BK短編集




ドイツ、ベルリンはブロッケン邸。

主は二日、寝ていない。
真夜中だというのに、邸には煌々と明かりが点いている。

「あー、まったく…どれだ?……くそっ、わからん」
ぶつぶつと独り言をいいながら、主・ブロッケンジュニアは青色の携帯電話と格闘していた。
通話はもう出来る。
現在はメールの返信に手間取っている。
真夜中だから聞く相手…恋人でありこの携帯電話をジュニアに持たせたケビンに連絡を取れず、というわけでもない。向こうはまだ寝るには早い時刻の場所にいる。
何をまごまごしているかといえば、指がどうしてもボタンを2つ同時に押したり、上下左右にぶれたりするのだ。超人だから指が太いというのは言い訳にならない。人間でも普通にいる。
それに自分よりケビンの方が指はごついはずだが、彼は楽々とこの小さなボタンを操作している。
こればかりはケビンに聞いてもどうしようもない。不器用なだけだと言われるのがオチだ。

ドイツ語や英語を文章で綴るのは面倒だという理由から、元々インプットされている日本語でメールを打っているが、たとえば「な」を押したいのに「た」や「か」等、上下左右に指がかかってしまい、中央の「な」を押すまで何度もトライしているわけだ。
どうしたらいいか、ジュニアにはわからないし、いや、小指か爪の先でも使わない限り、どうにもならない。

それだけで疲弊しているというのに、いまは区読点の出し方を忘れ、あちこち押しては苛立っている。
そして冒頭の独り言に戻るを繰り返し・・・

「駄目だ、もう疲れた…スムーズにメールを打てるようになれば終わりなんだがな…」
欠伸を噛み殺し、それでも諦めず携帯電話を握り直すあたり、我ながら生真面目だなぁと思う。
ケビンから練習用にと質問だけのメールが20通きている。返信の文字数100以上や200以上で等々、指定が付いているものもある。
その全てと私信とに返信をしているわけだが、寝ずにやっていても半分しか出来ていない。

「絵文字?ハートマーク?どこのどれをどうすればいいんだ!」

ジュニアの叫びに近い独り言が広い邸に今夜も響いた。



朝になり、ケビンから電話がきた。
『70点』
ケビンはそう言って笑った。
『思っていたより頑張ったな』
「もういいだろう?絵文字はわからん…顔文字も作れない。文だけで勘弁してくれ」

ジュニアは心からケビンに頼んでいる。

『うーん…まあいいか、慣れたら出来るようになる。文字だけでは素っ気なく見えるがオレ達は男だしな、それが普通っちゃ普通だろうしな』
「そうだとも。語尾に全てハートを、など例え出来るようになったとしても俺はしないぞ、気持ち悪い」

少し話をして、ジュニアは電話を切った。
やっと眠れるのだ。
メールはどうにか今朝までに全て返した。
結果ケビンから70点とは言われたが、それはオプションで減点された点数だから、気にすることはない。

シャワーを浴びて朝からベッドへ潜り込む。
携帯電話は枕元に、と言われているのはきちんと守っている。
寝る前には『おやすみ』とケビンにメールを送るのも渋々済ませた。
ようやく休める、とジュニアが目を閉じた瞬間、タイミング悪くまた携帯電話が鳴った。

「…ケビン、おやすみと言ったばかりだろう」
番号を知っているのはまだ1人だけなのだから相手はおのずとケビンになる。
『いま米国での試合が決まった。それが終わったらイタリア、次はインド。1ヶ月以上会えないかも知れない』
「…そんな内容こそメールにしてくれ、俺は寝たいんだ」
何の為にメールがあるんだ、とジュニアは続けた。
『いや、電話したのは他にも理由がある。さっき話すのを忘れていたが、あんた誰かに番号を教えたか?メールアドレスも』
「いや、まだ誰にも。アドレスはおまえが設定したし、俺には確認の仕方がわからん」
メールのプロパティを見るなどという高等技(?)を、ジュニアは知らない。
『人に教えるはいいが、あんたの電話からは発信出来ないと先に言っておく。あと、ジェイドとは何もかも繋がらない。教えても無駄だぞ』
「は?」
『だから、オレにしかかからない設定にしたんだ。メールもな。あんたからはオレだけにのみ発信可能、他は着信のみということだ。ジェイドはどちらも不可。わかったな?』
「…おまえ、店員に何か頼んでいたが…そういうわけか」

ジュニアは実はこっそりジェイドや昔仲間に携帯から電話をしていた。
が、変なアナウンスが流れるだけで繋がらなかった。これで合点がいったわけだが・・・

『その反応からするともう試していたな?まぁそういうわけだ。たかだか携帯電話を制限したところで浮気防止にはならないが…解除が必要でもオレしか暗証番号を知らないからな、…して欲しいか?解除』
「別に…必要ない」
どうせしてはもらえないのを見越して、あえて今は希望しなかった。
ケビンは笑いながら、
『この世界の果てに行こうとも、あんたとオレとにしか繋がらないというモノがあれば、オレは満足なんだ』
と、本当に満足そうに言った。
「だがケビン、それでは不便だ。携帯電話の意味がないような…」
『あんたに携帯を持たせることになったキッカケはオレ。契約したのはオレ。文句あるか』
どこまでもおまえと二人きりか、まいったな、とジュニアは心の中で呟いた。が、何か気付いてしまった。
「なぁケビン、これは世界中で繋がるのか?そっちの方が問題ではないか?電波が無ければただの玩具だが」
『え………?』
「だから世界各国、おまえの行き先全てにこいつの電波が届くのかどうか、ということだ」
電話の向こう側は暫し固まった後、
『あんた携帯も満足に操作出来ないってのに、何故そんなことを…』
言われてみればその通りだった。

「おまえ、俺が以前PHSというのを持っていたと知ってるだろうに。使えなくなった理由は廃止云々以前に電波が少なく、使い勝手が悪かったからだ。人も住まぬ田舎の山奥や海の中、果ては宇宙に行ってもこのケイタイデンワは確実に繋がるのか?」

ケビンは言葉を失った。
試したわけではないが一応世界中で使えるとはいえ、基地局の有無や電波がどうかなど気にも止めなかったのだから仕方ない。
現に今いる日本の都心でも、高層階や天候…特に強風の風向き次第で電波が切れることもあったのだ。

『じゃあ…結局どこでも使えるのは…』
「おまえには残念だが固定電話と公衆電話だろうな。わかったか間抜け」
ジュニアは勝ち誇っていた……まさかここで勝ちを拾うとは誰が予想出来ただろう?(くだらない勝利ではあるが)
『ならば、家の電話に出ろよ!せめてオレの遠征中は!』
「お互いケイタイデンワがあるのに何故だ?せっかくおまえがくれたんだ、肌身離さず持っているぞ」
『…悪かった、すまん。ごめん……なさい、ほんと…オレが、悪い……』
意気消沈したケビンの声はやたら小さくなっていく。
「まぁ気分次第ということでな。では俺は寝かせてもらうぞ。頑張って世界中で羽ばたいてこい。またな」
『またな、って、おい!電話、メール……!』
「繋がればな、じゃ」
ジュニアから電話を切り、ついでに電源もオフにした。リダイヤルされたらたまったもんじゃない…と。


早い話が携帯電話は世界中の隅々どこでも繋がるわけではない。携帯メールも然り。
どちらも電波がなければジュニアの言葉通りただの玩具なのだ。

ケビンの今後1ヶ月はどうなるかわからないが、その国の主要都市で携帯会社を探しまり、電波状況を聞くのは間違いない。
使えなければ公衆電話、もしくはホテルの電話から。
それがこちら側の固定だけではなく、携帯にもかかることにケビンが気付くのを予測したジュニアは、翌日、避暑地にしているブロッケン山の別荘へと消えた。


幸か不幸か。
ケビンのいく先々で携帯は難なく使えた。
しかし、ジュニアの居場所に電波は届かなかったという。


悔し涙をのみつつ、今夜もケビンは愛しい恋しいブロッケンジュニアに、世界の果てから電話をする。



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