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名前変換無しの夢小説




 机に載せられた書類の一枚。それに慣れたようにサインし、判を押す。
 体の緊張が解け、口内に溜まった空気を息と共に吐き出せば、その熱を感知するのと共に外の音が耳へと届いた。
 田舎、都会の違いに関わらず季節特有の空の高さと陽射しの強さ。そして緑が鮮やかに萌える中をジージーと姿を見せずに鳴く蝉。



 大きな物に限ってだが、事後処理を終えたの黒の組織と呼ばれた犯罪組織が壊滅してから二年が過ぎていた。
 今年も暑い夏が来る。
 降谷零の何時もと変わらない夏が来る。






□□□


「何故ですか?」

 変わらない夏が来る筈だった。
 今、降谷は上司と机を挟んで向かい合って座っている。机の上には辞令でも無いが、命令として正式に降谷に下された物が書かれた所謂命令書の体を成している紙が一枚。それが現在降谷の不満へと繋がっていた。
 そこに書かれていたのは、長々と装飾された言語や建前を無くしてしまえば『降谷零に休みを与える』と、それだけだった。

「こんな命令書なんて必要ありません。確かに事後処理は終わりましたが、まだ完全に全てを処理仕切った訳では無いです」

 その書類と上司の説明に少しだけ眉を寄せて不機嫌な表情を作れば、上司は笑って「命令だからな」と既に決定されていることを強調しながら書類を降谷に突き付けるだけ。上司から視線を少しだけ反らせば、降谷の部下である風見が立っていた。
 その立ち位置はどう考えても上司に与している物で、風見は降谷の休みに賛成しているのが見てとれた。

「大規模な処理は終わったんだ。小さな物ぐらい君が居なくたって出来るさ」
「そうです。降谷さんは今まで過酷な任務についてました。それが終了したのですから休息を取って下さい」
「しかし、」
「降谷くん、君が優秀なのは分かってる。しかしだね……………………あまり我々を嘗めてくれるな」

 上司の言葉に「警察を嘗めているのか」と言われたような気がして降谷は黙るしか無かった。日本を守りそれに憧れ目指した職を、降谷が貶す事は出来る筈も無い。
 不機嫌な表情を隠すこと無く降谷は机に置かれた命令書を受け取った。





「本当は分かっているんだけどな」

 さっき手にした命令書の内容を流し読みしながら呟く。
 長期に渡る潜入捜査に公安としての仕事、潜入先からの仕事をこなす生活に降谷の精神はいつも張り詰めていた。少しでもミスをすれば自分の命どころか、日本に住む誰かの命が数多に失う危険と隣り合わせだったのだ。
 それが終わった。それに伴い今まで酷使していた精神がプツリと糸が切れたように動かなくなってしまった。そのせいで集中する所か、仕事をしようとする気力が無くなり仕事に手が付けれなくなっているのに直ぐに気付く。
 日本国家の為に自分を犠牲にするのに慣れている降谷が気付いたのだ、部下である風見は降谷からの指示や仕事の処理が遅くなったことに気付いていない訳が無い。だからこその命令書。
 いや、長期の潜入任務等、精神が磨り減るような物に就いていれば解決後に精神に異常を来す可能性が大きい。現に降谷が精神に異常を来して気力が低下している。だからこその長期休暇だろう。この間に精神を整えろと。
 その事に降谷は気付いている。自身に休息が必要な事を。

「だからってこの理由は無いだろ…………」

 書類に書かれた休暇の届けには約半月の期限と、その目的が書かれている。



 『降谷零(31) 期限:14日 休暇理由:夏休み』





□□□


 デスクに戻れば既に休暇が知られているのだろう、書類は無く代わりに有るのは付箋の付けられた旅行雑誌が多数。個人のお薦めだろう、北は北海道、南はオーストラリアまである。海外旅行をするつもりは降谷には一切無いので即行で不要書類行きのボックスに突っ込む。どこからか「そんなぁあ!?」と言う叫びが聞こえるが日本大好きな降谷が長期休暇だからと海外旅行すると思うのが間違いだ。
 他に似たような雑誌が無いかざっと見てみれば、全て国内だったので不要書類行きは免れた。取り敢えず北海道からパラパラと捲るが降谷は健在気力が著しく低下をしている為に何の琴線にも触れること無く最終ページまで辿り着いてしまう。それ以前に遠すぎて行く気が始めから起きない。
 次の雑誌、さらに次の雑誌と読み進めるがやはり琴線に触れる物が無い。よくよく考えれば外出する理由も無い事に気付いた降谷は全てをボックスへと乱雑に入れる。「やべ、旅行しなくて良いことに気付かれた!」「おい、今降谷さんが無気力になってるって誰が言った。バレたぞ!」「無気力ならそのまま流されて旅行すると思ってたのに!」周りが変に阿鼻叫喚だがそれに意識を取られずに椅子に座り購入した缶コーヒーのプルタブを開ける。
 ふわりとコーヒー特有の香ばしさが鼻腔に届く。慣れた匂いに少しだけ体が軽くなった気分になるが、仕事をしようと思っても手が全く伸びない体に苛立ちが募る。しかしそれすらもスゥッと波が引くように消えてしまう。
 自分の感情すらままならない程に精神が疲れている事に降谷は項垂れる。「おい、あの降谷さんがデスクにつっぷしてるぞ」「あんなにだれてる降谷さんは初めて見たぞ」「これは休暇取らせる」「むしろ今まで休暇らしい休暇を取らなかった降谷さんが可笑しい」「それな」雑談をしながらもキーボードを打ち込む音が途絶えはしない。カタカタ、カチカチと特有の高い音に混ざり始めたバタバタとした足音が大きくなる。


「降谷さんの隠し子が見つかりましたっ!!」
「「「なにぃっ!?」」」

 精神が疲れはてている事や感情の動きが鈍い事などを別にして反射で隠し子発言をした部下を降谷は助走を付けて殴った。見事なストレートパンチだったとその場面を見た部下が後に発言している。






□□□


「おお、白い降谷さんだ」
「脱色しただけの降谷さん」
「亜種降谷。略してあしゅや」
「あしゅやさん物理でゴリラ抜きそう」

 隠し子騒動となりかけたが何とか同僚達を(物理で)静めてから降谷が向かった先には部署に居なかった同僚達が群がり好き勝手言っていた。ゴリラ単語の反射でワンパンしたが何時もの事だから誰も気にしない。
 そしてそのワンパンで倒れた人物の分だけ隙間が出来、その先にあった光景に降谷は驚いた。
 金髪碧眼、タレ目。小学校低学年だろう降谷零のミニチュアが居た。ただし肌の色が黄色人種特有の黄色が混ざってはいるが白かった。それ以外はどう見ても降谷の血を引いていると分かる外見をしていた。
 その子供は今の状況が理解出来ていないのか、ただぼーっとしているだけだ。それとも理解していて興味が無いのか。ただ首に巻かれた包帯が目についた。

「この子供は?」

 降谷がそう尋ねたのは右腕と言って差し障りの無い風見で、その手には子供を保護した同僚や子供についての調査、家族関係や友人関係、成長家庭まで書かれている書類を手にしていた。
 カサリと紙特有の乾いた音を立てて捲れば、風見の眉間に皺が刻まれた。

「子供の母親は約七年程前に組織の情報を入手する為に降谷さんが関係を持った女性の一人です」
「待て。俺はこんなミスをした覚えは無い」
「…………稀にですが、悪戯で商品に針が刺されている場合も有ります。他にも不良品が混ざっている場合も有るようです」

 ぐぅっと喉を鳴らすように呻いて降谷はデスクに乗せていた手を強く握りしめながら俯く。
 そんな降谷を不憫そうに見詰めながらも風見は報告を続ける。

「データベースを調べた結果、戸籍が有りませんでした。出生届が出されていなかったので無戸籍です」
「…………」

 怒りによってか、ギリッと歯のエナメル質が擦れた鈍い音が鳴る。
 降谷は俯いた顔を上げ、子供の姿を視界に映せば相変わらず未だに何の反応を示さずにぼうっと何処かを見つめていた。

「そして…………」

 風見が言葉を止めた。それに降谷は内容を察する。
 次に紡がれる言葉が残酷な物であり、犯罪として憎むべきものだと。
 
「言いにくいなら俺に報告書を渡せ」
「いえ、大丈夫です」

 一拍を置き、風見から紡がれた言葉は世論からすれば残酷な事で有りながら米花町では割りと探せば見付かるような犯罪ではあった。
 殺人未遂。児童虐待。
 それは確かに探せば割りと有る犯罪でしか無かった。

「母親の無理心中から生き残りました」

 その言葉を聞き風見の手元に有った報告書を催促し、渡された後に目を通す。
 読み慣れた形式の報告書の為に重要な部分だけに目を通すだけなら時間はかからなかった。

『子供は無戸籍の為に学校へは通わずに家に隠されるように押し込められていた。母親は未だに組織との関係が有ったのか壊滅の余波により金回りが悪くなり虐待が悪化。今までの生活からの変化に伴い現実を認められなかったのか精神が壊れ無理心中へと行動を移した。母親は毒を服用してから子供の首をワイヤーで絞めるも、途中で力尽き未遂となる』

 ああ、ワイヤーが首に食い込み抉れたのか、と思いながら子供の首に巻かれた包帯の意味に気付いた。きっとあの包帯の下には痛々しい傷が有るのだろう。

「…………残ったものか」

 どこかを見つめている子供を見詰めながら降谷は思う。
 組織の犠牲となった人間、組織により狂わされた人間、組織を壊滅する為に踏み台にした人間、組織を優先した為にこぼれ落ちた人間、その多さを。
 過去だからこその、たらればは多く後悔だってある。しかしその道を選び歩んだ自分を否定することは出来ず、多くの犠牲の上で立ち続けることを決めていた降谷にとって子供は残ったものだった。
 ふとした瞬間、下を覗いて見れば数多の犠牲の中からふいに現れたのだ。

「そうか…………そうだな…………」

 ふいに子供が降谷の前に現れたように、きっと気付かない場所で誰かにとって大切な何かが残っていればいいと、あの犠牲が壊滅以外の希望となっていることを柄にもなく願った。








□□□



 存在を知ってはいたが、それに自分が記入するとは思わずに少しだけ感慨深い。無戸籍の人間の戸籍を作るには様々な書類や手続きが必要だが、それを慣れた様に省略し、最後に必要となる書類だけの記入をさっさと降谷は済ませる。
 カリカリと迷い無く記入していくペンがピタリと止まった。そこに有るのは子供の名前を記入する欄。

「…………君の名前は?」
「…………?」

 視線を寄越し訊ねれば、子供は何を聞かれたか理解出来ないように首を傾げた。年齢を考えれば名前を理解していない筈は無い。もしかしてぼーっとしていて言葉を聞き逃したのかと思い再度訊ねる。

「君の名前は何て言うんだい?」
「…………な、まえ?」

 怖がらせないようにと優しく訊ねても、子供は逆方向にこてっと首を傾げるだけ。
 これは名前が何を示してるのか分かっていないのか、と思い降谷は問いを変えることにした。幸いなのは子供の名字は母親と同じだから記入するに困らない事だ。

「お母さんは君の事何と呼んでいたか覚えてるかい?」

 罪の無い、そして年齢よりも幼い子供に対して安室として培った対人スキルを最大限に利用して優しく問う。さっき子供の周りを囲っていた同僚を反射的に沈めたが、そんな事は知らないと言わんばかりに優しい安室さんの皮を被り子供と対峙する。
 降谷と子供の様子を遠巻きにしていた人達から「あれがイケメン店員安室さんか」「JKキラー安室」「擬態やべぇな」「外面が良いだけで別人に見える不思議」「これは一瞬誰だか分からなくなる」とざわざわしているのが聞こえる。少しだけイラッとはするが演技が上手いと言われていると変換することで心を落ち着かせる。

「おかーさん、アンタとかオマエとかよんでた」
「…………他には無いかな?」

 手にしていたペンからメキッと不穏な音がしたが、まだペンの形を保っているのでセーフである。降谷のデスクから少しだけ離れた場所からバキッと完全に召された音がしたが、たしかあの辺りには公安としては珍しい女性がいて子供と同じ位の娘がいたはず、なら仕方ない事である。

「…………ぜろってたまによんでた?」
「……………………」

 何故に疑問系なのかは置いておいて、周りの音が無くなる程の絶句。仕事柄聞き耳が得意となってしまい、周りの会話にも注意が自然と行くような職務に付いていたのだ、同僚であったり部下であったり上司であったりする降谷の隠し子、と言うよりは存在を知らなかった子供と親である降谷の会話を気にするなと言うのは無理な話だった。
 それがこの結果だ。子供の名前が判明すると同時に無音の空間が生まれてしまった。
 子供はぜろと言ったのだ。降谷の幼馴染みが呼ぶあだ名であり、所属の通称名と同じ名を。そして日本人であることから、カタカナのゼロでは無いだろう。そうなると平仮名か、となるが多分無い。キラキラネームの世代に足をかけている母親の事だ、漢字の零で、れいではなくぜろと読ますタイプ。
 つまり、子供の名前は零と書いてぜろ。降谷が親となれば名字も降谷になる。
 降谷零の子供、降谷零。何それ訳がわからないよ。

「おとーさんが、とーるっていって…………ひびきからとおがあって、そのひびきとおりじゅうぜんっていうのがにあうひとだったって」
「…………そうか」

 お父さん、良い響きだなあっと少しだけ心が温かくなった降谷だったが、次の言葉に再び心の中にブリザードが吹き荒れた。

「だからおとーさんじゃないぼくは、いみがないからぜろなんだって。だからぼくをぜろってよんでたよ」

 こてり、と再び首を傾げる子供は怒りも不満も悲しみも見出だす事がない表情だった。当たり前の事を言っている、そんな様子だった。
 降谷は既に亡くなった女に向かって怒鳴りたい気持ちを押さえて「そうか」と声をなんとか絞りだし書類に子供の名前を記入して、席をたつ。

「…………?」

 その行動を不思議そうな顔をしながら目で追う子供、ぜろの前に来ると片膝をついてしゃがみこむ降谷。目線をぜろに合わせて、しっかり自分を見ていることを確認すると優しく頭を撫でた。

「これから俺が君の家族になる」
「…………かぞく」
「ああ、そうだ」
「……おとーさん? とおるっていうおとーさんなの?」
「いや、俺の透じゃなくて零だ。れい、君のぜろと同じ意味の名前なんだ」
「ぼくのなまえ、ぜろ?」

 不思議そうに聞くぜろに頷けば、何度も「ぼくのなまえは、ぜろ」「ぜろがなまえ」と口にする。そして名前の意味と自分を現す名詞が確りと理解したのか、さっきまであまり動かなかった表情が眉を困ったように下げ、口元が緩やかな弧を描く。それはふにゃりと喜びを噛み締めるような、満面とは言わずとも確かに笑顔だった。
 そのぜろを降谷は立ち上がり抱き上げて、背中を撫でるようにすれば、まるで猫のように額を降谷の胸元にぐりぐりと擦り付ける。きっとこんな風に抱き上げられた事がないのだろう、自分の気持ちを表現する言葉も行動も知らないからこそ、気持ちに振り回され本能的に発散させようとする行動がそれだったのだ。
 その光景は普通の親子としか見えなかった。そして、周りの人間はこの二人は親子としてやっていけると確信したのだ。

「エンダァァァアアア!!!」
「イヤァァァアアア!!」
「お前ら仕事しろ」
「「大丈夫、手は止めてない!」」
「ならよし!」

 祝福するように使い古されたネタを器用に小声で叫びながら、その気持ちを仕事にぶつけるかのようにキーボードを叩く音が響く。カタカタと鳴っていたのがガチャガチャと煩い。いつかどこかのボタンが壊れるだろう。
 そんな下らない事をしている同僚を冷めた目で降谷は見つめていた。












 やられた、部署に設置してある仮眠室でぜろと二人で寝ていた降谷は目を覚ましてそう思った。
 今いる場所が何処なのかはGPSで確認すれば一発で判明するのだが、それを確認する為のスマホは手元には無い。そしてGPSはあまり役に立たないだろう。
 視界に映る風景は目まぐるしく過ぎ去って行くのだから。

「やべ、降谷さん起きたっすよ」
「しっかり仮眠室に催眠剤を流し入れたのにな」
「これは拉致だろ」

 降谷の前、助手席のシートを軽く蹴れば「手どころか足も早かった」「物理で解決しようとする上司ってパワハラじゃないか?」と何の妨害にもなっていないようで呑気に会話をするぐらいだった。
 現在降谷は車でどこかに連行されている。
 確かに降谷は前日、部署に設置してある仮眠室で一時とは言え仮眠をした。あまりにも色んな事が起こったことによる精神的披露が酷かったからだが、まさか味方しか居ない場所で催眠剤を投入され拉致されるとは考えていなかった。
 どこに連れていかれるのかと思えば、車に搭載されたナビが独特の音声で「愛媛県に入りました」と伝えた。
 は? である。日本地図を思い浮かべ東都と愛媛の距離を簡易的に結ぶ。どれだけ計算しても距離が遠い。それにかかる時間も長い。東京から愛媛まで寝ていたとして、どれだけ強力な催眠剤を使ったのか。

「取り敢えず次のSAに寄れよ」
「あー、腰伸ばしたいっすよね」
「降谷さん起きたならぜろ君も起きるだらうからトイレ休憩もしたいだろ」
「そんじゃ、降谷さんはこの命令書どうぞ」

 これこそ、は? である。降谷の夏休みと題された休暇は本日付であるがそれに伴って命令書が渡されるのは可笑しい。
 仕方なく手に取り文字を読んでいく。

「なんだこれは…………」
「東都に居たら気にするだろうって苦肉の策らしいっす」
「…………だからってこれは無いだろ」

 命令書をペラペラと振りながら不満気な態度を隠そうともしない。
 その内容は田舎で暮らせ、と言うことがつらつらと小難しい言い回しで書かれているのだ。しかも身分証明となる保険証や降谷の免許証と数千円のみ入った財布、用意された衣類のみが降谷とぜろの持ち物らしい。迎えを寄越すまでは田舎でのんびりと生活しろ、との事。
 確かに降谷は現在、仕事に対してやる気が起きはしないがだからと言って隔離と言える程の措置をされるとは思っていなかった。

「凄いっすよね、その住所。さっき調べてみたっすけどバスは1日一本で近くのコンビニまで車で約一時間かかるって」
「マジか」
「マジっす」

 同僚の言葉に思わずに真顔になる。降谷は田舎を舐めていた。田舎と言ってもコンビニぐらい近くにあるだろうと。車で一時間とかマジか、そんな場所あるのか、と考えるぐらいには東都で暮らして都会の利便性に慣れてしまっていた。

「まだまだかかるんでSAに寄ったら寝といて下さい」
「目的地までどれだけ有るんだ?」
「三時間はかかるっすね」
「は?」

 三時間…………東都からここまでかなりの時間がかかったはずだが、まだ三時間もかかるのか、と戦々恐々している降谷を気にせずに同僚二人は呑気にSAがもうすぐだと会話している。
 実は愛媛は横に長いので瀬戸大橋等を使う大阪方面から県庁所在地の松山まで高速で行くとかなり遠い。日本地図を見ると左端から右端近く。本当に遠い。
 閑話休題。
 降谷は未だに抜けきらない催眠剤の睡魔に抗うのも馬鹿らしくなりSAで休憩を終えた後は隣に設置されたチャイルドシートに乗せた夢現のぜろを寝かせてから遠慮無く寝た。ちなみにチャイルドシートは六歳までだがぜろは生活環境から成長が遅れているのもありチャイルドシートに乗せられている。







□□□




「…………マジか」

 さっきまで寝ていた車内から起こされ、荷物とぜろを下ろして降谷の同僚二人はさっさと帰っていった。さっきまで「やべぇ、何この傾斜」「すげぇ、カーナビに載ってない道っすよ」「確かこれはここの住人達が金出したらしいから公道じゃなくて私道なんだよ」と微妙にテンション高く話していたと言うのに。
 まだ寝惚けた様子のぜろを片腕で抱き上げ、もう片手には小さめのトランクと手土産の降谷がお気に入りの老舗の煎餅が入った紙袋。
 下ろされたのは家の庭で、目の前には世話になるだろう家。ただ、都会では滅多に見ることが出来ないような、全体的に低めに作られた家で窓は全て網戸になっている。
 警察官としてからか、こんなに防犯が意味をなさない状態である家に思わず出た言葉が降谷らしからぬものだとしても仕方がない。
 普通ならば使用していない部屋は窓の鍵をかけている閉めきっているだろう。いかんせん田舎である。こんな状態は日常であってなんの異常が無いのが悲しいことだ。
 そしてこの建物が建てられた時期も悪かった。インターホンが設置された時代より前に建てられ、さらに田舎である。何度も言うが田舎なのである。つまりインターホンが無くても何の支障が起きなかった。結果、いまだにインターホンがどこにも存在しない。

「マジか…………」

 降谷の口から本日二回目の「マジか」がもれた。え、これってどうすればいいんだ? と若干混乱している降谷を他所に目の前の玄関がガラガラと音を立てて引かれる。都会では珍しい引き戸の玄関の先には適当に整えられた髪を、これまた適当にひとつ結びしたすっぴん、Tシャツ、ジャージのズボンとこれまた装いも適当にしている二十後半の女性が居た。
 降谷の姿を認識すると、きょとんと首を傾げる。

「どちらさんですか?」
「えっと、本日から泊めさせて頂く降谷ですが」
「…………え」
「連絡来てませんか?」

 降谷の言葉に、「連絡…………あったん?」と首をまた傾げる。可笑しい、と降谷が思ったとしても降谷の愛車は東都でがっつりメンテナンスに出しているのでこの場には無く、さらに詳しい情報を持ってるだろう人物への連絡はスマホが無い今は出来ない。

「多分ですけど、祖父に連絡有ったんだと思います」
「そうですか、それなら良いのですが…………。それでお爺さんは?」

 家主であるのは女性の祖父だらう。その祖父が家に居ないから留守番として女性が居ただけで、そちらに話を付けようと所在を訊ねれば、女性は何かを思い至ったのか顔をしかめる。余談だがすっぴんなので眉がなくなんとなくしかめた、と雰囲気を感じる程度だ。

「2日前に、入院しました」
「…………え」
「私が来たときには意識が無かったので緊急入院しました」

 女性の言葉に降谷は固まる。家主が入院。意識不明で入院。
 つまり、それは女性が来なければ下手をすれば降谷達が第一発見者となった可能性がある。田舎なので毎日誰かが来るのでその可能性は少ないが。
 そして意識不明ならば女性に今回の件は伝えられていないだろう。

「………それで降谷さん、でしたっけ?」
「はい」
「今回泊まりに来たんですよね?」
「…………そうですね」
「話はついてるって」
「ええ、ですから衣類ぐらいしか持たされてません」

 降谷の言葉に「マジかよ、こいつ」と言うような表情をしたが残念ながら事実である。

「持たされて、ってことは……」
「まあ、察して頂けているとは思いますが休暇を取れと上司から言われまして」
「はあ…………どちらから?」
「東都からです」
「マジかよ」

 休暇で東都からここまで来るって頭可笑しいんじゃねぇの、と女性の目が言っていた。降谷はその視線に同意しかない。
 話していた間に少しだけ体勢がずれたぜろの位置を直そうと体のバネを使って少しだけ浮かせて位置の修正を図れば、女性はいまだに寝惚けたままぐりぐりと首筋に頭を擦り付けるぜろに視線を移し、溜め息をつく。

「…………まあ、ここまで来るには住所を知らなければ無理でしょうし、泊まるにもお金も無いんですよね?」
「言葉通り衣類ぐらいしかありません」
「なら、仕方ないですね」

 諦めたように、緊張していただろう肩の力を抜き、困ったように笑顔を浮かべる。

「何にもない田舎で、おもてなしも出来ませんがようこそ」

 そして、降谷達を家へと招き入れた。




「君は女性なんだからもっと警戒しろっ!」




 招き入れられたのに、降谷の性が少しだけ抵抗を見せた。



 




※※※※
 以下人物説明。



▼ふるやれい(31)
 緊張の糸がふつりと切れて、命令されないと仕事が出来ないほど疲れてる。使命感はある。自分から仕事をやろうてしても手につかない。始末書や報告書等の誰かからの命令ならやれる。
 その為に心の休暇として上司の知り合いの田舎に宅配された。
 ぜろとは唯一血の繋がった家族なので大事にしたいが親は何をしたらいいか分からない。(この話では降谷さんは孤児設定)
 田舎の防犯意識の甘さに戦慄する予定。

▼ふるやぜろ(6)
 首に消えない傷が出来てしまった降谷さんの息子。あしゅやくんと公安では呼ばれることになる。
 母親に教育らしいこともされなかったので知識は幼児並みだし、色々と幼い。
 降谷さんはそっくりだし優しいし、公安でお父さんと教えられたので何の疑問もなくおとーさんと呼ぶ。
 母親から言われた言葉だと血の繋がったお父さんは透と言う名前なので降谷さんのことは新しいお父さんだと思ってる。

▼女性(26)
 色々有って疲れてる田舎に逃げて来たら祖父が意識不明で倒れてた不憫な女性。
 そして何の情報も無くのんびり暮らしてたらくっそイケメンに適当な格好を見られた不幸。
 田舎に逃げるほど田舎が好きなので性格も田舎寄りで、警戒心は薄め。だから降谷さんに怒られた。

▼祖父(85)
 意識不明で倒れて今は県庁所在地の病院で入院中。世話は県庁所在地に住んでる息子さん家族が見てる。意識は当日戻ったが降谷さんが来ることをすっかり忘れてる。
 でもカレンダーには丸を付けてはいた。
 

 
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