短編 落乱
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【内緒話】錫高野与四郎
くの一教室の同級生、卯子と共に数名の下級生たちを率いて、最近街で話題になっている甘味処へ行った。
忍術学園への帰り道。女子トークに花を咲かせながら裏山を歩いていると、卯子が何かに気がついたのか歩みを止めて下級生たちを地面に伏せさせる。私も咄嗟にそれに習ってしゃがみ込み、辺りを見渡した。
数メートル離れた場所で若い男がキョロキョロと忙しなく顔を動かしている。
男の齢は六年生と同じくらいだろうか。私とあまり離れていないように見える。顔はどこかで見たようなつり目に太い眉。ボサボサの髪の毛は後ろで結われていた。
こんな道もない山奥でいったい何をしているのだろうか。
山伏の格好をしているが、この先には忍術学園があるのみで山を越えても近くの霊山には到底すぐには着きそうもない。男の様子を観察し、2人で訝しむ。
「一応、何の目的でこんな所にいるのか確かめておこうか」
「純粋に道に迷ってるんだったら可哀想だしね…」
下級生たちを卯子と共に学園に帰らせて、私はまるでここまで1人で歩いて来たようなふりをして男に声を掛けることにした。
「お兄さん、こんなところで何してるんですか?」
「え!?あ、ぃやあ…道さ迷っちまってぇ…」
「私はこの山によく来るんですけど、人と会うなんて滅多にないので驚きました」
「近道さあんかなーと思ったんで、こん山へえったんだーよ。んでも道無くなっちまったもんだかーさ」
にこやかに声をかけると、男は一瞬ひどく驚いたようだった。だが、その後余りにも早く冷静になって返してきたのはどうにも怪しい。
ここらではあまり聞かない訛りに、音響忍である可能性を少し警戒しつつ、何故こんな所にいるのかを尋ねてみる。
男は親戚の家を訪ねるところだったらしい。
別の用事の帰りであったため、いつもと反対方向から来た男は「この山を抜ければ近道になるかも」と山に入ったはいいが、ついに迷ってしまったそうだ。
男の行動自体に特に怪しいものはないし、これ以上事情に踏み込んで戦わなければならなくなっては、くのたまの私では確実に不利だ。
自分の実力を鑑みて、忍術学園に近づかないように誘導できればいいか…と、山の麓まで男を案内する事にした。
「助かったぁ、ありがとうな」
「いいえ、お気をつけて」
呑気にそう言った男は、のんびりと田舎道を歩いていった。
それに笑顔で手を振り、来た道を戻る。
とりあえず一件落着。彼が本当に道に迷ってただけなら安心なんだけど…。
今日は日が暮れる前に帰るつもりだったから薄着で出てきてしまったが、この格好に夜風は応えるだろう。任務でもないのだから、夜が来る前には学園に帰りたいと学園への道を急いだ。
男に遭遇したことで、学園に帰る時間が思ったより遅くなってしまった。卯子にあの後大事なかったか確認され、一部始終を話す。
「じゃ、下級生たちにも無事を伝えてあげなきゃねー」
のんびりと返す卯子。彼女たちも問題なく帰れたようでよかった。
きっと彼の言い分通り、ただ道に迷っていただけだったのだろうなどと話しながら、制服に着替えて食堂へ向かう。
「こんばんはー!おばちゃーん、B定食くださーい」
今日のB定食には付け合わせとしてカマボコが追加されているらしい。『相模国』と献立に特別書いてあったから、特産品か何かなのか。
1人こっそりとわくわくしていると、背後から聞き覚えのある声がした。
「あれ、さっきのお嬢さん?忍術学園の方だったんですか。制服じゃなかったから気づかなかったなぁ」
振り返ると、そこには先ほど見送ったはずの変な訛りの男が平然と食堂のご飯を食べていた。
ぽかんと口を開ける。
「ああっ!さっきの怪しい男!!!」
卯子に至っては、失礼な言葉と共に男を指差していた。まあ落ち着きなさいよ。
「だったら素直に学園まで案内してもらえば良かったよ」
昼間のテンションと同じようにのんびりと告げる彼の言葉は、全く訛っていない。不自然なほどに丁寧だった。
やはりわざと方言を話して油断させるつもりだったのか、と私たちの少しピリッとした空気に男は気づく様子もなかった。
そこへ「はにゃあ〜?」という気の抜ける声が割り込んでくる。男の向かい側に座る一年は組、用具委員会の山村喜三太だった。
「与四郎先輩、名前ちゃんとお知り合いだったんですかぁ?」
すると男は、昼間の比ではない訛り方で喜三太と和やかな会話をし始めた。
「ふんふん、そうだったんですかー」
喜三太は合点がいったのか相槌を打っているが、何を言っているのか全く分からない。私たちは完全に置いてけぼりである。
「名前ちゃーん!B定食、ここに置いとくわねー!」
後ろのカウンターからおばちゃんの声がかかり、我に帰って定食を受け取る。
忙しい夕食時の食堂の入り口で、モタモタしている訳にはいかない。空いてる席を探そうと辺りを見渡すと「オラの隣空いてっからよ、ここ座んな」男が笑顔で席を叩いた。
膳を持った卯子と目を合わせると、彼女は黙って喜三太の隣に座る。私は一呼吸置いてからその向かい側、男の隣に腰掛けた。
「改めまして!こちら、僕が相模国で通っていた風魔流忍術学校の六年生、錫高野与四郎先輩です!」
「よろしくぅ」
「そしてこちらが、くの一教室上級生の名前ちゃんと卯子ちゃん!」
爽やかな笑顔を向けて箸を持った手を軽く上げる与四郎に、やっぱり訛らずとも話せるんじゃないか…と肩の力が抜けた。
聞くと与四郎は喜三太のいる忍術学園を目指して近道をしようと山道に入り、慣れない道で迷っていたところに私が声をかけたらしい。
与四郎がした話は忍者であることを誤魔化してはいたが、まるっきり嘘という訳ではなかったようだ。
行き先が忍術学園だと知られる訳にもいかず、こんな道のない山の中で若い女、しかも息も切らしていない女に声をかけられたので、ある程度警戒してわざと軽く訛った言葉で話したのだという。
警戒していたのはお互い様だったようだ。
結局警戒する必要はなかった訳だが、なるほど確かに私の言動も十分に怪しかったかも…今後はこういう事のないように気をつけなければ。
*
午後の授業が終わったので、忍たまと共用の中庭の木陰に座り込み、図書室で借りた本を読んでいた。
近づいてきた足音が目の前で立ち止まったので、本から目をあげる。
「ぃよぉ、名前。元気かー?」
「あら、久しぶり」
「こっちゃ暑過ぎんべ。風魔の郷はもうちょっぴし涼しぃよ?山に囲まれてんのはおんなじなんにさ、何がちげぇんだか」
「ま、ここは風魔と違って海が遠くて、山しかないからね。瀬戸内の海も行けないことはないけど。私は暑いの得意じゃないから、そっちが羨ましい」
与四郎は特に断りもなく、私の隣に座りこんだ。
あの出会い以降、与四郎は忍術学園に来るたび私に話しかけてくる。
「なんかあった?」
「とーくに大っきな事件はねえよ」
私の読んでいた本の表紙を覗き込みながら、与四郎は答える。私もその目線につられてタイトルを確認した。
兵法書を噛み砕いて分かりやすくしただけの本。知識として身につけておきたいことがまとまっていて面白いが、少々退屈だった。
街で流行りのティーン雑誌か料理の本でも読んでいる方がよほど楽しい。
与四郎も特に興味を持たなかったらしく目線を外したので、私もその本を閉じる。
「あー!そーぃやここさぐる途中、駿河あたりだったかね?山賊がいっぺえ出てな…」
そう言った与四郎に、富士山が噴火したとかしないとかの噂を耳にしたのを思い出す。
「富士の山がお怒りで不作らしいから、それでかな」
「あぁ、その影響もあんべか?ちょっぴし前に小っさいが城が落ちたっけね、そんで出た浪人かと思ってさ」
「へぇ、知らなかった」
「てぇして周りに影響力ねえ城だったかんな。用心棒の仕事無くしちまった浪人たちが、市から溢れでもしたんじゃねぇかと。帰りに調べにゃなんねえなって山野先生が」
「どこも大変だ。真相わかったら教えて」と相槌を打つ。
確かに富士山が実際に噴火していればもっと沢山の人がこちらに流れて来ているはずだ。与四郎の言った城が一つなくなったという方が納得がいく。忍術学園周辺に大きな影響は無いかもしれないが、少し調べてみてもいいかもしれない。
与四郎は「こっちゃ、どうなんけ?」と西の状況も教えるよう催促してきた。
「こっちは…そうね、最近堺で炭の値段が高騰してる」
「通りすがった大和は呑気なもんだったべ、気ぃつかなかったなぁ。堺ってこたぁ、播磨か紀伊の方で戦け?」
「たぶん播磨の方。堺の商人が紀伊の炭を買い占めて強気に出てるだけみたいだけど…」
木陰に午後の涼しい風がながれた。
「こん木陰は、他よりよっぽど涼しいなぁ。こーりゃいいや、ひと眠りでもすんべー」
与四郎は大きなあくびを一つすると、胡座をかいていた足を伸ばして寝転んだ。
「あ。あとこれ土産ねー」と与四郎が懐から取り出した小さな袋。
それを受け取って中身を見ると、砂糖菓子だった。
互いが知りたい情報をそれぞれが知っている。私はそこまで積極的に情報収集をしている訳ではないとは言え、住んでいる場所が違うとこんなにも情報に遅れが出るものか。
彼のように私も西と東を行ったり来たり出来たら良いのに。
きっといろんな情報を手に入れることができて、仕事もやりやすくなるに違いない。
こうやって一通り東西の情報の交換した後は、のんびりそれぞれの時間を過ごす。
不定期ではあったが、与四郎が忍術学園を訪れる時が実は私の楽しみの一つだ。
高いびきで寝始めた与四郎を横目で見て、私は砂糖菓子を一つ口に放り込んで読書を再開する。
甘い。これはちゃんとお茶を立てて、お茶菓子とした方が良さそうだ。今度のくの一教室のお茶会の授業の時にでもみんなでいただこう。
そのまま日が暮れて山野先生が与四郎を探しに来るまで、私たちは未だ暑い学園の午後を申し訳程度に涼しい木陰で共に過ごした。
*
「おぅ、名前!しばらくぶりやんな、元気しとった?」
「おっす、与四郎。いさしかぶりー」
「お?その発音うまいじゃないか」
「そっちもね。だいぶ自然体になってきた」
どちらともなく与四郎は関西弁を、私は相模弁を、互いの話す言葉を真似するようになっていた。
方言を話せるというのは忍者を目指す私たちにとって非常に有利なことだ。
互いの言葉を教えあって、最近では2人とも日常会話を違和感なく熟せるくらいには流暢に話せるようになっている。
互いの話し方を真似るものだから、与四郎は女言葉を、私は男言葉を無自覚に話している時もあり、たまに周囲から笑われることもあったが。
最近では2人で会話をする時は、意味もなくこの方法で話している。
「ぎょうさん走ったで腹減ったわ。まだランチ間に合うかな」
「食堂のおばちゃんは優しいけ、閉めてても何かしら作ってくれんべぇ」
「ほんなら早ぅ行きまひょ」
頭の後ろで手を組み、のんびり歩き出した与四郎の背中を追いかける。
「私、そんなコッテコテな関西弁話してる?」
「まぁたなんか新しぃ言葉出たね?"コッテコテ"って何さ?」
食堂に入ると喜三太としんべヱが仲良くうどんを食べていた。
「ひゃあ〜〜!名前ちゃん、相模の言葉すごくお上手ですね」
「んだろ?」
喜三太が驚きの声を上げた。
こうやって喜三太にも認めてもらえるくらい上達したのかと思うと天狗になってしまいそうだ。
「ん〜〜!これじゃあ名前ちゃんが何言ってるのか全然わかりませんよ、まったくもう!」
私と与四郎の会話を聞きながら交互に顔を向けていたしんべヱがプリプリと怒り出したので、その様子に笑いながら普通の話し言葉に戻す。
「でも今の2人の会話、与四郎先輩の言葉は僕には分からないし、しんべヱにも名前ちゃんの言葉がわからないですよね」
内緒話してるみたいで羨ましい!と騒ぐ2人に、微笑ましくなって笑ってしまう。
「矢羽作るよりも簡単だかんな。2人だけの暗号だーな」
イタズラっ子のような顔で言った与四郎が可愛くて、少しドキッとしてしまった。
くの一教室の同級生、卯子と共に数名の下級生たちを率いて、最近街で話題になっている甘味処へ行った。
忍術学園への帰り道。女子トークに花を咲かせながら裏山を歩いていると、卯子が何かに気がついたのか歩みを止めて下級生たちを地面に伏せさせる。私も咄嗟にそれに習ってしゃがみ込み、辺りを見渡した。
数メートル離れた場所で若い男がキョロキョロと忙しなく顔を動かしている。
男の齢は六年生と同じくらいだろうか。私とあまり離れていないように見える。顔はどこかで見たようなつり目に太い眉。ボサボサの髪の毛は後ろで結われていた。
こんな道もない山奥でいったい何をしているのだろうか。
山伏の格好をしているが、この先には忍術学園があるのみで山を越えても近くの霊山には到底すぐには着きそうもない。男の様子を観察し、2人で訝しむ。
「一応、何の目的でこんな所にいるのか確かめておこうか」
「純粋に道に迷ってるんだったら可哀想だしね…」
下級生たちを卯子と共に学園に帰らせて、私はまるでここまで1人で歩いて来たようなふりをして男に声を掛けることにした。
「お兄さん、こんなところで何してるんですか?」
「え!?あ、ぃやあ…道さ迷っちまってぇ…」
「私はこの山によく来るんですけど、人と会うなんて滅多にないので驚きました」
「近道さあんかなーと思ったんで、こん山へえったんだーよ。んでも道無くなっちまったもんだかーさ」
にこやかに声をかけると、男は一瞬ひどく驚いたようだった。だが、その後余りにも早く冷静になって返してきたのはどうにも怪しい。
ここらではあまり聞かない訛りに、音響忍である可能性を少し警戒しつつ、何故こんな所にいるのかを尋ねてみる。
男は親戚の家を訪ねるところだったらしい。
別の用事の帰りであったため、いつもと反対方向から来た男は「この山を抜ければ近道になるかも」と山に入ったはいいが、ついに迷ってしまったそうだ。
男の行動自体に特に怪しいものはないし、これ以上事情に踏み込んで戦わなければならなくなっては、くのたまの私では確実に不利だ。
自分の実力を鑑みて、忍術学園に近づかないように誘導できればいいか…と、山の麓まで男を案内する事にした。
「助かったぁ、ありがとうな」
「いいえ、お気をつけて」
呑気にそう言った男は、のんびりと田舎道を歩いていった。
それに笑顔で手を振り、来た道を戻る。
とりあえず一件落着。彼が本当に道に迷ってただけなら安心なんだけど…。
今日は日が暮れる前に帰るつもりだったから薄着で出てきてしまったが、この格好に夜風は応えるだろう。任務でもないのだから、夜が来る前には学園に帰りたいと学園への道を急いだ。
男に遭遇したことで、学園に帰る時間が思ったより遅くなってしまった。卯子にあの後大事なかったか確認され、一部始終を話す。
「じゃ、下級生たちにも無事を伝えてあげなきゃねー」
のんびりと返す卯子。彼女たちも問題なく帰れたようでよかった。
きっと彼の言い分通り、ただ道に迷っていただけだったのだろうなどと話しながら、制服に着替えて食堂へ向かう。
「こんばんはー!おばちゃーん、B定食くださーい」
今日のB定食には付け合わせとしてカマボコが追加されているらしい。『相模国』と献立に特別書いてあったから、特産品か何かなのか。
1人こっそりとわくわくしていると、背後から聞き覚えのある声がした。
「あれ、さっきのお嬢さん?忍術学園の方だったんですか。制服じゃなかったから気づかなかったなぁ」
振り返ると、そこには先ほど見送ったはずの変な訛りの男が平然と食堂のご飯を食べていた。
ぽかんと口を開ける。
「ああっ!さっきの怪しい男!!!」
卯子に至っては、失礼な言葉と共に男を指差していた。まあ落ち着きなさいよ。
「だったら素直に学園まで案内してもらえば良かったよ」
昼間のテンションと同じようにのんびりと告げる彼の言葉は、全く訛っていない。不自然なほどに丁寧だった。
やはりわざと方言を話して油断させるつもりだったのか、と私たちの少しピリッとした空気に男は気づく様子もなかった。
そこへ「はにゃあ〜?」という気の抜ける声が割り込んでくる。男の向かい側に座る一年は組、用具委員会の山村喜三太だった。
「与四郎先輩、名前ちゃんとお知り合いだったんですかぁ?」
すると男は、昼間の比ではない訛り方で喜三太と和やかな会話をし始めた。
「ふんふん、そうだったんですかー」
喜三太は合点がいったのか相槌を打っているが、何を言っているのか全く分からない。私たちは完全に置いてけぼりである。
「名前ちゃーん!B定食、ここに置いとくわねー!」
後ろのカウンターからおばちゃんの声がかかり、我に帰って定食を受け取る。
忙しい夕食時の食堂の入り口で、モタモタしている訳にはいかない。空いてる席を探そうと辺りを見渡すと「オラの隣空いてっからよ、ここ座んな」男が笑顔で席を叩いた。
膳を持った卯子と目を合わせると、彼女は黙って喜三太の隣に座る。私は一呼吸置いてからその向かい側、男の隣に腰掛けた。
「改めまして!こちら、僕が相模国で通っていた風魔流忍術学校の六年生、錫高野与四郎先輩です!」
「よろしくぅ」
「そしてこちらが、くの一教室上級生の名前ちゃんと卯子ちゃん!」
爽やかな笑顔を向けて箸を持った手を軽く上げる与四郎に、やっぱり訛らずとも話せるんじゃないか…と肩の力が抜けた。
聞くと与四郎は喜三太のいる忍術学園を目指して近道をしようと山道に入り、慣れない道で迷っていたところに私が声をかけたらしい。
与四郎がした話は忍者であることを誤魔化してはいたが、まるっきり嘘という訳ではなかったようだ。
行き先が忍術学園だと知られる訳にもいかず、こんな道のない山の中で若い女、しかも息も切らしていない女に声をかけられたので、ある程度警戒してわざと軽く訛った言葉で話したのだという。
警戒していたのはお互い様だったようだ。
結局警戒する必要はなかった訳だが、なるほど確かに私の言動も十分に怪しかったかも…今後はこういう事のないように気をつけなければ。
*
午後の授業が終わったので、忍たまと共用の中庭の木陰に座り込み、図書室で借りた本を読んでいた。
近づいてきた足音が目の前で立ち止まったので、本から目をあげる。
「ぃよぉ、名前。元気かー?」
「あら、久しぶり」
「こっちゃ暑過ぎんべ。風魔の郷はもうちょっぴし涼しぃよ?山に囲まれてんのはおんなじなんにさ、何がちげぇんだか」
「ま、ここは風魔と違って海が遠くて、山しかないからね。瀬戸内の海も行けないことはないけど。私は暑いの得意じゃないから、そっちが羨ましい」
与四郎は特に断りもなく、私の隣に座りこんだ。
あの出会い以降、与四郎は忍術学園に来るたび私に話しかけてくる。
「なんかあった?」
「とーくに大っきな事件はねえよ」
私の読んでいた本の表紙を覗き込みながら、与四郎は答える。私もその目線につられてタイトルを確認した。
兵法書を噛み砕いて分かりやすくしただけの本。知識として身につけておきたいことがまとまっていて面白いが、少々退屈だった。
街で流行りのティーン雑誌か料理の本でも読んでいる方がよほど楽しい。
与四郎も特に興味を持たなかったらしく目線を外したので、私もその本を閉じる。
「あー!そーぃやここさぐる途中、駿河あたりだったかね?山賊がいっぺえ出てな…」
そう言った与四郎に、富士山が噴火したとかしないとかの噂を耳にしたのを思い出す。
「富士の山がお怒りで不作らしいから、それでかな」
「あぁ、その影響もあんべか?ちょっぴし前に小っさいが城が落ちたっけね、そんで出た浪人かと思ってさ」
「へぇ、知らなかった」
「てぇして周りに影響力ねえ城だったかんな。用心棒の仕事無くしちまった浪人たちが、市から溢れでもしたんじゃねぇかと。帰りに調べにゃなんねえなって山野先生が」
「どこも大変だ。真相わかったら教えて」と相槌を打つ。
確かに富士山が実際に噴火していればもっと沢山の人がこちらに流れて来ているはずだ。与四郎の言った城が一つなくなったという方が納得がいく。忍術学園周辺に大きな影響は無いかもしれないが、少し調べてみてもいいかもしれない。
与四郎は「こっちゃ、どうなんけ?」と西の状況も教えるよう催促してきた。
「こっちは…そうね、最近堺で炭の値段が高騰してる」
「通りすがった大和は呑気なもんだったべ、気ぃつかなかったなぁ。堺ってこたぁ、播磨か紀伊の方で戦け?」
「たぶん播磨の方。堺の商人が紀伊の炭を買い占めて強気に出てるだけみたいだけど…」
木陰に午後の涼しい風がながれた。
「こん木陰は、他よりよっぽど涼しいなぁ。こーりゃいいや、ひと眠りでもすんべー」
与四郎は大きなあくびを一つすると、胡座をかいていた足を伸ばして寝転んだ。
「あ。あとこれ土産ねー」と与四郎が懐から取り出した小さな袋。
それを受け取って中身を見ると、砂糖菓子だった。
互いが知りたい情報をそれぞれが知っている。私はそこまで積極的に情報収集をしている訳ではないとは言え、住んでいる場所が違うとこんなにも情報に遅れが出るものか。
彼のように私も西と東を行ったり来たり出来たら良いのに。
きっといろんな情報を手に入れることができて、仕事もやりやすくなるに違いない。
こうやって一通り東西の情報の交換した後は、のんびりそれぞれの時間を過ごす。
不定期ではあったが、与四郎が忍術学園を訪れる時が実は私の楽しみの一つだ。
高いびきで寝始めた与四郎を横目で見て、私は砂糖菓子を一つ口に放り込んで読書を再開する。
甘い。これはちゃんとお茶を立てて、お茶菓子とした方が良さそうだ。今度のくの一教室のお茶会の授業の時にでもみんなでいただこう。
そのまま日が暮れて山野先生が与四郎を探しに来るまで、私たちは未だ暑い学園の午後を申し訳程度に涼しい木陰で共に過ごした。
*
「おぅ、名前!しばらくぶりやんな、元気しとった?」
「おっす、与四郎。いさしかぶりー」
「お?その発音うまいじゃないか」
「そっちもね。だいぶ自然体になってきた」
どちらともなく与四郎は関西弁を、私は相模弁を、互いの話す言葉を真似するようになっていた。
方言を話せるというのは忍者を目指す私たちにとって非常に有利なことだ。
互いの言葉を教えあって、最近では2人とも日常会話を違和感なく熟せるくらいには流暢に話せるようになっている。
互いの話し方を真似るものだから、与四郎は女言葉を、私は男言葉を無自覚に話している時もあり、たまに周囲から笑われることもあったが。
最近では2人で会話をする時は、意味もなくこの方法で話している。
「ぎょうさん走ったで腹減ったわ。まだランチ間に合うかな」
「食堂のおばちゃんは優しいけ、閉めてても何かしら作ってくれんべぇ」
「ほんなら早ぅ行きまひょ」
頭の後ろで手を組み、のんびり歩き出した与四郎の背中を追いかける。
「私、そんなコッテコテな関西弁話してる?」
「まぁたなんか新しぃ言葉出たね?"コッテコテ"って何さ?」
食堂に入ると喜三太としんべヱが仲良くうどんを食べていた。
「ひゃあ〜〜!名前ちゃん、相模の言葉すごくお上手ですね」
「んだろ?」
喜三太が驚きの声を上げた。
こうやって喜三太にも認めてもらえるくらい上達したのかと思うと天狗になってしまいそうだ。
「ん〜〜!これじゃあ名前ちゃんが何言ってるのか全然わかりませんよ、まったくもう!」
私と与四郎の会話を聞きながら交互に顔を向けていたしんべヱがプリプリと怒り出したので、その様子に笑いながら普通の話し言葉に戻す。
「でも今の2人の会話、与四郎先輩の言葉は僕には分からないし、しんべヱにも名前ちゃんの言葉がわからないですよね」
内緒話してるみたいで羨ましい!と騒ぐ2人に、微笑ましくなって笑ってしまう。
「矢羽作るよりも簡単だかんな。2人だけの暗号だーな」
イタズラっ子のような顔で言った与四郎が可愛くて、少しドキッとしてしまった。
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