BK短編集



澄みきった青空の下。

軽やかに駆けてくる若者の長い金髪が跳ね、美しく景色に映える。
単純に、綺麗だ、とジュニアは思った。

「なに、ボケッとしてるんだ?タイムは?」

目の前に到達した相手に促され、ジュニアは手の中にあるストップウォッチの存在に気付く。

「ああ…、すまん、壊れたかな、調子が悪いようだ」

「なんだよ、なら新しいの買おう。ずいぶん古めかしいとは思っていたんだ」

おまえを眺めていてストップを押し忘れたなどと、とても言えない。
元々が見栄っ張りな伝説超人ブロッケンジュニアは、若手現役チャンプであり恋人であるケビンマスクの前でも、そのスタイルを滅多に崩さない。

「午後から買い物行こう、いいよな?」

と、マスクを脱ぎ滴る汗を拭いながら、ケビンがにっこりと笑う。
この笑顔を他の誰が見たことがあるだろう?
普段はマスクをすっぽりと被り、素顔を知る者は幾人もいない。
逞しくもしなやかな肢体を持つ大きな獣のようでありながら、その面差しは色白く、どこかあどけない。

「どうした?」

まかさ何か感付かれたのかと内心どきりとしながら、ジュニアはケビンの方をみる。

「綺麗だな、その色」

「なにがだ?何もないぞ、こんなところに」

ジュニアはぐるりと辺りを見回し、ケビンに向き直る。
ロードワークのゴール地点は短い夏草で敷き詰められたブロッケン邸の庭、その地の緑の他には庭木と建物くらいしかない。
ケビンは自分の襟足あたりを指さした。

「ここだ、その、髪」

ジュニアは今日はヘッドギアを付けてはおらず、帽子の下、ケビンが指す位置には洗いざらしたプラチナブロンドの髪が、ちらりと見える位。

「あんたの髪が、陽に透けて…綺麗な銀だ」

「な…っ、何を言うかと思えば、おまえは…」

気恥ずかしくて、帽子の中へ隠そうと少し伸びた髪に指をやれば、ケビンが声を立てて笑った。

「照れているのか?はははっ」


「うるさい!こんなオヤジに綺麗もクソもあるか、馬鹿が!」

「馬鹿とはジャパンでは、ウマとシカと書くんだよな。俺はチェックメイトでもガゼルマンでもないぞ?ああ、でも奴等は今の俺と同じく正直者だな」

機嫌良さげに珍しく怒らずに冗談で切り返し、ひとしきり笑うと、ケビンはいきなり真顔に戻った。

「綺麗だと思う。本当だ」

拗ねたり笑ったり真剣になったり。
相変わらずの変わり身の早さについて行けず、それはおまえの方だ、とジュニアは心の汗にまみれ疲れた声で返しながら、ストップウォッチを握りしめる。

「わかったから、もう一度走ってこい。今度はおまえから目を離さん。しっかりタイムも取る」

「一本で終わりじゃなかったのかよ?俺にも鬼のレーラァ様なのか」

「まさか。もう一本だけ走ってきたら、ストップウォッチは買わんが昼飯でも食いに街へ出よう、それで文句ないだろう?」


「ああ、それならいいぜ。走りながら店を物色してくる。120秒後にスタートだ」

今度は空に浮気すんなよ?とマスクを被る前に素顔のケビンがちらりと睨み、釘を刺す。

わかった、と苦笑いし、ウォーミングアップするケビンを見守りながら、もう言い訳は出来ないなとジュニアは思う。

だが、これで思う存分、ケビンを凝視していてもおかしくは思われまいと、また心の中でだけ…今度はささやかにはにかんだ。

スタートまであと20秒。
ジュニアはこっそりとストップウォッチのリセットをし、そして利き手に持ち直す。

茂みの方からちぃちぃと夏の始めに毎年訪れる、野鳥の鳴く声が聞こえる。
長い金と短い銀の間を初夏の温い風が通り抜け、あおい夏草の匂いが、ほのかに、した。



END

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