フェアンヴェー
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ドアをノックすると中から応じる声と足音がした。年齢を考えれば夜に女性の私室を訪ねるのは如何なものかと考えてしまうが、来てしまったのだから弁解のしようがなかった。なんと説明したものか考えをめぐらせているとドアが開けられ、そこにはいつもと少しだけ異なるエレミートの姿があった。
普段編み込みでまとめてられている長い髪は現在右肩に流している。服装はワンピースタイプのナイトウェアに肩からストールを羽織っていた。
「ミヒャさん、どうしたんですか」
「いえ、なんだか落ち着かなくて……」
淑女の部屋を訪れるのには随分と幼い理由だった。
普段なら眠気が訪れるまで持ち込んだ書物でも読んでいるところだが、今日は何かが足りないと感じた。それは室内の書物や自室で事足りるものではない。
何故だか無性にエレミートの顔を見たくなったのだ。
「まあ、こんなところで立ち話もなんですからどうぞ」
「淑女が部屋に男性を入れるのはどうかと思います。ましてやナイトウェアで」
「他ならぬミヒャさんですから」
「子ども扱い、ですか」
「特別扱いですよ」
髪を下ろしているエレミートは普段よりもリラックスした雰囲気で、この人はこうやってプライベートな時間を過ごすのだと知った。リターニアにいた頃は女帝の私用以外でエレミートの元を訪れる事はそうなかったし、衆人観衆に晒され続ける彼女にプライベートな時間というものはないと言っていい。
ロドスに来た事で少しでも寛げているのならばなによりだ。名前の無い感情が晴れるような気がして、自然と視線は細く白い首筋へと惹き付けられる。髪に覆われていない左側の首筋はやけに細く、嫋やかに見えてしまう。
普段の奇行を知っていながらこんな発想をしてしまうなんてどうかしている。
「それで、どうしたんですか」
「なんだかエレミートさんの顔を見たくなって……」
「落ち着きましたか?」
「少しは」
「……ふふっ」
「…………なんですか、その反応」
別の意味であまり落ち着けていないが、その事は口にしないでおく。「でも顔を見たらはいさようなら、も寂しいですよね」と頬に手を当てていたエレミートが思いついたように声を発した。
「ミヒャさん、私からもひとつお願いが」
「……変な事じゃなければ」
「触ってもいいですか」
「そのくらいなら許可取らなくてもいいですよ」
「そうですか?なら遠慮なく」
何をするのかと思いきや、ベースラインを後ろから抱きしめられた。清涼感漂うシャボンの香りが鼻をくすぐる。
服越しに伝わる温もりに警戒心の染み付いた体と耳がびくりと反応するが、この人は脅威では無いと思い直して温もりを受け入れた。
ミヒャさん、と呼ばれる度に息が耳元や首筋に当たってくすぐったい。
「あの、何ですかこれ」
「なんとなく、です」
「なんとなくでこんな事するんですか」
「さすがに人は選びますよ?それに、親しい人が途方に暮れたような顔をして現れたらこのくらいはするというだけで」
本当だろうか?彼女はやたらとベースラインを大切と表現しているが、正直に言って年下だからと遊ばれているような心地だった。
「他の人にするのはやめてくださいよ。誤解を招きます。ただでさえあなたは勘違いさせがちなんですから」
「そうですか?私だって人を選んでいますよ」
「……基準を知りたいところですね」
角度的に見えないと分かりながらもじっとりとした眼差しを送ると、決まっているでしょうと微笑む気配がした。
「こんなスキンシップ、大切な人にしかしません」
「またそんなことを言って……」
「本当ですよ?そうだ、せっかくだし尻尾を触っても?」
「いくらなんでもセクハラになりますよ」
「そんな……こんなにふわふわで、今にも触って!って言いそうなのに」
「僕の尻尾がそんな事言うわけないでしょう!」
「ほら、今もふわふわと動いてますよ」
「これは適当な事言う誰かさんに怒ってるからですよ!」
幼い頃からマナーとして身につけた感情の抑え方も形無しで、肝心な今は感情に合わせて揺れ動いてしまうのだから自分もまだまだ未熟者かもしれない。
まったく、あなたという人は。そう独り言のように呟くと楽しげな笑い声が耳を擽った。
「どうですか、そろそろ落ち着きましたか?」
「はい。あなたの馬鹿げた冗談のおかげで変な気分は綺麗さっぱり消えてくれました」
「冗談じゃないんですけどね」と言いながら離れていくエレミートの表情は柔らかく、内心を読みづらい。
そんな彼女にちょっとした意趣返しをしたくなった。
「エレミートさん、夜に会いたいと思い浮かべる人は身近な人だからこそらしいですよ」
「まあ、可愛らしい」
「……そういうのはいいですから」とじっとりとした眼差しを送り、彼女のからかいを遮る。
「僕は長年グリムマハトに仕えてきました。けれど、夜に人恋しくなってあの方を思い浮かべる事があっても我慢する事を覚えた。身の程を弁えていたからです」
幼い頃に故郷を離れた当初は何かと理由をつけて会いに行ってしまっていたが、それでも年月を重ねるにつれてベースラインは自重を覚えるようになった。それは忠誠と敬愛の心から自然と生まれた距離感であり、グリムマハトの密偵としてのプライドもあった。いつまでも甘えてばかりでは彼女に仕える者として相応しくないとも思っていた。
「ミヒャさん」
「ただ、あなたには会いたくなってしまう自分がいるんです。こうして触れ合って安心感を得ている。隠者として数々の問いを答えに導いてきたあなたならこの不可思議な行動にも理由を見つけられるのでは?」
「――それはきっと、ミヒャさんも分かっているんじゃないですか?」
「答えはくれないんですか」
不服げに眉を顰めると微笑を浮かべたエレミートの顔が近付いてくる。白い手はベースラインの前髪をかき上げ、額に柔らかな唇を押し当てた。
「きっとこういう事ですよ」
「……誤魔化されたような気がします」
「そこから先はミヒャさん自身の言葉で聞きたいところですから」
待っていますと楽しげに笑うエレミートは相変わらずベースラインの上を行く。いつか彼女よりも上に行く事が出来るのだろうか?そんな事を考えながら、顔の熱を冷やすように手を当てていると控えめな笑い声が漏れ聞こえてきた。やはりからかわれているのかもしれない。
みっともなくならないうちにその場を離れようとするベースラインの背中に「ミヒャさん、よい夜を」と声がかけられた。たおやかで、心地よくて、愛おしさを感じる声に応える。
「エレミートさんも、よい夜を」
普段編み込みでまとめてられている長い髪は現在右肩に流している。服装はワンピースタイプのナイトウェアに肩からストールを羽織っていた。
「ミヒャさん、どうしたんですか」
「いえ、なんだか落ち着かなくて……」
淑女の部屋を訪れるのには随分と幼い理由だった。
普段なら眠気が訪れるまで持ち込んだ書物でも読んでいるところだが、今日は何かが足りないと感じた。それは室内の書物や自室で事足りるものではない。
何故だか無性にエレミートの顔を見たくなったのだ。
「まあ、こんなところで立ち話もなんですからどうぞ」
「淑女が部屋に男性を入れるのはどうかと思います。ましてやナイトウェアで」
「他ならぬミヒャさんですから」
「子ども扱い、ですか」
「特別扱いですよ」
髪を下ろしているエレミートは普段よりもリラックスした雰囲気で、この人はこうやってプライベートな時間を過ごすのだと知った。リターニアにいた頃は女帝の私用以外でエレミートの元を訪れる事はそうなかったし、衆人観衆に晒され続ける彼女にプライベートな時間というものはないと言っていい。
ロドスに来た事で少しでも寛げているのならばなによりだ。名前の無い感情が晴れるような気がして、自然と視線は細く白い首筋へと惹き付けられる。髪に覆われていない左側の首筋はやけに細く、嫋やかに見えてしまう。
普段の奇行を知っていながらこんな発想をしてしまうなんてどうかしている。
「それで、どうしたんですか」
「なんだかエレミートさんの顔を見たくなって……」
「落ち着きましたか?」
「少しは」
「……ふふっ」
「…………なんですか、その反応」
別の意味であまり落ち着けていないが、その事は口にしないでおく。「でも顔を見たらはいさようなら、も寂しいですよね」と頬に手を当てていたエレミートが思いついたように声を発した。
「ミヒャさん、私からもひとつお願いが」
「……変な事じゃなければ」
「触ってもいいですか」
「そのくらいなら許可取らなくてもいいですよ」
「そうですか?なら遠慮なく」
何をするのかと思いきや、ベースラインを後ろから抱きしめられた。清涼感漂うシャボンの香りが鼻をくすぐる。
服越しに伝わる温もりに警戒心の染み付いた体と耳がびくりと反応するが、この人は脅威では無いと思い直して温もりを受け入れた。
ミヒャさん、と呼ばれる度に息が耳元や首筋に当たってくすぐったい。
「あの、何ですかこれ」
「なんとなく、です」
「なんとなくでこんな事するんですか」
「さすがに人は選びますよ?それに、親しい人が途方に暮れたような顔をして現れたらこのくらいはするというだけで」
本当だろうか?彼女はやたらとベースラインを大切と表現しているが、正直に言って年下だからと遊ばれているような心地だった。
「他の人にするのはやめてくださいよ。誤解を招きます。ただでさえあなたは勘違いさせがちなんですから」
「そうですか?私だって人を選んでいますよ」
「……基準を知りたいところですね」
角度的に見えないと分かりながらもじっとりとした眼差しを送ると、決まっているでしょうと微笑む気配がした。
「こんなスキンシップ、大切な人にしかしません」
「またそんなことを言って……」
「本当ですよ?そうだ、せっかくだし尻尾を触っても?」
「いくらなんでもセクハラになりますよ」
「そんな……こんなにふわふわで、今にも触って!って言いそうなのに」
「僕の尻尾がそんな事言うわけないでしょう!」
「ほら、今もふわふわと動いてますよ」
「これは適当な事言う誰かさんに怒ってるからですよ!」
幼い頃からマナーとして身につけた感情の抑え方も形無しで、肝心な今は感情に合わせて揺れ動いてしまうのだから自分もまだまだ未熟者かもしれない。
まったく、あなたという人は。そう独り言のように呟くと楽しげな笑い声が耳を擽った。
「どうですか、そろそろ落ち着きましたか?」
「はい。あなたの馬鹿げた冗談のおかげで変な気分は綺麗さっぱり消えてくれました」
「冗談じゃないんですけどね」と言いながら離れていくエレミートの表情は柔らかく、内心を読みづらい。
そんな彼女にちょっとした意趣返しをしたくなった。
「エレミートさん、夜に会いたいと思い浮かべる人は身近な人だからこそらしいですよ」
「まあ、可愛らしい」
「……そういうのはいいですから」とじっとりとした眼差しを送り、彼女のからかいを遮る。
「僕は長年グリムマハトに仕えてきました。けれど、夜に人恋しくなってあの方を思い浮かべる事があっても我慢する事を覚えた。身の程を弁えていたからです」
幼い頃に故郷を離れた当初は何かと理由をつけて会いに行ってしまっていたが、それでも年月を重ねるにつれてベースラインは自重を覚えるようになった。それは忠誠と敬愛の心から自然と生まれた距離感であり、グリムマハトの密偵としてのプライドもあった。いつまでも甘えてばかりでは彼女に仕える者として相応しくないとも思っていた。
「ミヒャさん」
「ただ、あなたには会いたくなってしまう自分がいるんです。こうして触れ合って安心感を得ている。隠者として数々の問いを答えに導いてきたあなたならこの不可思議な行動にも理由を見つけられるのでは?」
「――それはきっと、ミヒャさんも分かっているんじゃないですか?」
「答えはくれないんですか」
不服げに眉を顰めると微笑を浮かべたエレミートの顔が近付いてくる。白い手はベースラインの前髪をかき上げ、額に柔らかな唇を押し当てた。
「きっとこういう事ですよ」
「……誤魔化されたような気がします」
「そこから先はミヒャさん自身の言葉で聞きたいところですから」
待っていますと楽しげに笑うエレミートは相変わらずベースラインの上を行く。いつか彼女よりも上に行く事が出来るのだろうか?そんな事を考えながら、顔の熱を冷やすように手を当てていると控えめな笑い声が漏れ聞こえてきた。やはりからかわれているのかもしれない。
みっともなくならないうちにその場を離れようとするベースラインの背中に「ミヒャさん、よい夜を」と声がかけられた。たおやかで、心地よくて、愛おしさを感じる声に応える。
「エレミートさんも、よい夜を」
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