BK短編集
「どうしたのだ?」
不意に問われ、俺は正面に座るロビンをまじまじと見つめた。
今朝ケビンからも全く同じように問い掛けられ、こうして目を合わせた。今の声、トーンもそっくりそのままだ。
いくら血を分けた親子と言えど、ここまで似通っているとは。
「随分と疲れているように見えるのだが…大丈夫か?」
間合いの取り方や、こういう心配の仕方すらも。
「ただの寝不足だ。心配には及ばん」
理由はともかく本当のことだ。
ロビンは食い入るように俺を見ている。
こいつは息子のケビンのように単純ではないし、誤魔化すのなら一筋縄というわけにはいかない。
「ならば、眠れぬような何かがあったのだろう?今日のおまえは久しぶりに会ったとはいえ、どうもおかしい。ずっと気になっていた」
「あいにく宿泊先のベッドの寝心地が悪かった、それに前の晩も色々とやることがあってな。気付いたら明け方だった。自覚はないが疲れが残っているのかもな」
余計なことを言えば必ず墓穴を掘る。
とりあえず惚けて様子を見ることにした。今の台詞も全くの嘘ではなく罪悪感はさほどない。
「いや、わたしは気付いていたぞ。今日のおまえにはいつもの冴えも覇気もなく、まるで心ここに非ず…という感じだ。ただの寝不足に疲労、というだけではないと見た」
「何を言う、会話は弾んだしロビンは俺の理論全てに同意しただろう?覇気がないというなら俺も歳をくったせいだろう」
俺はわざとらしく苦笑いして見せた。ロビンは何か考えるような仕草をしたが、いきなり『ああ!そうか!』と手をうち、
「ケビンがおまえに迷惑をかけているのだろう?そのせいで心身共に疲れ、延いてはよく眠れずにいる、そうだろう?そうだ、そうに違いない」
さすが良い読みだ、ロビン。心の中で呟いて、しかしいくら奴の親父とはいえ、俺達の事に立ち入られたくはない。
早く退散するには下手に逆らわない方がよい、と俺は即座に判断した。
「迷惑はしていない、あいつなりに俺には気を使うようだから…疲れているのはむしろケビンじゃないか?眠れないのは半分は俺の意思によるものだ、あいつが何かしたわけでは、…ない」
語尾でつい言葉を詰まらせてしまったが、幸い気付かれなかったようだ。
「ならば良いが…もし何かあればわたしに必ず相談して欲しい。ケビンのことは勿論だが、それ以前に我々は旧知の友であることを忘れないでもらいたい」
なんとかやり過ごせた俺は、彼らしい気遣いに対して丁重に礼を言い頷いて見せた。
「時にジュニア、いまケビンは何処にいる?」
ホッとしたのは束の間。
しかしケビンについての話題が発展するだろうことは、とっくに予測出来ていた。
「さぁ…何処にいるんだかな、俺も知らん」
「おまえがイギリスに来ているのに、奴は住処も教えていないのか?」
「ああ、今の部屋はじきに引き払うんだそうだ。もう殆ど居やしないだろうから探しても無駄だぞ」
「そうか…来週の試合をこっそり観に行き、捕まえて聞き出すつもりでいたんだが…わたしの留守をついてアリサにだけは会いに来ているようで、流石に腹がたつのでな」
「それはやめておけ、あまり刺激しない方がいい。いつでもいいなら伝言くらいは預かるが…どうする?ちなみにケビンからは『死ね馬鹿野郎』だ」
何を思ったのかロビンは笑い出した。
「息子にそんなことを言われ笑えるとは。おかしいのはロビンの方じゃないか?」
「いやはや、なかなか愛情がこもっていると思ってな、そうかそうか。わたしからは…そうだな、『愛している』と伝えてくれ」
まったくこの親子は……つくづくよくわからない。
その後、場所を変えて少し雑談をし、やっと解放されたのは、ケビンに「帰る」と告げていた刻をとうに過ぎていた。
鍵のかかっていないドアを開け内側の施錠をしていると、
「遅かったな」
不機嫌そうな声だけが中の、リビングの方から飛んできた。
薄いガラスがはめられた内ドアは開放されたまま。
中に一歩入り見渡せば、ケビンは頬杖をついて長い脚を組み、カウンターの椅子に腰掛けていた。
「何していた、こんな時間まで」
仮面の内側から注がれる視線は、昼間の、あの詰問に入る前のロビンによく似ているが、それより遥かに強い光を放ち俺を射た。
「少し、酒場に寄ってきた」
ケビンにしてみれば少しどころではないだろうが、昨夜ここで長い夜を過ごした俺にとっては、間違いなく短い時間だった。
「一人でか?ダディは?」
「一緒だった」
「……飯は?いま温め直すから」
立ち上がるケビンに俺は大袈裟に手を振って見せ、
「さんざん飲み食いしたから飯はいらん」
と断り、上着を脱ぎながらソファへと向かった。
「なんだよ?!それなら…いや、遅くなる時点で電話ぐらい出来るだろう?!何のためにオレがあんたに携帯電話持たせたと思ってるんだ!!」
「すまんな、持って行くのを忘れた。スーツケースに入れたままだ」
「なら公衆電話があるだろう!?」
「おまえの番号など覚えていない。電話に勝手にインプットされたのを使っていただけだからな」
押し黙ったケビンをそのままに、昨日の広い方のソファに落ち着き、今夜は俺がここで寝るのか…と心の中で溜息した。
帰りにホテルの空きを調べて来れば良かった。
ケビンと共にいるのがこれほど重苦しいと感じたことは、多分初めてだ。
今朝より酷い。
気まずい雰囲気に堪えきれなくなり、シャワーを借りようと思い腰を浮かせかけた時、ケビンがこちらに大股で歩いてきた。
ああ、また一悶着あるのかという溜め息を深呼吸で誤魔化して再び座り、ソファの背に凭れて目を閉じた。
「ブロ、酔っているのか?」
ケビンがソファの横に立った。
「いや、あれ位では酔えやしない」
たかがスコッチをダブルで3杯、俺には水みたいなものだ。
「…なら、素っ気ないのはオレの気のせいじゃないんだな」
「なんだ、それは。意味が全くわからん」
「もうやめてくれ、頼むから…!」
いきなり仮面を放り投げたケビンに抱き付かれ、思わず戸惑った。
その素顔があまりにも悲痛に見え…今朝の目の下の隈も思い出し、とても直視できなかった。
「どうして顔を背けるんだ?オレを見てくれ」
真剣で、必死な声。
俺は抱き付かれてはいても、ケビンに自ら触れられなかった。
くだらないと言われても構わない、あの昨夜の不快感が生々しく蘇り、俺は言葉までも無くした。
「オレさ、今朝は言わなかったが気付いていた。あんたは昨夜も変だった…いつも物音に敏感なくせに、オレが帰っても耳元で何度呼んでも起きなかった。あれは寝たふりだよな?昨夜オレの留守の間に何かあったんだろう?それまでは普段通りだったんだぜ?おかしいだろ…こんなのは。話してくれないか…お願いだ、ブロ」
この息子にあの親。いざという時の鋭い勘は、ほぼ外れない。
今日1日を通してこの親子を相手に心を偽った俺には、最早何処にも余力は残っていなかった。
「正直に言っていいか?」
それで壊れるなら壊れてしまえばいい。
俺の心も、唯一の愛さえも。
「単刀直入に問わせてもらうが…おまえ、他に好きな相手がいるよな?」
恐ろしく冷静な自分がいた。
片やケビンは弾かれたように顔を上げ、目を丸くした。
「何だ、それは…何を根拠に?そんなのいるわけがないだろう?」
「隠さず正直に話せ。別に責めやしない」
「隠すも何も……オレがあんたにいつ何を隠した?まさかこの部屋でラブレターでも見つけたか?それとも使用済みコンドームでも出てきたのか?」
「そんなものもあるのか、ここには」
も、を俺は敢えて強調した。そんなものが出てきていたなら、昨夜のうちに突きつけていただろう。
今の俺の言葉を受け、それまで自嘲するような薄笑いを浮かべていたケビンの表情が引き締まり、険しくなった。
「ねぇよ、ばか野郎!ただの例えだ!証拠もないのに不義を疑われるなど…」
「おまえは俺にそれをしてきただろう、何度も」
「実際あんたはジェイドと暮らしていたじゃないか?!」
「ただの師弟だというのに、それでもずっと俺は疑われてきたわけだがな。まぁとりあえずおまえにも見てもらうか、証拠になるかは知らないが。立て、ケビン」
こんな問答をしつつも抱きついて離れず、そこへまたもジェイドを引き合いにしたケビンに無性に腹が立ち…先に立ち上がり寝室のドアへと向かった。
中で明かりを付け、ベッドに腰掛けてケビンを待つ。
見回した限りは何も変わっていない。証拠(ネタ)は揃っている。
「…なんだよ?ここは寝るだけの部屋だろう、一体何があると言うんだ」
ケビンは俺に向かい合う形で壁に寄り掛かり、腕を組みつつ自分の寝室を見渡した。
「他に好きな奴がいるという証拠がここにあるというのか?」
「無意識なのか、意図的なのかは知らんが…幾つかあると思うがな」
「なら早くそれを出せ、出してオレに見せてくれ」
いよいよ開き直ったのだろうか?それとも……
いや、躊躇はもう時間の無駄だ。
「では、あの棚の写真から説明してみろ」
ケビンはそれをちらりと見、
「16、7年前のマミィとオレ、その横は昨年試合で一緒だったマルスとキッド。それからオリンピックの後の雑誌の切り抜き…クロエだ。ここであれらを見る度、オレは誰にも負けるわけにはいかないと思うことが出来る」
顔色を変えることなく言いのけたその言葉に淀みは無かった。
俺だとてケビンに友やライバルが出来るのは好ましいことだ。だが、同世代の超人と並ぶケビンを見て、俺などより彼等の方がずっとケビンの傍らには似合いだと…これは多分僻みなのだろう。
ただ、あの人物は…
「なに黙っているんだよ?いま説明しただろう」
「……おまえは俺にジェイドの写真や記事が載った物を全て、捨てるか物置に片付けさせたよな。なのに自分は平然とそういうものを並べている。おかしな話だと思わないか?」
「それは…ジェイドのはオレがどうしても気に食わ…いや、気になると話して、あんたも承諾してやってくれた事だろう?!」
「ああ、そうだ。おまえの為に善処した。だがおまえはそれでも何かにつけ疑いをかけてくる。なにも無いといくら話しても……おまえのそれは母親は抜きとして、そいつらの面を眺めて奮起すると言ったが、実は誰かに特別な思いがあるのではないか?おまえの理屈で言うとそうなると思うが…師匠が有力候補だな」
「馬鹿げている。そんな気持ちがあるなら、あんたに見える場所に何か置くわけがないだろう」
「では隠す場合はどうなんだ?疚しいのか?」
これが俺の、おそらく一番の苛立ちの原因。
あの箱、写真の一部とも一致した『あの人物』。
そして、この部屋はきっと…
「隠すとか隠さないとか…さっきからあんたが何に拘っているのかオレにはサッパリ判らない。オレがあんたに何を隠さなければならない?!そんなものひとつもないといつも話しているだろう?疚しいものは何もない!隅から隅まで調べてくれて構わない」
「写真をわざわざ紙面から切り抜いて飾り、その男の一部を…値もつかないだろう程ボロボロの品を…大切に所持し隠しているのは何故だ?もし後ろめたいなら無理に説明は…」
「待て」
俺の言葉が終わる前に、ケビンは俺の座していたベッド下からあの箱を出した。
「これのことか」
「…そうだ。悪いが中を見てしまった」
「それで何をどう思ったんだ?この人が何だっていうんだ?」
「好きだろう?」
「ああ、好きか嫌いかで言えばな。元はオレの師だった人だ。当たり前だろう」
「ならば後生大切にしろ。彼は素晴らしい男だ。数ヶ月でも共に居たおまえならわかるだろう?」
そう、あいつはいい男だ。俺は何ひとつ…超人としても師匠としても、あいつに負けた。そして今からまた負けを認めるのだ。
「な、なに勘違いしてるんだ?!」
「何とは笑わせてくれるな。クロエ…いや、ウォーズマンとここで起居していただろう?」
「……少しの期間だ」
「俺はうっかりそれを見逃していたが、その箱のおかげで色々と思い当たった。一人暮らしなのにあの食器の多さはないよな、普通」
「間に合わせで安物を買っただけだ!それにオレ達は期間が限られた師弟関係で…事実上そうだったのはあんたも知っているじゃないか!」
「つまりおまえも師と暮らした時期はあった。短かろうが長かろうが同じだ。それなのに何故俺だけ煩く言われるんだかな。俺は今までおまえに何か意見したことがあるか?」
「……ない。いまが初めてだ」
「だろう?それだけの根拠を昨夜見つけたということだ。」
そう、俺は今までケビンを疑わなかった。
こんなものさえ見なければ、もしいつか別れの日が来ても何も知らずに見送ったに違いない。
ケビンの表情に影が差した。
「疚しいことなど無い…誓って言える。少なくともクロエは…オレがあんたを好きだと知っていた。おかしな想像はしないでもらいたい」
「知っていた?何故だ」
そんな話は聞いたことがない。
「知らん。見抜かれて指摘された。ブロッケンを好きなのか?と…」
俺は暫し言葉を失った。
ウォーズのコンピュータは、ケビンのそんな面まで分析したというわけか?
「俺などよりおまえを理解していたわけか、さすがだな」
やっと出た台詞は皮肉だった。
「あのなぁ!!あんたおかしいぜ、オレは別にこれを…クロエの装飾品を隠しているわけじゃあない。OLAPもだ。オレはどちらも持ち主に返すつもりでいる」
「どうするかなどおまえの勝手だ。しかしな、この箱もあの写真も、クロエ…ウォーズに師弟以上の気持ちがあることを物語っていないか?だから俺の昔仲間や弟子を同じ目で見るんだろう?もう自覚しろ」
きっとケビンは、あいつに裸の心を見せていたのだろう。信頼し全て預けなければ師弟はうまくいかないものだ。
俺は自分が何を言いたくてここにいるのか、既に判らなくなっている。
ケビンとウォーズがどうだろうと、もうどうでもいい。
ただ、ケビンが逐一ジェイドに拘っていたのは、奴に自分を重ねていたからだと俺は思ったんだ。
ケビン、知っているか?ジェイドは……おまえが思う通りだ。俺は知っていながら奴を無視をしていた。今もそうだ。残念なことに俺は何も応えてやれないからな…
心の中で語りかけたことが通じたのか、箱の中を見つめていたケビンが力無く俺の隣に座り、両手で顔を覆った。
「ブロ…誤解しないでくれ」
小さな呟きで否定を続ける。
「オレは…生まれて此の方、あんたにしか好きという感情を持ったことはない。友達として気の合う憎めない奴はいる。嫌いではないが好きと言うのとは違う。クロエもだ。あんたがそう思うのは仕方ないかも知れない。だが…俺はジェイドのような目で師を見たことはない。だからこそ気付いた。オレはあんたを疑っては後で後悔していた…信じてはいるが、あんたは優しいから。クロエのように消えたわけではなく、ジェイドとはお互い会いたければいつでも会えるだろ?」
「要は羨ましいのだろう?いつでも会える事が。おまえもウォーズマンの姿に戻ったクロエを探せばいいじゃないか。俺と居るよりおまえの為になると思う。変な意味ではない」
「違う、オレのはただの嫉妬だ」
「羨望も妬みも嫉妬だ、同じではないか?」
自分で吐いた言葉で胸が痛む。
そうだ、俺は嫉妬している。そう気付かれないよう話しているだけだ。
だが俺は若い奴等にもクロエにも妬みは無い。
怒りを覚えたのは最初はケビンに、そして今は自分自身にだ…認めたくはないが俺は嫉妬心からケビンを責めているだけなのだろう。
残酷な俺はそれでもまだ新たな言葉を紡ぐ。
「おまえは俺の邸にここから色々運んでくるが、何故これらは残している?見られなくないからか、もしくは最後まで共に在りたいからか?」
「それは…迷っていたからだ。マミィとの写真は笑われるかも知れないし、他のも処分か本の間にでも挟んで…って、勘違いするなよ、隠すわけではなく、どうでもいいと思うからだ。これらがなくとも、じきにオレはあんたの存在だけで戦えるようになる。それがどういう意味か知っているだろう?」
ケビンを信じるなら確かにそうかも知れない。
俺が居るなら写真を見て一人で奮起する必要はなくなる。
「ならば、どうでもいい写真とやらは、まだあの棚の本の間に挟まっているのか?」
「ねぇよ、一枚も。見てもいいぜ。大体、あそこにある本なんて超人レスリング関連だけで…言っておくが、この部屋にはくだらないエロ本や、ましてやビデオなど一切無いからな?!」
俺は一瞬、ケビンの言葉がよくわからず固まった。
「エロ…?アダルトもののことか」
「そうだ。女の水着や裸など見たくもないからな。本番だかなんだかよくわからんビデオも気色悪いったらない。あんなもので喜んだり、果ては自慰まで出来る奴等の気が知れない」
テリー、ひとついま理解出来たと思う。
女性のヌードなどを載せた冊子があれば、そりゃあ親には見せられない。母親に見つかるとなれば尚更だろう。
女が出来て部屋に誘い、そんなものを発掘されたら、過去のものであるとしてもどうなるか。多分言い訳にしかならない。
男友達が集まれば充分に愉快なネタだ。
あの時に笑った奴等は、そう言えば当時から女性が大好きだった。少年期から無駄に発情していても不思議はない。
俺はガキの頃から地獄の鍛練三昧、思春期に親父を惨殺された。色恋に目覚めるきっかけすらなく10代を終えた…超人とはそういうストイックなものだと思い続けてきたが、まさかケビンの口から「エロ本」とは…彼は既にそれを知っているだろうから、つまらないと言えるのだ。
確かに俺もくだらないと思った。買ったこともないし好き好んで見たいとも思わない。
独り身でも不必要、考えたこともなかった。
テリー、今度は俺も一緒に笑える。
皆とは違い、馬鹿にした乾いた笑いだが…
「ブロ?」
黙り込んだ俺の肩にケビンが触れてきた。
首筋に吐息がかかり、その熱さに目眩すらした。
振り払おうとしたときは既に遅く、身体にケビンが再び抱き付いていた。
「オレは別に男が好きなわけではないが…欲情するとしたら、あんたを想う時だけだ。こんな風に触れたりすれば尚更だ」
無理矢理、その馬鹿力で俺の顔を両手で固定してきたかと思えば、かなり強引なキスをされた。
二度目はさすがに制した。勘弁して欲しい。
「よせ…ケビン」
「嫌だ。あんたがオレを疑うからいけないんだろう?幾ら説明しても理解してくれないし…他にどう証明すればいいんだよ?!」
「証明など要らん」
「駄目だ!」
「正直もうどうでもいいんだよ俺は。おまえは好きなようにしろ。すまないが俺は自分自身がよくわからなくなった」
最早ケビンのせいとは言えない。彼はおそらく今まで真実を語ってきた。
俺がただ自分を許せないのだ。
ケビンを疑った醜い心と、責めはしないと言い置いたくせに問い詰めるような真似をしたことに憤り…昨夜からそんなことばかり考え、一方的にケビンを貶めた自分は、何と小さな男なのだろうかと…
初めての感情に戸惑ったとは言え、自分がこんなふうに変化するとは思わなかった。
明日から半月はケビンに会わずに済む。
その間に考えたい。
ケビンと俺と、そして…
「ブロ!」
ぼんやりしていた俺はケビンに突然肩を掴まれ、はっと我にかえった。
「何がわからない、だ?ずっと付き合ってきて、今夜もこれだけ話して、それで何もわからない答えがないなど俺は認めないからな。少なくともオレに疚しい事は何もない、これも…」
何を思ったのか、それは一瞬の出来事だった。
ケビンが足元の箱を蹴り、壁にぶち当てた。
金属が跳ね床に落ち、それは幾つかのパーツに分かれて散った。
「ケビン!?」
「元々砕けていたんだ、構わないだろう?オレはこんな事など平気で出来る。あの写真も燃やしてやろうか?」
やおら立ち上がるケビンの腕を俺は引いた。
「要らんことはするな、俺はおまえにそんなことを望んではいない!」
「なら今キスしてくれ。オレを愛しているならその先も」
「こんな時間に何をしろというんだ、明日は午前の便を予約している。今夜は俺がソファで寝るからもう休ませてくれ…でなければ空港のホテルへ行く」
「何でそんなに頑ななんだよ?!あんたオレより始末が悪いじゃないか!」
「…始末、が悪い?」
「完全なやきもちだ、あんたのそれは。わかるか?嫉妬、jealousy、ドイツ語だと…」
「Eifersucht…、…Missgunst…」
「そうだよ!自分でわからないか?オレがいつもあんたにしているのと大差はないが、あんたのはオレより酷い。八つ当たりだけでなく自己完結で勝手に終わらそうとしやがる」
「ケビン…」
「オレはあんたを愛している。だから独占したい、あんたを好きな奴はみんな敵だ。ジェイドのことばかり言うのは悪いと思っているが、奴が一番強敵だからだ。オレは奴が怖い…いつか負けるかも知れないと思っている。だから…」
「馬鹿を言うな。俺にはおまえしか、いないだろうが。勝手に負けるの勝つの…俺はおまえらの獲物ではない!」
「オレだってあんたしかいない。でもあんたには敵がいないんだぜ?オレの中で完全に無敵なのに嫉妬など…らしくもないことしやがって」
「嫉妬だと、いつから気付いていたんだ?」
「クロエの名前が出た時だ。あの箱のことは昨夜寝る前に話すつもりだった。どうしてオレが持っているか、何故こんな所に押し込めているか、何故移動させないか…」
「さっきの話か…」
ふと見た、壁際に飛び散った破片から外れた宝石のような塊が、その時、まるで意思を持ったように光った気がした。
それはウォーズマンではなく「クロエ」を連想させ、まるで彼が俺を詰っているかのように思えた。
ケビンの話を聞け、と。
半月後に回せそうにないなと、俺は仕方なく腹を据えた。
「…事情はもう聞いただろう。他に何があると?」
問いかけるとケビンの視線は天井に向けられた。
「とりあえず箱も写真もマミィの所に送る。箱はきっとダディが保管するだろう。あいつはウォーズマンを探しているから、きっといつか渡してくれるさ」
「おい、俺は別に持ってくるなとは…それに奴を探すというのは、おまえ自身もすればいいだろうが」
「いや、オレはそうすると決めていたからいいんだ。これでオレがウォーズマンを探すなんてことしてみろ、あんたは絶対に平常心じゃいられなくなるぜ?今までので自分でわかるだろ?」
「……まぁな」
30以上も年下に諭される形になるとは、俺も大概だと思わずにいられなかった。
「あとあんたの所に運ぶのは服とコスチュームくらいか…あんたがもし何か持っていくなら言ってくれれば運ぶ。大して使えるものはないと思うが…物色してみるか?」
こちらを向いた、ケビンが笑いかけてきた。
俺はどんな顔をしたら良いかわからず、また光る小さな塊を見つめながら、
「見られて嫌だとか、恥ずかしく思うものは本当に何もないのか?」
ベッド下にではなくとも、引き出しやクローゼットの奥に何かひとつ位あるかも知れないと、俺はまだ思っていた。
「…以前は、あった。飲み散らかした酒のボトルや缶、もしかしたらワインのコルクがまだ何処かに転がっていたり、叩き割ったボトルの破片が隅にあるかも知れない。少しだけ煙草を吸った頃もある…灰皿にした空缶は捨てたが、灰が散ったかどうかまでは確認していない。そう言えば気に入りだったオイルライターはまだ持っている。オレのやさぐれた過去は恥だ。何か出てくれば後ろめたく思う」
悲痛な、表情。
ケビンは以前、一人、この部屋で悩み苦しんだ。
その話は聞いていたし理由も知っている。
原因は俺だ。
だからケビンが後ろめたいと言うなら、俺はそれ以上に……ケビンに謝罪しなければならない。
「ケビン」
「うん?」
「…早くここを出ろ。退去までの期日は早められるだろう?」
「しかし、あんたが夏にと…」
「おまえと暮らすならと、少し邸の手入れをするつもりでいたからな…業者を増やして作業をさっさと終わらせる。だから1ヶ月位は前倒しにしろ。その分の家賃なら俺が出す」
「いや、金はいらないが…本当にいいのか?早くそっちに、オレが…住んでも」
「ああ。1日でも早く来い」
ポカンとしているケビンに、シャワーを借りるぞと言い置いて、俺は寝室を出た。
途中、ドアの足元に箱の蓋が落ちていたのを拾い、中身のない箱にそれを重ね…中のものは飛び出してしまっていたが、早く蓋をすればそれら厄介事の種は消える、と思ったのだ。
パンドラの箱はもうただの壊れ砕けた過去に過ぎず、それが出ていった後は何も残らずままで良いと…なぜだかそう思った。
熱い湯に打たれながら、ふとロビンとの会話を思い出す。
酒場で俺が問い掛けたことへの答えは、更に展開し飛躍した話になったのだ。
「ロビン、大切なものは何かあるか?」
「うん?モノはあまりないな。わたしはアリサが一番大事だ」
「そうか、そうだよな。既婚の男は愛妻が一番大切でなければな」
「ははは、独身のおまえからそんな言葉を聞けるとはな。まぁ妻だけではなく加えて一人息子もだがな。奴とは色々あったが…わたしとアリサの宝だ」
「俗にいう子は宝というやつか」
「ああ。しかし我が家に恵まれた宝は、まだまだ遠い先の巣立ちを待たず、勝手に飛んでいってしまった不良の雛だ。以来あちこちに巣を作り、親元へ帰らない」
「あちこちに巣、か。言い得て妙だな。悪行にも巣を張った」
「戻ってきただけヨシとするがな…しかし次はおまえの所に営巣しようとしているだろう?」
「まぁ…そうだな、いま、せっせと巣材を運び込んでいるよ」
「残念なことに、二世は望めないが…二人で何かを作り生み育てるといい。すばらしい宝を、な」
ロビンは苦々しく笑った。
幾ら俺達が旧い仲間とはいえ、一人息子が男である俺の所で暮らそうというのだから、困惑されていても仕方がない。
鳥類の雄は雌を迎える為に立派な巣を造る。
そして番になり産まれた卵を雌雄で孵し、巣立ちまで大切に育て…
「奴は、鳥だ」
俺の心が読めたかの様にロビンは呟いた。
「大空を、群れを作らず雄大に飛ぶ…強く美しい鳥だ。おまえも昔、予言書で荒鷲になぞらえられた男、孤高なそれぞれが出会い、やがて二羽で飛ぶのもある意味必然なのかも知れない。おまえはわたしに気が引けるかも知れないが、わたしはむしろおまえがケビンを掴まえてくれているならば安心だ。逆も然り」
「ロビン…」
「ケビンにもうひとつ伝えてくれないか?」
「いいとも。何と?」
「もう巣は造るなと。最後の作業にしろ、とな」
「いいのか、それで」
「いいも何も。いつまでも孵らぬ無精卵を一人で抱くより、同性でも番で愛と希望の詰まった卵を暖める方が良いではないか」
俺は何も言えなかった。
ここに帰り、こうしてケビンと話し合う前…ロビンとそんな会話をしていた時は、俺の思考は嫉妬で澱んでいたし、ケビンの宝はあの箱なのだと信じていたからだ。
しかし、いま思えばロビンの言う「無精卵」とは、あの冷たい箱の中にあったひび割れたものなのかも知れない。
ならば俺達は新たに二人で造る巣で宝を…幸せの詰まった卵を作り、大切に育むことが出来るだろうか?
そこから何かすばらしいものが孵るだろうか?
浴室から出ると、入れ違いにケビンが入ってきていた。
散らかした床を片付けた、と言い、それから、
『待っていてくれるか?』
と訊ね…俺はそれに対し黙って頷いた。
「ブロ?」
呼ばれて目を開けると、服を脱いだケビンがベッドに腰掛け、先に寝そべっている俺を見つめていた。
「何を考えていたんだ?口元が笑んでいたように見えたが」
毛布に潜り込み、俺に抱きつきながら囁く。
番の待つ巣に入る時の、鳥が甘く鳴く声のようだ、と思った。
「うん?…巣の中の卵は、必ずしも孵るわけではないんだなと…」
ああ、でも俺はいちど孵したか。不意にジェイドを思い出した。
が、ケビンにいまそんなことはとても話せない。
「なんだ、それは?何か面白い話か?あんたの家に変わった鶏でもいるとか…」
「いや、例え話を思い出した、それだけだ」
「どんな話だ?巣だの卵だのとは。鳥の話か」
「今度うちに来た時に話してやるよ。俺は今夜こそ少しでも寝たいんだ。その為には早くおまえを抱かないといけないからな、話す余裕がない」
「だからと早く終わるなよな」
「それはいつもおまえの方じゃないか」
抱き合い、一度軽いキスをして、俺達は少しのあいだ笑いあった。
そして、まだ何事もなかった昨夜の俺達に戻り、明け方近くまで存分に愛し合い、深く交わり続けた。
俺の初めての嫉妬は、若い頃、連勝を止めた親父の仇敵の強さに対して、だったと思う。
それからは自分より強い超人は、例え仲間でも敵でも羨望し嫉妬もした。
だが、まさか恋愛での嫉妬をこの歳で経験するとは思わなかったんだ。
ケビンのストレートなそれとは異なった、俺の歪みひねくれたそれをさらけ出したことは、今となりとても恥ずかしい。
このとてつもない羞恥心を、くだらない嫉妬と共に頑丈な箱に入れ、幾つもの鍵をかけてベッドの下に隠すのは……どうだろうか?
我ながらなかなか良いアイデアだ。
そう思わないか?と、腕の中で眠る愛しい者を見つめ、心で問いかけ……
自らも眠りに落ちる寸前であったが、それは邸に帰ってすぐに実行しよう、と、思った。
………END………