文司書SS
しとしとと雨が降っている。
ある雨の日、草野心平は中庭を散歩していた。どんよりと暗い空の下、虹色の傘を差して、相棒のぎゃわずと一緒にるんるんだ。そろそろ梅雨の時期になろうという季節、紫陽花が花開く頃をそろそろかと待ちわびている。
「雨の日もいいもんだよねぇ」
ふと、視界の隅で何かが動いた。
「今のなんだろう?ぎゃわず、いってみようか」
何かが動いた先に進んでみると、木々に隠れるようにその"何か"はいた。
「人…?」
子ども…よりは大きいが、少女がうずくまっている。傘も差さずに雨に濡れて、ふるふると震えているのがわかった。
「わわ、大丈夫?傘も差さないでどうしたの?そのままだと風邪ひいちゃうよ!」
"何か"が人だとわかった瞬間、心平は慌てて傘を少女が濡れないように差し出した。少女は黙って心平を見上げた。くりっとした大きな目が心平を映す。何も答えない少女を前に、迷子だろうか?と心平が困っていると、
「みつけた」
と小さな声を彼女は発した。
「え?」
少女は立ち上がると、傘を持つ心平の手を取り、にこにこと見つめてくる。背丈は徳永直と同じくらいだろうか。よく見ると髪に葉っぱのような形の髪留めをしている。
「えっ…と?きみ、名前は?」
心平が尋ねるも、少女は首をこてんと横に倒すだけで答えない。どこに住んでいるの?お父さんやお母さんは?と聞いても首を傾げるだけだった。
「どうしよう…」
このままここにいても埒が明かないし、図書館に連れて行って司書さんに報告するのがいいだろうかと心平が困り果てていると、
「あーーーーーっ!」
図書館の方から大きな声が飛んできた。
◆◇◆◇◆
最近、図書館に少女の幽霊が現れるらしい。
そんな噂を聞いた特務司書と助手の坂口安吾、転生したばかりの柳田國男と"少女"と聞いて名乗りを上げた田山花袋の四人は、真相を確かめるべく調査をすることになった。聞き込みによれば「背丈は南吉や賢治よりは大きい」「現れる時間や場所は様々」「悪さはしてこない」「すぐに姿を消してしまう」らしかった。
「消える美少女、その正体や如何に!どんな子なんだろうなぁ」
花袋はわくわくした様子で少女の幽霊とやらを探さんとしていた。
「あんた、美少女なら幽霊でもなんでもいいのかよ」
「放っておきなさい安吾。いつものことだから」
安吾が呆れて笑っている。司書はため息をついた。
「しかし、いつどこに現れるかわからんとなると、手分けして見まわるしかなさそうだが」
柳田が敷地内の地図を広げて思案する。
「それなら、俺が美少女を探すついでに館内を案内してやるよ。まだ慣れてないだろ?」
「それは助かる。あと美少女と決まったわけではない」
「夢ぐらい見てもいいだろ!」
司書は柳田と花袋のやり取りを「はいはい」とあしらい、地図を区分けしていく。
「それじゃあ、エントランスからこっち側は私と安吾で見まわるから、反対側は二人に頼めるかしら?ひと通り見まわったらエントランスで合流。その後、中庭に行きましょう」
「了解した」
「よーし!俺様に任せろ!」
「気合入ってんなぁ」
こうして、少女の幽霊捜索が始まった。
が、手分けして見まわるものの、いつどこに現れるかわからない以上、そう簡単に出会えるはずもなく。館内を隈なく見まわり、何の手がかりも見つからぬままエントランスで合流となった。
「さて、あとは外だな」
「なぁ、雨の中わざわざ行かなくてもいいんじゃないか?」
渋る花袋に安吾が言う。
「でも、こういうジメッとした空気って出てきそうじゃないか?幽霊」
「そうね、外でも目撃情報はあるし調査はすべきよ」
「決まりだな」
司書の同意に花袋も「わかったよ」と渋々と傘を手に重厚な図書館の扉を開けた。
じめじめした空気が肌にまとわりつく。雨は降り続いているが、遠くの空が明るくなってきているのが見えた。じきに雨はやむだろう。
「あれ?」
中庭に差し掛かると、花袋は中庭の先の木々の下に虹色の傘が動くのを見つけた。安吾が訝しむ。
「あの傘は心平か?あいつこの雨の中何やってるんだ?」
安吾が心平を呼ぼうとしたその時、
「あーーーーーっ!」
花袋が叫んだ。
「なんだ急に!」
驚いて花袋の方を見ると、花袋は口をパクパクさせて言った。
「美少女!今!あいつと一緒にいた!」
◆◇◆◇◆
大きな叫び声に心平は「うわあっ!」と声を出して振り向いた。その拍子に心平の手を掴んでいた少女の手が離れる。「あっ」と視線を戻すと、少女の姿は消えていた。
「えっあれっ?」
見まわしても誰もおらず、おろおろしていると花袋が駆け寄ってきた。
「お、お前!今美少女と一緒じゃなかったか!?」
「えっええ?」
肩を掴まれぐらぐらと揺さぶられて心平は「あわわわわわ」と目が回りそうになった。
「やめろ花袋!」
追いついた柳田が心平から花袋を引き剥がす。
「心平、大丈夫か?」
「うん…大丈夫…」
心配する安吾にふらふらしながら心平は答えた。
「えっと、みんないったいどうしたの?司書さんまで」
「ここ最近、女の子の幽霊が出るって噂があるものだから調べていたのよ。あなたこそ、こんなところで何をしていたの?」
「おいらはぎゃわずと散歩してたんだぁ。そしたら、女の子がここで蹲っていて…」
「そう!お前が美少女といるのが見えたんだよ!で、肝心の美少女はどこに行ったんだ!?」
花袋がものすごい形相で食いつく。
「それが…いなくなっちゃって」
「そんなぁ」
項垂れる花袋に心平は申し訳なさそうに「ごめんねぇ」と謝った。
「ところで心平」
心平と花袋のやり取りを苦笑しながら眺めていた安吾があることに気づいた。
「お前の足元にいるのは何だ?」
「え?」
その場にいる全員の視線が心平の足元にそそがれる。そこには、ふるふると震えて蹲る小さな生き物の姿があった。
「なんだこいつ?ぁいってぇ!」
小さな生き物は驚いた様子でキーッと鳴くと、掴んで持ち上げようとした花袋の手を引っ掻き、そのまま心平の足元に隠れてしまった。
「だめだよぉ、急に掴んだりしちゃ。驚かせてごめんね。大丈夫、こわくないよ。ほら、おいで。」
心平が優しく持ち上げてやる。
「こいつは…タヌキか?」
小さな生き物はタヌキだった。頭に一枚の葉っぱを乗せている。
「あれ、この葉っぱ…まさかとは思うけど、もしかして君、さっきの女の子?」
その問いに答えるように小さなタヌキがキューンと鳴くと、ポフンッと音を立てて先程まで心平と共にいた少女に姿を変え、心平の背に隠れた。
「ええぇぇ!?」
その場にいる全員が驚いた。花袋に至っては「美少女が…タヌキ…」と放心している。
「これは…化け狸ということになるのか?」
「幽霊よりすごいんじゃないのかこれは?」
柳田が好奇心で輝かせた目を向けてくる。安吾も興味津々だ。
「心平、あなた随分懐かれているみたいだけど、心当たりは?」
事の成り行きを見ていた司書が口を開いた。心平はうーんと頭をひねる。
「心当たりというか、柳田先生が転生してから民俗学の本にも潜書するようになったでしょ?この間、いろんな民話や言い伝えが書かれた本に潜書したんだけど、化け狸のお話もあったんだよね。でも本の中の生き物がこっちに出てくることなんてできないでしょ?」
「どうかしらね。元の概念があれば現実世界に剣でも服でも持ってくることができるのだから、本の中の化け狸という概念が何らかの影響を受けてこちらに来てしまった…ということもあり得るかもしれない」
「だとしたら興味深いな。ゲーテさんに協力を仰いで、」
「くしゅんっ」
心平達が話すのを見ていたタヌキの少女が小さなくしゃみをした。
「あっごめんね。司書さん、話は図書館に戻ってからでいい?この子、ずっと雨に濡れてたんだよ」
「そうね、早く身体を暖めてあげましょう」
気づけば雨も上がり、空も明るくなっていた。すぐそばでアヤメの花が雨露を弾きながら揺れている。
「さぁ、行こう?」
心平が差し出した手をとり、少女はにこりと笑った。
後日、司書が館長に掛け合い、なんやかんやあって少女は"見習い司書"という形で図書館で生活することになったのだが、それはまた別のお話。
ある雨の日、草野心平は中庭を散歩していた。どんよりと暗い空の下、虹色の傘を差して、相棒のぎゃわずと一緒にるんるんだ。そろそろ梅雨の時期になろうという季節、紫陽花が花開く頃をそろそろかと待ちわびている。
「雨の日もいいもんだよねぇ」
ふと、視界の隅で何かが動いた。
「今のなんだろう?ぎゃわず、いってみようか」
何かが動いた先に進んでみると、木々に隠れるようにその"何か"はいた。
「人…?」
子ども…よりは大きいが、少女がうずくまっている。傘も差さずに雨に濡れて、ふるふると震えているのがわかった。
「わわ、大丈夫?傘も差さないでどうしたの?そのままだと風邪ひいちゃうよ!」
"何か"が人だとわかった瞬間、心平は慌てて傘を少女が濡れないように差し出した。少女は黙って心平を見上げた。くりっとした大きな目が心平を映す。何も答えない少女を前に、迷子だろうか?と心平が困っていると、
「みつけた」
と小さな声を彼女は発した。
「え?」
少女は立ち上がると、傘を持つ心平の手を取り、にこにこと見つめてくる。背丈は徳永直と同じくらいだろうか。よく見ると髪に葉っぱのような形の髪留めをしている。
「えっ…と?きみ、名前は?」
心平が尋ねるも、少女は首をこてんと横に倒すだけで答えない。どこに住んでいるの?お父さんやお母さんは?と聞いても首を傾げるだけだった。
「どうしよう…」
このままここにいても埒が明かないし、図書館に連れて行って司書さんに報告するのがいいだろうかと心平が困り果てていると、
「あーーーーーっ!」
図書館の方から大きな声が飛んできた。
◆◇◆◇◆
最近、図書館に少女の幽霊が現れるらしい。
そんな噂を聞いた特務司書と助手の坂口安吾、転生したばかりの柳田國男と"少女"と聞いて名乗りを上げた田山花袋の四人は、真相を確かめるべく調査をすることになった。聞き込みによれば「背丈は南吉や賢治よりは大きい」「現れる時間や場所は様々」「悪さはしてこない」「すぐに姿を消してしまう」らしかった。
「消える美少女、その正体や如何に!どんな子なんだろうなぁ」
花袋はわくわくした様子で少女の幽霊とやらを探さんとしていた。
「あんた、美少女なら幽霊でもなんでもいいのかよ」
「放っておきなさい安吾。いつものことだから」
安吾が呆れて笑っている。司書はため息をついた。
「しかし、いつどこに現れるかわからんとなると、手分けして見まわるしかなさそうだが」
柳田が敷地内の地図を広げて思案する。
「それなら、俺が美少女を探すついでに館内を案内してやるよ。まだ慣れてないだろ?」
「それは助かる。あと美少女と決まったわけではない」
「夢ぐらい見てもいいだろ!」
司書は柳田と花袋のやり取りを「はいはい」とあしらい、地図を区分けしていく。
「それじゃあ、エントランスからこっち側は私と安吾で見まわるから、反対側は二人に頼めるかしら?ひと通り見まわったらエントランスで合流。その後、中庭に行きましょう」
「了解した」
「よーし!俺様に任せろ!」
「気合入ってんなぁ」
こうして、少女の幽霊捜索が始まった。
が、手分けして見まわるものの、いつどこに現れるかわからない以上、そう簡単に出会えるはずもなく。館内を隈なく見まわり、何の手がかりも見つからぬままエントランスで合流となった。
「さて、あとは外だな」
「なぁ、雨の中わざわざ行かなくてもいいんじゃないか?」
渋る花袋に安吾が言う。
「でも、こういうジメッとした空気って出てきそうじゃないか?幽霊」
「そうね、外でも目撃情報はあるし調査はすべきよ」
「決まりだな」
司書の同意に花袋も「わかったよ」と渋々と傘を手に重厚な図書館の扉を開けた。
じめじめした空気が肌にまとわりつく。雨は降り続いているが、遠くの空が明るくなってきているのが見えた。じきに雨はやむだろう。
「あれ?」
中庭に差し掛かると、花袋は中庭の先の木々の下に虹色の傘が動くのを見つけた。安吾が訝しむ。
「あの傘は心平か?あいつこの雨の中何やってるんだ?」
安吾が心平を呼ぼうとしたその時、
「あーーーーーっ!」
花袋が叫んだ。
「なんだ急に!」
驚いて花袋の方を見ると、花袋は口をパクパクさせて言った。
「美少女!今!あいつと一緒にいた!」
◆◇◆◇◆
大きな叫び声に心平は「うわあっ!」と声を出して振り向いた。その拍子に心平の手を掴んでいた少女の手が離れる。「あっ」と視線を戻すと、少女の姿は消えていた。
「えっあれっ?」
見まわしても誰もおらず、おろおろしていると花袋が駆け寄ってきた。
「お、お前!今美少女と一緒じゃなかったか!?」
「えっええ?」
肩を掴まれぐらぐらと揺さぶられて心平は「あわわわわわ」と目が回りそうになった。
「やめろ花袋!」
追いついた柳田が心平から花袋を引き剥がす。
「心平、大丈夫か?」
「うん…大丈夫…」
心配する安吾にふらふらしながら心平は答えた。
「えっと、みんないったいどうしたの?司書さんまで」
「ここ最近、女の子の幽霊が出るって噂があるものだから調べていたのよ。あなたこそ、こんなところで何をしていたの?」
「おいらはぎゃわずと散歩してたんだぁ。そしたら、女の子がここで蹲っていて…」
「そう!お前が美少女といるのが見えたんだよ!で、肝心の美少女はどこに行ったんだ!?」
花袋がものすごい形相で食いつく。
「それが…いなくなっちゃって」
「そんなぁ」
項垂れる花袋に心平は申し訳なさそうに「ごめんねぇ」と謝った。
「ところで心平」
心平と花袋のやり取りを苦笑しながら眺めていた安吾があることに気づいた。
「お前の足元にいるのは何だ?」
「え?」
その場にいる全員の視線が心平の足元にそそがれる。そこには、ふるふると震えて蹲る小さな生き物の姿があった。
「なんだこいつ?ぁいってぇ!」
小さな生き物は驚いた様子でキーッと鳴くと、掴んで持ち上げようとした花袋の手を引っ掻き、そのまま心平の足元に隠れてしまった。
「だめだよぉ、急に掴んだりしちゃ。驚かせてごめんね。大丈夫、こわくないよ。ほら、おいで。」
心平が優しく持ち上げてやる。
「こいつは…タヌキか?」
小さな生き物はタヌキだった。頭に一枚の葉っぱを乗せている。
「あれ、この葉っぱ…まさかとは思うけど、もしかして君、さっきの女の子?」
その問いに答えるように小さなタヌキがキューンと鳴くと、ポフンッと音を立てて先程まで心平と共にいた少女に姿を変え、心平の背に隠れた。
「ええぇぇ!?」
その場にいる全員が驚いた。花袋に至っては「美少女が…タヌキ…」と放心している。
「これは…化け狸ということになるのか?」
「幽霊よりすごいんじゃないのかこれは?」
柳田が好奇心で輝かせた目を向けてくる。安吾も興味津々だ。
「心平、あなた随分懐かれているみたいだけど、心当たりは?」
事の成り行きを見ていた司書が口を開いた。心平はうーんと頭をひねる。
「心当たりというか、柳田先生が転生してから民俗学の本にも潜書するようになったでしょ?この間、いろんな民話や言い伝えが書かれた本に潜書したんだけど、化け狸のお話もあったんだよね。でも本の中の生き物がこっちに出てくることなんてできないでしょ?」
「どうかしらね。元の概念があれば現実世界に剣でも服でも持ってくることができるのだから、本の中の化け狸という概念が何らかの影響を受けてこちらに来てしまった…ということもあり得るかもしれない」
「だとしたら興味深いな。ゲーテさんに協力を仰いで、」
「くしゅんっ」
心平達が話すのを見ていたタヌキの少女が小さなくしゃみをした。
「あっごめんね。司書さん、話は図書館に戻ってからでいい?この子、ずっと雨に濡れてたんだよ」
「そうね、早く身体を暖めてあげましょう」
気づけば雨も上がり、空も明るくなっていた。すぐそばでアヤメの花が雨露を弾きながら揺れている。
「さぁ、行こう?」
心平が差し出した手をとり、少女はにこりと笑った。
後日、司書が館長に掛け合い、なんやかんやあって少女は"見習い司書"という形で図書館で生活することになったのだが、それはまた別のお話。
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