フェアンヴェー
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装飾隠者と呼ばれる職業の彼女は変わり者という噂で、如何にも隠者が住まう廃墟めいた造りの庵に住まわされている人物だった。フードのついた長いローブを羽織り、物見たさに現れる者達の見世物となり、問いかけを受ければ時に助言を与える。望まれれば即興劇にも応じ、訪問者の奏でる音楽に合わせて踊る事もあるという。
エレミートと呼ばれる彼女はグリムマハトと手紙のやり取りをする【友人】の一人だった。年齢の離れた二人がやり取りする手紙は謎めいた詩のようで、グリムマハトから初めて見せられた時のミヒャエルは酷く困惑したのを覚えている。
「そう難しい顔をするな。暗号のようなものだ」と眉を下げるグリムマハトに「グリムマハトには分かるんですか?」と問いかけると「これにはな、コツがあるのだ」と言いながら目を通し、羽根ペンでさらさらと返事を書くのだ。慕う女帝と顔見知り程度な隠者の間にある秘密のやり取りに言いようのない感情を覚えた事をよく覚えている。
「むくれた顔をするな。教えてやろう」と傍まで呼び寄せられて丁寧に教えてくれたおかげで、グリムマハトからの文書を預かった時エレミート相手に彼女達の使う暗号を用いた問いかけをしてみた。すると、世を悟ったような雰囲気を纏っている彼女が楽しげに目を細めた。
「ああ、あの方から教わったのですね。ふふ、あの方もあなたがよほど可愛いようで」
「なんですかその顔は。それより助言してくださいよ」
「うふふ、助言。助言ですね?そうですね……ならばこのようなものはいかがでしょう?」
最初は敬愛するグリムマハトと親しい様子の彼女への対抗心だった。詩だけでなく哲学をも用いるエレミートに遊ばれているような不満を覚えながらも、ミヒャエルは次第にこの隠者の扱いを覚えていった。彼女が存外茶目っ気のある性格で、多少雑に扱っても気分を損ねない事。物心ついた頃には既に装飾隠者として扱われていて、一人分の庵が彼女にとっての世界だという事。エレミートという人は窓の外を見るのと書物を漁るのが楽しみで、訪問者やグリムマハトとの文通が外との希少な繋がりで、人々の営みを見ながらどんな人生を送っているのかと思いを馳せるのだ。
ツヴィリングトゥルムの一件から一月が経とうとしていた頃、ようやくひと段落ついたミヒャエルはエレミートの庵を訪れた。ノックをすれば長い髪を編み込み、フードの中にしまい込んでいるエレミートが柔らかな笑顔で彼を迎えた。
「エレミートさん、お久しぶりです。今日は女帝の声としてではなくただのミヒャエルとして訪れました」
「いらっしゃいませミヒャさん。今準備しますね」
「だから、ただのミヒャエルなのでもてなしは……」
「お気になさらず。訪れた方へのおもてなしも私の務めですから」
用意されるティーカップは当然のようにミヒャエルの分だけだ。装飾隠者に与えられるものは全て必要最低限なもので、身につけるものも、内装も例外ではない。余暇を潰すための本は不定期で入れ替えられると聞いたが、それ以外にあるのは楽器くらいなものだ。がらんどうな室内で人に鑑賞されて過ごす彼らの特異性を改めて思い知らされる。
その時、茶器を載せたトレーを携えてエレミートが戻ってきた。訪ねてくれる人がいる嬉しさからか、いつもの澄まし顔もどこか華やいで見える。どうぞ、と勧められて茶を一口いただく。これは彼女の出身地の特産品だったか。
「フェデリコさんと行動を共にしてから今日まであっという間でしたね。今も昨日の事のように思い出せて……私があまりにも刺激の足りない生活をしているからでしょうか?」
あの慌ただしい一件を思い出したのか、くすくすと笑い声を零す。ミヒャエルにとっても昨日の事のように思い出せる、慌ただしくも印象深い事件であった。しかし、それも過去の事だ。ミヒャエルは女帝の声として慌ただしい日々を送る傍らで貴重な外との繋がりでもあり、友人だった文通相手を失ってしまったエレミートの事を気にかけていた。
「エレミートさんは庵の外に出たいと思ったことはないんですか?」
ミヒャさん、と穏やかな声音が窘める。
「装飾隠者というものは貴族の方々と切っては切れない関係なんですよ。酔狂……いいえ、高尚なご趣味のおかげでお給金を頂いて、最低限の世話もして頂ける。鉱石病にかかっていないのも恩恵があるからこそで」
「だからって一生をここで過ごすんですか?伯爵家の子女なのに」
「……ただの庶子ですよ。塔にも招かれず、結婚による家同士の結びつきとしても使われない。ここでひっそりと生を許されているのが名もなき隠者です」
「寂しいとは、思わないんですか」
「こうして訪ねてきてくれる方もいますから」
柔らかく笑むエレミートの顔は夕日に照らされてどこか憂いを感じさせる。日の傾きで光が眩しかったのだろう。僅かに目を細めてぽつりと呟く。
「夕焼けが綺麗……失礼、ミヒャさんは夜の方がお好みでしたか」
「そんな事はどうでもいいんです。あなたはずっとこのまま、飼われながら生きていくつもりなんですか?」
焦れた様子のミヒャエルの手を取りとん、とん、とゆったりとしたリズムで軽く手を叩く。子どもの癇癪を宥めるような仕草だ。
「少し気が昂っていますね?あの方がお隠れになられてまだ日が浅いからでしょう。だから些細な事も気になってしまっているんですよ」
「……」
「大丈夫。こんなに立派な女帝の声が居るのですから」と細い指がミヒャエルの髪を撫でる。髪を触られるのは子ども扱いされているような気がしてあまり好きではないが、グリムマハトとエレミートは例外だ。だからこそ親身になってしまう部分もあるのだろう。想定通りはぐらかしにかかったエレミートにミヒャエルは単刀直入に出る事にした。
「エレミートさん、僕と一緒にリターニアを出ませんか?」
ミヒャエルの言葉にエレミートの手が止まる。そろそろと手を下ろし、自然と視線が下へと向けられる。
「今後僕は双塔宮廷儀礼官としてロドスという製薬会社に特別派遣される事になりました。リターニアと行き来するようになるので頻繁に来られなくなります」
「そうですか。寂しくなりますね」
「なんで他人事なんですか。あなたも来るんですよ?あちらと交渉して僕の補佐官としての席は用意してあります。伯爵からの許可も得ていますよ」
「まあ……さすがは女帝の声。仕事も早いと言いますか……」
「呑気にしていたらのらくらと逃げられるのは目に見えてますから」
外堀を埋めでもしないとこの隠者は何かと理由をつけて断るだろう。だからこそエレミートに話を持っていくまでにあらゆる雑務を処理していたのだった。そこまで手を回されたエレミートの反応はというと窺い知れないものだった。困ったような、戸惑いのような表情を浮かべながらふと視線を窓の外に移す。
「世の中から隔絶されて生きていると時間の流れに取り残されていくんです。私の世界はこの庵の中が全て。その他は時折訪れる訪問者の方か、数少ない友人の便りがあるだけ。窓越しに見える景色ゆっくりと時間が流れていく。ここは孤島ですが、孤島の外での生活を知りません」
「鳥だって巣から飛び立つでしょう」
「飛び方だって知りませんよ?」
「知らなくたってこれから知っていけばいいんです。あなたは知識の探求が好きな人なんですから。あと何のために僕がいると思ってるんですか?」
言外に頼ってほしいと伝えるとエレミートはくしゃりと顔を歪めた。いつも悟ったように穏やかな表情が崩れた貴重な瞬間だった。
「頼っても、いいんですか?」
「嫌だったら最初から話を持ってこないですよ。あなたのためにどれだけ手を回したと思ってるんですか?」
手を差し伸べると恐る恐るといった風に白い手が伸ばされる。あと少しというところで躊躇うように止まった手をやや強引に掴んだ。長年閉じ込められていた貴人を引っ張り出すにはこのくらいの強引さも必要だ。
「行きましょう、エレミートさん」
「ミヒャさんと一緒なら」
まるで逃避行する恋人同士の台詞のようだ。そうミヒャエルがぼやくと「あらあら、いつの間にやら可愛らしい恋人ができてしまいました」とからかい混じりの柔らかな声がミヒャエルの耳をくすぐる。
「エレミートさんもこれを機に名前を考えた方がいいかもしれません。ロドスではコードネームとして別の名を名乗る事もできますから。僕も外ではベースラインと名乗るつもりです」
しかし彼女は「……とはいえ、私はエレミート以外の名を持たないですし」と考え込むように頬に手を添える。貴族の子女でありながら名すら与えられなかった彼女の境遇を思うと、新たな門出に新たな名はやはり必要だろう。
しかし、そんなミヒャエルの思考をエレミートの言葉が遮った。
「ロドスでもエレミートで構いませんよ。それ以上でもそれ以下でもありませんから」
想像していた通りの反応が返ってきてやっぱりかと肩を落とすミヒャエルに「その代わりに」とエレミートは続けた。
「他の名前をミヒャさんが考えて、二人きりの時にはそれで呼んでください」
「僕が名付け人になるんですか?」
「そんなに大袈裟な事でもありませんよ。ただ、二人きりの時に呼ぶ名を考えてほしいだけで」
「……エレミートさん、思わせぶりなところはよくないですよ」
「そう?これでも人を選んでいるのだけれど」
それは、つまり。思わず反応した耳に「あら、かわいい」とエレミートが声を漏らした。
エレミートと呼ばれる彼女はグリムマハトと手紙のやり取りをする【友人】の一人だった。年齢の離れた二人がやり取りする手紙は謎めいた詩のようで、グリムマハトから初めて見せられた時のミヒャエルは酷く困惑したのを覚えている。
「そう難しい顔をするな。暗号のようなものだ」と眉を下げるグリムマハトに「グリムマハトには分かるんですか?」と問いかけると「これにはな、コツがあるのだ」と言いながら目を通し、羽根ペンでさらさらと返事を書くのだ。慕う女帝と顔見知り程度な隠者の間にある秘密のやり取りに言いようのない感情を覚えた事をよく覚えている。
「むくれた顔をするな。教えてやろう」と傍まで呼び寄せられて丁寧に教えてくれたおかげで、グリムマハトからの文書を預かった時エレミート相手に彼女達の使う暗号を用いた問いかけをしてみた。すると、世を悟ったような雰囲気を纏っている彼女が楽しげに目を細めた。
「ああ、あの方から教わったのですね。ふふ、あの方もあなたがよほど可愛いようで」
「なんですかその顔は。それより助言してくださいよ」
「うふふ、助言。助言ですね?そうですね……ならばこのようなものはいかがでしょう?」
最初は敬愛するグリムマハトと親しい様子の彼女への対抗心だった。詩だけでなく哲学をも用いるエレミートに遊ばれているような不満を覚えながらも、ミヒャエルは次第にこの隠者の扱いを覚えていった。彼女が存外茶目っ気のある性格で、多少雑に扱っても気分を損ねない事。物心ついた頃には既に装飾隠者として扱われていて、一人分の庵が彼女にとっての世界だという事。エレミートという人は窓の外を見るのと書物を漁るのが楽しみで、訪問者やグリムマハトとの文通が外との希少な繋がりで、人々の営みを見ながらどんな人生を送っているのかと思いを馳せるのだ。
ツヴィリングトゥルムの一件から一月が経とうとしていた頃、ようやくひと段落ついたミヒャエルはエレミートの庵を訪れた。ノックをすれば長い髪を編み込み、フードの中にしまい込んでいるエレミートが柔らかな笑顔で彼を迎えた。
「エレミートさん、お久しぶりです。今日は女帝の声としてではなくただのミヒャエルとして訪れました」
「いらっしゃいませミヒャさん。今準備しますね」
「だから、ただのミヒャエルなのでもてなしは……」
「お気になさらず。訪れた方へのおもてなしも私の務めですから」
用意されるティーカップは当然のようにミヒャエルの分だけだ。装飾隠者に与えられるものは全て必要最低限なもので、身につけるものも、内装も例外ではない。余暇を潰すための本は不定期で入れ替えられると聞いたが、それ以外にあるのは楽器くらいなものだ。がらんどうな室内で人に鑑賞されて過ごす彼らの特異性を改めて思い知らされる。
その時、茶器を載せたトレーを携えてエレミートが戻ってきた。訪ねてくれる人がいる嬉しさからか、いつもの澄まし顔もどこか華やいで見える。どうぞ、と勧められて茶を一口いただく。これは彼女の出身地の特産品だったか。
「フェデリコさんと行動を共にしてから今日まであっという間でしたね。今も昨日の事のように思い出せて……私があまりにも刺激の足りない生活をしているからでしょうか?」
あの慌ただしい一件を思い出したのか、くすくすと笑い声を零す。ミヒャエルにとっても昨日の事のように思い出せる、慌ただしくも印象深い事件であった。しかし、それも過去の事だ。ミヒャエルは女帝の声として慌ただしい日々を送る傍らで貴重な外との繋がりでもあり、友人だった文通相手を失ってしまったエレミートの事を気にかけていた。
「エレミートさんは庵の外に出たいと思ったことはないんですか?」
ミヒャさん、と穏やかな声音が窘める。
「装飾隠者というものは貴族の方々と切っては切れない関係なんですよ。酔狂……いいえ、高尚なご趣味のおかげでお給金を頂いて、最低限の世話もして頂ける。鉱石病にかかっていないのも恩恵があるからこそで」
「だからって一生をここで過ごすんですか?伯爵家の子女なのに」
「……ただの庶子ですよ。塔にも招かれず、結婚による家同士の結びつきとしても使われない。ここでひっそりと生を許されているのが名もなき隠者です」
「寂しいとは、思わないんですか」
「こうして訪ねてきてくれる方もいますから」
柔らかく笑むエレミートの顔は夕日に照らされてどこか憂いを感じさせる。日の傾きで光が眩しかったのだろう。僅かに目を細めてぽつりと呟く。
「夕焼けが綺麗……失礼、ミヒャさんは夜の方がお好みでしたか」
「そんな事はどうでもいいんです。あなたはずっとこのまま、飼われながら生きていくつもりなんですか?」
焦れた様子のミヒャエルの手を取りとん、とん、とゆったりとしたリズムで軽く手を叩く。子どもの癇癪を宥めるような仕草だ。
「少し気が昂っていますね?あの方がお隠れになられてまだ日が浅いからでしょう。だから些細な事も気になってしまっているんですよ」
「……」
「大丈夫。こんなに立派な女帝の声が居るのですから」と細い指がミヒャエルの髪を撫でる。髪を触られるのは子ども扱いされているような気がしてあまり好きではないが、グリムマハトとエレミートは例外だ。だからこそ親身になってしまう部分もあるのだろう。想定通りはぐらかしにかかったエレミートにミヒャエルは単刀直入に出る事にした。
「エレミートさん、僕と一緒にリターニアを出ませんか?」
ミヒャエルの言葉にエレミートの手が止まる。そろそろと手を下ろし、自然と視線が下へと向けられる。
「今後僕は双塔宮廷儀礼官としてロドスという製薬会社に特別派遣される事になりました。リターニアと行き来するようになるので頻繁に来られなくなります」
「そうですか。寂しくなりますね」
「なんで他人事なんですか。あなたも来るんですよ?あちらと交渉して僕の補佐官としての席は用意してあります。伯爵からの許可も得ていますよ」
「まあ……さすがは女帝の声。仕事も早いと言いますか……」
「呑気にしていたらのらくらと逃げられるのは目に見えてますから」
外堀を埋めでもしないとこの隠者は何かと理由をつけて断るだろう。だからこそエレミートに話を持っていくまでにあらゆる雑務を処理していたのだった。そこまで手を回されたエレミートの反応はというと窺い知れないものだった。困ったような、戸惑いのような表情を浮かべながらふと視線を窓の外に移す。
「世の中から隔絶されて生きていると時間の流れに取り残されていくんです。私の世界はこの庵の中が全て。その他は時折訪れる訪問者の方か、数少ない友人の便りがあるだけ。窓越しに見える景色ゆっくりと時間が流れていく。ここは孤島ですが、孤島の外での生活を知りません」
「鳥だって巣から飛び立つでしょう」
「飛び方だって知りませんよ?」
「知らなくたってこれから知っていけばいいんです。あなたは知識の探求が好きな人なんですから。あと何のために僕がいると思ってるんですか?」
言外に頼ってほしいと伝えるとエレミートはくしゃりと顔を歪めた。いつも悟ったように穏やかな表情が崩れた貴重な瞬間だった。
「頼っても、いいんですか?」
「嫌だったら最初から話を持ってこないですよ。あなたのためにどれだけ手を回したと思ってるんですか?」
手を差し伸べると恐る恐るといった風に白い手が伸ばされる。あと少しというところで躊躇うように止まった手をやや強引に掴んだ。長年閉じ込められていた貴人を引っ張り出すにはこのくらいの強引さも必要だ。
「行きましょう、エレミートさん」
「ミヒャさんと一緒なら」
まるで逃避行する恋人同士の台詞のようだ。そうミヒャエルがぼやくと「あらあら、いつの間にやら可愛らしい恋人ができてしまいました」とからかい混じりの柔らかな声がミヒャエルの耳をくすぐる。
「エレミートさんもこれを機に名前を考えた方がいいかもしれません。ロドスではコードネームとして別の名を名乗る事もできますから。僕も外ではベースラインと名乗るつもりです」
しかし彼女は「……とはいえ、私はエレミート以外の名を持たないですし」と考え込むように頬に手を添える。貴族の子女でありながら名すら与えられなかった彼女の境遇を思うと、新たな門出に新たな名はやはり必要だろう。
しかし、そんなミヒャエルの思考をエレミートの言葉が遮った。
「ロドスでもエレミートで構いませんよ。それ以上でもそれ以下でもありませんから」
想像していた通りの反応が返ってきてやっぱりかと肩を落とすミヒャエルに「その代わりに」とエレミートは続けた。
「他の名前をミヒャさんが考えて、二人きりの時にはそれで呼んでください」
「僕が名付け人になるんですか?」
「そんなに大袈裟な事でもありませんよ。ただ、二人きりの時に呼ぶ名を考えてほしいだけで」
「……エレミートさん、思わせぶりなところはよくないですよ」
「そう?これでも人を選んでいるのだけれど」
それは、つまり。思わず反応した耳に「あら、かわいい」とエレミートが声を漏らした。
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