aot短編
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例えば、愛しい人にキスをすることで戦う勇気をもらう者。例えば、掌に人と言う字を3回書いて呑み込んでみる事で緊張を解すという者。例えば、左足から靴を履くことで一日を軽やかな足取りで過ごせるという者。例えば、いつもは左手に着ける腕時計を右手に着ける事で自分に自信をつける者。例えば、部屋にとても美しい一輪の花を飾ることで人に優しく接することができるという者。
様々な人が持つ、自分なりの小さなジンクス。
私の場合のそれは美しい下着だ。
美しい下着を身に着ける事で、不思議と自分に自信がつき、力がわく。壁外調査に出る時なんかは必ず身に着けていく。特に秀でた才能があるわけでもない私が今でも生き残っているのは、このジンクスのおかげだと私は思っている。そして今日もそれを身に付ける。途端に胸に広がる高揚感。それを胸に、かつては人類の生存区域であり現在は巨人に奪われたウォールマリア奪還のための壁外遠征に赴くのだ。
一瞬、だった。
見通しのわるい霧がかった森の中で目にゴミが入り込み私の視界を妨げた。目を瞑り異物を排除し、再び瞼を持ち上げた時には、ここがどこだか、仲間がどこだか分からなくなった。
「あ、うそ、は、班長・・・っ?」
壁外での孤立は、死に直結する、避けるべきこと。
ドキドキと鼓動が早くなり、同時にヒヤリとしたものが背筋を通る。
どうしよう、煙弾を打つべき?間抜けにも迷子になってしまいました、って?そもそもこんな霧深い中で打って意味はある?いや、そんなこと考えている間に、どんどん仲間と離れているんだ、とりあえず、打ってみよう。もしかしたら誰かが気付いてくれるかもしれない。
ぱしゅ、と紫の煙弾を空に向けて放つ。やはり霧が濃くて、これを目視できるのは相当の近距離にいる者だけだろう。
どうか誰か私に気付いてくれますように。
そんな風に思った瞬間、ガサ、と木の葉がすれ合う音。と、同時に、視界に現れた―――巨体。
「、ひ」
巨人だ。
そう認識して、思わず一瞬身体が怯んでしまい、その隙に5メートル程のソイツは私との距離を一気に詰める。我に返り、ブレードを握りしめて立体機動に移ろうと体勢を移した時には、目の前にソイツの大きな手が圧し掛かってきた。咄嗟に身を翻し、その硬い手は私の胸元を掠るだけに留まった。しかしその手は、私の下にいた、愛馬に直撃。賢く従順だった彼は地面にその身を倒し、ピクピクと痙攣を起こしている。それを横目に、私は立体機動でその巨人よりも少しだけ背の高い木の枝に着地した。
やばい、やばい、やばい。
調査兵に入団しておよそ1年。私の実績は、討伐補佐が10体に討伐1体。同期と比べればソコソコの数だが、それは先輩達の支えがあってこその数字だ。もちろん、一人で巨人を倒せたことなんてあるわけがない。そもそもそんなことができるのは相当の精鋭たちだけだ。私のような凡人が、一人で巨人を倒せる筈がない。馬も失った。立体機動でこの場から離れればこいつを撒くことは簡単だろう。だけど、ガスが尽きたら?それに、途中で別の巨人に遭遇したら?どうしよう、これって、本当に、やばいんじゃないだろうか。誰かに気付いて欲しいとは思ったが、巨人には頼んでいない。
「いいや!!」
悲観しても、仕方が無い。こいつを殺して、私は、生きる。大丈夫、できる。無理なんてことはない。まず腱を削いで身体の自由を奪う。回復能力があると言っても、30秒はこいつの巨体を留まらせる事は出来るだろう。それから、うなじだ。冷静に行えば難しいことなんてない。何年も必死になって訓練してきた。それは、こいつを殺すためだ。こいつのえさになるためじゃない。
「こんなところで、絶対死なないっ!!」
決意の言葉を自分自身に言い聞かせるように声に出し、ぐっと強くグリップを握った時だ。巨人が木に体当たりをして、ぐらりと木が揺れた。激しい揺れに思わず脚を滑らせてしまい身体が宙に放り出される。大丈夫、焦るな、冷静に、私には立体機動がある。トリガーを引いて、アンカーを射出しガスを噴かした。
「っきゃ!?」
その瞬間、ブツリという音がして身体がぐらりと揺れ、上体の体勢が定まらなくなった。巨人に掴まれた訳ではなく、立体機動の動きがおかしい。意識してみれば、胸の辺りにあるはずのベルトの圧迫感がない。それと同時に先程巨人の腕をよけた際に胸に掠ったことを思い出した。もしかしたらあの時に破損し、暫くは持ち堪えたが耐えきれなくなって切れてしまったのだろうか。ヤバイ、これじゃあ、立体機動を扱えない。
木に刺さったままのアンカーを軸に振り子のように私の身体が揺さぶられ、なすすべもなく私の身体は木に思い切りぶつかった。激しい衝撃に息が詰まる。そして今度は重力に従い地面に吸い寄せられる。刺さったアンカーが体重を支えるが、ベルトが切れているので身体が固定されずぐらりと揺れる。しかししっかりと刺さっていなかったのだろう、ぐらぐらと揺れている間にアンカーが抜け、地面に叩きつけられた。再び襲ってきた激しい衝撃にうずくまり悶絶している私に、再び巨人の大きな手がゆっくりと伸びてくる。
「っ、」
こんなところで、死にたくない。こいつに一矢報いてやりたい。そんな思いでグリップを強く握るも、身体が動かない。
今度こそ、逃げられない。死ぬ。
『うぎゃああああああああああああああああああああああ!!!!』
しかし、私を襲ったのは気が遠くなるような痛みではなく、耳を劈くような叫びだった。それからドスンという音としゅうしゅうという音。
なに、なにが、起こった?
目の前で絶命し蒸発しだしている巨人、と、そのうなじ付近に佇む人影。
恐怖で未だに震えが止まらない。打ちつけられた身体が酷く痛い。
けれど、けれど…
「い、きて・・・る」
生きてる。死んだと、思った、のに。
「そりゃあ、なによりだ」
降ってきた声は聞き覚えのある声だ。そんな訳がない、と思いながらも蹲った体勢から首だけを動かしてその人物を視界に入れた。
「え、う、わ、うそ」
ドキン、と先ほどとは違う意味で心臓が大きく鳴った。今死にかけていたっていうのに現金な心臓だ。だけどそれが調査兵なら皆憧れる人ならば、ごく自然なことだと思う。
「り、り、り、リヴァイ兵長?!」
「・・・他に誰に見える」
「な、何故リヴァイ兵長がここに・・・」
「あ?緊急事態の信号弾打ったのはてめえじゃねえのか」
「は、はい、そうですけど・・・あれ、見えたんですか」
「見えたからここにいる」
そうですね、と消え入りそうな声で返せばリヴァイ兵長は蒸発していく巨人の上から飛び降りてこちらにスタスタと歩いてきた。ああ、こんなことしている場合じゃない、上官を前にしているのに蹲っているなんてなんて無礼な。早く立ちあがって、敬礼を。そう考え腕に力を入れて上体を起こそうとすれば、鈍い痛みが左腕を襲い途中で断念してしまった。
「・・・怪我は」
「だ、いじょうぶ、です」
「そうは見えねえが」
「いえ、その・・・本当に巨人に直接危害は加えられてはいないんです。ただ、巨人の腕が胸を掠った時に立体起動のベルトが破損してしまったようで・・・その、そこの木にそこそこの勢いでぶつかって落下してしまって・・・それが、痛む、くらいで・・・」
「馬鹿か、それを怪我っていうんだろうが」
はあ、と溜息をついたリヴァイ兵長は蹲る私のすぐそばに膝をつき、私が起き上がるのを手伝ってくれた。あの、リヴァイ兵長が、地に、膝を。平気ですと上げた小さな声は彼の「あ?」という低音に阻まれた。噂通りの粗暴な人らしい。ゆっくりと彼の腕が私の身体を包み、意外にも優しい手つきで起こしてくれた。あまりの距離の近さと香る石鹸の清潔な香りに一気に体温が上昇する。しかしそんな邪な考えは、走る痛みによってすぐにかき消された。息を詰まらせ、身体を固くした事は、私に触れる彼にはばればれだっただろう。「我慢しろ」と言いそのまま身体を起こされた。リヴァイ兵長はすぐそばの木を背もたれにするように促し怪我を確認するように私の身体をゆっくりと見回した。
「すみません。ありがとうございます」
「・・・・・・」
「・・・・・・(えっ)」
「・・・・・・」
特にベルトの切れた胸のあたりをじっと見る彼に私が謝罪と感謝の言葉を口にすれば、返事もせずに眉間に皺を寄せて睨むように今度は私の顔をじっと見てきた。何だろう、何か気に触るようなことでもしただろうか。そんなつもりはなかったのだけど。・・・いや、今の状態自体が面倒だろうし、リヴァイ兵長の手を私なんかの為に煩わせてしまうなんて本当に申し訳ない・・・。
「・・・どこが痛む」
「左腕と背中を打ってしまって。背中は大丈夫ですけど・・・う、腕、が、痛いです」
「見せてみろ」
「はい」
患部が見やすいように革のジャケットを脱ごうとするのだが、片腕ではもたついてしまいそれすらもリヴァイ兵長に手伝わせてしまった。ジャケットを脱ぎ、シャツを捲れば内出血で青くなった自分の腕が出てきた。さほど時間が経っていないので腫れはそこまでひどくないが、それも次第に出てくるかもしれない。そっと、リヴァイ兵長の手が患部に触れ、びりびりと痛みが走る。
「ひっ、ぅ―――っ!!」
「折れてはなさそうだが、ひびくらいは入ってるかもしれねえな。・・・まあ、繋がってるだけありがたいと思え。痛み止めなんてもんは持ってねえから痛みは我慢してもらうしかねえが、とりあえず簡単に固定しておくぞ」
「は、あっ・・・は、はい」
そう言いながらリヴァイ兵長は持参していた応急道具を取り出して慣れた手つきで私の腕を固定しだした。途端に襲い来る痛みに脂汗をかきながらも、上官の前で無様な声など上げないように必死に耐えなければならない。口元を手で覆い、ギュッと強く瞼を閉じてそれに耐えた。
「っ、―――っ!」
「・・・終わったぞ」
「っは、いっ。あ、りがとう・・・はぁっ・・・ござい、ます」
「・・・・・・」
兵長は手際よく応急手当してくれたので実際には数分だったのだろうが私にはとても長い時間に感じられ、それを告げられた時には大量に汗をかき肩で息をするほどに疲弊してしまっていた。しばらく呼吸を落ち着けながら、携帯していた水差しの水で喉を潤した。その私のぐったりとした様子をリヴァイ兵長は何も言わずにじっと見つめていたが、やがて首元のクラバットをシュルリと外して私に手渡した。
「あ、の・・・?」
「その汗まみれの顔を拭け」
「え、あ、でも、その・・・」
「・・・・・・」
「あ、ありがとうございます」
差し出された純白のそれは、ふわりと石鹸の香りがした。ドキドキと、逸る鼓動が止まらない。
リヴァイ兵長・・・なんて、素敵な人なの・・・!
今まで私は言動は粗暴で近寄りがたい雰囲気の彼を、少し苦手に思っていた(もちろん優秀すぎる彼を兵士としては尊敬していたが)。だけど、今までまともに話したことのない、もしかしたら顔だって知らなかったかもしれない私の命を救ってくれ、怪我の応急措置をしてくれて、今も私の身を案じてじっと見てくれている(少々緊張するが)。そして潔癖症だというのに私の汗を拭けとクラバットまで差し出してくれるなんて(もちろんこれは綺麗に綺麗に綺麗に洗濯して後日返却する)。彼が兵士長として皆の前に立ち、敬愛される理由を身を持って感じる。こんな風に扱われて憧れない訳がないじゃないか。この一瞬の間で、私は兵士としても女としても彼に心を奪われてしまった。
「落ち着いたか」
「はい」
私が大分落ち着いてきた事を確認するとリヴァイ兵長は立ち上がり周囲を見渡して指笛を吹いた。すぐ近くに佇んでいた黒い毛並みの美しい聡明そうな彼の愛馬がその呼びだしに駆け付けてきて嬉しそうにリヴァイ兵長にすり寄った。彼はその美しい馬の首筋を愛撫してこちらを見た。
「こんなとこに長居はできねえ、急ぐぞ」
「あ、あの」
「なんだ」
「わ、私、馬をやられてしまって」
「見りゃあ分かる」
「立体機動も故障して」
「見りゃあ分かる」
「その、移動手段が・・・ない、ので、さ、先に行ってくださ」
「あ゛?てめえ、ふざけてんのか」
「や、だって・・・」
「俺は、死体の回収に来たんじゃねえ、生存者の救出に来たんだ。くだらねえことをぬかさねえでさっさと乗れ」
「で、でも・・・・・・はい」
最後に恐ろしい睨みを向けられてはそれ以上の口答えはできなくなり、何とも恐れ多いことにリヴァイ兵長と二人乗りをする事になってしまった。
彼の美しい愛馬の首をポンポンと叩いて愛撫し「よ、よろしくね」と声を掛けたが、プイと顔を背けられてしまった。微妙な気分になりながらもその大きな背に跨った。そこでふと気付く。
(これ、私どっちに乗ればいいんだろう)
普通、馬に二人乗りする際には後方に座る者が手綱を握る。この場合、手綱を握るのはリヴァイ兵長になる…けど。後方の方が揺れるしそれに、その、あれだ。私の身長は女性としては実に平均的なので、大抵の男性との二人乗りなら全く問題はないのだが、兵長は、その、ほんの少ーし小柄な方なので前が見え辛いだろう・・・なあ、と。それなら後ろで必死にしがみついていた方がいいような気がする…のだけれど、それはそれで、はたして片腕の状態でどこまでしっかりつかめていられるのか不安だったりして。
「おい、もっと前詰めろ」
馬に跨り微妙な位置で腰掛けている私に、馬に愛撫しているリヴァイ兵長が睨みながらそう言った。(ちなみに私にはそっぽを向いた馬はリヴァイ兵長の腕にはとても幸せそうに擦り寄っている。なんともまあ、気位の高い馬だ)
リヴァイ兵長にそう言われ小さく「はい」と返事をしてすぐさま前に詰めた。あれだけ迷っていたが、兵長にそう言われれば従うしかない。彼が是と言えば是なのだ。それから直ぐにリヴァイ兵長もひらりと馬の背に跨った。
(う、わ)
途端に背中に感じる彼の気配にどっと緊張が高まった。こ、これは、予想以上の、近さだ。先程リヴァイ兵長への憧れを意識したばかりの私には少々刺激が激しいこの距離に心臓がバクバクと暴れだした。
「てめえ、それじゃバランスが取りずれえんだよ」
「きゃっ!?へ、へへへ、ちょ、な、え、ちょっ!?」
なるべくリヴァイ兵長に触れないように距離をとっていれば、兵長は唸るような低い声を放ち私の腰をガッシリ、と掴み彼の方に引き寄せた。ジャケットは先程治療の為に脱いだままシャツ一枚だし、使用できない立体機動は兵長に、邪魔だ捨てろと言われたのでそれに従った。つまり、寄せられた身体が、すっごく、近い、背中に彼の体温をうっすらと感じるくらいに。そして手綱を握るリヴァイ兵長の両腕が私の身体のすぐ横を通っている。こんな、たった今意識し始めたばかりの異性とのこの状況にガチガチに身体を固めて硬直している私に、リヴァイ兵長が静かに囁いた。
「大人しくしてろよ」
すぐそばで低く囁かれた声に、肌が粟立つ。これだけ密着しているのだから当然彼の声はダイレクトに私の身体に伝わってきた。私の公に捧げたはずの心臓が激しく暴れだしたその瞬間、リヴァイ兵長が手綱を強く握り、馬の横腹を蹴った。瞬間、彼の愛場が一啼きし脚を動かした。
「っ」
すぐに馬はトップスピードに乗った。邪な思いを胸に秘めていた私の身体は恐怖で強張った。自分で操縦しない馬にわが身を預けるということは予想以上に恐怖を煽るものだった。別に二人乗りをしたことがない訳ではない。何度も経験はある。しかし、本来成人の二人乗りという時点で馬には相当の負担を掛けてしまうわけだから、これだけのトップスピードでの二人乗りと言うのはそうそう経験するものではないのだ。おまけに普段よりもずっとバランスが取りにくいしどうしても身体に力が入って固くなってしまう。
「おい、お前、力抜け。馬が戸惑う」
「は、ご、ご、ごめんなさいっ」
と、言われましても怖すぎて無理です!!・・・という言葉はもちろん声にはならずに心の中でだけ声を大にして叫んだ。しかしそんな私の声が聞こえたかのようにリヴァイ兵長が今度は飽きれたように声を出した。
「心配しなくても落としたりしねえよ」
「あう、い、いや、その・・・」
それはズバリ核心を得た言葉を浴びせられて言葉に詰まった。上司に、それも人類最強と呼ばれるリヴァイ兵長に安心して背中を預けることができないというのは大変失礼なことなんじゃないだろうか。しかしこれは別に彼のことを信頼していないからとかそういうことではなくて(実際私がバランスを崩して落ちかけたところで兵長はしっかり助けてくれるんだと思うし)、本能的な恐怖であって自分の意思でどうこうできるものではないのだ。
もごもごとはっきりしない言葉をこぼしていれば、背後で大きなため息が零れて私の後頭部にかかった。それを肌で感じ再び謝罪の言葉を口にしようとした時、不安定だった上半身に暖かな温もりと安定感が訪れた。
「っ!?!?!?」
「これで少しは安定するだろ」
しれっとそういう兵長の声が耳のすぐ横で聞こえる。リヴァイ兵長は両手で握っていた手綱から左手を離し、私の身体を固定させた。つまり、今、私の腰には兵長の腕がしっかりと巻きついているのだ。
「・・・は、い」
あまりの衝撃に言葉は出ず、つい頷いてしまった。それに満足したかのようにリヴァイ兵長はさらに腕に力を入れて私の身体を抱き寄せた。先ほどまではたまに触れるだけだったが、今は彼の腕の中に強く閉じ込められている。当然二人の身体がぴたりと密着するし、私の顔の横のほんの少し上に彼の顔がある。先ほども述べたがジャケットも立体機動装置も身に着けていない私には、彼の体温だとか、体格の割にガッシリと筋肉のついた腕だとか、更には清潔感のある石鹸の香りや、耳元には彼の呼吸さえもがいやでも伝わってきてしまう。
リヴァイ兵長にとっては単にビビる私の身体を固定させる為の行動なのだろうけれど私にとってはこんなに男の人と密着するなんて生まれて初めての出来事で。しかもたった今恋に落ちた相手で。力を抜けと言われた体は別の原因で余計に固くなり、体温がみるみるうちに上昇する。顔も、耳も、身体も真っ赤になっているに違いないというほどに。
「チッ。おい、だから・・・・・・」
未だ身を固くしたままの私に苛立ったのだろう兵長が舌打ちをして、ずっと前を見据えていたその小さなお顔をこちらに向けたのが視界の端に映った。こんな状態で至近距離で視線を合わせるなんてとてもできずに視線をきょろきょろとさまよわせていた。私の真っ赤であろう顔を覗きこんだ途端に何故か言葉を切った兵長を不思議に思っていれば腰に回されたままの兵長の手がそこを撫でるように静かに滑らせた。
「っ!?」
今までそこを掴んでいた力強いものとは正反対の優しく撫でるような手つきで蠢く彼の手の動きに微かに身が震える。突然のその動きに困惑し目を白黒させている私の耳元に熱い吐息がかかる。
「力をぬけって言ってんだ」
「・・・っ!!」
耳元でリヴァイ兵長が囁くように告げた声は、今まで聞いたことの無いような艶っぽいものだった。その吐息交じりの囁きが私の耳にかかった途端、私の背筋から腰にかけてゾクゾクという今まで感じたことのない衝撃が走り、途端に全身から力が抜けてしまった。
今まで固くしていた身体から突然ふにゃりと力の抜けた私を片手でしっかりと支えながら、リヴァイ兵長は口の端を釣り上げて満足そうに見下ろした。
「そうだ、それでいい」
「―――あ、の・・・でもっ」
リヴァイ兵長は何故だか満足そうにしているけれど、リヴァイ兵長に全体重を預けてボケっとしているなんてこんな状況がはたして許されるのだろうか?いや、そんな訳がない。
「あの、だ、大丈夫、なので・・・っは、な―――ひゃっ」
軽いパニックに陥りそうになりながら、私の腰に絡まる兵長の腕に手を寄せてどもりながら解放を懇願しようとすれば、ウエストの辺りを這っていた彼の手がススス、と胸の下まで上ってきた。際どい位置にまで上った彼の手から感じる刺激に思わず小さな悲鳴を上げた私に、リヴァイ兵長は再び耳元で囁いた。
「うるせぇな・・・いいから黙って俺に身を任せてろ」
「・・・・・・っ、」
その行為に再びクラリと力が抜けた。先ほどよりも強く感じたゾクゾクした感覚が襲いしばらくはとても力が入らなさそうで、離そうと掴んでいた彼の腕にすがりつくように掴まっている。そんな力の入らない状態の私をよそに、リヴァイ兵長の腕は私の胸の下のラインを這うように撫でる。胸に触れられる訳でもないのにそれを連想してしまう私は、厭らしい女なのだろうか。そんな嫌悪感を感じながらも、彼の手の動きに反応してピクピクと身体がはねてしまう。
「―――はっぅ、」
「・・・・・・」
暫くそうして私の胸の下辺りに撫でるように触れていたリヴァイ兵長は、ピタリと手を止めるとふぅー、と大きく息を吐いた。それから再び私のウエスト辺りをガッシリと掴みガツンと馬の横腹を蹴った。
「スピード上げるぞ」
そういった瞬間に馬のスピードはぐんと上昇する。先ほどまで恐怖からカチコチに身を固くしていたがそんな恐怖がどうでもよくなるような衝動が身体を巡って私は兵長に身を預けっぱなしでまともに身体に力も入らない。邪魔がなくなり軽やかに走るリヴァイ兵長の愛馬の上で、ドキドキと逸る鼓動が彼に聞こえないように祈ることしかできなかった。
「あっ!」
それから、15分ほど馬を走らせただろうか。森をとっくに抜け、見通しの良い草原を走っていた時、少し離れた位置に緑色の信号弾が打ち上げられているのが目に入った。
「どうにか本隊と合流できそうだな」
「はい・・・よかった」
相変わらずピタリとくっついたままの身体と馬のスピードに、ようやく少しだけ慣れた頃だった。ずんずんと距離が縮まっていき、すでに兵士の姿が視界に入ってきた。もうすぐ本体と合流し、私は医療班に預けられるだろう。ふわふわとピンク色だった思考が現実的なものへと切り替わっていき、今更ながらに後悔や申し訳なさがこみ上げてきた。
「リヴァイ兵長。わ、私・・・」
「なんだ」
「リヴァイ兵長が通りかかって助けてくれなければ、きっと・・・。それなのに、その・・・迷惑ばかりかけてしまって、本当に申し訳ございませんでした」
すぐ斜め横にある彼の視線が私の顔をじっと見下ろしているのを感じる。きっと呆れたような顔をしているのだろうが、それを見るのが怖い。尻すぼみに小さくなっていく謝罪を聞いて兵長はどう思うだろうか。自然と視線も下を向く。
「・・・気を抜くのは壁内に戻ってからにしろ。まあ、確かに面倒ではあったが・・・俺も悪いことばかりじゃなかったしな」
「え?」
厳しい言葉がかけられるのを覚悟していれば、リヴァイ兵長が予想外の言葉を放ち思わず彼の顔を振り返り見上げた。普段よりもずっと柔らかな表情で私を見ていた兵長と目が合いドキンと心臓が高鳴る。数秒彼と視線を合わせていたが、彼は何故かばつが悪そうに眼をそらした。
「・・・いや、気にするな。もうすぐ合流するぞ」
「は、い」
「それよりお前、名前は」
「え?あっ!!し、失礼しました!!私はオリヴィア・カーティスと申します!第102期入団で、現在はネスさんの班の一員です!!」
そう言われて、サーっと顔が青ざめた。なんて失礼なことをしていたのだろう。彼に名乗りもせずに治療してもらい馬に乗せてもらっていたなんて、厚かましいにも程がある。オリヴィアは声を大にして名前を告げた。
「そうか、覚えておいてやるよ。ただし、お前―――、オリヴィアよ。」
「は、はい!!」
「“それ”はしっかり隠しておけ」
「?」
突然の兵長の忠告に、私は頭の中でクエスチョンを浮かべる。“それ”を隠す?それってなに?
すると兵長は涼しい顔をほんの少しだけ歪めて小さくため息をついた。
「・・・“ここ”だ」
「っきゃ!?」
そして、あろうことかその腕を私の胸に重ねた。私の・・・ほんの少し人よりも大きめの胸がリヴァイ兵長の硬く兵士らしい手に包み込まれる。兵長の手の温もりが直に肌に感じられる。きっと私が今体温をひどく上昇させていることもばればれだろう。
「へへへ、兵長、な、ななな、何をっ」
「自分の格好をよく見てみやがれ。これで本隊に合流すれば俺が誤解される」
「え?な、なに・・・っ!?!?」
リヴァイ兵長はそう言ってパッと胸元から手を引き再び腰に戻した。彼の言葉に従い自分の身体に目をやれば、信じられない光景が目に入った。立体起動装置のベルトが外れた胸辺りのシャツが破れて大きく開いており、真っ赤な…
「っきゃあ!」
そう、私のジンクスでもある美しい―――というか、ものすごおく、セクシーな、真っ赤なレースの下着が露出していたのだ。
急いで、胸元の開いたシャツを手繰り寄せて下着を隠した。
「う、うそっ、え、そん、い、いつから」
「まあ、少なくとも俺がお前を起こした時にはその状態だったな」
「っ、」
さあ、と血の気がひくような感覚が襲う。なんだ、それ。起こした時っていうのは倒れて身動きとれなかった私を起こした時、よね?え、それって最初からっていうことじゃない?つまり私はこのだらしない身体を、リヴァイ兵長の目の前にずっと晒していたっていうの?応急処置をしてもらっている時とか、すっっごく近かったんだけど…し、信じられない…。今までずっと…誰にも見つからないように注意していたっていうのに、どうして、どうしてよりによってリヴァイ兵長に見られてしまうの。恋に落ちたと思ったら、すぐに恋は終わってしまった。恥ずかしすぎて、もう二度とリヴァイ兵長に話しかけることはできない。
頭の中がぐちゃぐちゃになって涙目になり声も上げられないでいる中、クツリと小さな笑い声が届きひときわ強い力で身体を寄せられる。
「おかげで、それほど悪くない時間だったぜ、オリヴィア?」
三度耳元で囁かれた言葉に力が抜けるどころか、クラリ、と意識が遠のいた。
幸運のジンクス
ガタガタという振動を身体に感じて、薄れていた意識がふわりふわりと上昇していく。身を捩ろうとした瞬間に、左腕に鋭い痛みが走って小さく悲鳴をあげかけた。
「っ!」
「あ!オリヴィア、起きたのね!よかった・・・」
その痛みによって一気に意識が覚醒したオリヴィアの顔を覗き込むようにしてほっとした表情を見せたのは、顔見知りの看護兵だった。
「よかった、オリヴィア。大丈夫?私のこと、わかる?」
「あ・・・え?う、うん」
身体を起こそうとしたけれど、駄目!寝てて!という看護兵の厳しい言葉に従いそのままの体勢でいることにした。身体を動かすかわりに首だけを動かして周囲をぐるりと見渡すとそこは救護馬車の中で、私はそこに横たわっていた。
ええっと・・・あぁ、そうだ。今は壁外調査中で、私は班とはぐれて負傷して・・・
「突然意識を失ったって聞いたけど、頭も打った?」
「や、頭は打ってない・・・はずだけど・・・」
「うーん。本部に合流して気が抜けて意識を失ったのかしら・・・?まあどっちにしても一応検査はした方がいいわね。今は頭までは見れないけどもうすぐローゼに着くから先生に診てもらって」
うん、と返事をするけれどそれどころではなく彼女の言葉は右から左に抜けていく。
記憶通りの腕の痛みは、あれが現実だったことを示している。だけど、私の記憶の全てが現実だったんだろうか。
“あれ”は夢だったんじゃないだろうか。
実際はネス班長が戻ってきてくれて私を助けてくれて、怪我をして意識を失った私を連れ帰ってくれたとか、そんなところなんじゃないだろうか。あ、うん、多分…いや絶対それだ。だって、リヴァイ兵長とあんなことになるなんて、非現実的すぎる。きっと夢だったんだろう。それにしても、今まで特に接点もなかった彼とのあんな夢を見るだなんて、どうしたんだろうか。
と、そんな事を思っていた所に・・・
「とりあえず今は腕だけ診たわ。簡単な応急処置しかしてないって聞いたけど・・・さすがリヴァイ兵長ね。応急処置も完璧で、痛み止めを飲ませる以外、今の設備でできる事はほとんどすることなかったわ」
「っリ!?!?」
リヴァイ兵長の名前が出てきて、驚きのあまりに自分の状況も忘れて身を起こそうとしてしまい、再び痛みに悶絶する。
「ちょ、ちょっと、安静にしてなさいって。痛み止め今飲んだばかりなんだから、効くにはもう少し時間がかかるのよ」
「う、ん・・・っ!ね、ねえ、リ、リヴァイ兵長って・・・私、リヴァイ兵長に助けてもらった、の?」
「なによ、覚えてないの?そうよ、あなたを助けてくれたのはリヴァイ兵長。運がよかったわね」
「いや・・・覚えてない、って、いう、か」
夢、かと思ってた。と告げれば、看護兵はあはは、と笑った。
「まあ確かに、リヴァイ兵長に助けられたってなったら、夢かと思っちゃうかもねー。でも、本当の事よ」
すぐ隣で聞こえている筈の彼女の声が、とても遠く聞こえる。私の記憶は全て事実ということ?つまり、彼に命を救ってもらったということはもちろん、彼とあんなに密着していた事も、彼に思い切り下着を見せつけていた事も、彼に囁かれて頭がショートしてしまい気を失ってしまった事も、恋に落ちた瞬間に失恋してしまったことも、すべて、事実ということ・・・?
やっぱり、そんな、そんなの・・・もう、どうやってリヴァイ兵長に顔を合わせていいのか、分からない・・・。
い、いや、でも、元々そんなに顔を合わせる方じゃなかったわけだし。少し気をつけていれば、きっとこんな地味な女の顔なんてすぐ忘れてしまうだろうから、ほんの少しだけ顔を合わせないように注意していれば・・・
「壁内に戻って治療したら、きちんとお礼を言っておくのよ?」
「・・・・・・そ、う、です、よねー」
なんて、狡い考えを呼んだかのように言われた看護兵の言葉に大きく溜息をついた。お礼って、そんな、合わす顔がないって言ってんのに・・・ハードルが高すぎる。どうなんだろう、兵長にとっては部下の命を救うなんて日常茶飯事だろうから別に私一人お礼に行かなかったところで・・・いや、そういう問題じゃ、ない、か。命の恩人に対する考えじゃないな、今のは。反省。
「当然じゃない。それに、それ!」
自己嫌悪に陥り額に怪我のないほうの右腕を持ってきてぶつぶつと呟いている私に、看護兵が不思議そうな声を出す。それから、私の身体を指さした。
「“それ”・・・?」
否、正確には、私の身体にかけられている調査兵団の深緑の外套を、指さした。
「?」
これが、いったいなんだっていうのだろう。調査兵なら誰でも所持しているもので、特に珍しくなんてない。私の外套だろうに。
「あ、れ・・・?」
私の、外套・・・?いや、でも、リヴァイ兵長と馬に乗っていた時には、外套は着ていなかった。立体機動装置を外し、ジャケットすら脱いだ状態だった。私の外套は・・・そう、そうだ。まだ班長達とはぐれる前、休憩の時に少し暑かったので、脱いで馬に括っておいたんだ。私の外套は、あの子の死体と一緒に今もあの森の中の筈だ。これは、私のじゃあ、ない。
え、じゃあ、これ、は・・・・・・
「ね、ねぇ。これ、この外套、って、あ、あなたの?」
「いいえ、違うわよ?」
恐る恐る聞いた問いに彼女はあっさりと否定の言葉を返すとニヤリと笑った。ああ、もう嫌だ、これ以上聞きたくない。
「ふふん、驚きなさい。それ、リヴァイ兵長のものよ。私があなたの身柄を引き受けに駆け付けた時にはそれを着ていてね。てっきりあなたのと思って脱がせようとしたんだけどね・・・
“そいつのシャツのボタンが巨人と応戦した際に取れてしまったようだ。胸に古傷があって見られたくないらしい。今回は腕の傷以外は胸には怪我をしているわけでもないようだしそれで隠して見ないようにしてやってくれ”
ですって!!!」
「・・・え」
「リヴァイ兵長って、ゴロツキあがりで粗暴だっていう噂だったけど、本当はとっても紳士なのね・・・。もう、私の方がどきどきしちゃったわ・・・」
彼女の言葉にドキン、と胸が高鳴るのが分かった。
私の胸には、見られたくない古傷なんてものはない。あるのは、見られたくない派手な下着だけだ。リヴァイ兵長はそれを汲んで、他の人の目に付かないようにするために・・・いわば私を庇ってくれた、ということだろうか・・・。
「ん?オリヴィア、顔赤いけど熱ある?」
「な、なんでもないっ!!!」
怪我をした腕よりも胸が締め付けられて痛い。あぁ…私…リヴァイ兵長のことが…
幸運のジンクス
様々な人が持つ、自分なりの小さなジンクス。
私の場合のそれは美しい下着だ。
美しい下着を身に着ける事で、不思議と自分に自信がつき、力がわく。壁外調査に出る時なんかは必ず身に着けていく。特に秀でた才能があるわけでもない私が今でも生き残っているのは、このジンクスのおかげだと私は思っている。そして今日もそれを身に付ける。途端に胸に広がる高揚感。それを胸に、かつては人類の生存区域であり現在は巨人に奪われたウォールマリア奪還のための壁外遠征に赴くのだ。
一瞬、だった。
見通しのわるい霧がかった森の中で目にゴミが入り込み私の視界を妨げた。目を瞑り異物を排除し、再び瞼を持ち上げた時には、ここがどこだか、仲間がどこだか分からなくなった。
「あ、うそ、は、班長・・・っ?」
壁外での孤立は、死に直結する、避けるべきこと。
ドキドキと鼓動が早くなり、同時にヒヤリとしたものが背筋を通る。
どうしよう、煙弾を打つべき?間抜けにも迷子になってしまいました、って?そもそもこんな霧深い中で打って意味はある?いや、そんなこと考えている間に、どんどん仲間と離れているんだ、とりあえず、打ってみよう。もしかしたら誰かが気付いてくれるかもしれない。
ぱしゅ、と紫の煙弾を空に向けて放つ。やはり霧が濃くて、これを目視できるのは相当の近距離にいる者だけだろう。
どうか誰か私に気付いてくれますように。
そんな風に思った瞬間、ガサ、と木の葉がすれ合う音。と、同時に、視界に現れた―――巨体。
「、ひ」
巨人だ。
そう認識して、思わず一瞬身体が怯んでしまい、その隙に5メートル程のソイツは私との距離を一気に詰める。我に返り、ブレードを握りしめて立体機動に移ろうと体勢を移した時には、目の前にソイツの大きな手が圧し掛かってきた。咄嗟に身を翻し、その硬い手は私の胸元を掠るだけに留まった。しかしその手は、私の下にいた、愛馬に直撃。賢く従順だった彼は地面にその身を倒し、ピクピクと痙攣を起こしている。それを横目に、私は立体機動でその巨人よりも少しだけ背の高い木の枝に着地した。
やばい、やばい、やばい。
調査兵に入団しておよそ1年。私の実績は、討伐補佐が10体に討伐1体。同期と比べればソコソコの数だが、それは先輩達の支えがあってこその数字だ。もちろん、一人で巨人を倒せたことなんてあるわけがない。そもそもそんなことができるのは相当の精鋭たちだけだ。私のような凡人が、一人で巨人を倒せる筈がない。馬も失った。立体機動でこの場から離れればこいつを撒くことは簡単だろう。だけど、ガスが尽きたら?それに、途中で別の巨人に遭遇したら?どうしよう、これって、本当に、やばいんじゃないだろうか。誰かに気付いて欲しいとは思ったが、巨人には頼んでいない。
「いいや!!」
悲観しても、仕方が無い。こいつを殺して、私は、生きる。大丈夫、できる。無理なんてことはない。まず腱を削いで身体の自由を奪う。回復能力があると言っても、30秒はこいつの巨体を留まらせる事は出来るだろう。それから、うなじだ。冷静に行えば難しいことなんてない。何年も必死になって訓練してきた。それは、こいつを殺すためだ。こいつのえさになるためじゃない。
「こんなところで、絶対死なないっ!!」
決意の言葉を自分自身に言い聞かせるように声に出し、ぐっと強くグリップを握った時だ。巨人が木に体当たりをして、ぐらりと木が揺れた。激しい揺れに思わず脚を滑らせてしまい身体が宙に放り出される。大丈夫、焦るな、冷静に、私には立体機動がある。トリガーを引いて、アンカーを射出しガスを噴かした。
「っきゃ!?」
その瞬間、ブツリという音がして身体がぐらりと揺れ、上体の体勢が定まらなくなった。巨人に掴まれた訳ではなく、立体機動の動きがおかしい。意識してみれば、胸の辺りにあるはずのベルトの圧迫感がない。それと同時に先程巨人の腕をよけた際に胸に掠ったことを思い出した。もしかしたらあの時に破損し、暫くは持ち堪えたが耐えきれなくなって切れてしまったのだろうか。ヤバイ、これじゃあ、立体機動を扱えない。
木に刺さったままのアンカーを軸に振り子のように私の身体が揺さぶられ、なすすべもなく私の身体は木に思い切りぶつかった。激しい衝撃に息が詰まる。そして今度は重力に従い地面に吸い寄せられる。刺さったアンカーが体重を支えるが、ベルトが切れているので身体が固定されずぐらりと揺れる。しかししっかりと刺さっていなかったのだろう、ぐらぐらと揺れている間にアンカーが抜け、地面に叩きつけられた。再び襲ってきた激しい衝撃にうずくまり悶絶している私に、再び巨人の大きな手がゆっくりと伸びてくる。
「っ、」
こんなところで、死にたくない。こいつに一矢報いてやりたい。そんな思いでグリップを強く握るも、身体が動かない。
今度こそ、逃げられない。死ぬ。
『うぎゃああああああああああああああああああああああ!!!!』
しかし、私を襲ったのは気が遠くなるような痛みではなく、耳を劈くような叫びだった。それからドスンという音としゅうしゅうという音。
なに、なにが、起こった?
目の前で絶命し蒸発しだしている巨人、と、そのうなじ付近に佇む人影。
恐怖で未だに震えが止まらない。打ちつけられた身体が酷く痛い。
けれど、けれど…
「い、きて・・・る」
生きてる。死んだと、思った、のに。
「そりゃあ、なによりだ」
降ってきた声は聞き覚えのある声だ。そんな訳がない、と思いながらも蹲った体勢から首だけを動かしてその人物を視界に入れた。
「え、う、わ、うそ」
ドキン、と先ほどとは違う意味で心臓が大きく鳴った。今死にかけていたっていうのに現金な心臓だ。だけどそれが調査兵なら皆憧れる人ならば、ごく自然なことだと思う。
「り、り、り、リヴァイ兵長?!」
「・・・他に誰に見える」
「な、何故リヴァイ兵長がここに・・・」
「あ?緊急事態の信号弾打ったのはてめえじゃねえのか」
「は、はい、そうですけど・・・あれ、見えたんですか」
「見えたからここにいる」
そうですね、と消え入りそうな声で返せばリヴァイ兵長は蒸発していく巨人の上から飛び降りてこちらにスタスタと歩いてきた。ああ、こんなことしている場合じゃない、上官を前にしているのに蹲っているなんてなんて無礼な。早く立ちあがって、敬礼を。そう考え腕に力を入れて上体を起こそうとすれば、鈍い痛みが左腕を襲い途中で断念してしまった。
「・・・怪我は」
「だ、いじょうぶ、です」
「そうは見えねえが」
「いえ、その・・・本当に巨人に直接危害は加えられてはいないんです。ただ、巨人の腕が胸を掠った時に立体起動のベルトが破損してしまったようで・・・その、そこの木にそこそこの勢いでぶつかって落下してしまって・・・それが、痛む、くらいで・・・」
「馬鹿か、それを怪我っていうんだろうが」
はあ、と溜息をついたリヴァイ兵長は蹲る私のすぐそばに膝をつき、私が起き上がるのを手伝ってくれた。あの、リヴァイ兵長が、地に、膝を。平気ですと上げた小さな声は彼の「あ?」という低音に阻まれた。噂通りの粗暴な人らしい。ゆっくりと彼の腕が私の身体を包み、意外にも優しい手つきで起こしてくれた。あまりの距離の近さと香る石鹸の清潔な香りに一気に体温が上昇する。しかしそんな邪な考えは、走る痛みによってすぐにかき消された。息を詰まらせ、身体を固くした事は、私に触れる彼にはばればれだっただろう。「我慢しろ」と言いそのまま身体を起こされた。リヴァイ兵長はすぐそばの木を背もたれにするように促し怪我を確認するように私の身体をゆっくりと見回した。
「すみません。ありがとうございます」
「・・・・・・」
「・・・・・・(えっ)」
「・・・・・・」
特にベルトの切れた胸のあたりをじっと見る彼に私が謝罪と感謝の言葉を口にすれば、返事もせずに眉間に皺を寄せて睨むように今度は私の顔をじっと見てきた。何だろう、何か気に触るようなことでもしただろうか。そんなつもりはなかったのだけど。・・・いや、今の状態自体が面倒だろうし、リヴァイ兵長の手を私なんかの為に煩わせてしまうなんて本当に申し訳ない・・・。
「・・・どこが痛む」
「左腕と背中を打ってしまって。背中は大丈夫ですけど・・・う、腕、が、痛いです」
「見せてみろ」
「はい」
患部が見やすいように革のジャケットを脱ごうとするのだが、片腕ではもたついてしまいそれすらもリヴァイ兵長に手伝わせてしまった。ジャケットを脱ぎ、シャツを捲れば内出血で青くなった自分の腕が出てきた。さほど時間が経っていないので腫れはそこまでひどくないが、それも次第に出てくるかもしれない。そっと、リヴァイ兵長の手が患部に触れ、びりびりと痛みが走る。
「ひっ、ぅ―――っ!!」
「折れてはなさそうだが、ひびくらいは入ってるかもしれねえな。・・・まあ、繋がってるだけありがたいと思え。痛み止めなんてもんは持ってねえから痛みは我慢してもらうしかねえが、とりあえず簡単に固定しておくぞ」
「は、あっ・・・は、はい」
そう言いながらリヴァイ兵長は持参していた応急道具を取り出して慣れた手つきで私の腕を固定しだした。途端に襲い来る痛みに脂汗をかきながらも、上官の前で無様な声など上げないように必死に耐えなければならない。口元を手で覆い、ギュッと強く瞼を閉じてそれに耐えた。
「っ、―――っ!」
「・・・終わったぞ」
「っは、いっ。あ、りがとう・・・はぁっ・・・ござい、ます」
「・・・・・・」
兵長は手際よく応急手当してくれたので実際には数分だったのだろうが私にはとても長い時間に感じられ、それを告げられた時には大量に汗をかき肩で息をするほどに疲弊してしまっていた。しばらく呼吸を落ち着けながら、携帯していた水差しの水で喉を潤した。その私のぐったりとした様子をリヴァイ兵長は何も言わずにじっと見つめていたが、やがて首元のクラバットをシュルリと外して私に手渡した。
「あ、の・・・?」
「その汗まみれの顔を拭け」
「え、あ、でも、その・・・」
「・・・・・・」
「あ、ありがとうございます」
差し出された純白のそれは、ふわりと石鹸の香りがした。ドキドキと、逸る鼓動が止まらない。
リヴァイ兵長・・・なんて、素敵な人なの・・・!
今まで私は言動は粗暴で近寄りがたい雰囲気の彼を、少し苦手に思っていた(もちろん優秀すぎる彼を兵士としては尊敬していたが)。だけど、今までまともに話したことのない、もしかしたら顔だって知らなかったかもしれない私の命を救ってくれ、怪我の応急措置をしてくれて、今も私の身を案じてじっと見てくれている(少々緊張するが)。そして潔癖症だというのに私の汗を拭けとクラバットまで差し出してくれるなんて(もちろんこれは綺麗に綺麗に綺麗に洗濯して後日返却する)。彼が兵士長として皆の前に立ち、敬愛される理由を身を持って感じる。こんな風に扱われて憧れない訳がないじゃないか。この一瞬の間で、私は兵士としても女としても彼に心を奪われてしまった。
「落ち着いたか」
「はい」
私が大分落ち着いてきた事を確認するとリヴァイ兵長は立ち上がり周囲を見渡して指笛を吹いた。すぐ近くに佇んでいた黒い毛並みの美しい聡明そうな彼の愛馬がその呼びだしに駆け付けてきて嬉しそうにリヴァイ兵長にすり寄った。彼はその美しい馬の首筋を愛撫してこちらを見た。
「こんなとこに長居はできねえ、急ぐぞ」
「あ、あの」
「なんだ」
「わ、私、馬をやられてしまって」
「見りゃあ分かる」
「立体機動も故障して」
「見りゃあ分かる」
「その、移動手段が・・・ない、ので、さ、先に行ってくださ」
「あ゛?てめえ、ふざけてんのか」
「や、だって・・・」
「俺は、死体の回収に来たんじゃねえ、生存者の救出に来たんだ。くだらねえことをぬかさねえでさっさと乗れ」
「で、でも・・・・・・はい」
最後に恐ろしい睨みを向けられてはそれ以上の口答えはできなくなり、何とも恐れ多いことにリヴァイ兵長と二人乗りをする事になってしまった。
彼の美しい愛馬の首をポンポンと叩いて愛撫し「よ、よろしくね」と声を掛けたが、プイと顔を背けられてしまった。微妙な気分になりながらもその大きな背に跨った。そこでふと気付く。
(これ、私どっちに乗ればいいんだろう)
普通、馬に二人乗りする際には後方に座る者が手綱を握る。この場合、手綱を握るのはリヴァイ兵長になる…けど。後方の方が揺れるしそれに、その、あれだ。私の身長は女性としては実に平均的なので、大抵の男性との二人乗りなら全く問題はないのだが、兵長は、その、ほんの少ーし小柄な方なので前が見え辛いだろう・・・なあ、と。それなら後ろで必死にしがみついていた方がいいような気がする…のだけれど、それはそれで、はたして片腕の状態でどこまでしっかりつかめていられるのか不安だったりして。
「おい、もっと前詰めろ」
馬に跨り微妙な位置で腰掛けている私に、馬に愛撫しているリヴァイ兵長が睨みながらそう言った。(ちなみに私にはそっぽを向いた馬はリヴァイ兵長の腕にはとても幸せそうに擦り寄っている。なんともまあ、気位の高い馬だ)
リヴァイ兵長にそう言われ小さく「はい」と返事をしてすぐさま前に詰めた。あれだけ迷っていたが、兵長にそう言われれば従うしかない。彼が是と言えば是なのだ。それから直ぐにリヴァイ兵長もひらりと馬の背に跨った。
(う、わ)
途端に背中に感じる彼の気配にどっと緊張が高まった。こ、これは、予想以上の、近さだ。先程リヴァイ兵長への憧れを意識したばかりの私には少々刺激が激しいこの距離に心臓がバクバクと暴れだした。
「てめえ、それじゃバランスが取りずれえんだよ」
「きゃっ!?へ、へへへ、ちょ、な、え、ちょっ!?」
なるべくリヴァイ兵長に触れないように距離をとっていれば、兵長は唸るような低い声を放ち私の腰をガッシリ、と掴み彼の方に引き寄せた。ジャケットは先程治療の為に脱いだままシャツ一枚だし、使用できない立体機動は兵長に、邪魔だ捨てろと言われたのでそれに従った。つまり、寄せられた身体が、すっごく、近い、背中に彼の体温をうっすらと感じるくらいに。そして手綱を握るリヴァイ兵長の両腕が私の身体のすぐ横を通っている。こんな、たった今意識し始めたばかりの異性とのこの状況にガチガチに身体を固めて硬直している私に、リヴァイ兵長が静かに囁いた。
「大人しくしてろよ」
すぐそばで低く囁かれた声に、肌が粟立つ。これだけ密着しているのだから当然彼の声はダイレクトに私の身体に伝わってきた。私の公に捧げたはずの心臓が激しく暴れだしたその瞬間、リヴァイ兵長が手綱を強く握り、馬の横腹を蹴った。瞬間、彼の愛場が一啼きし脚を動かした。
「っ」
すぐに馬はトップスピードに乗った。邪な思いを胸に秘めていた私の身体は恐怖で強張った。自分で操縦しない馬にわが身を預けるということは予想以上に恐怖を煽るものだった。別に二人乗りをしたことがない訳ではない。何度も経験はある。しかし、本来成人の二人乗りという時点で馬には相当の負担を掛けてしまうわけだから、これだけのトップスピードでの二人乗りと言うのはそうそう経験するものではないのだ。おまけに普段よりもずっとバランスが取りにくいしどうしても身体に力が入って固くなってしまう。
「おい、お前、力抜け。馬が戸惑う」
「は、ご、ご、ごめんなさいっ」
と、言われましても怖すぎて無理です!!・・・という言葉はもちろん声にはならずに心の中でだけ声を大にして叫んだ。しかしそんな私の声が聞こえたかのようにリヴァイ兵長が今度は飽きれたように声を出した。
「心配しなくても落としたりしねえよ」
「あう、い、いや、その・・・」
それはズバリ核心を得た言葉を浴びせられて言葉に詰まった。上司に、それも人類最強と呼ばれるリヴァイ兵長に安心して背中を預けることができないというのは大変失礼なことなんじゃないだろうか。しかしこれは別に彼のことを信頼していないからとかそういうことではなくて(実際私がバランスを崩して落ちかけたところで兵長はしっかり助けてくれるんだと思うし)、本能的な恐怖であって自分の意思でどうこうできるものではないのだ。
もごもごとはっきりしない言葉をこぼしていれば、背後で大きなため息が零れて私の後頭部にかかった。それを肌で感じ再び謝罪の言葉を口にしようとした時、不安定だった上半身に暖かな温もりと安定感が訪れた。
「っ!?!?!?」
「これで少しは安定するだろ」
しれっとそういう兵長の声が耳のすぐ横で聞こえる。リヴァイ兵長は両手で握っていた手綱から左手を離し、私の身体を固定させた。つまり、今、私の腰には兵長の腕がしっかりと巻きついているのだ。
「・・・は、い」
あまりの衝撃に言葉は出ず、つい頷いてしまった。それに満足したかのようにリヴァイ兵長はさらに腕に力を入れて私の身体を抱き寄せた。先ほどまではたまに触れるだけだったが、今は彼の腕の中に強く閉じ込められている。当然二人の身体がぴたりと密着するし、私の顔の横のほんの少し上に彼の顔がある。先ほども述べたがジャケットも立体機動装置も身に着けていない私には、彼の体温だとか、体格の割にガッシリと筋肉のついた腕だとか、更には清潔感のある石鹸の香りや、耳元には彼の呼吸さえもがいやでも伝わってきてしまう。
リヴァイ兵長にとっては単にビビる私の身体を固定させる為の行動なのだろうけれど私にとってはこんなに男の人と密着するなんて生まれて初めての出来事で。しかもたった今恋に落ちた相手で。力を抜けと言われた体は別の原因で余計に固くなり、体温がみるみるうちに上昇する。顔も、耳も、身体も真っ赤になっているに違いないというほどに。
「チッ。おい、だから・・・・・・」
未だ身を固くしたままの私に苛立ったのだろう兵長が舌打ちをして、ずっと前を見据えていたその小さなお顔をこちらに向けたのが視界の端に映った。こんな状態で至近距離で視線を合わせるなんてとてもできずに視線をきょろきょろとさまよわせていた。私の真っ赤であろう顔を覗きこんだ途端に何故か言葉を切った兵長を不思議に思っていれば腰に回されたままの兵長の手がそこを撫でるように静かに滑らせた。
「っ!?」
今までそこを掴んでいた力強いものとは正反対の優しく撫でるような手つきで蠢く彼の手の動きに微かに身が震える。突然のその動きに困惑し目を白黒させている私の耳元に熱い吐息がかかる。
「力をぬけって言ってんだ」
「・・・っ!!」
耳元でリヴァイ兵長が囁くように告げた声は、今まで聞いたことの無いような艶っぽいものだった。その吐息交じりの囁きが私の耳にかかった途端、私の背筋から腰にかけてゾクゾクという今まで感じたことのない衝撃が走り、途端に全身から力が抜けてしまった。
今まで固くしていた身体から突然ふにゃりと力の抜けた私を片手でしっかりと支えながら、リヴァイ兵長は口の端を釣り上げて満足そうに見下ろした。
「そうだ、それでいい」
「―――あ、の・・・でもっ」
リヴァイ兵長は何故だか満足そうにしているけれど、リヴァイ兵長に全体重を預けてボケっとしているなんてこんな状況がはたして許されるのだろうか?いや、そんな訳がない。
「あの、だ、大丈夫、なので・・・っは、な―――ひゃっ」
軽いパニックに陥りそうになりながら、私の腰に絡まる兵長の腕に手を寄せてどもりながら解放を懇願しようとすれば、ウエストの辺りを這っていた彼の手がススス、と胸の下まで上ってきた。際どい位置にまで上った彼の手から感じる刺激に思わず小さな悲鳴を上げた私に、リヴァイ兵長は再び耳元で囁いた。
「うるせぇな・・・いいから黙って俺に身を任せてろ」
「・・・・・・っ、」
その行為に再びクラリと力が抜けた。先ほどよりも強く感じたゾクゾクした感覚が襲いしばらくはとても力が入らなさそうで、離そうと掴んでいた彼の腕にすがりつくように掴まっている。そんな力の入らない状態の私をよそに、リヴァイ兵長の腕は私の胸の下のラインを這うように撫でる。胸に触れられる訳でもないのにそれを連想してしまう私は、厭らしい女なのだろうか。そんな嫌悪感を感じながらも、彼の手の動きに反応してピクピクと身体がはねてしまう。
「―――はっぅ、」
「・・・・・・」
暫くそうして私の胸の下辺りに撫でるように触れていたリヴァイ兵長は、ピタリと手を止めるとふぅー、と大きく息を吐いた。それから再び私のウエスト辺りをガッシリと掴みガツンと馬の横腹を蹴った。
「スピード上げるぞ」
そういった瞬間に馬のスピードはぐんと上昇する。先ほどまで恐怖からカチコチに身を固くしていたがそんな恐怖がどうでもよくなるような衝動が身体を巡って私は兵長に身を預けっぱなしでまともに身体に力も入らない。邪魔がなくなり軽やかに走るリヴァイ兵長の愛馬の上で、ドキドキと逸る鼓動が彼に聞こえないように祈ることしかできなかった。
「あっ!」
それから、15分ほど馬を走らせただろうか。森をとっくに抜け、見通しの良い草原を走っていた時、少し離れた位置に緑色の信号弾が打ち上げられているのが目に入った。
「どうにか本隊と合流できそうだな」
「はい・・・よかった」
相変わらずピタリとくっついたままの身体と馬のスピードに、ようやく少しだけ慣れた頃だった。ずんずんと距離が縮まっていき、すでに兵士の姿が視界に入ってきた。もうすぐ本体と合流し、私は医療班に預けられるだろう。ふわふわとピンク色だった思考が現実的なものへと切り替わっていき、今更ながらに後悔や申し訳なさがこみ上げてきた。
「リヴァイ兵長。わ、私・・・」
「なんだ」
「リヴァイ兵長が通りかかって助けてくれなければ、きっと・・・。それなのに、その・・・迷惑ばかりかけてしまって、本当に申し訳ございませんでした」
すぐ斜め横にある彼の視線が私の顔をじっと見下ろしているのを感じる。きっと呆れたような顔をしているのだろうが、それを見るのが怖い。尻すぼみに小さくなっていく謝罪を聞いて兵長はどう思うだろうか。自然と視線も下を向く。
「・・・気を抜くのは壁内に戻ってからにしろ。まあ、確かに面倒ではあったが・・・俺も悪いことばかりじゃなかったしな」
「え?」
厳しい言葉がかけられるのを覚悟していれば、リヴァイ兵長が予想外の言葉を放ち思わず彼の顔を振り返り見上げた。普段よりもずっと柔らかな表情で私を見ていた兵長と目が合いドキンと心臓が高鳴る。数秒彼と視線を合わせていたが、彼は何故かばつが悪そうに眼をそらした。
「・・・いや、気にするな。もうすぐ合流するぞ」
「は、い」
「それよりお前、名前は」
「え?あっ!!し、失礼しました!!私はオリヴィア・カーティスと申します!第102期入団で、現在はネスさんの班の一員です!!」
そう言われて、サーっと顔が青ざめた。なんて失礼なことをしていたのだろう。彼に名乗りもせずに治療してもらい馬に乗せてもらっていたなんて、厚かましいにも程がある。オリヴィアは声を大にして名前を告げた。
「そうか、覚えておいてやるよ。ただし、お前―――、オリヴィアよ。」
「は、はい!!」
「“それ”はしっかり隠しておけ」
「?」
突然の兵長の忠告に、私は頭の中でクエスチョンを浮かべる。“それ”を隠す?それってなに?
すると兵長は涼しい顔をほんの少しだけ歪めて小さくため息をついた。
「・・・“ここ”だ」
「っきゃ!?」
そして、あろうことかその腕を私の胸に重ねた。私の・・・ほんの少し人よりも大きめの胸がリヴァイ兵長の硬く兵士らしい手に包み込まれる。兵長の手の温もりが直に肌に感じられる。きっと私が今体温をひどく上昇させていることもばればれだろう。
「へへへ、兵長、な、ななな、何をっ」
「自分の格好をよく見てみやがれ。これで本隊に合流すれば俺が誤解される」
「え?な、なに・・・っ!?!?」
リヴァイ兵長はそう言ってパッと胸元から手を引き再び腰に戻した。彼の言葉に従い自分の身体に目をやれば、信じられない光景が目に入った。立体起動装置のベルトが外れた胸辺りのシャツが破れて大きく開いており、真っ赤な…
「っきゃあ!」
そう、私のジンクスでもある美しい―――というか、ものすごおく、セクシーな、真っ赤なレースの下着が露出していたのだ。
急いで、胸元の開いたシャツを手繰り寄せて下着を隠した。
「う、うそっ、え、そん、い、いつから」
「まあ、少なくとも俺がお前を起こした時にはその状態だったな」
「っ、」
さあ、と血の気がひくような感覚が襲う。なんだ、それ。起こした時っていうのは倒れて身動きとれなかった私を起こした時、よね?え、それって最初からっていうことじゃない?つまり私はこのだらしない身体を、リヴァイ兵長の目の前にずっと晒していたっていうの?応急処置をしてもらっている時とか、すっっごく近かったんだけど…し、信じられない…。今までずっと…誰にも見つからないように注意していたっていうのに、どうして、どうしてよりによってリヴァイ兵長に見られてしまうの。恋に落ちたと思ったら、すぐに恋は終わってしまった。恥ずかしすぎて、もう二度とリヴァイ兵長に話しかけることはできない。
頭の中がぐちゃぐちゃになって涙目になり声も上げられないでいる中、クツリと小さな笑い声が届きひときわ強い力で身体を寄せられる。
「おかげで、それほど悪くない時間だったぜ、オリヴィア?」
三度耳元で囁かれた言葉に力が抜けるどころか、クラリ、と意識が遠のいた。
幸運のジンクス
ガタガタという振動を身体に感じて、薄れていた意識がふわりふわりと上昇していく。身を捩ろうとした瞬間に、左腕に鋭い痛みが走って小さく悲鳴をあげかけた。
「っ!」
「あ!オリヴィア、起きたのね!よかった・・・」
その痛みによって一気に意識が覚醒したオリヴィアの顔を覗き込むようにしてほっとした表情を見せたのは、顔見知りの看護兵だった。
「よかった、オリヴィア。大丈夫?私のこと、わかる?」
「あ・・・え?う、うん」
身体を起こそうとしたけれど、駄目!寝てて!という看護兵の厳しい言葉に従いそのままの体勢でいることにした。身体を動かすかわりに首だけを動かして周囲をぐるりと見渡すとそこは救護馬車の中で、私はそこに横たわっていた。
ええっと・・・あぁ、そうだ。今は壁外調査中で、私は班とはぐれて負傷して・・・
「突然意識を失ったって聞いたけど、頭も打った?」
「や、頭は打ってない・・・はずだけど・・・」
「うーん。本部に合流して気が抜けて意識を失ったのかしら・・・?まあどっちにしても一応検査はした方がいいわね。今は頭までは見れないけどもうすぐローゼに着くから先生に診てもらって」
うん、と返事をするけれどそれどころではなく彼女の言葉は右から左に抜けていく。
記憶通りの腕の痛みは、あれが現実だったことを示している。だけど、私の記憶の全てが現実だったんだろうか。
“あれ”は夢だったんじゃないだろうか。
実際はネス班長が戻ってきてくれて私を助けてくれて、怪我をして意識を失った私を連れ帰ってくれたとか、そんなところなんじゃないだろうか。あ、うん、多分…いや絶対それだ。だって、リヴァイ兵長とあんなことになるなんて、非現実的すぎる。きっと夢だったんだろう。それにしても、今まで特に接点もなかった彼とのあんな夢を見るだなんて、どうしたんだろうか。
と、そんな事を思っていた所に・・・
「とりあえず今は腕だけ診たわ。簡単な応急処置しかしてないって聞いたけど・・・さすがリヴァイ兵長ね。応急処置も完璧で、痛み止めを飲ませる以外、今の設備でできる事はほとんどすることなかったわ」
「っリ!?!?」
リヴァイ兵長の名前が出てきて、驚きのあまりに自分の状況も忘れて身を起こそうとしてしまい、再び痛みに悶絶する。
「ちょ、ちょっと、安静にしてなさいって。痛み止め今飲んだばかりなんだから、効くにはもう少し時間がかかるのよ」
「う、ん・・・っ!ね、ねえ、リ、リヴァイ兵長って・・・私、リヴァイ兵長に助けてもらった、の?」
「なによ、覚えてないの?そうよ、あなたを助けてくれたのはリヴァイ兵長。運がよかったわね」
「いや・・・覚えてない、って、いう、か」
夢、かと思ってた。と告げれば、看護兵はあはは、と笑った。
「まあ確かに、リヴァイ兵長に助けられたってなったら、夢かと思っちゃうかもねー。でも、本当の事よ」
すぐ隣で聞こえている筈の彼女の声が、とても遠く聞こえる。私の記憶は全て事実ということ?つまり、彼に命を救ってもらったということはもちろん、彼とあんなに密着していた事も、彼に思い切り下着を見せつけていた事も、彼に囁かれて頭がショートしてしまい気を失ってしまった事も、恋に落ちた瞬間に失恋してしまったことも、すべて、事実ということ・・・?
やっぱり、そんな、そんなの・・・もう、どうやってリヴァイ兵長に顔を合わせていいのか、分からない・・・。
い、いや、でも、元々そんなに顔を合わせる方じゃなかったわけだし。少し気をつけていれば、きっとこんな地味な女の顔なんてすぐ忘れてしまうだろうから、ほんの少しだけ顔を合わせないように注意していれば・・・
「壁内に戻って治療したら、きちんとお礼を言っておくのよ?」
「・・・・・・そ、う、です、よねー」
なんて、狡い考えを呼んだかのように言われた看護兵の言葉に大きく溜息をついた。お礼って、そんな、合わす顔がないって言ってんのに・・・ハードルが高すぎる。どうなんだろう、兵長にとっては部下の命を救うなんて日常茶飯事だろうから別に私一人お礼に行かなかったところで・・・いや、そういう問題じゃ、ない、か。命の恩人に対する考えじゃないな、今のは。反省。
「当然じゃない。それに、それ!」
自己嫌悪に陥り額に怪我のないほうの右腕を持ってきてぶつぶつと呟いている私に、看護兵が不思議そうな声を出す。それから、私の身体を指さした。
「“それ”・・・?」
否、正確には、私の身体にかけられている調査兵団の深緑の外套を、指さした。
「?」
これが、いったいなんだっていうのだろう。調査兵なら誰でも所持しているもので、特に珍しくなんてない。私の外套だろうに。
「あ、れ・・・?」
私の、外套・・・?いや、でも、リヴァイ兵長と馬に乗っていた時には、外套は着ていなかった。立体機動装置を外し、ジャケットすら脱いだ状態だった。私の外套は・・・そう、そうだ。まだ班長達とはぐれる前、休憩の時に少し暑かったので、脱いで馬に括っておいたんだ。私の外套は、あの子の死体と一緒に今もあの森の中の筈だ。これは、私のじゃあ、ない。
え、じゃあ、これ、は・・・・・・
「ね、ねぇ。これ、この外套、って、あ、あなたの?」
「いいえ、違うわよ?」
恐る恐る聞いた問いに彼女はあっさりと否定の言葉を返すとニヤリと笑った。ああ、もう嫌だ、これ以上聞きたくない。
「ふふん、驚きなさい。それ、リヴァイ兵長のものよ。私があなたの身柄を引き受けに駆け付けた時にはそれを着ていてね。てっきりあなたのと思って脱がせようとしたんだけどね・・・
“そいつのシャツのボタンが巨人と応戦した際に取れてしまったようだ。胸に古傷があって見られたくないらしい。今回は腕の傷以外は胸には怪我をしているわけでもないようだしそれで隠して見ないようにしてやってくれ”
ですって!!!」
「・・・え」
「リヴァイ兵長って、ゴロツキあがりで粗暴だっていう噂だったけど、本当はとっても紳士なのね・・・。もう、私の方がどきどきしちゃったわ・・・」
彼女の言葉にドキン、と胸が高鳴るのが分かった。
私の胸には、見られたくない古傷なんてものはない。あるのは、見られたくない派手な下着だけだ。リヴァイ兵長はそれを汲んで、他の人の目に付かないようにするために・・・いわば私を庇ってくれた、ということだろうか・・・。
「ん?オリヴィア、顔赤いけど熱ある?」
「な、なんでもないっ!!!」
怪我をした腕よりも胸が締め付けられて痛い。あぁ…私…リヴァイ兵長のことが…
幸運のジンクス