6-9 …そんなことねーよ。

  • …少し離れた席での他の客の楽し気な笑い声が、俺たちの間に生まれた沈黙に横槍を入れる。

  • それをきっかけに、先に口を開いたのは碧芭だった。

  • 瀬名 碧芭

    ……ごめんね、そのときは何もしてあげられなかった。

  • 向こうの賑やかさとは真逆に沈んたトーンで紡いだその声は、わずかに掠れていて。

  • 瀬名 碧芭

    僕は、眞白のたった一人のお兄ちゃんなのに…。

  • 瀬名 眞白

    ……、

  • 瀬名 碧芭

    あの頃の僕は今よりもずっと非力で、何もできなかった。

  • 瀬名 碧芭

    眞白のことをただ見守ることしかできなくて、そんな自分が愚かで、いまだに腹が立つよ…。

  • これまでずっと碧芭が抱いていた苦悩を、初めて目の当たりにした気がした。

  • 俺のことを想い、なんとかしてやりたいともがいていたはずの碧芭の顔は、とても切ない色をしていて。

  • 瀬名 眞白

    …そんなことねーよ。

  • だから、言わずにはいられない気持ちがこみ上げる。

  • 瀬名 眞白

    めっちゃ良い兄貴だよ…碧芭は。

  • 瀬名 碧芭

    …眞白…、

  • 瀬名 眞白

    …なあ、覚えてる?

  • 瀬名 眞白

    俺が中学に入って間もない頃だったかな、学校の先輩と喧嘩になってさ、

  • 瀬名 眞白

    碧芭が血相変えて助けに入ってきたことがあったじゃん?

  • 瀬名 眞白

    あのときの碧芭、大学の4回生くらいだったっけ?

  • 瀬名 碧芭

    …そういえば、そんなことがあったね…。

  • 瀬名 眞白

    喧嘩弱いくせに俺のことを守ろうとして、俺の前に立ちふさがってさ、

  • 瀬名 眞白

    「僕の弟に手を出すな!」って。

  • 瀬名 碧芭

    うん…、

  • 瀬名 碧芭

    でも、慌てて助けに入ったものの、あっさりやられて気を失っちゃって…、

  • 瀬名 碧芭

    あはっ、なんだかかっこ悪い思い出だなあ。

  • 瀬名 眞白

    でも。

  • 瀬名 眞白

    俺はあのとき、碧芭の広い背中を見たんだ。

  • 瀬名 碧芭

    えっ…、

  • 瀬名 眞白

    すげーかっこいい兄貴だと思った。

  • 瀬名 眞白

    今でもあの背中、しっかり覚えてる。

  • 瀬名 眞白

    マジで俺の自慢の兄貴だよ。

  • 瀬名 碧芭

    眞白…。

  • 瀬名 眞白

    俺こそごめんな。ずっと心配ばっかかけて。

  • 瀬名 眞白

    碧芭の推測通り、俺は自分で選んであんな風に荒れた。

  • 瀬名 眞白

    けど俺、マジで後悔してねーんだよ。

  • 瀬名 眞白

    ああやって仲間と一緒に喧嘩して暴れて…、

  • 瀬名 眞白

    俺にとっては、『あの時間』がなかったら…たぶん壊れてたから。

  • 瀬名 碧芭

    …―――

  • 碧芭の眉間がじわりと歪んで、泣き出す一歩手前の顔つきになる。

  • 俺のことを切なく想うとき、心配するとき…碧芭はいつもこの表情になるから…、

  • 瀬名 眞白

    …碧芭。

  • 瀬名 碧芭

    …ん…、

  • ずっと言えていなかったことを、今こそ伝えようと思った。

  • 瀬名 眞白

    黙って見守ってくれてたこと、ほんとに感謝してる。

  • 瀬名 眞白

    …マジで…ありがと。

  • 瀬名 碧芭

    ……ッ、

  • 瀬名 碧芭

    …眞白っ…、

  • 瀬名 眞白

    俺は大丈夫だから…、泣くなよ。

  • 瀬名 碧芭

    な、泣いてないよっ、

  • 瀬名 碧芭

    あーなんか、疲れ目かなあっ…?

  • 左右に頭を振って否定しながらも瞳には涙がとめどなく溢れて、碧芭はジャケットのポケットから取り出したハンカチでそれを何度も拭うことを繰り返した。

  • ……しばらくして、

  • ずびずびと鼻を鳴らしながら大きく息を吸い込んで呼吸を整えた碧芭はキリっと表情を引き締めると、椅子に腰かけた姿勢をまっすぐに正した。

  • 瀬名 碧芭

    これから先は任せて。

  • 瀬名 碧芭

    どんどん力を蓄えた僕が、眞白を楽にしてあげるから。

  • 瀬名 眞白

    もう十分、好きにさせてもらってるけどな。

  • 瀬名 碧芭

    いーや、まだまだだよ。

  • 瀬名 眞白

    ……あ。

  • 瀬名 眞白

    一つ、気になることがある。

  • 瀬名 碧芭

    うん?なあに?

  • 瀬名 眞白

    碧芭、なりたかった医者を諦めたんだよな?

  • 瀬名 眞白

    つまりはそれ…俺のためだろ?

  • 瀬名 眞白

    ほんとにいいのかよ、それで。

  • 瀬名 碧芭

    もちろん。いいんだよ。

  • 瀬名 碧芭

    きっかけはあの日のことだし、眞白のことを想う気持ちから始まってはいるけど、

  • 瀬名 碧芭

    さっきも言ったように、いずれ僕が担う法律事務所は大きくなくてもいい、

  • 瀬名 碧芭

    弱者に優しい事務所にするっていうのが僕の一番の目標だから。

  • 瀬名 眞白

    …医者になるよりも?

  • 瀬名 碧芭

    うん!

  • 貫き通す意志の強さだったり、思い描く理想は曲げないという精神だったり、碧芭の精悍な表情にはそれが色濃く滲んでいた。

  • 瀬名 眞白

    (…医者、か…)

  • 碧芭が子どもの頃から抱いていた夢に思いを馳せる。

  • 瀬名 碧芭

    眞白?どうかしたの?

  • 瀬名 眞白

    …あ、いや別に。

  • 瀬名 眞白

    つーか、あれだな、

  • 瀬名 眞白

    もしも碧芭の策略を父さんが知ったら、怒りで噴火するんじゃね?

  • 瀬名 碧芭

    知-らないっ。

  • 瀬名 碧芭

    『瀬名総合法律事務所』のイメージを悪くするわけじゃないんだから、逆に喜んでもらいたいくらいだよ。

  • 瀬名 眞白

    ははっ、だよな。

  • 瀬名 碧芭

    でも、今はまだ誰にも内緒だよ?
    母さんにも内緒。

  • 瀬名 碧芭

    きちんと実現させてから、母さんを喜ばせてあげたいから。

  • 瀬名 眞白

    分かった。

  • 瀬名 眞白

    じゃ、俺と碧芭の秘密だな。

  • 瀬名 碧芭

    …――ああっ!?

  • 瀬名 眞白

    なに?!

  • 瀬名 碧芭

    これってさ…、

  • 瀬名 碧芭

    最愛の弟と秘密を二人きりで分かち合うってこと?
    最高じゃない?!

  • 瀬名 眞白

    …ハァ…、

  • 瀬名 眞白

    いきなり何を言うのかと思ったら。

  • 思わずズッコケそうになる。

  • どこまでブラコン…ここまできたら、もう珍種だ。

  • 瀬名 碧芭

    そう思ったら、ますますやる気が出てきた!

  • 明るい笑顔を広げた碧芭の鼻頭は、泣いたせいでまるで赤鼻のトナカイ。

  • イケメンの萌えポイントみたいでちょっぴり滑稽だ。

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