BK短編集




午後23時頃よりそれは始まった。
数分おきに、時に連続で、絶えることなく電話のベルが鳴り響く。

「このかけかたはケビンだ。あいつは全く…」

最近増えてしまった独り言は歳のせいとは限らない。こうしつこければ呟きもしたくなるものだ。

「出ないからな、お、や、す、み!」

鳴り止まぬ電話を睨み付け、リビングから足早に撤退、寝室に直行してすぐ頭まで毛布を被った。



翌朝もジュニアが階下へ降りる頃、電話のベル音が既に響いていた。
時間は7時。

とりあえず無視をしてシャワーを浴び、コーヒーメーカーのセットをし、新聞を取りに行く。

リンリンリンリン、先日音を最小限まで下げたが、音声を「鈴」にしたせいかよく響く。
ごくろう、と呟き苦笑するとジュニアは気まぐれに、次の回には受話器を取ってやろうと思った。

思ったのだが……何故かそれきり音は鳴らなかった。


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ケビンマスクは朝から満面の怒りを仮面の下に蓄えていた。
昨夜、試合が終わってから帰宅して暫くかけた。
ドイツ時間の0時近くまでブロッケンジュニアへ電話を。
いつものように数分おきに20コールを。
しかし繋がることはなく、タイムアウト後は朝を待ち、これまたドイツ時間で7時を目処に鬼電話を開始した。
朝からこの為にだけ目覚ましをセットしたわけではない。
もし30回かけて出なければ、今日のうちに意地悪く頑固な恋人のいるドイツへ飛ぶつもりだったからだ。

「ムカつく」
呟きは仮面の中、もう既にケビンは外を歩いていた。
朝の渋滞にタクシーが巻き込まれるのを懸念し、公共の交通機関を使う以上、乗り物の中では携帯はマナーモード、通話はしてはならない。
ブロッケンジュニアからルールとマナーをわきまえろ、と常に言われている為だ。
が、それとは別に万が一にも携帯が鳴り、ケビンの居場所が例えば列車の優先席付近で、生命に関わる重大な事柄に電波や磁気が影響してしまったなら等、ケビンなりに考慮してもいるのだ。
身も心も品行方正なる超人でいなければ最愛の恋人にフラれてしまう。
見かけによらずケビンマスクは、常識というものを気付かぬうち身に付けている。
やはり正義の血のなせる術か。


脇目もふらず一路ドイツへ。
エアポートへ向かう列車は最後のトンネルを抜け、このまま朝の光が昇りきる前に離陸に漕ぎ着けられたらいい。



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連絡もせず訪れた客人が誰なのかは分かりきっている。
ジュニアが内鍵を解除するや否や乱暴にドアを開け、挨拶もそこそこにズカズカと「誰か」に入り込まれるのはもう慣れた。

勝手知ったる他人いや恋人の家。特に実家を自分の親元とは毛頭思っていないケビンにしてみれば、ここが我が家という認識もある以上、ジュニアもどうこういう気はなかった。

※いずれそれは本当のことに(ここがケビン宅にも)なるという話はまた別にするとして、今の段階ではまだ客である。

「やけにイラついているなぁ」
自分が原因と知るジュニアは苦笑しつつ、この、夕飯後の客に茶を淹れる為キッチンに向かった。


「ケビン、飯は食ってきた……の、か?」
ケビンのティーカップと自分のマグカップを持ったジュニアがリビングに行くと、ケビンの姿はそこに無かった。

仮面とコート、マフラーがソファにだらしなく投げ置かれたという感じで、中身の、本体はどこにもいない。
仕方ない奴だ、と思い片付けをしながらケビンを待つこと10分足らず。
ケビンが赤い顔をしてリビングに入ってきた。

「なんなんだ、あんた一体」
唐突に話は始まった。
「何なんだと訊かれてもなぁ…俺は俺だが」
ケビンはシャワーを浴びていたが、寒さと急激な暖めのせいだけではなく、上気した頬には怒りの色も乗せている。
「そんなことは当たり前だ、オレは何故電話に出なかったかきいている」
「またその話か。昨夜と今朝はおまえがしつこいから嫌だった。どうせ用など………あぁ試合勝って良かったな、おめでとうケビン」
昨夜、ケビンは他国で超人レスリングの公式試合をしている。テレビは衛星生中継で観ていたし、わざわざ電話で報告をされなくても良い。
が、どうやら報告を直にしたかったらしく、ケビンは思いの丈をいちいち細かく怒鳴り散らし始めた。

「わかった、わかった。どうせ来るつもりだったのだろう?そんな、技がどうだの見せ場作りだのは、その時でいいじゃないか…なにも試合が終わったその夜と寝起きに…」
「オレは寝ていないんだよ!頭にきて眠れなかった、どうしてそんなに電話を嫌うんだ?!」
「だから面倒だと…それに毎日話すこともなかろう」
「何も長々話せとは誰も言っていないぞ!おはようとおやすみ位いいだろう?!」
「いいからケビン…そう唾を飛ばして怒鳴るな、チャンピオンのくせに、はしたないぞ」
「チャンプ関係ねーし!!」

ああ、と呻いてジュニアは俯く。
今夜は夜通しこれなのだろうか?
適当に謝って、嘘でも次から電話に出ると言うか……
「いま、嘘でも次から出ると言ってオレを丸め込もうと考えたな?」
ビクリと上げた顔をケビンの鋭い目が凝視した。
見抜かれている、いや今までの経緯が同じだったせいか、ケビンもさすがに学習したか?とジュニアは次の手を考えた。

「ケビン落ち着け。ほら、茶が冷めているぞ?淹れ直そうか」
「…いらん」
カップの紅茶をやけ酒一気のようにあおり、ケビンはガウンの袖で行儀悪く口元を拭いた。
その仕草を見て、ジュニアはいま最も有効な作戦を……あまり使いたくはないが……実行した。
まずは隣に座る。そして、
「ケビン」
と、わざと甘い声を出した。
「な、なんだ」
この声にはケビンは弱いのをジュニアは知っている。
普段はベッドの中でしかこんな声音で恋人を呼ばないものだから、リビングでの効果は絶大だった。
「そんなに怒るな。俺が悪かった。口を拭くなら言ってくれれば…」
「……?」
ぽかんとした唇を指で触れて、ジュニアはそのまま顔を近付けた。
「俺が舐めてやったのにな…そっちの方が紅茶より美味いと思わないか?」
「何だよ!そっ、それ…わあっ…!」
いきなりケビンを押し倒し、唇に当てたその指を外したジュニアは唇でもってケビンの口を塞いだ。
長いキスの後、ジュニアが必殺の笑顔で更に畳み掛ける。
「おまえに会いたかった…電話に出たら我慢出来なくなるだろう?声だけでは俺は満足しないんだよ」
「ま、ま、満足って何がだ?!」
「判っているくせに…ここで一回スルか?それとも、もうベッドへ行くか?」
「…どっちでも…」
落ちた、とジュニアは内心ほくそ笑んだ。
こんな若い奴に人生経験と大人の狡さだけは負けられない。
「じゃあベッドへ行こうか、湯上がりで風邪をひいてしまったら困る…立てるか?お姫様ダッコして行ってやろうか?俺だっておまえ一人くらい抱えられるぞ」
「い、いい、そんな…悪いし」
「恥ずかしいのか?バカだなぁ、素直になれよ」
本音はかなり重い。が、完璧に演技したいジュニアはケビンを抱えて立ち上がった。
腕の中の我儘で生意気な若造は、最早ブロッケンジュニアの策に嵌まり、とろとろと惚けた顔をしたまま文句ひとつ言わなくなっていた。



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結局は昨夜、イタすことはイタシてそのまま寝てしまったが、眠る前にケビンはジュニアに謝り、もうしつこくかけないと誓わせることにも成功した。
ジュニアとてかなり努力したのだ。
しかし嫌な手を使いはしたが、イイ思いは出来たしケビンの改心というお釣りもあった。
朝から気分は上々で先にベッドを降り、まだ冷える時期だからと一人まだ眠るケビンに、軽い毛布を一枚掛けてやろうと、あちこちの部屋の収納を漁った。
書斎にはまさか無いと思いつつ、ウォークインに入ると、滅多に開けないそこに新品の、薄手で暖かそうな毛布を見つけ、下ろすにはいい機会だと思い、箱から出してケビンの上に広げ……部屋を後にした。



ケビンは起きてきてももう何もジュニアを責めはしなかった。蒸し返すこともしない。
ただ、ずっとそばに張り付いて一昨夜の試合の話をしてきた。
電話で話題にしたかったという、その試合の話などをケビンは饒舌に語り、書斎にまで着いてきてジュニアを落ち着かせてはくれなかった。

(何が、長話はしない、だ。もう二時間以上もこの話だ)
受け答えしつつジュニアは心の中で息をつく。
寡黙だと思っていたこの若造は、実は大変なお喋り好きだった…と気付いたのは付き合って暫くし、よく打ち解けてからだ。
しかし、詐欺だろう?とは思わない。
多少ウザくても惚れた弱味で今では可愛いとすら感じることがある。が、連日のコールで頭を痛めていたジュニアだから、今朝からのこの矢継ぎ早の長話は少し堪えた。
昼飯を理由に会話を終わらせよう、と思った時。

ふとケビンの視線が一点で止まった。

「ブロ、あれはなんだ?」
「うん?」
ジュニアがその視線の先を追うと、今朝がた出した毛布の空箱があった。
そしてその上に乗っていたものも一緒に。
「ああ、散らかしてしまっていたんだった、すまんな。今片付けを…あの箱はゴミなんだ」
「ゴミか。ならオレが下に持っていく」
ようやく離れてくれた…そう安堵するや否や、「ゴミ」に近付いたケビンが大声を上げた。

「ブロ!!ちょっと来い!」

ケビンは、また怒っていた…いや、呆れていた、ショックを受けた、どうとでも取れる嫌な表情をしている。
問題はゴミではなく、それの上にあった紙袋から覗いた小箱だった。
「これは?説明してくれ」
「…電話、の、本体だ」
ケビンの目が昨夜より鋭く光り、つり上げられた。
「何故ここにこんなものがあるかなぁ?ブロッケンジュニアさんよ」
「これは……」
箱に印刷された中身の写真、型番、メーカー、回線を契約した会社名。
忘れてはいないが説明に困った。

「ブロ、これは携帯デンワだな」
「いやこれはPHSというんだ。普通の携帯とは仕組みが違う。もう殆ど使われていないし電波も…」
「うるさい!持ったことがない、嫌だとオレには言ったくせに、持っていたじゃないか!裏切り者!」
「裏切り者…って、なぁ、30年近く昔のだぞ?それに俺が買ったわけではないし、親衛隊で連絡を取る為に当時は」
「使ったんだろう?!使ったよな?」
「…数回」
「嘘つきやがって」
「すまない。まさかこれも携帯電話だとは」
「コードレスで屋外に持ち歩けるなら全て携帯する電話だろうが」
「…しかしこれはふたつ折りでもないし、平たくもない」
「うだうだうるせぇんだよ!ガラケーかスマホかなんて関係ねえ、PHSなんて回線は知らんがそれは立派にケイタイデンワだ」
ケビンとの攻防に負けたジュニアは仕方なく、今度は素直に丁重に謝った。
何故謝るかといえば「面倒臭いから」だが。

「よし、これからあんたの携帯を買いに行く。オレと同じキャリアにしてもらうぞ。ああついでにオレのも新しく…お揃いにするかな」
一変、機嫌が良くなったケビンを、ブロッケンジュニアは「ああそうよかったな」という目で見つめ、陰鬱な思いを込めた盛大な溜め息を吐いた。



………END………

4へ何となく続く

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