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小夜の向こう側





 道中、鬼鮫は途切れ途切れに何があったのかを話してくれた。口を開くこともつらいだろうに、それでも状況を説明しようとしてくれる彼を見て胸が痛む。

 今回、ただの視察任務として赴いたが、敵に相当な手練れがいたらしい。

 こちらの動きを予知、待ち伏せ、奇襲。

 正直これだけなら鬼鮫は姿を眩ませるなりなんなりできたはず。でも厄介なのがその手練れの扱う幻術だった。

 鬼鮫は感じたと言う。一度、少し触れられただけで酷く精神が侵されていくのを。次は無い、と悟った鬼鮫はすぐ防衛に走り、撤退しようとするも囲まれてしまう。

 そして予知と幻術の力を持つ手練れがリーダーとなり鬼鮫を追い込んだ。このままでは情報を全部抜き取られてしまう、と察した鬼鮫は自ら水牢へと入り逃げる隙を伺った。

 しかしやはり一度触れられたのが大きかったのか、毒が効いてくるようにじわじわと精神が何者かに乗っ取られる感覚がし、必死に抗っていたと言う。
 最悪、少しでも自我のあるうちに命を絶ち、全ての情報を守ろうとした、と。

 しばらく走って飛び込んだ深い密林の中で大きな洞窟を見つけ、ようやくそこで足を止めた。

 仄暗い洞窟の中、壁伝いに奥へと進み、完全に外の光が届かない場所を目指す。
 視界が悪くなってきたところで歩みを止め、その場で一度腰を下ろし、首元に回していた鬼鮫の腕を解きながら立ち上がる。

 うなだれる鬼鮫の正面に屈んで容態を確認した。

 ぼんやりと浮かぶ鬼鮫の体にはこれといって外傷は見当たらない。けれど鼻や耳からは出血があった。時折咳込むその口からも血液が流れていく。

 ……内部だ。

 この状態から見て、内部がやられてしまっているのは容易に想像できた。

 暗くてよく見えないからとその他の容態を少しでも聞くため、あちこち触っては鬼鮫に声をかける。しかし何度話しかけても反応は鈍くなっていく一方で、鬼鮫の顔にぐっと近づいて瞳を覗き込んだ。

 その瞳は会話が成り立っていたさっきまでとは違い、虚ろだった。

 内部にダメージ、そしてこの状態……。

 鬼鮫が言っていた手練れというのがいかに厄介かを思い知る。きっと奴の幻術攻撃というのは精神的なものだけではなく、直接脳をいじるようなものだったんだ。

 同じ幻術使いとして、奴がどれほど高度な忍術を使っていたのかが嫌でもわかってしまう。

 今の鬼鮫は脳に直接ダメージをくらったせいで内臓が一部機能してないのかもしれない。そして正気に戻ったように見えて、まだ幻術に抗い続けていたんだ。
 目の前に私がいるのに虚無を見つめ続ける鬼鮫の手を取り、印を組む。

────時解じっかい

 目を閉じて自分のチャクラと鬼鮫のチャクラとを一体化させ、絡まった精神を紐解いていくように彼を現実へと呼び戻す。
 震え、混乱し、絶望の淵にいた鬼鮫の精神がだんだんと落ち着いていくのを感じて瞼を持ち上げると、今度は本当の彼としっかり目を合わせることができた。




「優…子…? ククッ……まさか、その陰気臭い術で助けられるなんて…皮肉ですねェ………」



 鬼鮫は意識が戻るや否や自嘲するようにそう吐き捨てた。

 そしてすぐにおぼつかない足取りで立ち上がり、この暗い洞窟の中、壁に手をつきながら歩き出そうとする。しかし一歩踏み出したところでふらつき、膝を落としてしまった。

 そんな彼の脇腹に潜りこんで体を支え起こしてやりながら、私は半ば呆れて言葉を零す。




「もう、お礼くらい言えないの」




 鬼鮫が言わんとしていることはわからなくもない。

 実際彼をここまで追い詰めたのは〝幻術〟。そして助けたのも〝幻術〟。

 でもだからと言って人の気も知らないで……。

 なんて膨れていると頭上から鬼鮫の含み笑いが聞こえた。




「もちろん、感謝はしていますよ。人より勘が良いアナタがもし、己を信じずここへ来なかったら、私はきっと自害を選んでいた」




 己を信じず……──。

 その言葉に最初ここへ来ようとした時の心情を思い出す。確かに私はあの時迷っていた。彼なら大丈夫だと信じたくて。何もないと思い込みたくて。

 でも結果、私は自分を信じて動いた。あの選択は間違っていなかったんだ。

 鬼鮫の言葉が、存在が、何よりの証だ。私が来なければ彼は今ここにいない。
 私は阻止することができた。彼を、死なせずに済んだ……──。




「ただ、その術で助けられてしまったのは不覚ですがね」




 嫌味らしくそう付け足され、胸の内に湧き上がったものが冷めるように遠のいていった。




「あーあ、全部振り出しに戻った。さっきまでの感動返して」




 本っ当呆れる。
 この人はいつもこうだ。私の好意を弄んで。

 こんなに元気ならもう1人で歩けるだろう、と反抗の意を込めて支えていた鬼鮫の体から離れようとした。

 すると彼は私の腰元に腕を回し、引き留めるように言う。




「冗談ですよ、冗談。感謝しているのは本当ですし」




 ……まるで私の気持ちなんて少しも知らないみたいに。




「何よ今更。もう伝わらない。伝わってこない」




 半分拗ねてそう言いながら鬼鮫の腕を力いっぱい叩く。
 怪我人に対する扱いじゃないかもしれない。けれど彼が無事だという安心感とともに、元気過ぎるが故の言動に振り回された悔しさから、思わず手が出てしまった。




「しかたありませんねェ」




 そっぽを向いていた私の耳に鬼鮫が呟いた言葉が滑り込む。その意味を考える間もなく、頬に柔らかい感触がした。

 ほんの、一瞬だけ。

────何……?

 すぐには理解することができなくて、固まったままの私の耳元に吐息混じりの声が響く。




「……これでも、伝わりませんか?」




 そこで全てを悟った。今、何をされたのか。

 けれど答えがわかったのと同時に温もりは離れていき、それがどうしようもなく寂しく感じた。

 一体どういうつもりでそんなことをしたのか、そこまでして私のことをからかいたいのか、と問い質したい気持ちでいっぱいだったけれど、暗闇の中振り返った彼は再び壁へと身を預けていてその表情は窺い知れない。

 彼の吐息でくすぐられた耳は嫌なほどに熱を持ち、その熱は頬にまで移っていく

 ……今は、ここが暗黒に包まれていることが唯一の救いだ。

 この隠しきれない赤面状態を見られれば、きっとまた彼は私を茶化すだろう。けれど同時に少しだけ、ほんの少しだけでいいから明かりを欲した。

 ああ、勘が騒ぐ。

 一歩、また一歩と進み、そっと彼の瞳を覗き込んだ。

 視線が交わる。頬に添えられた手が温かい。

 貴方は今、どんな表情かおをしているの────?




ー完ー
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