BK短編集

【ふたり暮らし】




軽いな、と思いながらブロッケンジュニアが目覚めると、昨夜、腕を枕に貸してやっていたケビンがいなかった。
(もう起きたのか…早いな)
最近のケビンは朝はゆっくりで、午後から自主トレを開始する。
早起きが習慣のジュニアより一歩か二歩遅れて起床するのが常だ。
珍しいこともあるもんだと、いつもはしないベッドメイク(遅く起きた方の役割になっている)をする羽目になり枕カバーの替えを探すも見つからない。
先日全て買い替えたばかりで、ケビンがどこそこに仕舞ったと言っていたが、思い出せずさっぱり見当たらなかった。
諦めてシーツだけ替え、他の洗濯物と一緒に丸めて抱え、階下に降りる。
心なしか屋敷全体が静かだ、と思った。

「ケビン、どこだー?」
リビングにもダイニングにもいないケビンを大声で呼びながら、あちこちのドアを開けた。
トレーニングルームにもいない、浴室にもいない。
トイレをノックしたが返事はなく、庭にいる気配もない。
「まいったな、柔軟剤の在処がわからん」

それでもまぁいいかと適当に洗剤をぶちこんで洗濯機を回し、ジュニアはコーヒーを淹れにキッチンへ向かった。

ミルミキサーの調子が悪かった。
他の古い家電を買い換えるついでに新しいものを買ったはずが、これまたどこにあるかわからなかった。
ガリガリと嫌な音をたてて豆が砕け、粉というより挽ききれず塊だらけのそれをコーヒーメーカーにセットして一息つく。

ふと見れば昨夜使ったグラスとカップがそのままシンクの中にあり、そういえば洗わなくとも良いと余裕なくケビンをベッドに連れていったのを思い出した。
グラスもカップも、食器全て腐るほどある。
ジュニアは棚からカップを選んで、とりあえずひとつにコーヒーを注ぎ、広いダイニングテーブルについた。
時計を見れば8時を過ぎており、ケビンがもし早朝ロードワークへ出たとしても、とうに帰って朝食も済ませる時刻。

首を捻りながら新聞を読んでいるうち、ああ、とジュニアは思い出した。
(そうだ、そういえば朝一の便でフランクフルトへ行くと言っていたんだったな)
今日から1週間の日程で留守にすると言っていたことを忘れていた。ドイツ国内の超人プロレスに出てみたいとかで。

二人が同居を始めてまだ1ヶ月経たない。
だがそれまでも半同棲のようなものだった為、いつケビンがいようといなかろうと気にもならなかった。
何か話されても面倒くさい時は〖わかった〗と答えてばかりで、何か大事な事でも適当に聞き流しては後からケビンに文句を言われ・・・

国内の試合くらいはセコンドについてやってもいいかと考えてはいるが、なかなか実行に移せていない。
ブロッケン邸にケビンマスクが住んでいることを知っているのはごく一部の者のみで、世間に知れ渡ってはいない
隠すつもりはもう無かったが、それでも自分達から声を大にして触れ回る気はなく……いずれなんとなく世間に認知されていけばいいと、聞かれたら答えればいいと、そう二人で話して決めた。

今日から暫く一人か、と久しぶりに解放感を覚え、何とは無しに気楽になった。
出の悪かった薄いコーヒーの二杯目を飲み干すと、ジュニアは1日の計画を立ててまずは洗い上がった洗濯物を干して、書庫へ籠った。
朝食は作るのが面倒くさかったので抜きだ。




翌日、ジュニアは、
「シーツを替えるのは面倒だ、どうせ一人で乱したわけではなく汗もかかず、汚してもいない」という理由からベッドは起きたままの状態にした。
そしてまた嫌な音を響かせコーヒー豆を無理矢理挽いて、天気が悪いからとカーテンも開けずに朝から照明器具を使った。
ウェザーニュースでは週明けまで雨か曇りだという。
シーツを洗わず正解だったとひとりごち、昨日と同じ1日を過ごした。

夕刻になり、夕飯は昨日は残り物があったが、今夜は出来合いを買いに行くか外食か、と考えながらコートを求めてクローゼットを開けると、外出用のコートが1枚も無かった。
冬物は衣替えだとケビンがどこかへやったはずで、勿論もう冬の出で立ちではやや暑い季節。
軍服は既に着慣れなくなり久しく、仕方ないと手当たり次第に引き出しを開けて、どうにか薄手のシャツとスラックスを見つけて着替える。
そう、昨日起きた時からどうせ一人、誰が来るわけでもないと、ガウンかバスローブしか着ていなかった。

もしケビンが居たなら「だらしがない!」と小言を言われただろう。
それにもジュニアは安堵した。
いちいちケビンは口出しをしてきて、たまに五月蝿く思っていたのだ。
一緒に暮らしてから尚更それは度を越え、日に日にジュニアは此処が自分の家だという心地がしなくなっていた、ともいえる。

その夜は外食し、帰りに数日分のハムやソーセージを買い、パン屋にも寄り、急に降りだした雨の中を小走りで帰宅した。
そしてテレビでケビンが出る試合の詳細を知り、
あと5日は一人なのかとジュニアは嬉しいような、それでいて寂しいような気分になったが、
「寂しい?なんだそれは。そんなわけがないだろう」
ケビンがいなければ一人で暮らしていたはずなのだ。それを寂しいと思うことはおかしい。
「馬鹿じゃないか俺は。うるさいのがいなくて清清しているぜ」
ジュニアは暫し一人問答と自嘲とを繰り返していた。



そしてそのまた翌朝はさすがにシーツを丸めて洗濯室へ向かう。
雨で屋外に干せないのでは不衛生だ、などという理由を勝手につけて洗濯機は回さない。
新品が何枚もあるのだからそれを使えばいいと、横の篭へ放り込んだ。

活字漬けだったせいで視神経がやられたのか、少し肩凝りと頭痛がした。
そんな時に良いと言われたハーブティーを淹れてみるかと、今朝はコーヒーのセットをやめた。
が、沢山買ってあったはずの様々な紅茶は、キッチンをいくら探してもそれらしきものはなく、簡易的に使ういつものダージリンのティーパックの箱があっただけ。
ハーブだのなんだのがミックスされたものは見当たらない。
紅茶なのだからこれでも別にいいだろうと諦め、湯を沸かしている最中にシンクの中に溜まった食器を見つめた。
「明日な、明日洗うさ」
誰にともなく…いやシンクの中の食器に話しかけていた自分が、やけに虚しい。
独り言が増えたように思う。

ジュニアは何度か頭を振ってリビングのソファにもたれた。
濃く出すぎた紅茶は苦かったし、毒にはならなくてもクスリにもならず、ただのカフェイン摂取以外の何者でも無く。
常備薬を確認すればどれも使用期限を過ぎていて、健康体であった我が身を皮肉にも嘆かざるを得なかった。

その時、電話が鳴った。
相手はケビン。
『よお、いま何しているんだ?』
調子も機嫌もよさそうだ。
「…茶をのんでいた」
『へぇ、自分で淹れたのか?うまく出来たか?』
「当たり前だ、人を幼子のように言うな馬鹿」
受話器の向こうでケビンが笑う。
「なんだ、その笑いは」
『いや…何か困っているような声だ。不便していないか?オレがいないとあんた何もしないから。飯はどうしてるんだ?』
見透かされたか?とジュニアは内心焦ったが、
「買い物して自分で作っている。うるさいおまえが居なくてとても快適だ。今後頻繁に遠征してもらいたいものだな」
と、うそぶいた。
『そんなこと言うな、オレはあんたと離れているだけでツラいというのに。月曜に帰るから待っていてくれよな。浮気するなよ、じゃあな』
通話が終わるなりジュニアは額の汗を拭いつつ「勝手に留守にしたくせに辛いもなにもあるか!」と受話器に怒鳴り付けたが・・・ここは強がらずケビンに聞けば良かった、と思った。
新しい枕カバーや春物のコート、あの香りの良い柔軟剤やハーブティーの在処を。


翌日もその翌日もまた同じことの繰り返しだった。
外は激しい雨が降り続き、洗濯室には洗濯ものが山になっている。
シンクの中は食器で埋まりかけ、さすがに洗わねばと思ったが食器用洗剤がどれかわからない。
湯だけでなんとかしたものの洗ったのはグラスとカップ、その他は嫌になり放置した。ケビンが帰る前にどうにかしておけばいいと自分に言い聞かせつつ。

月曜に帰る、とケビンは言っていた。
本当に色々あった。
自由は満喫出来たが暇だった。
あるはずの物を見つけられず散らかした。
朝のコーヒーは薄くて美味くなかったし、自分で作った食事も美味いと思えなかった。
同じものをケビンが出してきたなら文句を言うだろうが、自分のしたことゆえ矛先がない。

(こんなに俺はケビンに頼りきっていたということか?いつの間に?)

改めて素直に感じた。
ケビンがいないと何一つ満足にいかないことを。


夜になり、テレビでケビンマスクの試合観戦をしている時も画面に集中出来ず、帰って来たら飯は何を作らせようか?○○が何処にあるのか聞かねば等と考えていたら、新技を繰り出したシーンを丸ごと見損ねた。



翌々日。
昼近くに玄関の方角から物音が聞こえ、ジュニアは書斎から慌てて飛び出した。

(ケビンが帰ってきた!)

キッチンも洗濯室も酷いことになっているし、クローゼットもその他あちこち滅茶苦茶なままだ。少しは片付けておかねばと思いつつ結局何もしていない。

案の定、階下へ行けばキッチンの方から、
「なんだ?!これは!」
という叫び声が・・・



「本当に...すまない....」
数刻後、リビングでジュニアはケビンにさんざん小言をいわれていた。
「面倒臭ければ食器洗浄乾燥機に入れればいいだろう、何のために買ったんだ?」
「…あるのを忘れていた。それにどうせ使い方と洗剤をどうするのか分からない」
「邪魔なほどデカイんだから気付け!使い方は説明書に書いてある!」
「その説明書はどこに?」
「保証書と一緒にいつもの引き出しに入れておくと言ったじゃないか!」
知らないとは言えない。その話も当時きっと生返事をしただけで確認もしなかったに違いない。
「それに洗濯もだ、いくら雨だったとはいえ酷すぎるだろう、あれは」
「替えもまだあったし、晴れたらまとめてしようと…」
「小物位は部屋干し出来るだろう?あんたは本当にダメすぎる」
「…すまない」
「何が〖快適だ〗って?オレには不快指数満点だ!」

機嫌悪げに席を立ったケビンだったが、それでも戻ってきた時はティーセットを運んできた。
ポットから注がれたのはあの探していたハーブティー。

「これはどこに?」
ジュニアが恐る恐る訊ねると、
「もしかしてこれを探したのか?あちこち何かをひっかきまわした形跡があったが」
「…ふと思い出して、飲もうかと。少し、その、頭が痛くなり....」
「角の棚に缶が見えただろ?4つ並んで」
「え?ああ、幾つかあったかな」
「右から2つ目。缶は無地だ」
「…そうだったのか、俺はてっきり箱の、パック入りかと。まさか缶だとは…」
「ハーブ類を買ってオレのオリジナルでブレンドしたと最初に言わなかったか?まぁあんたがこんなの自分で淹れるとは思わなかったから、どこに置いたか話さなかったオレも悪いが.…頭痛なら薬をのむか病院へ行けばよかったろう?」
「…医者にかかるほどでもなく、薬品は全て期限切れだった」
「あとで常備薬を買いに行ってくる」

飲めよ、とケビンに言われ、ジュニアは茶を一口飲んだ。美味かった。
おそらく自分が淹れていたなら葉か湯の分量を違えて不味かっただろう、と思う。

「ケビン…実は」
洗い上がった洗濯物を干す為に立ち上がったケビンを、ジュニアは小声で引き留めた。
「おまえがいないと俺は……何も上手く出来ないんだと思い知った。だから、その、今まで色々と、すまなかった」
帰ったばかりで疲れているだろうケビンを早速煩わせてしまったことにも、ジュニアは大いに反省していた。
「わかったならいい。次からはメモを残して行こうと思う。電話も毎日かける。本当はかなり心配だったが今回は少し試してみたんだ。オレも悪かった」
仮面を外したケビンは笑顔だった。

「あんたと暮らしてから色々また判った。あんたの素がだんだん見えてきて、オレは面白くてたまらないんだ」
「…面目ない」
「そう言うな、決して悪いとは言っていない。やはりあんたは一人じゃ生きていけないと判ってオレは嬉しい。困った時、オレのことを思い出したろう?」
「ああ」
「あのクソ野郎が、とか思われてもいいんだ。必要とされているなら嬉しいからな」
「ケビン、俺はおまえがいてくれないと本当に駄目だ。悔しいが完敗だ…」
「勝者から敗者へ慰労のキスをしてやるよ」
ケビンはジュニアの頬に口づけて、また笑った。
「あんた可愛いな、そうしていると」
「………」
ジュニアは赤くなり、身を小さくするしかなかった。
こんな若造に可愛いなどと言われたくない、という普段の悪態も今は浮かばない。
「なんだ、その顔。抱き締めたくなったが今は我慢しないとな。まずはあんたが溜めてくれた家事の続きをして、買い物へ行って……ああ、食いたいものがあれば早めに言ってくれよな!」
機嫌よく鼻唄を歌いながらケビンはリビングを出ていった。



彼はまだ二階の散乱状況を知らない。


その夜、再びケビンはジュニアに、先刻よりくどくどと説教をし、ジュニアはケビンに尚一層、頭が上がらなくなったという。



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