道楽お嬢様は冴えない探偵を落としたい
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豪奢な邸内で後ろ手に縛られ、椅子に座った状態で自由を奪われたメイファンは憂いと呆れの表情を浮かべていた。周囲には叔父の雇ったならず者達が品のない笑みを浮かべている。贅を凝らした美しい調度品の数々もセンスがなければ醜悪になってしまうなんて、こんなセンスの持ち主が親類かと思うと落胆を覚えざるを得なかった。後ろ手に縛られた姪を客人用の椅子に座らせ、卓に座して豪勢な食事を味わう叔父へと再度告げた。
「もう何度も申し上げましたけれど、お兄様と叔父様の邪魔はしないし後継者争いからは一抜けしたと私なりに意思表示してきたつもりなのですが」
「最近あれに頼まれて卦を見たそうじゃないか」
あれ、とはメイファンの父でありヤオ家当主を指す。
「ええ、頼まれたものですから。兄と叔父様二人分の卦を見てご報告しました。後継者に兄を選んだのは貴方の兄上ですわ」
易学を修めているメイファンが身内やVIP相手にアドバイザー業を行っているのは周知の事実だ。少女期に天災による経済打撃を言い当て、先手を打つ事で被害を最小限に抑えてからというものの、彼女の易者としての技量は一目置かれるものとなった。
「お前が卦を読み違えたと言えば兄上も考え直す。意地を張らず間違えたと頭を下げれば俺を差し置いてあんな未熟な男を後継者にしようなどと思わないだろう」
「……叔父様、易はこれまでを見つめ直し、今後の指針とするためのものです。父は結果から今後を託すのに相応しいのは我が兄と判断したまでの事。私の口添えで万事解決と考えるのは浅慮かと」
そう諭してみるものの、叔父に付いたものたちがそう簡単に納得するはずもない。一族内の利権争いに血熱を上げ、権益にしか目のない者たちだ。メイファンがどれだけ心を砕いてきたかなど知る由もない。
いい加減愛想も尽きるわと思い始めた頃、場にそぐわない呑気な男の声が響いた。
「いやーお取り込み中にすみませんねぇ」
磨きあげられた石造りの床を歩くブーツの音は重々しい。ゆったりとした足取りで男はメイファンの隣へ歩みを進めると帽子を取って愛想良く一礼する。耳、首周りに鱗獣のヒレに似た部位を持つ、豪奢な室内には似つかわしくない男だった。
「どーもぉ、初めまして。ヤオ家ご当主から依頼を受けて参りました。私立探偵のリーと申します」
「君のような客人が来るとは聞いていないが?」
「そりゃあそうでしょう。今回の依頼はメイファンお嬢様の救出ですから」
男が呪符をばら撒くと男とメイファンの周囲に陣が展開された。叔父の一声で怒涛のようになだれ込むならず者達をアーツでいとも簡単に弾き飛ばしていく。自らが使役していた者達がアーツのダメージを受けて次々倒れていく様子を見て叔父は慌てた様子で卓から腰を浮かせる。一派を掃討した男はのんびりとした足取りで一歩踏み出すと、叔父は泡を食ったかのように逃げ出した。大方父にどういうつもりかと問いただすのだろうが、このリーという男が雇われて来た以上そちらも先手を打たれているだろう。
「やれやれ、思ってたより小物で助かりましたよ」と零し、メイファンに向けて人好きのする笑顔を浮かべた。
「どうも、ヤオ家のお嬢様。おれはリー探偵事務所の所長、リーと申します。お父上の依頼を受けて参じました」
名乗りを聞いて脳内のリストを引っ張り出す。猫探しから要人警護、果てはグレーな内容までどんな依頼も受け入れるという触れ込みの事務所だ。
「それはお疲れ様です。ご存知かと思いますが私からもご挨拶を、メイファンと申します。この度は一族のお見苦しいところを見せてしまい、大変失礼しました」
「いいえ。貴女を救出するのが今回のおれの仕事ですから。拘束を解かせて頂いても?」
「ええ、お願いします」
慣れた手つきで拘束を解いていく男は見上げるほど背が高く、随分と落ち着いた風貌をしていた。目元にしわがあるものの、すらりと伸びたマズルに白とグレーの紋様のコントラストが美しい。服装もよく見ると基調とした黒に黄の差し色が効いていてなかなか洒脱だ。丸いレンズのサングラスは胡散臭さを醸し出していたが、奥にある鬱金色の瞳からは聡明な印象を受けた。印象からの憶測ではあまり若くないように見えるが、具体的な年齢は分からない。龍は他種族からだと年齢を把握しづらいのだ。
観察していた視線に気付いたのか、リーは気さくそうな笑みを浮かべた。
「いやぁ、助けに来たのがこんな中年で申し訳ない。若いのは丁度別件で出払っちまってましてね」
「気になさらないで。それとも恩人の方に対して失礼な事を考えるような娘に見えて?」
「これは失礼。っと、あーあ。ご令嬢に手荒な真似をして……」
サングラス越しの目がいたましげに細められる。きつく締め付けられたせいで細い手首には荒縄の跡がついていた。
「見たところ大きな負傷はありませんが、縄で擦り切れた箇所がありますね。痛むようでしたら応急処置をしても?これを手首に充てるだけでも気休めにはなるんで」
「ありがとうございます。加減知らずの者達ばかりでしたから」
ハンカチによる応急処置に視線を落としつつ、相対する男を盗み見た。先程からリーは許可を得ない限り直接触れようとしない。いち私立探偵がエスコートの仕方を弁えている事にほんの少し驚きを得た。
「それにしても玫芳――薔薇を献じたる手に余香あり、ですかい」
メイファンは赤みがかった色合いの目を細めた。リーが口にしたのは炎国に伝わる古い諺である。出典は判然としないものの、古くから炎国の人々に根付いてきた箴言だ。
「良い名ですねぇ。玫瑰花は花茶としても古くから親しまれた香り高く美しい花。気品があり華やかなあなたによく似合う」
玫瑰花はメイファンが好む花だが特別驚く事でもない。道楽娘と謗られるメイファンだろうとコネクションを求める者達は美辞麗句で機嫌を取ろうとする者も多い。そういった輩は事前に下調べも済ませている。父から依頼を受けたのであれば当然だろう。
若い権力者の娘には褒め言葉で煽てておくに限る。そんな浅はかな考えで美辞麗句を並べ立てる輩に彼女は辟易していた。たおやかな令嬢としての仮面の下でいささかの落胆を覚える。目の前の探偵は違ったと思っていたが、やはり同類なのか、と。
「お上手ですね。残念ながら父の意に反して占い遊びをビジネスにする道楽娘なんて呼ばれていますけれど」
笑顔で突いてやれば半分は失敗したと見て口を閉じる。しかし、眼前の探偵はさらに言葉を重ねた。
「そうですかい?易は統計学でしょうに、頭の硬い人もいるもんですねぇ。それにお嬢様の抱える事業のいくつかはまさに諺を体現するかのようだと思うんですがね」
もう半分は彼女の事業を分析し、自らの見識をひけらかそうとする自己顕示欲の強い男だ。リーの言葉も福祉方面への支援を指しているのだろう。こちらの類だったかと頬に手を当て、微笑を浮かべながらそっと目を眇める。
「あらあら、お仕事中なのに余興として謎解きでも披露してくださるの?」
今度はこちらから一歩踏み込む。牽制と軽い挑発の意味合いを込めて探偵を見やると、鬱金色の目が思慮深げに伏せられた。
「やめておきましょう。望まれてもいないのにひけらかすのは野暮ってもんです」
「それが賢明でしてよ。道楽娘に媚びを売っても見返りはないもの。第一、好きに生きるためやっている事が結果的に誰かの善になっていたとしても偶然そうなっただけ。そう思いませんこと?」
「でしょうねぇ。そんなお嬢様だからこそ叔父上から危険視されたのでしょうが」
「危険視なんて大袈裟ね。兄と対等になるための手っ取り早い保証として私が欲しかったのでしょう。確かに私は自分の価値を高めてきましたが、あくまで自身のため。叔父様が期待するような発言権もなければ恩義も持ち合わせておりませんのに」
「――なるほど。それは確かに肩を持つ理由はありませんねぇ」
淡い笑みを浮かべたリーからは怜悧な印象が薄れ、気のいい中年男性に戻る。見た目はいかにも裏がありそうな人物なのに、滲み出る人の良さが警戒心を和らげてしまう不思議な魅力の持ち主だ。
「おれが受けた依頼はお嬢様の救出だったんですが、何かご要望があればお聞きしますよ」
「そうね、叔父の説得に疲れたから早く帰りたいわ……。この先は父のと兄の領分でしょうし」
「従者の方が裏に車を回しているそうです。エスコートさせて頂いても?」
「ええ、お願いしますわ」
合流地点までの車内でメイファンはこの謎めいた探偵を品定めする事にした。多種多様な話題を交えて彼の素性を探ろうというのだ。メイファンの振る話題にリーは難なく応えていく。時事、経済に始まり龍門の明るみに出ないような話題まで。結果、彼が高い教養を持ち、特に商売や経済に明るい事は伺えたが、そちらの話は広げすぎず自然な形で別の話題へと移るので深く考察できるほどの材料は集まらなかった。
それでもあくまで謙虚に、けれど卑下しない程度に、時にウィットを交えながら話すリーにメイファンはますます惹かれていった。途中からは品定めも忘れ、純粋に彼との会話を楽しんでしまったほどに。
名刺と共に「では。ご入用がありましたらこちらまでご連絡を」の言葉を残して去っていった探偵の背を見送ったメイファンは「ねえ!」と影に徹していた従者へ話題を振った。高揚感で声が弾むのを抑えきれない。
「あの方はとても素晴らしいわ!」
「……はぁ」
美貌を輝かせるメイファンとは対照的に困惑を隠さない従者は「お嬢様、失礼ですが叔父君が手配なさったならず者に誘拐され、ようやく解放されたところですよね?」と問う。
「そうだけれど?それよりあの方よ」
「自分の目には冴えない私立探偵が言葉巧みに惑わせていたようにしか……お嬢様に取り入ろうとする輩とどう違うのやら、不安になってしまいます」
「見る目がないのね。相手の話に合わせているだけの方と会話が成り立つ方というのは大きな違いよ」
勿論リーは後者だ。
人は優れた部分があると自負すればひけらかしたくなる生き物だ。特に学識や見解といったものは言葉に込められた教養や箴言までも身についたと錯覚させるのか。身に付いていなければ自分の価値を落とすだけと気付きもしない人々が多い中、あそこまで人心を読み解きながらもつまびらかにしようとしない心意気を高く買っていた。
そんな聡明で教養もある人物が何故龍門の片隅で私立探偵に身をやつしているのか。好奇心がそそられるではないか。
「打てば響くってあの方のような人を指すのね。無闇に知恵をひけらかさない謙虚さも素敵」
それに、と手首に巻いていたハンカチにそっとさする。依頼の意図を的確に汲んだ上で最小限に収め、その事を恩に着せるような発言もなかった。
名家の娘として育てられた聡明な知性が信頼の置ける人物だと示していた。あの人の身近にいる人々は幸いだろう。知恵と人の心を汲み取る術を持ちながらも謙虚な人物。どれかを持つ者はそれなりにいるだろうが、全てを持ち合わせる人物はあの探偵しか居ないだろう。彼のような理解者がいてくれたのならどれだけ心の荷が軽くなる事か。
「とても紳士的な方ね」
「失礼ですがお嬢様、正気ですか?」
「リー先生……」
従者の問いかけを無視し、熱に浮かされたように彼の名を呟く。あの方の事をもっと知りたい。メイファンの頭の中はリーで一杯になっていた。好奇心もそそられるが、それ以外に彼女を駆り立てるような熱い何かに突き動かされている。頬は紅潮し、熱っぽい眼差しで渡された名刺と手首のハンカチを見つめる。それはメイファンが初めて恋に落ちた瞬間だった。
「もう何度も申し上げましたけれど、お兄様と叔父様の邪魔はしないし後継者争いからは一抜けしたと私なりに意思表示してきたつもりなのですが」
「最近あれに頼まれて卦を見たそうじゃないか」
あれ、とはメイファンの父でありヤオ家当主を指す。
「ええ、頼まれたものですから。兄と叔父様二人分の卦を見てご報告しました。後継者に兄を選んだのは貴方の兄上ですわ」
易学を修めているメイファンが身内やVIP相手にアドバイザー業を行っているのは周知の事実だ。少女期に天災による経済打撃を言い当て、先手を打つ事で被害を最小限に抑えてからというものの、彼女の易者としての技量は一目置かれるものとなった。
「お前が卦を読み違えたと言えば兄上も考え直す。意地を張らず間違えたと頭を下げれば俺を差し置いてあんな未熟な男を後継者にしようなどと思わないだろう」
「……叔父様、易はこれまでを見つめ直し、今後の指針とするためのものです。父は結果から今後を託すのに相応しいのは我が兄と判断したまでの事。私の口添えで万事解決と考えるのは浅慮かと」
そう諭してみるものの、叔父に付いたものたちがそう簡単に納得するはずもない。一族内の利権争いに血熱を上げ、権益にしか目のない者たちだ。メイファンがどれだけ心を砕いてきたかなど知る由もない。
いい加減愛想も尽きるわと思い始めた頃、場にそぐわない呑気な男の声が響いた。
「いやーお取り込み中にすみませんねぇ」
磨きあげられた石造りの床を歩くブーツの音は重々しい。ゆったりとした足取りで男はメイファンの隣へ歩みを進めると帽子を取って愛想良く一礼する。耳、首周りに鱗獣のヒレに似た部位を持つ、豪奢な室内には似つかわしくない男だった。
「どーもぉ、初めまして。ヤオ家ご当主から依頼を受けて参りました。私立探偵のリーと申します」
「君のような客人が来るとは聞いていないが?」
「そりゃあそうでしょう。今回の依頼はメイファンお嬢様の救出ですから」
男が呪符をばら撒くと男とメイファンの周囲に陣が展開された。叔父の一声で怒涛のようになだれ込むならず者達をアーツでいとも簡単に弾き飛ばしていく。自らが使役していた者達がアーツのダメージを受けて次々倒れていく様子を見て叔父は慌てた様子で卓から腰を浮かせる。一派を掃討した男はのんびりとした足取りで一歩踏み出すと、叔父は泡を食ったかのように逃げ出した。大方父にどういうつもりかと問いただすのだろうが、このリーという男が雇われて来た以上そちらも先手を打たれているだろう。
「やれやれ、思ってたより小物で助かりましたよ」と零し、メイファンに向けて人好きのする笑顔を浮かべた。
「どうも、ヤオ家のお嬢様。おれはリー探偵事務所の所長、リーと申します。お父上の依頼を受けて参じました」
名乗りを聞いて脳内のリストを引っ張り出す。猫探しから要人警護、果てはグレーな内容までどんな依頼も受け入れるという触れ込みの事務所だ。
「それはお疲れ様です。ご存知かと思いますが私からもご挨拶を、メイファンと申します。この度は一族のお見苦しいところを見せてしまい、大変失礼しました」
「いいえ。貴女を救出するのが今回のおれの仕事ですから。拘束を解かせて頂いても?」
「ええ、お願いします」
慣れた手つきで拘束を解いていく男は見上げるほど背が高く、随分と落ち着いた風貌をしていた。目元にしわがあるものの、すらりと伸びたマズルに白とグレーの紋様のコントラストが美しい。服装もよく見ると基調とした黒に黄の差し色が効いていてなかなか洒脱だ。丸いレンズのサングラスは胡散臭さを醸し出していたが、奥にある鬱金色の瞳からは聡明な印象を受けた。印象からの憶測ではあまり若くないように見えるが、具体的な年齢は分からない。龍は他種族からだと年齢を把握しづらいのだ。
観察していた視線に気付いたのか、リーは気さくそうな笑みを浮かべた。
「いやぁ、助けに来たのがこんな中年で申し訳ない。若いのは丁度別件で出払っちまってましてね」
「気になさらないで。それとも恩人の方に対して失礼な事を考えるような娘に見えて?」
「これは失礼。っと、あーあ。ご令嬢に手荒な真似をして……」
サングラス越しの目がいたましげに細められる。きつく締め付けられたせいで細い手首には荒縄の跡がついていた。
「見たところ大きな負傷はありませんが、縄で擦り切れた箇所がありますね。痛むようでしたら応急処置をしても?これを手首に充てるだけでも気休めにはなるんで」
「ありがとうございます。加減知らずの者達ばかりでしたから」
ハンカチによる応急処置に視線を落としつつ、相対する男を盗み見た。先程からリーは許可を得ない限り直接触れようとしない。いち私立探偵がエスコートの仕方を弁えている事にほんの少し驚きを得た。
「それにしても玫芳――薔薇を献じたる手に余香あり、ですかい」
メイファンは赤みがかった色合いの目を細めた。リーが口にしたのは炎国に伝わる古い諺である。出典は判然としないものの、古くから炎国の人々に根付いてきた箴言だ。
「良い名ですねぇ。玫瑰花は花茶としても古くから親しまれた香り高く美しい花。気品があり華やかなあなたによく似合う」
玫瑰花はメイファンが好む花だが特別驚く事でもない。道楽娘と謗られるメイファンだろうとコネクションを求める者達は美辞麗句で機嫌を取ろうとする者も多い。そういった輩は事前に下調べも済ませている。父から依頼を受けたのであれば当然だろう。
若い権力者の娘には褒め言葉で煽てておくに限る。そんな浅はかな考えで美辞麗句を並べ立てる輩に彼女は辟易していた。たおやかな令嬢としての仮面の下でいささかの落胆を覚える。目の前の探偵は違ったと思っていたが、やはり同類なのか、と。
「お上手ですね。残念ながら父の意に反して占い遊びをビジネスにする道楽娘なんて呼ばれていますけれど」
笑顔で突いてやれば半分は失敗したと見て口を閉じる。しかし、眼前の探偵はさらに言葉を重ねた。
「そうですかい?易は統計学でしょうに、頭の硬い人もいるもんですねぇ。それにお嬢様の抱える事業のいくつかはまさに諺を体現するかのようだと思うんですがね」
もう半分は彼女の事業を分析し、自らの見識をひけらかそうとする自己顕示欲の強い男だ。リーの言葉も福祉方面への支援を指しているのだろう。こちらの類だったかと頬に手を当て、微笑を浮かべながらそっと目を眇める。
「あらあら、お仕事中なのに余興として謎解きでも披露してくださるの?」
今度はこちらから一歩踏み込む。牽制と軽い挑発の意味合いを込めて探偵を見やると、鬱金色の目が思慮深げに伏せられた。
「やめておきましょう。望まれてもいないのにひけらかすのは野暮ってもんです」
「それが賢明でしてよ。道楽娘に媚びを売っても見返りはないもの。第一、好きに生きるためやっている事が結果的に誰かの善になっていたとしても偶然そうなっただけ。そう思いませんこと?」
「でしょうねぇ。そんなお嬢様だからこそ叔父上から危険視されたのでしょうが」
「危険視なんて大袈裟ね。兄と対等になるための手っ取り早い保証として私が欲しかったのでしょう。確かに私は自分の価値を高めてきましたが、あくまで自身のため。叔父様が期待するような発言権もなければ恩義も持ち合わせておりませんのに」
「――なるほど。それは確かに肩を持つ理由はありませんねぇ」
淡い笑みを浮かべたリーからは怜悧な印象が薄れ、気のいい中年男性に戻る。見た目はいかにも裏がありそうな人物なのに、滲み出る人の良さが警戒心を和らげてしまう不思議な魅力の持ち主だ。
「おれが受けた依頼はお嬢様の救出だったんですが、何かご要望があればお聞きしますよ」
「そうね、叔父の説得に疲れたから早く帰りたいわ……。この先は父のと兄の領分でしょうし」
「従者の方が裏に車を回しているそうです。エスコートさせて頂いても?」
「ええ、お願いしますわ」
合流地点までの車内でメイファンはこの謎めいた探偵を品定めする事にした。多種多様な話題を交えて彼の素性を探ろうというのだ。メイファンの振る話題にリーは難なく応えていく。時事、経済に始まり龍門の明るみに出ないような話題まで。結果、彼が高い教養を持ち、特に商売や経済に明るい事は伺えたが、そちらの話は広げすぎず自然な形で別の話題へと移るので深く考察できるほどの材料は集まらなかった。
それでもあくまで謙虚に、けれど卑下しない程度に、時にウィットを交えながら話すリーにメイファンはますます惹かれていった。途中からは品定めも忘れ、純粋に彼との会話を楽しんでしまったほどに。
名刺と共に「では。ご入用がありましたらこちらまでご連絡を」の言葉を残して去っていった探偵の背を見送ったメイファンは「ねえ!」と影に徹していた従者へ話題を振った。高揚感で声が弾むのを抑えきれない。
「あの方はとても素晴らしいわ!」
「……はぁ」
美貌を輝かせるメイファンとは対照的に困惑を隠さない従者は「お嬢様、失礼ですが叔父君が手配なさったならず者に誘拐され、ようやく解放されたところですよね?」と問う。
「そうだけれど?それよりあの方よ」
「自分の目には冴えない私立探偵が言葉巧みに惑わせていたようにしか……お嬢様に取り入ろうとする輩とどう違うのやら、不安になってしまいます」
「見る目がないのね。相手の話に合わせているだけの方と会話が成り立つ方というのは大きな違いよ」
勿論リーは後者だ。
人は優れた部分があると自負すればひけらかしたくなる生き物だ。特に学識や見解といったものは言葉に込められた教養や箴言までも身についたと錯覚させるのか。身に付いていなければ自分の価値を落とすだけと気付きもしない人々が多い中、あそこまで人心を読み解きながらもつまびらかにしようとしない心意気を高く買っていた。
そんな聡明で教養もある人物が何故龍門の片隅で私立探偵に身をやつしているのか。好奇心がそそられるではないか。
「打てば響くってあの方のような人を指すのね。無闇に知恵をひけらかさない謙虚さも素敵」
それに、と手首に巻いていたハンカチにそっとさする。依頼の意図を的確に汲んだ上で最小限に収め、その事を恩に着せるような発言もなかった。
名家の娘として育てられた聡明な知性が信頼の置ける人物だと示していた。あの人の身近にいる人々は幸いだろう。知恵と人の心を汲み取る術を持ちながらも謙虚な人物。どれかを持つ者はそれなりにいるだろうが、全てを持ち合わせる人物はあの探偵しか居ないだろう。彼のような理解者がいてくれたのならどれだけ心の荷が軽くなる事か。
「とても紳士的な方ね」
「失礼ですがお嬢様、正気ですか?」
「リー先生……」
従者の問いかけを無視し、熱に浮かされたように彼の名を呟く。あの方の事をもっと知りたい。メイファンの頭の中はリーで一杯になっていた。好奇心もそそられるが、それ以外に彼女を駆り立てるような熱い何かに突き動かされている。頬は紅潮し、熱っぽい眼差しで渡された名刺と手首のハンカチを見つめる。それはメイファンが初めて恋に落ちた瞬間だった。
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