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「さーて、今年はどうしようかな、っと」
エイダは鼻歌とともにタブレットでバレンタイン特集のページを開いた。
いいと思ったアイデアやレシピは次々とリストへ保存していく。
バレンタインの時期が近づくと日頃の感謝を込めて、市民に配るチョコレート菓子の準備をするのが彼女の中で恒例となっていた。
去年までは自身のルーキー研修期間と重なったり個人的な事情で余裕がなく、手間をかけず短時間で大量に作れるものばかりだった。それを踏まえると今年はもう少し凝ったものにしてもいい。
持ち運びや保存性を考えるとやはり形崩れの心配がない焼き菓子やパウンドケーキだろうか?
その場合アクセントにドライフルーツを入れたらどうだろう?断面も華やかになるし。
そんな事を考えていると「ねぇ、」という囁きと同時に背後から肩を掴まれる。
「わわっ!?あっ!?」
驚いた拍子にタブレットを取り落としそうになり、掴むというよりは腕を滑り込ませる形でギリギリ落下を阻止した。不格好なキャッチになってしまったが、落とさなかったのだから充分だろう。
背後から聞こえてくる忍び笑いの主はフェイスだった。
果実を思わせる甘い色の瞳は悪戯が成功した子どものようにキラキラと輝いている。
「おチビちゃん以外にもびっくりして跳び上がる人がいるなんてね。驚きすぎでしょ」
「そりゃ跳び上がりもするよ。考え事してたんだから」
もう、と言いながらソファーからずり落ちていた姿勢を戻す。
「何見てるの?バレンタイン?」
「そう。市民のみんなに配るもの決めようと思って」
フェイスは座席側に回り込みながらふーん、と気のなさそうな相槌を打つ。
だらりとソファーの背もたれへ身を預け、タブレットを覗き込むようにしてエイダの肩へ首を乗せた。
交際を公表したとはいえ、他のヒーロー達の目もある談話室でここまで積極的に距離を詰めてくるのも珍しい。
「本当マメだね。よくやるよ」
「異動しても引き続き応援してくれてるファンもいるし、こっちで受け入れてくれた人達にも感謝は伝えたいんだ」
「でも手作りでたくさん作るのって手間じゃない?もらう側は嬉しいだろうけど……」
ふと言葉が途切れる。じっとタブレットの画面を眺めているフェイスは物言いたげな様子で考え込んでいる。続きがあるのかと様子を伺っていると「そういえばさ、」と再び声を発した。
「俺、家族以外の手作りって食べた事ないんだよね」
「彼女達のもなかったの?」
「作りたがる子は数えきれないくらいいたけど、全部断ってたよ。めげずに渡された時も何入ってるか分からないから捨てるしかないし。最近は観賞用と割り切ってすごく凝ったのを作ってくる子もいるけど」
「あーね、フェイスの場合そうなっちゃうか」
“手作りチョコに何かを仕込まれる”はフィクションに出てくるプレイボーイ定番のエピソードだが、現実でこんな事を言ったところで大抵は話を盛っていると一笑されて終わりだろう。
しかし、フェイス・ビームスの場合は事情が異なる。女性関係に問題があろうと、女遊びを一切やめたのちに本命との交際を発表した後も、それでも構わないと焦がれる女性が後を絶たない。
具体的にはバレンタイン前から大量のチョコやバースデープレゼントが押し寄せる。
職員はデスクの前が埋もれるほど積まれた贈り物の精査に追われる羽目になり、日々のパトロールでは疲れた表情のフェイスが持ちきれないほどの贈り物を抱えて戻ってくるほどだ。
「今年は去年以上だよね。研修チームの共有スペースじわじわ占領していってるし」
「どこまでいくんだか。ま、なるようになるでしょ」
知り合ってから今まで衰え知らず。
それどころか年々勢いを増しているので危機感や焦りを通り越して感嘆の域に達してしまっていたが、エイダも彼女として危機感を持つべきなのかもしれない。
とはいえ、捨てられてしまう前提でも好きな相手にチョコを作って渡す情熱と気概は尊敬してしまう。
気持ちを形にして伝えたい。相手に喜んでもらいたい。その思いは誰しも変わらないんだな、としみじみ思っていると「それはともかく」とフェイスが話題を変えた。
「毎年たくさんのチョコをもらうけど手作りは食べた事ないんだよね」
「さっきも言ってたね、それ」
すり、とフェイスの身動ぎに合わせて柔らかな黒髪が頬をくすぐる。
懐いた相手に身をすり寄せてくる仕草は猫のようだ。フェイスが猫だったら毛艶のいい血統書つきだろうな。
撫でながらそんな事をぼんやりと考えていたエイダをプラム色の瞳が見上げている。
「そう。だからさ、今年は手作りを食べたいな」
「うん。───うん?」
甘えるような上目遣いを受け、エイダは瞬きとともに首を傾げる。
今、フェイスはなんと言ったのか。「手作りを食べたい」とは誰の手作りを指しているのか。
冷静だったのなら改めて考えるまでもない事だが、相手は女性人気トップクラスのフェイス。街に出れば黄色い声援が飛び交い、ファンサービスでファンの理性を蒸発させ、目が合ってしまった女性が興奮のあまり体調を崩してうずくまるのも珍しい事ではない。
贈り物も前述したような状態が恒例と化している。そんな相手から直接ねだられるとは思っていなかった。
───ええっと、それはつまり?
のろのろとした思考で先程のセリフを反芻していると、絶世の美形はさらに笑顔で続ける。
「エイダはよく知ってる相手だから変なものを入れる心配ないし、確か料理もできたよね?」
「家庭料理ね。しかも大勢で食べる感じのやつだけど」
それを聞いて充分と頷いているものの、あくまで身内に振舞う家庭料理。
庶民的な家庭の味が上流階級育ちの舌に合うかと言われたら首を捻ってしまうところだ。
そもそも料理と製菓が似て非なる分野だと分かっているのだろうか。
なんと言ったものかと口をパクパクさせているうちに極上のスマイルで完封されてしまった。
「本命の手作りチョコ、楽しみにしてる」と。
◇
数日後、エイダはレシピや雑誌の特集と向き合いつつ唸っていた。
「いやー、ハードル高い。たっかいなぁ……」
フェイスが言った通り、料理経験自体はある。
でもそれは養護施設にいた頃から手伝いでキッチンに立っていただけで、本格的に学んだ味には劣ってしまう。
子ども達と分け合って食べるおやつを作った経験もあるが、得意分野はあくまで家庭調理だ。
一流のものや良質なものに囲まれて育ち、目も舌も肥えているだろうフェイスに本命としてあげなければならないシチュエーションは正直に言ってエイダの手に余っていた。
軽い登山の経験が有るからと上級者向けの山に連れてこられ、途方に暮れてしまったような心境だ。
「背伸びしてもしょうがないけど、フェイスの誕生日だしなー……」
そう、2月14日はバレンタインデーだけでなく恋人の誕生日でもある。ならば恋人として何も用意しないのは薄情というもの。
タブレットを眺めていたフェイスが物言いたげな様子だったのも「恋人の誕生日よりファンサービスを優先させるのか」という批難の意味合いもあったはずだ。
一番好きなのはトリュフだと聞いたがそれだけではさすがに味気ない。かと言ってケーキは重すぎやしないか?チョコは見飽きてるだろうからいっそ王道から外れたものにするべきか。
うんうんと頭を悩ませるも時間とできる事は限られていて。「よし!」と腹を括ったエイダはキッチンへ向かった。
◇
ルーキー研修チームの部屋を訪れたエイダはそのままフェイスの部屋へと通された。共有スペースでは研修チームの面々がパーティーの準備を整えていたが、彼らに挨拶もしないうちに室内へ押し込まれてしまう。
「いいの?」
「みんながいる前だとからかわれて鬱陶しいし、どうせ後で祝ってもらうんだから」
あんまり時間もないしね、という言葉に促されて持ってきた箱を手渡す。
「誕生日おめでとう。そしてハッピーバレンタイン!」
「ありがとう」
箱の中身はラズベリーのソースを挟んだ十センチ四方のショコラケーキ。
生のラズベリーをあしらったそれは素朴な見た目だが食欲をそそる出来だろう。いや、そうあってほしいと願っているというのが正しいかもしれない。
焼き上がりを待つ間に出来心で覗いたSNSで見た等身大チョコレートに度肝を抜かれ、プロに発注したような本格的なチョコの数々に煩悶しつつ完成にこぎつけたと言っても過言ではなかった。
「ちゃんと作ってくれたんだ」
「リクエストされたからには応えないとね」
フォークを入れていくフェイスの一挙一動を神妙な面持ちで見守る。
表面上はいつも通りを装っているものの、エイダの内心は緊張しきっていた。
何度も味見はしたし、人に試食も頼んだ。
一流の味には到底及ばないとしてもできる精一杯を尽くしたつもりだ。それでも、もし口に合わなかったらという不安が首をもたげる。
甘えてきたフェイスを「なんだ、手作りなんて言ってもこんなものか」とがっかりさせてしまうのは何より避けたかった。
味わっているのはわずか数秒なのにやけに長く感じてしまう。そんな心境を知ってか知らずか、フェイスが緩やかに口端を上げている。気を揉んでいるエイダの反応を楽しんでいるようにも見えた。
「どうだった?」
「うん。美味しい」
緊張から解放され、エイダはほっと胸を撫で下ろした。
「よかった~」
「そんなに悩んでたの?」
「考えてもみてよ。目も舌も肥えた相手に手作りの本命を渡すんだよ?みんなで食べるおやつとは訳が違うし、SNSでものすごく気合い入ったチョコをたくさん見たものだからもう何にしていいか分からなくって」
「あのねぇ」
幼い子どもに言い聞かせるような声音でフェイスが割って入る。
「どんなものだろうと“好きな子が”“俺のために”作ってくれたのがいいんだよ。悩んだ時間も含めて、ね」
「そういうもの?」
「だってその間は俺の事で頭いっぱいだったでしょ?」
言われて目を見張った。フェイスの言葉通り、エイダは配る用の菓子を作っている間も手を動かしながら頭ではフェイスに何をあげれば喜んでもらえるかばかりを思っていた。
仕事がひと段落したタイミングや休憩中、プライベートでも考え込んでいる事が多かった。市民と接する時はさすがに専念していたものの、ふとした時に思い浮かべるのは特定の相手の事ばかり。
ここ最近で大部分を占めていたエイダの苦悩。それも彼の手のひらで踊らされているようなものだったのかもしれない。
一通り味わったのか、ケーキ入りの箱をサイドテーブルに預けたフェイスはご機嫌な様子で、思い通りに乗せられてしまったエイダとしては文句の一つでも言いたくなるというものだ。
「フェイス~?もしかして、分かっててあんな事言ったの?」
「本命が欲しかったのは本当。付き合って初めてのバレンタインなのに例年通りでちょっと面白くなかったのも事実」
「……それは、ごめん。考えが足りてなかった」
「ま、年末以降お互い忙しかったしね。でも、たまには人気者の心を独り占めしたっていいと思わない?誕生日なんだから」
本人からそう言われてしまっては反論しようがない。クリスマスからニューイヤーの多忙な期間を乗り越えて以降のエイダは日常的な業務の合間にバレンタインの準備を進めていた。
休暇後の研修チームもLOMへ向けての準備に追われ、お互い時間が取れずにいたのは事実。
フェイスの不満ももっともと言えよう。
「ねえ。その理屈でいくと、こうやって二人きりで、しかも目の前で食べてもらってるのって贅沢な時間?」
「そう、すっごく贅沢。やっと分かったんだ」
「はい」
「少しでも一緒に過ごしたくて調整したんだよ」
「じゃあフェイスに感謝しないと。ありがとう」
「感謝してくれるならお礼も欲しいな」
二人は視線を交わして笑い合う。
友達から恋人へと変化してから何度も感じるようになったくすぐったい感覚はまだ少し照れくさいけれど嫌いではない。自然な流れでフェイスが顔を近づけ、エイダも応えるように目を閉じる……。
「おーい、時間過ぎてんぞー」
「まだかかんのかよ?ディノがピザの前でうずうずしてんだけど」
「いやいや、せっかく二人で過ごしてるんだし邪魔したら悪いよ。大丈夫、俺はまだ耐えられる……」
「食い入るようにピザ眺めてるやつがよく言うぜ」
ドア越しの賑やかな声に促されて時計を見やれば約束した時間をややオーバーしていた。キース達が一声かけるのも道理。
フェイスは肩透かしを食らったような渋い表情をし、エイダは眉を八の字にして体を離す。
「待たせちゃってるし行った方がいいよ。残りは冷蔵庫入れていくから」
「ちょっと待って」
あっ、と声を上げる間もなくフェイスの腕の中へと引き込まれた。
視界いっぱいに映る端正な顔立ちが悪戯っぽく目を細め、触れるだけのキスを交わす。
「ちょっと物足りないけど貰えるものは貰っておかないと」
「後日改めてでもいいよ」
「じゃあその時は別のものを貰おうかな?」
男性にしては細く美しい手が頬を撫で、エイダの顎のラインをなぞる。
妖しさを含んだ動きから抗いがたい色気を感じさせられる。フェイスにかかればちょっとした仕草も艶めかしいものになってしまうのだから末恐ろしい。
そんなことを考えていると催促する声が再び聞こえてきた。
時間が来たら彼らに譲るつもりだったのにすっかり待たせてしまっている。
エイダはクスクスと笑いながら立ち上がり、支えるようにフェイスの手を取った。
「ほら、みんな待ってるよ」
「はいはい。続きはまた後で、ね」
20220708 write
エイダは鼻歌とともにタブレットでバレンタイン特集のページを開いた。
いいと思ったアイデアやレシピは次々とリストへ保存していく。
バレンタインの時期が近づくと日頃の感謝を込めて、市民に配るチョコレート菓子の準備をするのが彼女の中で恒例となっていた。
去年までは自身のルーキー研修期間と重なったり個人的な事情で余裕がなく、手間をかけず短時間で大量に作れるものばかりだった。それを踏まえると今年はもう少し凝ったものにしてもいい。
持ち運びや保存性を考えるとやはり形崩れの心配がない焼き菓子やパウンドケーキだろうか?
その場合アクセントにドライフルーツを入れたらどうだろう?断面も華やかになるし。
そんな事を考えていると「ねぇ、」という囁きと同時に背後から肩を掴まれる。
「わわっ!?あっ!?」
驚いた拍子にタブレットを取り落としそうになり、掴むというよりは腕を滑り込ませる形でギリギリ落下を阻止した。不格好なキャッチになってしまったが、落とさなかったのだから充分だろう。
背後から聞こえてくる忍び笑いの主はフェイスだった。
果実を思わせる甘い色の瞳は悪戯が成功した子どものようにキラキラと輝いている。
「おチビちゃん以外にもびっくりして跳び上がる人がいるなんてね。驚きすぎでしょ」
「そりゃ跳び上がりもするよ。考え事してたんだから」
もう、と言いながらソファーからずり落ちていた姿勢を戻す。
「何見てるの?バレンタイン?」
「そう。市民のみんなに配るもの決めようと思って」
フェイスは座席側に回り込みながらふーん、と気のなさそうな相槌を打つ。
だらりとソファーの背もたれへ身を預け、タブレットを覗き込むようにしてエイダの肩へ首を乗せた。
交際を公表したとはいえ、他のヒーロー達の目もある談話室でここまで積極的に距離を詰めてくるのも珍しい。
「本当マメだね。よくやるよ」
「異動しても引き続き応援してくれてるファンもいるし、こっちで受け入れてくれた人達にも感謝は伝えたいんだ」
「でも手作りでたくさん作るのって手間じゃない?もらう側は嬉しいだろうけど……」
ふと言葉が途切れる。じっとタブレットの画面を眺めているフェイスは物言いたげな様子で考え込んでいる。続きがあるのかと様子を伺っていると「そういえばさ、」と再び声を発した。
「俺、家族以外の手作りって食べた事ないんだよね」
「彼女達のもなかったの?」
「作りたがる子は数えきれないくらいいたけど、全部断ってたよ。めげずに渡された時も何入ってるか分からないから捨てるしかないし。最近は観賞用と割り切ってすごく凝ったのを作ってくる子もいるけど」
「あーね、フェイスの場合そうなっちゃうか」
“手作りチョコに何かを仕込まれる”はフィクションに出てくるプレイボーイ定番のエピソードだが、現実でこんな事を言ったところで大抵は話を盛っていると一笑されて終わりだろう。
しかし、フェイス・ビームスの場合は事情が異なる。女性関係に問題があろうと、女遊びを一切やめたのちに本命との交際を発表した後も、それでも構わないと焦がれる女性が後を絶たない。
具体的にはバレンタイン前から大量のチョコやバースデープレゼントが押し寄せる。
職員はデスクの前が埋もれるほど積まれた贈り物の精査に追われる羽目になり、日々のパトロールでは疲れた表情のフェイスが持ちきれないほどの贈り物を抱えて戻ってくるほどだ。
「今年は去年以上だよね。研修チームの共有スペースじわじわ占領していってるし」
「どこまでいくんだか。ま、なるようになるでしょ」
知り合ってから今まで衰え知らず。
それどころか年々勢いを増しているので危機感や焦りを通り越して感嘆の域に達してしまっていたが、エイダも彼女として危機感を持つべきなのかもしれない。
とはいえ、捨てられてしまう前提でも好きな相手にチョコを作って渡す情熱と気概は尊敬してしまう。
気持ちを形にして伝えたい。相手に喜んでもらいたい。その思いは誰しも変わらないんだな、としみじみ思っていると「それはともかく」とフェイスが話題を変えた。
「毎年たくさんのチョコをもらうけど手作りは食べた事ないんだよね」
「さっきも言ってたね、それ」
すり、とフェイスの身動ぎに合わせて柔らかな黒髪が頬をくすぐる。
懐いた相手に身をすり寄せてくる仕草は猫のようだ。フェイスが猫だったら毛艶のいい血統書つきだろうな。
撫でながらそんな事をぼんやりと考えていたエイダをプラム色の瞳が見上げている。
「そう。だからさ、今年は手作りを食べたいな」
「うん。───うん?」
甘えるような上目遣いを受け、エイダは瞬きとともに首を傾げる。
今、フェイスはなんと言ったのか。「手作りを食べたい」とは誰の手作りを指しているのか。
冷静だったのなら改めて考えるまでもない事だが、相手は女性人気トップクラスのフェイス。街に出れば黄色い声援が飛び交い、ファンサービスでファンの理性を蒸発させ、目が合ってしまった女性が興奮のあまり体調を崩してうずくまるのも珍しい事ではない。
贈り物も前述したような状態が恒例と化している。そんな相手から直接ねだられるとは思っていなかった。
───ええっと、それはつまり?
のろのろとした思考で先程のセリフを反芻していると、絶世の美形はさらに笑顔で続ける。
「エイダはよく知ってる相手だから変なものを入れる心配ないし、確か料理もできたよね?」
「家庭料理ね。しかも大勢で食べる感じのやつだけど」
それを聞いて充分と頷いているものの、あくまで身内に振舞う家庭料理。
庶民的な家庭の味が上流階級育ちの舌に合うかと言われたら首を捻ってしまうところだ。
そもそも料理と製菓が似て非なる分野だと分かっているのだろうか。
なんと言ったものかと口をパクパクさせているうちに極上のスマイルで完封されてしまった。
「本命の手作りチョコ、楽しみにしてる」と。
◇
数日後、エイダはレシピや雑誌の特集と向き合いつつ唸っていた。
「いやー、ハードル高い。たっかいなぁ……」
フェイスが言った通り、料理経験自体はある。
でもそれは養護施設にいた頃から手伝いでキッチンに立っていただけで、本格的に学んだ味には劣ってしまう。
子ども達と分け合って食べるおやつを作った経験もあるが、得意分野はあくまで家庭調理だ。
一流のものや良質なものに囲まれて育ち、目も舌も肥えているだろうフェイスに本命としてあげなければならないシチュエーションは正直に言ってエイダの手に余っていた。
軽い登山の経験が有るからと上級者向けの山に連れてこられ、途方に暮れてしまったような心境だ。
「背伸びしてもしょうがないけど、フェイスの誕生日だしなー……」
そう、2月14日はバレンタインデーだけでなく恋人の誕生日でもある。ならば恋人として何も用意しないのは薄情というもの。
タブレットを眺めていたフェイスが物言いたげな様子だったのも「恋人の誕生日よりファンサービスを優先させるのか」という批難の意味合いもあったはずだ。
一番好きなのはトリュフだと聞いたがそれだけではさすがに味気ない。かと言ってケーキは重すぎやしないか?チョコは見飽きてるだろうからいっそ王道から外れたものにするべきか。
うんうんと頭を悩ませるも時間とできる事は限られていて。「よし!」と腹を括ったエイダはキッチンへ向かった。
◇
ルーキー研修チームの部屋を訪れたエイダはそのままフェイスの部屋へと通された。共有スペースでは研修チームの面々がパーティーの準備を整えていたが、彼らに挨拶もしないうちに室内へ押し込まれてしまう。
「いいの?」
「みんながいる前だとからかわれて鬱陶しいし、どうせ後で祝ってもらうんだから」
あんまり時間もないしね、という言葉に促されて持ってきた箱を手渡す。
「誕生日おめでとう。そしてハッピーバレンタイン!」
「ありがとう」
箱の中身はラズベリーのソースを挟んだ十センチ四方のショコラケーキ。
生のラズベリーをあしらったそれは素朴な見た目だが食欲をそそる出来だろう。いや、そうあってほしいと願っているというのが正しいかもしれない。
焼き上がりを待つ間に出来心で覗いたSNSで見た等身大チョコレートに度肝を抜かれ、プロに発注したような本格的なチョコの数々に煩悶しつつ完成にこぎつけたと言っても過言ではなかった。
「ちゃんと作ってくれたんだ」
「リクエストされたからには応えないとね」
フォークを入れていくフェイスの一挙一動を神妙な面持ちで見守る。
表面上はいつも通りを装っているものの、エイダの内心は緊張しきっていた。
何度も味見はしたし、人に試食も頼んだ。
一流の味には到底及ばないとしてもできる精一杯を尽くしたつもりだ。それでも、もし口に合わなかったらという不安が首をもたげる。
甘えてきたフェイスを「なんだ、手作りなんて言ってもこんなものか」とがっかりさせてしまうのは何より避けたかった。
味わっているのはわずか数秒なのにやけに長く感じてしまう。そんな心境を知ってか知らずか、フェイスが緩やかに口端を上げている。気を揉んでいるエイダの反応を楽しんでいるようにも見えた。
「どうだった?」
「うん。美味しい」
緊張から解放され、エイダはほっと胸を撫で下ろした。
「よかった~」
「そんなに悩んでたの?」
「考えてもみてよ。目も舌も肥えた相手に手作りの本命を渡すんだよ?みんなで食べるおやつとは訳が違うし、SNSでものすごく気合い入ったチョコをたくさん見たものだからもう何にしていいか分からなくって」
「あのねぇ」
幼い子どもに言い聞かせるような声音でフェイスが割って入る。
「どんなものだろうと“好きな子が”“俺のために”作ってくれたのがいいんだよ。悩んだ時間も含めて、ね」
「そういうもの?」
「だってその間は俺の事で頭いっぱいだったでしょ?」
言われて目を見張った。フェイスの言葉通り、エイダは配る用の菓子を作っている間も手を動かしながら頭ではフェイスに何をあげれば喜んでもらえるかばかりを思っていた。
仕事がひと段落したタイミングや休憩中、プライベートでも考え込んでいる事が多かった。市民と接する時はさすがに専念していたものの、ふとした時に思い浮かべるのは特定の相手の事ばかり。
ここ最近で大部分を占めていたエイダの苦悩。それも彼の手のひらで踊らされているようなものだったのかもしれない。
一通り味わったのか、ケーキ入りの箱をサイドテーブルに預けたフェイスはご機嫌な様子で、思い通りに乗せられてしまったエイダとしては文句の一つでも言いたくなるというものだ。
「フェイス~?もしかして、分かっててあんな事言ったの?」
「本命が欲しかったのは本当。付き合って初めてのバレンタインなのに例年通りでちょっと面白くなかったのも事実」
「……それは、ごめん。考えが足りてなかった」
「ま、年末以降お互い忙しかったしね。でも、たまには人気者の心を独り占めしたっていいと思わない?誕生日なんだから」
本人からそう言われてしまっては反論しようがない。クリスマスからニューイヤーの多忙な期間を乗り越えて以降のエイダは日常的な業務の合間にバレンタインの準備を進めていた。
休暇後の研修チームもLOMへ向けての準備に追われ、お互い時間が取れずにいたのは事実。
フェイスの不満ももっともと言えよう。
「ねえ。その理屈でいくと、こうやって二人きりで、しかも目の前で食べてもらってるのって贅沢な時間?」
「そう、すっごく贅沢。やっと分かったんだ」
「はい」
「少しでも一緒に過ごしたくて調整したんだよ」
「じゃあフェイスに感謝しないと。ありがとう」
「感謝してくれるならお礼も欲しいな」
二人は視線を交わして笑い合う。
友達から恋人へと変化してから何度も感じるようになったくすぐったい感覚はまだ少し照れくさいけれど嫌いではない。自然な流れでフェイスが顔を近づけ、エイダも応えるように目を閉じる……。
「おーい、時間過ぎてんぞー」
「まだかかんのかよ?ディノがピザの前でうずうずしてんだけど」
「いやいや、せっかく二人で過ごしてるんだし邪魔したら悪いよ。大丈夫、俺はまだ耐えられる……」
「食い入るようにピザ眺めてるやつがよく言うぜ」
ドア越しの賑やかな声に促されて時計を見やれば約束した時間をややオーバーしていた。キース達が一声かけるのも道理。
フェイスは肩透かしを食らったような渋い表情をし、エイダは眉を八の字にして体を離す。
「待たせちゃってるし行った方がいいよ。残りは冷蔵庫入れていくから」
「ちょっと待って」
あっ、と声を上げる間もなくフェイスの腕の中へと引き込まれた。
視界いっぱいに映る端正な顔立ちが悪戯っぽく目を細め、触れるだけのキスを交わす。
「ちょっと物足りないけど貰えるものは貰っておかないと」
「後日改めてでもいいよ」
「じゃあその時は別のものを貰おうかな?」
男性にしては細く美しい手が頬を撫で、エイダの顎のラインをなぞる。
妖しさを含んだ動きから抗いがたい色気を感じさせられる。フェイスにかかればちょっとした仕草も艶めかしいものになってしまうのだから末恐ろしい。
そんなことを考えていると催促する声が再び聞こえてきた。
時間が来たら彼らに譲るつもりだったのにすっかり待たせてしまっている。
エイダはクスクスと笑いながら立ち上がり、支えるようにフェイスの手を取った。
「ほら、みんな待ってるよ」
「はいはい。続きはまた後で、ね」
20220708 write
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