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孤独の蛍、月夜の晩に





「おや? 先客ですか」




 しばらく思いのままに歌っていると背後から男の声がして心臓が跳ねた。

────今の、聞かれて……!?

 自分の歌を聞かれたかもしれない……いや、確実に聞かれてしまった、そんな恥ずかしさで胸が押し潰されてしまいそうになる。現役の頃、幾度となく練習していた曲とはいえ、今の歌は他人に聞かせられる出来ではない。

 振り向くことも忘れ、その場から立ち去ろうとする私は彼の大きな手に引き留められた。




「待って」




 相手は優しく声をかけてくれるけれど、穴があったら入りたいと思うほどの羞恥心に襲われていた私はその腕を振り払うつもりで力を込めた。




「離してください…っ!」




 しかし相手は男。

────もうっ……なんでよ!

 私の抵抗も虚しく、彼は平然と手を掴んだまま顔を覗き込んだ。




「何か、悩んでるの? ……僕でよかったら相談に乗るよ」




 寂しそうな声で、男はそう呟く。思ってもみなかった発言に驚いて顔を上げた時……──。

 初めて、その人物の顔を見た。




「あな、たは……木ノ葉の里の」

「……申し遅れました。サイです」




 闇夜に輝く白い肌に漆黒の黒髪、髪と同じ色をしているのにどこか澄んでいるようにも見える優しい瞳……。それはいつの日か出会ったことのある、あの彼の姿だった。

 人の心を汲み取れないあの時とは比べ物にならないほど、彼は成長し、落ち着いた雰囲気を纏っている。




「どうして、あなたがここに……?」




 サイさんがこんな真夜中に、しかも森の中にいるなんて……考えられなかった。

────里でもお会いしたことが無いのに……。

 しかも独りのところを見ると、任務などでたまたま近くを通りかかった、というわけでもなさそう。




「ここは僕のお気に入りの場所でね。……里からは少し遠いけど、たまに来るんだ」




 私から視線を外した彼は湖の方を向く。月明かりに縁どられたその横顔はあまりにも美しかった。




「ほら蛍達も綺麗だし」




 彼はそう言いながら握っていた手を離し、湖の淵へ腰かけながら足を投げ出すように座った。ちゃぽん、と涼しげな音が森に響き、波紋が広がっていく。
 彼は話を聞くよ、というように傍らを優しく撫で、指を弾ませながら私を見上げた。

────彼になら……サイさんになら、私の悩みを打ち明けてもいいかもしれない。

 今まで誰にも理解できない、と胸の奥底へ沈めていた私の悩みを。




「……実は────」




 促されるままに傍へ腰を下ろし、途切れ途切れに話す私の言葉を、彼は静かに聞いてくれた。




「……そっか」

「なんか…ごめんなさい」




 話しながら感情の波が堰を切って溢れ出してしまい、涙が止まらなくなってしまった私の頭をサイさんは慰めるように撫でた。

 その手は大きくて優しくて、心ごと包まれていくようで────。

 一度出た涙は止まることを知らず、私は謝りながら泣き続けることしかできなかった。




「たくさん泣いていいよ。その方が、あとですっきりするからね」




 サイさんはそっと私を抱き寄せ、落ち着かせるように背を摩る。

 虫達のさざめきと風に煽られる木々の葉擦れ心地良く思えてきた時、ふと隣から小さな歌声が聞こえた。



「…っその、歌……」




 思わず顔を上げた私と目が合ったサイさんは笑みを返し、少しだけ声を大きくして空を仰ぎ見た。

 彼が歌ってたのは紛れもない。私が舞台で歌っていた、あの歌だった────。




ー完ー
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