出した人物の虹彩には電子的な光が煌めいていた。
「そこへ向かって。後から合流する」
有無を言わさぬ口調で告げるなり、シエルは騒然とするモール内を人混みとは逆方向へ駆け出した。迷いのない足取りであっという間に見えなくなった背中を見送り、押しつけられた紙を確かめる。
それは買い物で貰ったレシートの一枚で、どうやらクレインが騒然とした現場に気を取られている間に走り書きしたらしい。
脳量子波で何かを感じ取ったのか、それともヴェーダにアクセスして事態を把握したのか。ただの人間であるクレインには分かりようもなかった。
「なくてもどうってことないような口ぶりだったけど、やっぱ便利すぎんだろ……」
そう独語し、そういえばと買い物袋の中身が無事かを確かめる。伏せた時に床とぶつかったような感覚があったものの、どうやら無事のようだ。
床についた箇所を軽く払って携帯端末を取り出す。トレミーからの連絡が入っていないかと思っての行動だったが、何度試しても通信が途切れてしまってまともに機能しない。妨害電波を受けた時のような反応だが断定するのは早計というものだ。
とにかくここを後にしよう。踵を返した時、混乱した状況下になる前言われた言葉を思い出す。
「……つっても、呑気に買い物できる雰囲気じゃなくなってるしさぁ……」
彼は苛立ちを紛らわすようにメッシュの入った赤毛を空いた手でぐしゃぐしゃとかき乱した。
「あーもう、せっかくの地上だからもっと羽を伸ばしたかったんだけどな」
その中にテナントとして入っている立ち飲み形式のカフェはカウンターに面したテーブルとグループ客用のハイテーブル三台で構成されていた。
MA-1をメインに構成したカジュアルな装いのクレインはカウンターで二人分のコーヒーを手にし、店内を見渡す。探していた人物は人目につかない店内の隅に陣取っていた。カウンターに背を向ける形で、だ。
───確かに目立たないけど、探す方の身にもなってくれないかな?
ったく、この人は……などと心の中でひとりごちながらもシエルの前へカップを置く。
「お待たせしました。ご注文のブレンドになります」
「どうも」
わざとかしこまりながら渡してみたが反応は実にあっさりとしている。
やれやれと思いつつシエルの位置取りが不自然にならないよう、クレインは向かい側の壁際に立つ。そして気付いた。
見つけづらかろうと背を向けている必要があったのだ、と。
シエルはウェリントン型のサングラスをかけていた。テーラードジャケットを羽織り、マニッシュな服装でまとめていた彼女によく似合う逸品が、彼女にとっては単なるファッションアイテムではない。
ある事をする時に目元を隠す必要があるのだ。
色の濃いレンズの奥に仄かな金色の輝きが点っている。ゆらゆらと揺れる輝きはろうそくの炎のようだ。
ふいに輝きが消え、ゆっくりとサングラスを外すと彼女本来の色───薄紫の瞳がある。
「報告完了。頼まれているものを買ったら宇宙に上がろう」
抑揚のない声で告げるシエルにクレインは拍手を送った。
端末を介す事なくヴェーダへアクセスできるイノベイドを模した技能に対するものだ。
脳量子波を用いたヴェーダとの通信は何度見ても興味深い。
「便利だなー。ついでにオレの報告書もアップしてくれたらいいのに」
「それはあなたの仕事でしょう。それにここでは不用心すぎる」
当然の指摘に分かってるよとジェスチャーで応える。
クレインの扱うデータはモビルスーツや武装に関する性能試験データや今後の開発プランが主で、セキュリティ面を考慮するならプトレマイオス2改かファクトリーの端末から直接アクセスするのが望ましい。ただ言ってみただけだ。
「ね、こんなに便利だと今まで不便だったんじゃないの?」
「別に。いつの間にかないのが当たり前になったし、失ったからこそ得られたものの方が多い」
「そういうもんかね。てか、外だとそうやって隠すの?いちいち隠すの面倒じゃない?」
「一瞬だとしても見咎められるリスクは減らしたい」
「さいですか」
相槌を打ちつつコーヒーを飲む。酸味と苦味のバランスがとれたマイルドな口当たりは追い込みをかけたい時や眠気覚ましには物足りないものの、リラックスしたい時には丁度いい塩梅だ。
「それにしても方針変わってから仕事やりづらくなったと思わない?繁忙期に比べたら全然いいけどさ」
あえてぼかした言い回しをするとカップを傾けていたシエルが口から一旦離した。
「そういう時期だから仕方ない。協調し合う必要があるからこそ上の意向も適度に汲まないと」
頬にかかったサイドの髪が気になったのか、を耳にかける仕草をしてからぽつりと呟く。
「じきに忙しくなる」
静かな口調からはどこか確信めいたものが感じられた。
アロウズとの決戦から二年。
現政権の宥和政策に水を差すわけにもいかず、おいそれとガンダムを出せなくなってしまったソレスタルビーイングは三陣営時代のモビルスーツに手を加えた機体をメインに据えて武力介入せざるをえなくなっていた。
クレイン達が今回地上に降りたのも、地上に配備されている各機体の調整と武装の試験データ記録を兼ねた武力介入を行うためである。
とはいえ、擬似太陽炉搭載型が世に出てから七年も経過している。
連邦の技術発展速度はめざましく、改造を重ねてようやく奇襲用の機体として及第点。奇襲戦法とガンダムマイスター達の技量で無理やり性能差を埋めている有様だ。
「それもまた困りものだよなー。とっておきが使える状況ならいいけど、今の主力じゃ厳しいものがある」
「それを少しでも上向きにするのが今回の目的。期待している」
「はーい。頑張りますよっと」
そう言いながら軽くなったカップをテーブルへ置いた時、隣のハイテーブルから怪訝そうな男の声とそれに被せるように興奮気味な男の声が飛び込んできた。
「怪音波ぁ?」
「な、ヤバくないか!?」
隣席していたのは二人組の男で社会人同士といった風体だ。
聞き手になっている方はいかにも眉唾物といった様子で聞いている。聞き耳を立ててみると、どうやら話し手の男が勤める企業で怪現象に遭った人物がいるという話題のようだ。
曰く、数日前から耳鳴りとも幻聴ともつかない怪音波と悪夢に悩まされ、変調を来たしていた社員が交通事故に遭った。
奇妙な事に運転席には誰も座っておらず、衝突後も無人で動いていたそうだ。
駐車スペースは平地で車の持ち主はエンジンの切り忘れなどはなかったと主張しており、事件を小耳に挟んだ社員達から悪霊に取り憑かれている、宇宙人に狙われている、果ては怪音波が聞こえた者達を抹消する連邦政府の暗躍といった陰謀論めいた噂まで出てくる始末だという。
「話盛ってるんじゃないだろうな?」
「ガチだよ。今入院しちゃっててさ、事故に遭う前から突然頭押さえて蹲ったり何かが来るってうわ言呟いて怯えた様子を見せたらしい」
「事故はともかく前半はお前んとこの労働環境がアレで病んだ説ある」
「いやいや、怪音波聞くまでは普通に働いててさ。評価も良かったんだよ」
もう充分と話を切り上げるようなジェスチャーした聞き手の男が先にハイテーブルから離れ、話し手の男が追いすがる。まだ熱心に語っているようだが周囲のざわめきでかき消されてしまった。
聞き耳を立てていたクレインは空のカップを弄びながらハイテーブルに肘をつく。
「なーんか、尾ひれつきまくってそうな話」
「前半はともかく……」
「シエルさんって都市伝説とか好きなタイプだっけ?」
「事故に絞るだけでも最近各地で似たような事例が頻発している。例えば……」
ドイツの地下鉄で停車中の車両に無人の車両が衝突した事件。
タクラマカン砂漠で数日前地球に落下した破片撤去作業中に調査員を無人車両が撥ねた事件。
モスクワ市街で起きた衝突事故も無人車両が突っ込んできたという。
それ以外の小事を含めて共通するのはどれも動くはずのない無人の車輌や金属製の工業用機械などが動き出して被害を出し、その後も無人で動き続けるというものだった。
淀みなく挙げられた事例をふんふんと聞き終えてクレインは首を傾げる。
「関連性はありそうだけど繋がりがあるとは断言できないんじゃない?破片撤去作業現場はいかにもって感じだけど、中には人為的なミスによって起きたケースがあってもおかしくはないし」
「否定はできない」
「ほらね」
「偶然が重なっただけ……だとしても……」
「やけに気にするじゃん。ま、それより目の前の事から片付けようよ」
どこか納得していない様子のシエルの肩を叩き、二人はカフェスタンドを出た。
向かうのは食料品や嗜好品を取り扱うスーパーだ。
プトレマイオス2改の物資は大抵定期補給で賄われるので、クルーから頼まれる買い出しは個人の嗜好品がメインとなる。
クレインがカゴを持ち、シエルが携帯端末に表示されているリストを見ながら商品を入れていく。精算時にレジを通っていく商品を見ながら、ふと漏れがある事に気付いた。
「コレ、買ってかないの?」
一服する仕草を見せるも、シエルは「少しは控えた方がいい」と言って取り合わない。
クルーの中に愛煙家は一人しかいないので、それを知った上で除外していたのだろう。
「また勝手に決めて。今度は過干渉で拗れても知らないよ」
「健康への配慮だから過干渉って程じゃない」
「歩み寄りが大事って学んだんじゃないのー?」
「…………」
目線を落として考え込むそぶりを見せること数秒。
渋々といった体で店員に番号と頼まれた分の半量を伝え、「少し待ってもらえますか」と言い残して列を抜けていく。どうやら何かを探しに行ったようだ。
店員に「連れがすみませんね」と愛想笑いをしていると、彼女はロリポップキャンディの大袋を片手に戻ってきた。
「ぶはっ!はははっ!」
クレインが盛大に吹き出した。
当のシエルは大笑いする同行者の様子を見て大真面目に「歩み寄り」と付け加えるものだから可笑しくてたまらない。困惑する店員に会計してほしい旨を伝えるとロリポップキャンディも無事レジを通過していった。
飴やガムで口寂しさを抑える減煙方法は昔から存在するので物足りない分は飴でも舐めて減煙しろという意図なのだろう。間違ってはいないだろうが大雑把すぎる。
善意とはいえカラフルなキャンディが詰まった大袋を突き出され、困惑で引き攣るライルの顔が目に浮かぶようだった。
「いやー反応が楽しみだなぁ!」
ヒヒヒと笑いを引きずっているクレインとは対照的に、シエルはカゴの中の煙草を見ながら「少しは減るといいけど」と呟く。
すれ違いが解消された結果、気兼ねする必要のなくなったシエルがライルを大っぴらに可愛がるようになったのをトレミークルー達は呆れるやら微笑ましいやらといった様子で見守っていた。
当人は「三十路だろうとお構いなしで可愛い弟分扱いされるんだから堪らねぇよ」と零していたが、一方で「孤独を埋めるのに丁度いいんだろ、お互いにな」とも言っていたので悪い気はしないのだろう。
精算を済ませた二人は人が行き交う通路を進む。他に予定がなければ出入り口に向かってもいい頃合いだろう。膨らんだ買い物袋はクレインが肩に掛けていた。
フェミニストを気取るつもりはないが、酒のボトルも数本入っているとなると男手の出番だった。
「クレインの買うものは?」
「急ぎで欲しい物ないしなー。ミレイナも最近は好みが難しくて」
「フェルトにはないの」
いつもの淡々とした調子で予想外の名前が飛び出し、クレインは心臓が跳ね上がった。
ソレスタルビーイングに参加したばかりの頃のクレインはかつて、外の世界を知らない彼女を温室で大切に育てられた花に例えた事があった。擦り切れた自分とは異なる、可憐だが繊細で傷つきやすい存在として見ていた。
今では柔和さがありつつも凛とした面差しを持つ女性へと成長を遂げている。
いくつもの辛い別れと厳しい局面を乗り越えてきた経験がフェルトの中にあった芯の強さを引き出し、より魅力的に映しているのだ。
いつからか目が離せない存在となっていた彼女の名前。
ここで何故その名前が出るのか?
一呼吸置き、へらりとした笑顔ですっとぼけてみせた。
「えー、なに?なんでいきなりフェルトが出てくるんだか」
相変わらず何を考えているか分からないと思いつつ横顔に目を向けると、口角がわずかに上がっていた。仏頂面で分かりづらかったが、どうやら先ほどの意趣返しのつもりらしい。
普段からかう側からからかわれるなんて。
面白くないと思いながらもこの程度でペースを乱されるほどヤワではないのがクレイン・エアハルトという男だ。
「シエルさんが他人の人間関係にそこまで関心あるとは思わなかったなぁ」
「ライルが言ってた。あとミレイナ」
皮肉を込めて言うとあっさりと情報源が割れた。
ライルは後でロリポップキャンディの件を弄り倒してやろうと心に決める。可愛い妹は不問だ。
身近に色恋の予感を探してしまう年頃なんだろう。
トレミーに戻り次第、義兄をネタにするのはやめるよう言い聞かせなければならない。
そんな心づもりをしているクレインをよそに、シエルはなおも問いかけてくる。
「それで、買っていくものはないの?」
「余計なお世話だよ」
「そう」
あっさり退いたのでそこで話は終わりかと思いきや、何を思ったのか「ねぇ、」と話は続いた。
「私は人の機微に疎いと言われた事が何度かあるけど、あなたを見ていると聡いのも考えものだと思う。よく気付く分、自分の事は疎かになっているから」
「オレはやりたいようにやってるけど」
「他人に対しては比較的そう。家族には、前より遠慮がないかも。でも例外はある。そうでしょう?」
他人への関心が薄そうなのに妙なところばかり気がつく人だ。
呆れながらも促されるように目を伏せ、彼女の事を思い浮かべる。
最初の頃は観察を通してより多くの情報を得るのが生きるため身につけた手法だったからだ。
それまで見てきた世界がかけ離れていたせいで悪気なく傷つける事もあったが、フェルトとの交流は真っ当な社交性を身につける足掛かりになった。
その後も気にかけるようにしていたのはそれだけ身近な存在になっていたのも大きい。
閉鎖環境で引っ込み思案な性分だと気詰まりしかねない。気軽に話せる存在が一人くらいいた方がいい。そんな理由だ。
それが少しずつ変化してきたのはいつの事か。
「ま、例外ってのはそうかもね」
そして、あの子の変化に気付いたのはいつ頃だっただろう?
無事を祈る姿や安堵する表情にこれまでとは違うものを感じ始めるようになったのは。
碧眼が誰を追いかけているのか。
彼女が伸ばしていた髪を切った時に誰の反応を気にしていたのか。
脇目も振らず自分で定めた生き方を邁進する後ろ姿にどんな想いを向けているのか。
それらをすぐ近くで見ていて何を思ったのか────。
「でも、」
いつの間にか歩調を緩めていた足が止まる。並んで歩いていたシエルも自然と足を止めた。
仮に何かを思ったとしても。
それらをどう扱おうと他人にとやかく言われる筋合いはないだろうに。
クレインの緑眼が様子を窺うような眼差しを向けるシエルを見据えた。
「だとしても、シエルさんには関係のない話だ」
これはオレの中だけの問題なんだから、と。はっきりとした口調で言った。
その本意は彼自身にも掴みきれない。これ以上踏み込まれたくなかったのか、それとも気付く前に目を覆ってしまいたかったのか。きっと、分かる必要もないはずだ。
「まあ、そう言うのなら。長い付き合いだから柄にもなく口出ししたくなったのかも」
らしくない事をした自覚があるのか、口下手な同僚は自分から話を振っておきながらもどかしそうにブルーアッシュの毛先を弄る。
「……後悔、しないといいけど」
そう呟くいつもの無表情がどこか気遣わしげに見えてなんだか腹立たしかった。
その時、ハッと顔色を変えたシエルがクレインの腕を強く引きながら姿勢を低くした。
「伏せて───ッ!」
崩れ落ちるように伏せた瞬間、凄まじい衝突音と不特定多数の悲鳴が響いた。
音の発生源はショッピングモールの入口付近。ガラス張りの自動ドアにトラックが突っ込んできたのだ。
辺りに砕け散ったガラスが周囲にいる人へ容赦なく襲いかかる。ガラスの破片はかなり広範囲に飛び散ったようでそこかしこから悲鳴や呻き声が上がっていた。
ほんの少し前まで穏やかだった午後に相応しくない、緊張感を孕んだ喧騒が商業施設を包んでいく。
「ひどいな……」
過酷な環境はこれまで何度も経験してきたが、平穏だったはずの場所が突如不幸に見舞われたショックで思わず声が漏れる。
そこに新たな動きが生まれた。停止したはずのトラックがのろのろと動き出し、突っ込んできた入口へとバックしていくのだ。
周囲にいた人物の中から次々に困惑と畏怖の声が上がる。
怪我人の救助をする人。腰を抜かしたまま動けずにいる人。現場を遠巻きにしつつじわじわと集まり始める群衆と慌ただしい様子で駆け寄り、状況把握と事態の収拾を試みるスタッフ。
理屈の分からない現象を引き金に不安と恐怖、そして動揺が人から人へ伝播し、じわじわと膨らんでいく。膨らみきって弾けたらこの一帯はパニックで収集がつかなくなるだろう。
その前に退散しなければ。と、腰を浮かせた時、眼前に手のひらに収まる程度の紙片を差し出された。
差し出した人物の虹彩には電子的な光が煌めいていた。
「そこへ向かって。後から合流する」
有無を言わさぬ口調で告げるなり、シエルは騒然とするモール内を人混みとは逆方向へ駆け出した。迷いのない足取りであっという間に見えなくなった背中を見送り、押しつけられた紙を確かめる。
それは買い物で貰ったレシートの一枚で、どうやらクレインが騒然とした現場に気を取られている間に走り書きしたらしい。
脳量子波で何かを感じ取ったのか、それともヴェーダにアクセスして事態を把握したのか。ただの人間であるクレインには分かりようもなかった。
「なくてもどうってことないような口ぶりだったけど、やっぱ便利すぎんだろ……」
そう独語し、そういえばと買い物袋の中身が無事かを確かめる。伏せた時に床とぶつかったような感覚があったものの、どうやら無事のようだ。
床についた箇所を軽く払って携帯端末を取り出す。トレミーからの連絡が入っていないかと思っての行動だったが、何度試しても通信が途切れてしまってまともに機能しない。妨害電波を受けた時のような反応だが断定するのは早計というものだ。
とにかくここを後にしよう。踵を返した時、混乱した状況下になる前言われた言葉を思い出す。
「……つっても、呑気に買い物できる雰囲気じゃなくなってるしさぁ……」
彼は苛立ちを紛らわすようにメッシュの入った赤毛を空いた手でぐしゃぐしゃとかき乱した。
「あーもう、せっかくの地上だからもっと羽を伸ばしたかったんだけどな」
