日々の章
「司書殿、忘れ物はないか?」
「これとこれと、お財布も持って、はい、問題ないです」
「では、行くとする…」
「今日はお出かけですかぁ?」
師走も下旬に差しかかったある日のこと。司書と助手の鴎外が外出の支度をしていると、可愛らしい声が掛けられた。声がした方を見ると司書室の扉から南吉が顔をぴょこんと出している。
「ぼくも一緒に行ってもいい?賢ちゃんもみめーも潜書のお当番なんだ」
「いいですよ。ね、森先生?」
「構わんだろう。待っているから、着替えてきなさい」
南吉のお願いに是と答えると彼は喜んで自室へと走っていった。
その後外出の装いで戻ってきた南吉と合流し、三人は街へと繰り出した。
街の中はクリスマスが間近ということもあって賑やかだ。どの店も赤や緑のクリスマスカラーに包まれた雑貨が並んでいる。街路樹に取り付けられた小さな電球たちは、夜には綺麗なイルミネーションに変わるのだろう。
三人はまず小さなおもちゃ屋に入った。図書館で開催されるクリスマスイベントに参加する子どもたちへのおもちゃや人形をいくつか見繕う。次に雑貨店へ。女性向けと思われるお洒落な店構えに戸惑いを覚え、入口の前で鴎外は足を止めた。
「入りにくいな…」
「私たちも一緒ですから大丈夫ですよ。永井先生と谷崎先生にお願いされたものを受け取るだけですし」
司書に促され渋々ながら入店すると、甘ったるい匂いと「いらっしゃいませ~」という女性店員の声に出迎えられた。商品リストを渡すと、店員は店の奥に消えていく。司書が商品を受け取るまでの間、鴎外と南吉は陳列されている商品を眺めて待つことにした。どうやらここは、香水やアロマといった香りの専門店のようだった。
「美味しそうな匂いがする~」
そう言って南吉が手に取ったものは練り香水だった。
「それはオレンジの香りのようだな」
南吉が美味しそうと言った通り、果物の香りのものがいくつか並んでいる。その中に椿の練り香水を見つけ、鴎外は手に取ってみた。小ぶりのもので、蓋には赤い椿の花の絵が可愛らしくあしらわれている。
「何かお探しですか?」
太い声に驚いて顔を上げると、横に男性が立っていた。女性ばかりと思っていたが男性店員もいたようだ。
「そちらの椿の練り香水は、匂いもきつくないので香水が苦手な方にもおすすめですよ」
椿の花言葉は気取らない優美さだったか。こういったものを使う姿を見たことがない司書にも似合いそうだな…などと考えていると、男性店員が何やら察した様子で「奥様に贈り物ですか?」とにこにこしながら言ってきた。
「おく…っ!?」
鴎外は"奥様"という言葉に変な声が出そうになるのを飲みこむ。彼は、鴎外が南吉と共にいるのを見て親子だと思ったようだ。
「いや、そういうわけでは…」
「ママにプレゼントするんだよねぇ、パッパ?」
「んん゛っ!?」
そういうわけではない、と断ろうとした鴎外を遮って南吉がとんでもないことを言い出し、さすがの鴎外も呻き声を上げる。南吉は鴎外の反応を楽しんでいるようだ。
「ふふ、きっと奥様も喜びますね。只今クリスマスキャンペーンを行っておりまして。こちらのハンカチもお付けしますよ」
狼狽える鴎外を余所にあれよあれよと店員は話を進めていき、促されるまま可愛くラッピングされた商品を鴎外は買っていた。流れのまま買ってしまったがどうしたものか…と頭を抱えたまま鴎外は司書の方を見る。永井たちに頼まれた商品をようやく受け取った彼女は、会計を済ませたところのようだった。それを見て、南吉が小走りで司書に抱きつく。
「ママ~!パッパがママにプレゼントだって!」
南吉に抱きつかれながら言われた言葉に司書が固まる。
「はいっ!?」
ママ?パッパ?えっえっ?と司書は南吉と鴎外の顔を交互に見て目を白黒させている。あら~と微笑ましい光景を見守る店員たちの前で、夫婦ではない、などと言えるはずもなく、鴎外は腹を括ることにした。
「そういうことだ。その…少し早いが。貴女にこれを」
そう言って、先程購入した椿の練り香水とハンカチのセットを司書に渡す。
「へぁ?あ、えと、あの、あ、ありがとうございます」
司書は恥ずかしいのか、鴎外から受け取るとそのまま商品で顔を隠してしまった。それほど大きくはないそれに隠しきれない顔が赤く染まっている。その様子につられて鴎外も恥ずかしくなってきてしまい、コホンと軽く咳払いをした。
「必要なものは買えたのか?」
「あ、はい。買えました」
「では、先を急ごう」
この甘い店から早く出たい。「またのお越しをお待ちしております~」という店員たちの声を後に鴎外と司書は足早に店を出た。店から離れたところで二人は立ち止まり、司書は深いため息をついてしゃがみこむ。
「びっくりした…」
「新美君、あれはさすがに心臓に悪いぞ…」
「でも満更でもなかったでしょ?パッパ?」
二人の後をついてきた南吉が悪戯っ子の笑顔でからかってくる。
「こら。すまない司書殿。店員が俺たちを親子だと思ったらしくてな。訂正する間もなかった」
南吉を窘め鴎外は司書に謝った。伸ばされた鴎外の手を取って司書が立ち上がる。
「いいえ、いいんです。驚きましたけど、その、プレゼント、嬉しかったです」
えへへ、と笑う司書に「そうか」とだけ鴎外は返した。
その後いくつかの店舗を巡り、ひと通り買い終えた頃にはもう日が沈みかけていた。
「これで終わりだな」
「はい。何度か夫婦や親子に見られましたけど、おかげで割り引いてもらえましたし、予算的には助かりましたね」
「ぼくのおかげだね!」
「ふふ、そうですね。南吉さんのおかげです」
「演じるのもすっかり慣れてしまったな」
鴎外が苦笑する。クリスマスシーズンのせいかカップルや親子向けのサービスを行っている店もあり、そのうち鴎外も司書も夫婦を演じることに抵抗がなくなってしまっていた。
「肌寒くなってきましたし、早く帰りましょう」
司書がそう言ったそばで、くしゅんっと南吉が小さなくしゃみをした。司書は自分のマフラーを外し南吉の首に巻いてやる。
「暖かくして風邪をひかないようにしてくださいね」
それを見た鴎外は、自らもマフラーを外して司書の首に掛けてやった。
「それでは貴女が冷えてしまうだろう」
マフラーを結びながら鴎外は眉間に皺を寄せる。
「先生こそそれじゃあ風邪をひきますよ?」
「俺のことは心配いらん」
「じゃあ僕が森先生のおててを暖めてあげるね」
そう言うと、南吉が手袋をした手で鴎外と手を繋ぐ。
「なんだか本当に親子みたいですね、私たち」
くすくすと司書が笑った。つられて南吉と鴎外も笑いあう。
「こっちのおててはママと繋ぎたいな」
「はい、どうぞ」
差し出された南吉の手を司書が握る。
「ではママ、図書館に戻ろうか」
「そうですね、パッパ」
「パッパとママは仲良しさんですねぇ」
三人並んで歩き出す。
図書館に着くまで、もう少しだけ親子のままで。
◇◆◇◆◇◆◇
「ということがあったんですよ」
お茶を飲みながら、司書が先日の出来事を夏目と正岡に話す。
「惚気かな?」
「惚気ですねぇ」
「惚気でもなんでもないですよ?私たちそういう関係じゃないですし」
きょとんとして否定する司書に、もうお腹いっぱいだという顔の二人は頭を抱えた。
「そうなんだよなー!付き合ってもいないし告白すらまだなんだよなー!」
正岡が天井を仰ぐ。
「お錫さん、森さんのこと好きなんですよね?」
「それは…まあ、そう、ですけど。プレゼントも嬉しかったし」
"お錫さん"と呼ばれた司書は頬を赤らめる。
「我々はあなたを応援しています。だから早くくっついてくださいね」
無理にとは言いませんが。と夏目がにこにこしながら笑っていない目で司書に迫った。
「うっ…」
司書は言葉に詰まる。か細い声で「善処します」という声が聞こえてきた。
今の関係が居心地がいいのだろうが、誰が見ても通じ合ってるようにしか見えない二人にやきもきするこちらの身にもなってほしいと思わずにはいられない夏目と正岡なのであった。
「これとこれと、お財布も持って、はい、問題ないです」
「では、行くとする…」
「今日はお出かけですかぁ?」
師走も下旬に差しかかったある日のこと。司書と助手の鴎外が外出の支度をしていると、可愛らしい声が掛けられた。声がした方を見ると司書室の扉から南吉が顔をぴょこんと出している。
「ぼくも一緒に行ってもいい?賢ちゃんもみめーも潜書のお当番なんだ」
「いいですよ。ね、森先生?」
「構わんだろう。待っているから、着替えてきなさい」
南吉のお願いに是と答えると彼は喜んで自室へと走っていった。
その後外出の装いで戻ってきた南吉と合流し、三人は街へと繰り出した。
街の中はクリスマスが間近ということもあって賑やかだ。どの店も赤や緑のクリスマスカラーに包まれた雑貨が並んでいる。街路樹に取り付けられた小さな電球たちは、夜には綺麗なイルミネーションに変わるのだろう。
三人はまず小さなおもちゃ屋に入った。図書館で開催されるクリスマスイベントに参加する子どもたちへのおもちゃや人形をいくつか見繕う。次に雑貨店へ。女性向けと思われるお洒落な店構えに戸惑いを覚え、入口の前で鴎外は足を止めた。
「入りにくいな…」
「私たちも一緒ですから大丈夫ですよ。永井先生と谷崎先生にお願いされたものを受け取るだけですし」
司書に促され渋々ながら入店すると、甘ったるい匂いと「いらっしゃいませ~」という女性店員の声に出迎えられた。商品リストを渡すと、店員は店の奥に消えていく。司書が商品を受け取るまでの間、鴎外と南吉は陳列されている商品を眺めて待つことにした。どうやらここは、香水やアロマといった香りの専門店のようだった。
「美味しそうな匂いがする~」
そう言って南吉が手に取ったものは練り香水だった。
「それはオレンジの香りのようだな」
南吉が美味しそうと言った通り、果物の香りのものがいくつか並んでいる。その中に椿の練り香水を見つけ、鴎外は手に取ってみた。小ぶりのもので、蓋には赤い椿の花の絵が可愛らしくあしらわれている。
「何かお探しですか?」
太い声に驚いて顔を上げると、横に男性が立っていた。女性ばかりと思っていたが男性店員もいたようだ。
「そちらの椿の練り香水は、匂いもきつくないので香水が苦手な方にもおすすめですよ」
椿の花言葉は気取らない優美さだったか。こういったものを使う姿を見たことがない司書にも似合いそうだな…などと考えていると、男性店員が何やら察した様子で「奥様に贈り物ですか?」とにこにこしながら言ってきた。
「おく…っ!?」
鴎外は"奥様"という言葉に変な声が出そうになるのを飲みこむ。彼は、鴎外が南吉と共にいるのを見て親子だと思ったようだ。
「いや、そういうわけでは…」
「ママにプレゼントするんだよねぇ、パッパ?」
「んん゛っ!?」
そういうわけではない、と断ろうとした鴎外を遮って南吉がとんでもないことを言い出し、さすがの鴎外も呻き声を上げる。南吉は鴎外の反応を楽しんでいるようだ。
「ふふ、きっと奥様も喜びますね。只今クリスマスキャンペーンを行っておりまして。こちらのハンカチもお付けしますよ」
狼狽える鴎外を余所にあれよあれよと店員は話を進めていき、促されるまま可愛くラッピングされた商品を鴎外は買っていた。流れのまま買ってしまったがどうしたものか…と頭を抱えたまま鴎外は司書の方を見る。永井たちに頼まれた商品をようやく受け取った彼女は、会計を済ませたところのようだった。それを見て、南吉が小走りで司書に抱きつく。
「ママ~!パッパがママにプレゼントだって!」
南吉に抱きつかれながら言われた言葉に司書が固まる。
「はいっ!?」
ママ?パッパ?えっえっ?と司書は南吉と鴎外の顔を交互に見て目を白黒させている。あら~と微笑ましい光景を見守る店員たちの前で、夫婦ではない、などと言えるはずもなく、鴎外は腹を括ることにした。
「そういうことだ。その…少し早いが。貴女にこれを」
そう言って、先程購入した椿の練り香水とハンカチのセットを司書に渡す。
「へぁ?あ、えと、あの、あ、ありがとうございます」
司書は恥ずかしいのか、鴎外から受け取るとそのまま商品で顔を隠してしまった。それほど大きくはないそれに隠しきれない顔が赤く染まっている。その様子につられて鴎外も恥ずかしくなってきてしまい、コホンと軽く咳払いをした。
「必要なものは買えたのか?」
「あ、はい。買えました」
「では、先を急ごう」
この甘い店から早く出たい。「またのお越しをお待ちしております~」という店員たちの声を後に鴎外と司書は足早に店を出た。店から離れたところで二人は立ち止まり、司書は深いため息をついてしゃがみこむ。
「びっくりした…」
「新美君、あれはさすがに心臓に悪いぞ…」
「でも満更でもなかったでしょ?パッパ?」
二人の後をついてきた南吉が悪戯っ子の笑顔でからかってくる。
「こら。すまない司書殿。店員が俺たちを親子だと思ったらしくてな。訂正する間もなかった」
南吉を窘め鴎外は司書に謝った。伸ばされた鴎外の手を取って司書が立ち上がる。
「いいえ、いいんです。驚きましたけど、その、プレゼント、嬉しかったです」
えへへ、と笑う司書に「そうか」とだけ鴎外は返した。
その後いくつかの店舗を巡り、ひと通り買い終えた頃にはもう日が沈みかけていた。
「これで終わりだな」
「はい。何度か夫婦や親子に見られましたけど、おかげで割り引いてもらえましたし、予算的には助かりましたね」
「ぼくのおかげだね!」
「ふふ、そうですね。南吉さんのおかげです」
「演じるのもすっかり慣れてしまったな」
鴎外が苦笑する。クリスマスシーズンのせいかカップルや親子向けのサービスを行っている店もあり、そのうち鴎外も司書も夫婦を演じることに抵抗がなくなってしまっていた。
「肌寒くなってきましたし、早く帰りましょう」
司書がそう言ったそばで、くしゅんっと南吉が小さなくしゃみをした。司書は自分のマフラーを外し南吉の首に巻いてやる。
「暖かくして風邪をひかないようにしてくださいね」
それを見た鴎外は、自らもマフラーを外して司書の首に掛けてやった。
「それでは貴女が冷えてしまうだろう」
マフラーを結びながら鴎外は眉間に皺を寄せる。
「先生こそそれじゃあ風邪をひきますよ?」
「俺のことは心配いらん」
「じゃあ僕が森先生のおててを暖めてあげるね」
そう言うと、南吉が手袋をした手で鴎外と手を繋ぐ。
「なんだか本当に親子みたいですね、私たち」
くすくすと司書が笑った。つられて南吉と鴎外も笑いあう。
「こっちのおててはママと繋ぎたいな」
「はい、どうぞ」
差し出された南吉の手を司書が握る。
「ではママ、図書館に戻ろうか」
「そうですね、パッパ」
「パッパとママは仲良しさんですねぇ」
三人並んで歩き出す。
図書館に着くまで、もう少しだけ親子のままで。
◇◆◇◆◇◆◇
「ということがあったんですよ」
お茶を飲みながら、司書が先日の出来事を夏目と正岡に話す。
「惚気かな?」
「惚気ですねぇ」
「惚気でもなんでもないですよ?私たちそういう関係じゃないですし」
きょとんとして否定する司書に、もうお腹いっぱいだという顔の二人は頭を抱えた。
「そうなんだよなー!付き合ってもいないし告白すらまだなんだよなー!」
正岡が天井を仰ぐ。
「お錫さん、森さんのこと好きなんですよね?」
「それは…まあ、そう、ですけど。プレゼントも嬉しかったし」
"お錫さん"と呼ばれた司書は頬を赤らめる。
「我々はあなたを応援しています。だから早くくっついてくださいね」
無理にとは言いませんが。と夏目がにこにこしながら笑っていない目で司書に迫った。
「うっ…」
司書は言葉に詰まる。か細い声で「善処します」という声が聞こえてきた。
今の関係が居心地がいいのだろうが、誰が見ても通じ合ってるようにしか見えない二人にやきもきするこちらの身にもなってほしいと思わずにはいられない夏目と正岡なのであった。