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文司書SS

 朝というにはもう遅い時間。人もまばらな食堂の片隅に芥川龍之介は座っていた。
 手には可愛らしい装飾が施された押し花の栞が一枚。それをじっと眺めながら、芥川は昨晩のことを思い出していた。


 食堂で夕食を終え、数冊の本を手に芥川は談話室で寛いでいた。どれくらい時間が経っただろうか。耳元で「芥川先生!」と大きめの声で名前を呼ばれてそこで初めて芥川は顔を上げた。
「あれ、司書さん?どうしたの?」
「もうすぐ消灯時間ですよ。ここ閉めますから、続きは自室でお願いしますね」
「え、もうそんな時間?」
 談話室や食堂など共有スペースについては申請がない限り、消灯時間に合わせて全て施錠することになっている。芥川は周りを見渡したが、既に自分以外誰もいなかった。今日の談話室には何人かいたはずだが、本の内容に没頭するあまり、いつの間にか自分以外が退室してしまったことにも気がつかなかったようだ。本を閉じて芥川は立ち上がった。
 談話室を出て鍵を閉め、明日の予定だのなんだのと軽く話をしながら二人並んで廊下を歩く。別れ際、司書が思い出したように一枚の栞を芥川に差し出した。
「僕に?」
「今日、図書館の子ども向けの教室で一緒に作ったんです。日頃のお礼の気持ちです。よかったら使ってください」
「綺麗な栞だね。ありがとう。さっそく使わせてもらうよ」
 芥川が嬉しそうに笑うと、司書も顔を綻ばせた。そしてどちらからともなく「おやすみなさい」と挨拶を交わして互いの自室へと戻ったのである。


 そして今に至る。

 教室で一緒に作ったと言っていたのだから、この栞は彼女の手作りなのだろう。よく見ると細かな装飾も色紙を切り貼りしたもので、少しずれていたりしているところがまた可愛らしい。一生懸命にこの栞を作っている司書の姿を想像して、ふふ、と声が漏れる。
「何をにやついているんだ、龍?」
「寛」
 緩んだ顔を見られてしまったらしい。「ここ、いいか?」と一言断りを入れて菊池寛が芥川の向かいに座り煙草に火をつける。
「恥ずかしいところを見られちゃったな」
「お前のそんなに緩んだ顔は珍しいな。何かいいことでもあったのか?」
「いいことっていうか、司書さんから栞を貰ってね。可愛いなと思って」
 そう言って芥川は栞を菊池に渡す。
「昨日の教室で作ったってやつか」
「日頃のお礼に、だって」
「へぇ、よかったじゃないか」
 菊池はまじまじと栞を見ながら「凝ってるな」と感嘆の声を上げている。その様子に芥川はきょとんとした。
「あれ?寛も貰ったでしょ?助手なんだし」
 基本的にこの図書館の助手は菊池が務めている。「日頃のお礼に」と司書が言っていたくらいだから、毎日執務を手伝っている菊池なら同じように貰っているものと思っていたのだが。
「俺も貰いはしたが、司書じゃなくて新美からだよ」
 菊池は胸ポケットから栞を取り出して芥川に見せた。新美から貰ったというそれは、芥川が司書から貰ったものとは違い細かな装飾はなく、押し花を乗せた用紙の四隅を飾り切りしただけのシンプルなものだった。
 菊池によれば、昨日の教室には司書の他に宮沢と新美、伊藤、北村の四人も参加したのだという。せっかく作るのだからと、手分けして多めに作り、図書館に所属する文豪や館長たちに配り歩いているらしかった。
「で、司書は張り切りすぎて時間内に一枚しか作れなかったんだそうだ」
「えっ」
「そりゃ、これだけ凝ったもん作ろうとしたら一枚しかできないよなぁ」
 菊池が苦笑しながら司書が作った栞を芥川に返した。受け取った芥川は何とも言えない表情をしている。
「なんだ龍。さっきまであんな緩んだ顔をしていたのに。もっと喜んだっていいんじゃないか」
「嬉しいよ。嬉しいけど、でも司書さんが作った、たった一枚の栞なんだって思ったら、その……」
 芥川は手で顔を覆う。
「自惚れてもいいのかな……って」
 隠しきれていないその顔は耳まで真っ赤に染まっていた。


◇◆◇◆◇


「それは自分で本人に聞いてくれよ。俺は手伝ってやらないからな」
 そう言って食堂を出た菊池は司書室に向かった。休憩で寄った食堂で思いもよらぬ収穫ができた。常日頃から芥川といることが多い菊池は、彼が司書を好いていることには気づいていた。ただ本人にその自覚がなかっただけで。が、これで確定したわけだ。さて、次はこれをどう司書に伝えようか。

「き、菊池先生!どどどうでしたか…!」
「うおっ」
 司書室の扉を開けると、司書が顔を真っ赤にして菊池に詰め寄った。
「落ち着けって」
「そ、そうですね……すみません」
 司書の様子に菊池が笑う。呼吸を整えて、司書は改めて菊池に尋ねた。
「それで、芥川先生の様子は?」
「アンタの作った栞を大事そうに眺めてたぜ。まあ、まずまずってところじゃないか?」
「そ、そうですか……」
 菊池の返答を聞いて、司書はホッと胸をなでおろした。
 渡すときも手が震えたらどうしようとか、受け取ってもらえなかったらどうしようとか、普通を装いつつも本当は心臓が飛び出るくらい緊張したのだ。
 太宰のように猛アタックをする度胸を持ち合わせていない司書は、子ども教室で栞を作ってみんなに配ろうという宮沢たちの提案に、いい機会だからと芥川のための栞を作ったのだった。
「あいつがどう思っているかはわからんが、アンタの龍のために作ったって気持ちはちゃんと伝わってると思うぜ」
 司書が芥川に恋をしていることを菊池は知っている。司書からの相談にも乗ってやり、純粋に彼女の恋を応援している。安心した様子の司書に優しく声を掛けてやるが、ただし、肝心の芥川が顔を真っ赤にさせて動揺している様子は伝えてはやらない。それを伝えてしまったら面白くない。
 芥川はどんな行動に出るだろうか。おそらく互いの気持ちが通じ合うまでそう遠くはないだろう。それまでこの状況を楽しんでやろうと菊池は決めたのだった。

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