花咲く梨の実
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背後に感じる気配、耳にかかる吐息、伸ばしたはずの右手首と前かがみになった腰元に伝わる体温。
それは紛れもなくネジ兄ちゃんのものだった。
────もうダメだ、これは怒鳴られる覚悟を決めるしか……!
壺を割ったことがバレてしまった。しかも黙って無かったことにしようとした今この瞬間の思惑もきっと勘付かれてる。
今にも怒声が飛んでくるのでは、と身を固くすることしかできなかった私の耳に届いたのは意外も柔らかい声だった。
「怪我は」
「……へ…………っ?」
思わず聞き間違いかと振り向いてしまった。
瞬間、いつもより間近に迫る透き通るような瞳と視線が絡む。
────あれ…? 兄ちゃんの眼って……こんなに、綺麗…だっけ……?
「怪我はないか、と聞いているんだが」
吸い込まれるような感覚に陥っている私の顔を怪訝そうに見つめるネジ兄ちゃんにそう言われ、やっとのことで言葉を探す。
「えっあ、あ〜…ない。無事! 無事っす!」
するとネジ兄ちゃんは「そうか」とだけ言い残して私の体を開放した。
────なん、だろう…やばいな……。
自分の中で起き始める違和感に気付きながらも、そんなわけがないと必死に否定する。
あるわけがない。あってはいけない。気の迷いだ、と。
「これは俺が片づけておく。お前はさっさとその荷物を部屋に置いて来い」
「……うん」
〝ごめん〟。
たったその一言を口にすることもできなくて、そんな余裕すらなくて、畳間へ放り投げた荷物を取りに行った。
さっきのことがあってから、ずっと心臓はうるさいままだ。
────そんなわけ……ない。
認めたくなんかなかった。
「っ……た」
荷物に手を伸ばした時、一瞬だけ手のひらが痛んだ。ぴりつくような、鋭い痛み。
痛んだ箇所を見てみると右手の手のひら──ちょうど小指の真下辺りに紙で切った時のような切り傷ができていた。
じんわりと赤い線が走る傷口を見れば見るほど痛みが増していく。
「どうした、アサギ」
私の声が漏れ聞こえたのか、廊下からネジ兄ちゃんが顔を覗かせた。
「…えー? なんもないけど。てか呼んでないし」
気持ちとは裏腹に棘のある言葉が口を突いて出てしまい、罪悪感と後悔で兄ちゃんの方を振り向けなくなる。
この傷が見られればどんな反応をするかなんてわからないけれど、でも今はそれより兄ちゃんのことがいつものように見れないことの方がもどかしかった。
────あの瞬間から変だ。おかしい。絶対違うのに。
きっと一時的なものだ、とそう思い込みたくて、だからこそ今だけは兄ちゃんとは一緒にいたくなかった。
さっさと部屋に戻りたい。ひとりになればきっとまたいつも通りに戻れるから。
そう、思ってたのに────。
「何が『なんもない』だ。嘘を吐くならもっとマシな吐き方を覚えろ」
ネジ兄ちゃんはこっちへと歩いて来て私の手を掴んだ。
……もう、何も言えない。
「……なぜ、隠そうとした?」
「別に隠そうとなんて…──!」
「さっき怪我がないか確認したはずだが?」
「気づかなかったの! 今荷物取ろうとして気づいて、それで……!」
必死に説明しようとする私の手を取り、何も聞かぬままネジ兄ちゃんはかぶりついた。
「ちょっ……!? ななな、なにしてんの!?」
思わぬ行動に声が裏返り、体中が熱くなる。ぬるりとした感触がネジ兄ちゃんのものだと嫌でも意識してしまい、全身にピリピリと刺激が走った。
私が騒ぐからか、少し上目遣いで軽く睨んでくるその表情でさえ、今だけは胸を締めつける。
いつもなら腹立たしいだけなのに。
「応急処置だ。本当は自分でやった方がいいが……どうせ、今のお前は言われた通りにやらないだろう」
そう言って立ち上がったネジ兄ちゃんに何も言うことができず、ただ見上げた。
「……お前は何でも俺に隠そうとするが」
ため息混じりに呟いた兄ちゃんの顔は心なしか困っているように見える。
「俺に隠し事は無用だ。残念だが、一度もお前の嘘を見破れなかったことは無い」
兄ちゃんはそれだけ言い残し、再び掃除へと戻って行った。いつもより大きく見えてしまうその背を見送ったあと、手元へと視線を落とす。
────ダメだ。もう、誤魔化しきれない。思い込むなんて無理だ。
ネジ兄ちゃんの舌が這った傷口にそっと触れる。まだほんのりと熱を持つ手に心臓は高鳴り、お腹の下あたりがきゅっと切なくなった────。
ー完ー
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