道楽お嬢様は冴えない探偵を落としたい
名前変換
ご利用の端末、あるいはブラウザ設定では夢小説機能をご利用になることができません。
古いスマートフォン端末や、一部ブラウザのプライベートブラウジング機能をご利用の際は、機能に制限が掛かることがございます。
リー探偵事務所は龍門のダウンタウン沿いに面した雑居ビルの中に入っている。築幾年だったか、風水相談を使って格安で引き取った物件だったため覚えていない。コンクリート打ちっぱなしではないものの、お世辞にも気密性が高いとはいえず、所長室も例外ではなかった。
「まったく、寒さが身に染みるってのはこの事ですよ」
「本当ですわ。失礼ですけど、暖房は入れませんの?」
「最低限ですかねぇ。光熱費も馬鹿にならないんですぜ?ただでさえガキどもを食わせなきゃならんので切り詰められるところは切り詰めていかんと」
そんな雑談をしながらもリーはデスクに向かっている。姿勢はやや崩れ、頬杖をついた状態でだらだらと進める。進捗は言うまでもないだろう。一方のメイファンは左右に積み重なった書類を整理しては手早くファイリングし、ファイルが溜まったら所員のデスク兼応接間へと運んで棚へと収めていく。初めて手伝いを受け入れた時は令嬢らしからぬ手慣れた様子に「そういう雑務は秘書や従業員任せにするものでは?お嬢様の仕事ではないでしょうに」と尋ねると、「私だって最初は雑務からでしたのよ」と可笑しそうに微笑んでいた。
ひやりとした空気に思わず身震いすると、すかさずデスク脇の収納ボックスに入れていたブランケットが差し出された。本職の合間や依頼がてら事務所に訪れていたメイファンはすっかり事務所内の配置を覚えてしまったらしい。子ども達がソファーでよく寝る事もあり、セールの時セット価格で買い込んだものだが値段以上に温かい優秀さだ。
「だから防寒グッズが豊富なんですの?皆さんふわふわと温かそうだけれど、先生は毛のない皮膚ですものね」
メイファンの言葉通り、椅子に座るリーはがっちりと防寒していた。ブランケットを下半身に掛け、コートの合わせ目をしっかりと押さえる。襟首の隙間もきっちりと埋めた。三首温めれば寒さを感じにくくなるという言葉の通り、これなら室内で事務仕事をする程度なら支障はない。
「ま、中年になれば代謝も落ちますからねぇ。とはいえ、着込めば仕事する分には支障ないんですよ」
唯一尾だけはどうしようもないが、他が温まっているのだし、実務で尾を使う機会などないのだから少し冷えるのは仕方ない。そう思っていたところに「あら、」とメイファンから声が上がった。
「あの、リー先生?」
「なんです?寒いんならあなたも使っていいですよ」
「そうではなくて。その、尾が」
困惑したようなメイファンの足にはぐるりとリーの尾が巻きついていた。冷えるままにしていたせいか、書類整理中ほんの少し触れた熱に反応して無意識に巻きついてしまったのだろう。
「おおっと、こりゃ失礼」と引き離そうとするも、何故か尾は頑なに離れない。リーとは別の意思でもあるかのように足を辿り、より温かい部位を探るかのようにまさぐろうとしている。「コラ、やめろ」と叩いた時は一瞬足を離したが、今度は腰に巻きついてしまった。室内に気まずい沈黙が流れる。いくら普段言い寄られているとはいえ、若い女性の体をまさぐるなんて間違いなくセクハラ案件だ。尾だからと言い逃れはできないだろう。それが通ってしまうなら龍門の治安に疑問を持たねばならない。じっとりとした汗をかきながらもまずはメイファンの出方を窺う。
求愛と勘違いされるだけならばまだいい。その気があればセクハラや痴漢として訴えられたうえ、取り下げて欲しかったら……という強引な手段に出ないとも限らないのだ。
下手をすれば社会的な死が待っている。
そんなリーの心境など露知らず、当のメイファンは思案顔でじっと尾を見つめた後、まるで犬猫にでもするかのように尾を優しく撫でた。
「先生ったら。言葉では強がっていても体は正直……という事?」
「違います。あと若いお嬢さんがそんな言葉使うんじゃありません」
受け取りようによってはいかがわしくも聞こえる言葉を年頃の女性に使われてはリーも反応に困る。体質由縁なのであながち間違ってはいないのだが、ニュアンスの差は時に大事に繋がりかねない。冷や汗を感じながらも己の体質について説明する。
「種族特性とでも言うんですかねぇ、おれの体温は外気に左右されるんでこの時期は活動的になりづらい上、無意識に熱を求めちまうんですよ」
「そういえば夏のリー先生はいつもひんやりしていましたものね」
冷えていた尾にはぺたぺたと触っている掌の温かさすら心地よい。鱗越しにもじんわりと温もりが伝わってきて、尾全体を包んでほしいとすら思ってしまいそうだ。
「逆に冬は地獄なんですがね。っつーわけで引き剥がすの手伝っちゃくれませんかい?」
「嫌です」
「はぁ?」
「だってリー先生が私にぴったりとくっついて甘えてくださるんですもの。これが母性を擽られるというものかしら」
「おれじゃなくて尾ですが」
「それでもリー先生の一部には違いないでしょう?まあ、書類整理は先生のスペースを一部借りる事になりますけど、よろしくて?」
「そりゃ、まあ」
片隅に立てかけてあったパイプ椅子をデスクに引き寄せながらメイファンが問う。所員でもないのに手伝ってもらっている身で、しかも自分の体の一部が迷惑をかけているのだから断る事はできなかった。
自分にまとわりつく尾を「愛らしい」と愛でるメイファンの感性にもついていけず、リーは深いため息をついた。尾は相変わらずメイファンに巻きついているようで心地よい体温が伝わってくる。体を温めていてもどこかが冷え切っていると強張ってしまうものなのか、尾から伝わる熱に凍えていた箇所がほぐれていくような、ぽかぽかとした心地にいつの間にか身を委ねていた。
「ひゃんっ」
隣からの妙に艶めかしい悲鳴にまたしでかしたかと眉を潜めて見やり、そして目を剥いた。メイファンが上半身を預けるような形でリーに身を寄せていた。否、寄せられていた。よく見れば己の尾がメイファンの首へ腕を回すかのようにくるりと包んですり寄っているではないか。
「何やってるんだ!?」
「先生、確認ですけれど本意ではないのですよね?」
麟獣のような尾ひれが赤みがさした頬を撫でる。それに手を添えながら問いかけられてリーはガクガクと首を縦に振る。誤解の生まれる余地もない肯定だった。
「そりゃあもう!」
「そこまではっきり言われてしまうと、それはそれで残念ですわ」
こんなに懐いてくれているのに、と尾鰭を撫でている彼女に「熱源以上の意味はありませんって」と弁解しておく。尾ひれの細やかな箇所にまで触れられて、くすぐったさと心地よさの中間のようなぞわぞわとしたものが這い上がってくる。
――これは、まずいな。
実のところを言えば、最近は知人の距離感から数歩踏み込んだ間柄になりつつある自覚はあった。子ども達への感情とはまた異なる愛おしさを感じてもいる。だとしても、無意識に漏れ出ていたなんて事があるのだろうか?それもこんな見ようによっては悲惨な形で。
「ねえリー先生、そろそろ休憩してはいかが?」
「とは言ってもねぇ、まだ書類は残っていて」
「適度な休憩こそ必要ではありませんこと?この子も落ち着くかもしれませんし」
「この子って、おれの尾ですよ?」
「ええ。ですから、仕事に追われて疲れた先生が無意識に甘えたがっているのかしらと思ったのだけれど」
茶を吹き出しそうになるのをグッとを堪える。が、今度は変なところに入ってしまって咽せるのは避けられなかった。
発言者は「あらあら」と呑気な声を上げながらリーの背をさすっている。咽せて涙目になった視界で視線を向けると優しげに眉を下げたメイファンが目に入り、なんとなく気まずさを覚える。これでも若い頃のリーは遊び慣れた男だったというのに、今は一回り以上歳の差がある若い女性に調子を崩されているなんて、かつての旧友達が知ったらどんな顔をするのやら。
「そんなに動揺するなんて思わなかったわ。大丈夫かしら?」
首を傾げた拍子に優美な形の角と小さめな獣耳が目に入る。リーを窺うようにぴくりと動くそれが可愛らしく見えてしまい、いかんいかんと自戒する。まだ先方には渡りをつけているところで手折るには早いだろうに。
はぁー、と大きなため息をつき、おもむろにリーはぼやく。
「やっぱり疲れてるんですかねぇ」
「先生?」
「おれの尾だっつうのに言う事をきかないわ、メイファンお嬢様は人の気も知らずに妙な事を言い出すわでやんなっちまいますよ。だからお嬢様に余裕あるんなら相手をしてもらっても?」
「よろしいんですの?」
「ええ、どうせあなたから離れやしないんですから。おれは寝ますんで二十分したら起こしてください」
やけくそ気味に言うなり、リーは腕を枕にして机に突っ伏して目を閉じた。言われた通りきっと疲れているのだろう。ならば眠れば多少はスッキリするはずだ。尾を使って中年が駄々をこねているようなみっともない状況も目覚めれば疲労とともに消えているはずだ。
一方のメイファンはというと尾を首から下ろし、抱えるようにして撫でている。細い指がリーの太い尾を辿る。鱗やひれの感触を楽しんでいるように見えるが、その表情がどこか慈しむようなものだった事をリーは知らない。
「まったく、寒さが身に染みるってのはこの事ですよ」
「本当ですわ。失礼ですけど、暖房は入れませんの?」
「最低限ですかねぇ。光熱費も馬鹿にならないんですぜ?ただでさえガキどもを食わせなきゃならんので切り詰められるところは切り詰めていかんと」
そんな雑談をしながらもリーはデスクに向かっている。姿勢はやや崩れ、頬杖をついた状態でだらだらと進める。進捗は言うまでもないだろう。一方のメイファンは左右に積み重なった書類を整理しては手早くファイリングし、ファイルが溜まったら所員のデスク兼応接間へと運んで棚へと収めていく。初めて手伝いを受け入れた時は令嬢らしからぬ手慣れた様子に「そういう雑務は秘書や従業員任せにするものでは?お嬢様の仕事ではないでしょうに」と尋ねると、「私だって最初は雑務からでしたのよ」と可笑しそうに微笑んでいた。
ひやりとした空気に思わず身震いすると、すかさずデスク脇の収納ボックスに入れていたブランケットが差し出された。本職の合間や依頼がてら事務所に訪れていたメイファンはすっかり事務所内の配置を覚えてしまったらしい。子ども達がソファーでよく寝る事もあり、セールの時セット価格で買い込んだものだが値段以上に温かい優秀さだ。
「だから防寒グッズが豊富なんですの?皆さんふわふわと温かそうだけれど、先生は毛のない皮膚ですものね」
メイファンの言葉通り、椅子に座るリーはがっちりと防寒していた。ブランケットを下半身に掛け、コートの合わせ目をしっかりと押さえる。襟首の隙間もきっちりと埋めた。三首温めれば寒さを感じにくくなるという言葉の通り、これなら室内で事務仕事をする程度なら支障はない。
「ま、中年になれば代謝も落ちますからねぇ。とはいえ、着込めば仕事する分には支障ないんですよ」
唯一尾だけはどうしようもないが、他が温まっているのだし、実務で尾を使う機会などないのだから少し冷えるのは仕方ない。そう思っていたところに「あら、」とメイファンから声が上がった。
「あの、リー先生?」
「なんです?寒いんならあなたも使っていいですよ」
「そうではなくて。その、尾が」
困惑したようなメイファンの足にはぐるりとリーの尾が巻きついていた。冷えるままにしていたせいか、書類整理中ほんの少し触れた熱に反応して無意識に巻きついてしまったのだろう。
「おおっと、こりゃ失礼」と引き離そうとするも、何故か尾は頑なに離れない。リーとは別の意思でもあるかのように足を辿り、より温かい部位を探るかのようにまさぐろうとしている。「コラ、やめろ」と叩いた時は一瞬足を離したが、今度は腰に巻きついてしまった。室内に気まずい沈黙が流れる。いくら普段言い寄られているとはいえ、若い女性の体をまさぐるなんて間違いなくセクハラ案件だ。尾だからと言い逃れはできないだろう。それが通ってしまうなら龍門の治安に疑問を持たねばならない。じっとりとした汗をかきながらもまずはメイファンの出方を窺う。
求愛と勘違いされるだけならばまだいい。その気があればセクハラや痴漢として訴えられたうえ、取り下げて欲しかったら……という強引な手段に出ないとも限らないのだ。
下手をすれば社会的な死が待っている。
そんなリーの心境など露知らず、当のメイファンは思案顔でじっと尾を見つめた後、まるで犬猫にでもするかのように尾を優しく撫でた。
「先生ったら。言葉では強がっていても体は正直……という事?」
「違います。あと若いお嬢さんがそんな言葉使うんじゃありません」
受け取りようによってはいかがわしくも聞こえる言葉を年頃の女性に使われてはリーも反応に困る。体質由縁なのであながち間違ってはいないのだが、ニュアンスの差は時に大事に繋がりかねない。冷や汗を感じながらも己の体質について説明する。
「種族特性とでも言うんですかねぇ、おれの体温は外気に左右されるんでこの時期は活動的になりづらい上、無意識に熱を求めちまうんですよ」
「そういえば夏のリー先生はいつもひんやりしていましたものね」
冷えていた尾にはぺたぺたと触っている掌の温かさすら心地よい。鱗越しにもじんわりと温もりが伝わってきて、尾全体を包んでほしいとすら思ってしまいそうだ。
「逆に冬は地獄なんですがね。っつーわけで引き剥がすの手伝っちゃくれませんかい?」
「嫌です」
「はぁ?」
「だってリー先生が私にぴったりとくっついて甘えてくださるんですもの。これが母性を擽られるというものかしら」
「おれじゃなくて尾ですが」
「それでもリー先生の一部には違いないでしょう?まあ、書類整理は先生のスペースを一部借りる事になりますけど、よろしくて?」
「そりゃ、まあ」
片隅に立てかけてあったパイプ椅子をデスクに引き寄せながらメイファンが問う。所員でもないのに手伝ってもらっている身で、しかも自分の体の一部が迷惑をかけているのだから断る事はできなかった。
自分にまとわりつく尾を「愛らしい」と愛でるメイファンの感性にもついていけず、リーは深いため息をついた。尾は相変わらずメイファンに巻きついているようで心地よい体温が伝わってくる。体を温めていてもどこかが冷え切っていると強張ってしまうものなのか、尾から伝わる熱に凍えていた箇所がほぐれていくような、ぽかぽかとした心地にいつの間にか身を委ねていた。
「ひゃんっ」
隣からの妙に艶めかしい悲鳴にまたしでかしたかと眉を潜めて見やり、そして目を剥いた。メイファンが上半身を預けるような形でリーに身を寄せていた。否、寄せられていた。よく見れば己の尾がメイファンの首へ腕を回すかのようにくるりと包んですり寄っているではないか。
「何やってるんだ!?」
「先生、確認ですけれど本意ではないのですよね?」
麟獣のような尾ひれが赤みがさした頬を撫でる。それに手を添えながら問いかけられてリーはガクガクと首を縦に振る。誤解の生まれる余地もない肯定だった。
「そりゃあもう!」
「そこまではっきり言われてしまうと、それはそれで残念ですわ」
こんなに懐いてくれているのに、と尾鰭を撫でている彼女に「熱源以上の意味はありませんって」と弁解しておく。尾ひれの細やかな箇所にまで触れられて、くすぐったさと心地よさの中間のようなぞわぞわとしたものが這い上がってくる。
――これは、まずいな。
実のところを言えば、最近は知人の距離感から数歩踏み込んだ間柄になりつつある自覚はあった。子ども達への感情とはまた異なる愛おしさを感じてもいる。だとしても、無意識に漏れ出ていたなんて事があるのだろうか?それもこんな見ようによっては悲惨な形で。
「ねえリー先生、そろそろ休憩してはいかが?」
「とは言ってもねぇ、まだ書類は残っていて」
「適度な休憩こそ必要ではありませんこと?この子も落ち着くかもしれませんし」
「この子って、おれの尾ですよ?」
「ええ。ですから、仕事に追われて疲れた先生が無意識に甘えたがっているのかしらと思ったのだけれど」
茶を吹き出しそうになるのをグッとを堪える。が、今度は変なところに入ってしまって咽せるのは避けられなかった。
発言者は「あらあら」と呑気な声を上げながらリーの背をさすっている。咽せて涙目になった視界で視線を向けると優しげに眉を下げたメイファンが目に入り、なんとなく気まずさを覚える。これでも若い頃のリーは遊び慣れた男だったというのに、今は一回り以上歳の差がある若い女性に調子を崩されているなんて、かつての旧友達が知ったらどんな顔をするのやら。
「そんなに動揺するなんて思わなかったわ。大丈夫かしら?」
首を傾げた拍子に優美な形の角と小さめな獣耳が目に入る。リーを窺うようにぴくりと動くそれが可愛らしく見えてしまい、いかんいかんと自戒する。まだ先方には渡りをつけているところで手折るには早いだろうに。
はぁー、と大きなため息をつき、おもむろにリーはぼやく。
「やっぱり疲れてるんですかねぇ」
「先生?」
「おれの尾だっつうのに言う事をきかないわ、メイファンお嬢様は人の気も知らずに妙な事を言い出すわでやんなっちまいますよ。だからお嬢様に余裕あるんなら相手をしてもらっても?」
「よろしいんですの?」
「ええ、どうせあなたから離れやしないんですから。おれは寝ますんで二十分したら起こしてください」
やけくそ気味に言うなり、リーは腕を枕にして机に突っ伏して目を閉じた。言われた通りきっと疲れているのだろう。ならば眠れば多少はスッキリするはずだ。尾を使って中年が駄々をこねているようなみっともない状況も目覚めれば疲労とともに消えているはずだ。
一方のメイファンはというと尾を首から下ろし、抱えるようにして撫でている。細い指がリーの太い尾を辿る。鱗やひれの感触を楽しんでいるように見えるが、その表情がどこか慈しむようなものだった事をリーは知らない。
