BK短編集




雪が降る夜は何となく淋しい。
思わず受話器を上げ、もう暗記しているボタンを押し始めたが途中で指を止め、受話器を置くケビンマスク。
昨夜からこれを何度繰り返しただろう?

(話したいけど、な)
恋人になったばかりだというのに、ブロッケンジュニアは相変わらず冷たい。
いや、冷たいというのはツンケンしているわけではなく、少し性格的に…恋愛に対し全般的に冷めているという意味だ。

窓枠には昨夜よりも今朝よりも雪が積もっている。
一体いつ止むんだ?そう呟いてカーテンをひく。
そして、もう一度…少なくとも今夜十回以上目の受話器を手にした。

エアコンの暖房は程よく効いて、寒いわけではなかったが、ボタンをプッシュする指が震え、8を押すつもりが横の9を押してしまった…そんな感じのやり直しを数回、いい加減に自分にキレた。


冷蔵庫から缶ビールを出して一気に飲み干す。
暖房で乾燥した部屋、そこへ妙な緊張も加わって喉は余計にカラカラだ。
二本目も一気に空け、乾きは人心地ついた。

(後は心の乾きをどうにかしなくては、明日にでも雪の路上で干からびて死にそうだ)
と、少し大袈裟な例えでぼやいてみるも、心を潤すことは容易くはない。
ケビンマスクは常に愛情や温もりに飢えていた。
念願の、長年の想い人を恋人にできたというのに、こうして離れていると愛情も温もりも感じられず、また全てが枯渇した気分になる。
それが昨夜から耐えられない。
何故なら一昨夜までは共に、同じような雪の夜を二人で過ごしていたからだ。
帰りの、予定の飛行機が大雪で欠航し、1週間ドイツで…ブロッケンジュニアの屋敷で寝起きした。
いつも夜は基本的に、別々の部屋で眠るが、あの1週間は特別寒くてさすがのあの恋人もベッドを共にすることを許してくれた。
毎晩キスは出来ても身体を合わせたのは二度だったが、それでもケビンには破格の待遇をしてもらえたと言える。


(寒い、な)

ビール如きでは酔わない頭に熱いシャワーを浴びせ、すぐにベッドに潜り込んだが…とにかく寒いと感じた。

暖房はつけたまま、ベッドでは毛布に羽毛の布団を重ね、シーツは起毛の暖かく柔らかい素材。
それでも感じるこの寒さの原因は、きっとただひとつなのだ。

布団の中から手を伸ばし、サイドテーブルに置いた携帯電話をとった。
Bに唯一登録したナンバー、簡易ダイアルはこれだけ設定してある。
だがケビンはそれら機能は使わず、あえて親指でテレフォンナンバーをひとつひとつ押した。
どうしてかまた震え出した指。
それでもディスプレイにナンバーの末尾1つ残して表示させ、暫く眺めて溜め息をつく。
あと1つが、先刻も昨夜も押せないでいる。
恋人なのに、何故電話もかけられないのか…それは時差でもないし遠慮でもない。

ケビンは携帯をそのまま手に毛布を頭まで被った。
そして暫し目を刺すような明るさのディスプレイに目を細め、最後の1数字を……思いきり押した。


一回、二回、三回……ブロッケンジュニアは出ない。
ここが23時、ドイツとの時差は約一時間といえど、早寝した可能性もある。

四回、五回、六回……
ああ、電話はリビングと書斎にしかない。
寝室にいたなら、もし起きていて微かに音は聞こえても、わざわざこんな時間に電話を取らないかも知れない。

七回、八回、九回、十……
シャワーを浴びているか、いや、既に熟睡して聞こえてもいないか…そう思うことで諦め、切ボタンに指をかけた時。

『誰だ、こんな時間に』

のっけから不機嫌な声が応答した。

「あ…オレ…だけど」

心臓がドキドキし始め、ケビンは携帯を耳に押しあてながら深呼吸をひとつした。

『ケビンか…なんだ、何か急用か?』
「いや、特に用というわけでは…その、なんて言うんだ?ドイツでコンバンハは」
『挨拶など、どうでも良い。用がないなら切るぞ』
「あ!ちょっと、ちょっと待て!」
『……なんだよ?』
「その…声が聞きたくて、少しでいい」

受話器の向こうで盛大な溜息が聞こえ、ケビンは些か落ち込んだ。
恋人からの電話でも、用がなければ迷惑がられるなんて…と。

『…何を話せばいいんだ?』
ケビンの暫しの無言に対して、ブロッケンジュニアは少し声音を柔らげた。
「なんでもいい…声が聞ければ話題など何でも」
『それでは話にならないだろう、電話はテープレコーダーではない。会話をするツールだろうが』
「それはそうだが……」
『まったく、おまえはいちいちよく判らん奴だよ。話なら先日…1週間も毎日しただろう?』
「あ…あの時は、あの時だ。滞在させてくれた事には改めて礼を」
『礼など要らん。おまえは俺の恋人なんだろう?』
これにはケビンも仰天せずにいられなかった。
まさか彼の口から、恋人なのだから遠慮は要らない、という様な言葉を聞けるとは思わなかった。
『また何を黙ってるんだ?電話代が勿体無い』
「あ、あんたがそんなこと言うから」
『そんなこと?なにがだ』
「…恋人、だなんて」
『違うのか?』
「いや、違わない!オレはあんたの恋人で、あんたはオレの…一番愛している相手だ」
『そうか』
「そうだ、当たり前だろう?」
『ならば…もういいだろう?またいつでも来るといい。切るぞ、ではな』
「あ、待て!電話は?またしてもいいか?」
『……あまり好きではないんだがな、たまになら』
「本音は迷惑、なのか…?」
『そんなことはない。慣れていないだけだ』
「慣れ?」
と、ケビンの問いは雑音で消され、暫く電波が乱れ…そして二人を繋ぐラインは切れた。

(慣れとは何のことだ?)

気になってリダイアルしかけ、やめた。
しつこい男だと思われたくはない。
暫く待ったがブロッケンジュニアからは当然、かけ直してはくれなかった。
疑問は残ったが、しかし次に話すきっかけにもなる、と気を取り直してケビンは携帯電話を枕元に置いた。

気付けば身体は暖まり頬も熱かった。
彼の姿や先刻までの声を思い出し、思わず
「愛している」
と呟いて漏らした吐息は、乾いた唇から出たのに潤いを帯び、しっとりと枕にかかって頬に熱く跳ね返った。
淋しさも寒さも乾きも、すぐに安らかな寝息をたて始めたケビンには、もうない。


雪の降る夜に思い出がまたひとつ増えたケビンに、以来ちょっとした変化が起こる。
ブロッケンジュニアにとって、それは少し、いやかなり困ったことになるのだが……
この時は双方、そんなことになるとは予想だにしていなかった。



………END………


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