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「狡猾」□×○ □side


ぐらりと傾いた身体。どうにか身体を支えたものの、そのままゆっくりしゃがみ込んだ。荒い呼吸と真っ赤な顔は、たまたま触れた右手にそのまま熱を伝えた。

□「し、げっ」

今日は2人とも仕事が入っていない。所謂オフの日だ。
だから、たまには2人でゆっくり過ごそうと──思っていたけど。こんなに高熱とは…。

□「…ごめんね、ちょっと動くよ」

リビングに向かう途中でぶっ倒れたままじゃ可哀想だ。そっと抱き上げて、寝室へ向かう。ベッドの上に横にさせ、棚から引っ張り出した冷えピタを額に貼り付ける。それからタオルで汗を拭ってやり、体温計を脇に挟ませた。ピピピ、と鳴った体温計。見てみると、そこには38.9の数字。

□「我慢、させちゃったかな…」

残念ながら、俺にはお粥を作れるような技術はない。クックパッドに頼れば作れるのだろうが、シゲちゃんほどじゃない。シゲちゃんは、俺がインフルエンザに罹った時、死ぬほど美味しいお粥を作ってくれた。

何ができる訳でもないから、とシゲちゃんの右手をぎゅっと握ってあげた。
少しでも、苦しみや辛さが、シゲちゃんからなくなれば…!

□「シゲちゃん…、シゲちゃん、大丈夫だよ…大丈夫」

熱くなった手のひら。その熱から伝わるのは苦しみと辛さである。

○「………ぁ…、…こ……、こや、…ま…?」

薄く開かれた瞳はとろんとしていて、不謹慎にも、かわいい。唇の間から熱い吐息が漏れ、涙の膜を張ったその瞳が俺を見つめる。

□「ごめん、シゲ」

抱き寄せた身体はまだ充分に熱い。

□「…いっぱい、我慢させちゃったね」

そんなこと、と否定しようとした唇を閉ざし、シゲは俺の背に腕を回して静かに息を吐いた。

○「……うん。…おれ…ずっと、…がまん、してた」

否定するものだと思っていたから、少し驚いた。

○「…だって……しかたなかったよ…?こやま…おれをひとりに、っしてさ…?」

脳裏を過ぎるのは、シゲちゃんと過ごした日々ではなかった。
手越とまっすーの笑顔。スタッフさんたちとの会話。俳優さんや女優さんの喜怒哀楽。そこに混ざる、寂しげな表情の、恋人。

□「…それは」
○「…じゅうぶん、いろんなひとと…はなして、わらってるくせに…じぶんだけたのしんで……おれのこと、なんか…どうでもよくて…それで…こやまは…、」

その目が、きらりと光って潤んだ。どうしようと思った時にはすでに遅く、ほろりと涙が零れた。朱に染まった頬を伝う涙は、妙に冷たそうだった。

□「…ごめん、…その、俺、」

背から離れていく華奢な腕。だけど、俺の両手はシゲちゃんの右手を掴んで離さなかった。

○「…こやまさん、…もういいよ……おれは…だいじょうぶ…ね…?だから…」

もう、どっか行ってよ。
働かない脳は、俺を傷つけないような言葉を選べないみたいだった。不思議なくらい、ちゃんと言葉を選んで話すシゲが、俺が酷く傷つきそうな台詞を放つなんて。

□「…なんで」
○「……だから、…ここに、いてほしくないんだって…」

右手を捻って、俺から身を離そうとするけど──

□「っ…ごめん、でも」

ベッドに潜り込み、身体を抱きしめてその瞳のなかの光を覗く。

○「…だめだよ…感染っちゃうよ…?」

きっと少し怒ってるくせに、そんなことを気にしてしまうほど。彼の優しさが過ぎる。
大丈夫だと返し、頬の涙を拭ってやる。

□「全部全部、俺にぶつけていいよ」

あぁ──。
ぎゅっと俺の胸元を握りしめたシゲちゃん。

○「…こやまさんっ…は、わがままばっかいって…、おれのわがままも、たまには、きけ、よぉっ……!」

胸のなかで泣き叫ぶシゲちゃんを抱きしめたまま、また手を握ってあげる。

○「…てごしにも、まっすーにも…ほかのせんぱいたちとかにも…あいきょうふりまいて…、すきだとか…ありがとうとか…おれにむけるようなえがおで…それで…いろんなひとを…っ」

うまくまとまらず、1度唇を噛む。

○「わがままばっか…、っ、愛されてるくせに…!」

ずきん、と胸が痛む。
俺はシゲちゃんのことを愛していて、たくさんの愛情をあげていたはずなのに。シゲちゃんには、俺がたくさんの人から愛されていてシゲちゃんを1人きりにさせていたと捉えられてしまったみたいだ。

こやまさんは愛されてるくせに、俺のことを充分に愛してくれないなんて。

ゆっくり紡がれる言葉から、これまでの傷や寂しさが露になっていく。
俺は、大切な愛しい恋人を知らぬ間に傷つけていたみたいなんだね。

○「…っ、ず…、ずるい、ずるいよっ……!!」

きっと、総じて言いたかったことはこれなんだろう。

“愛されてるくせに、ずるいよ”

ぽんぽんと背中をさすっているうちに、シゲちゃんは泣き疲れて眠ってしまった。俺もシゲちゃんの熱い体温に意識を奪われていって、俺たちはお互いの身体を抱きしめあったまま深い眠りに落ちてしまっていた。

夢のなかで、俺の恋人は笑っていた。俺たちは、目には見えない幸せを掴んで笑い合っていて──。

□「っ!しげちゃ…!?」

次に目が覚めると、時刻は午後2時前。俺の腕のなかに、あの確かな温もりはなかった。
どこへ行ったの。俺は慌てて寝室を飛び出しリビングへ向かう。リビングには、姿がない。ぐるりと1周してみると、キッチンに動く影を見つけた。

□「シゲちゃん!?」
○「ぉわ、…なぁに、おきたの?」

額には新しい冷えピタを貼り、それなりに動けるほどには元気になったみたいだけど…。

□「また体調崩したらどうするの…!」
○「えー、だいじょうぶだよぉ?7.8℃だったし…ちょっとお粥つくっただけだもん」

病人とは思えない手つきでお粥をお椀によそり、木製のスプーンをそこに溺れさせた。「あ、こやまさんもたべる?」なんてふにゃりと笑う。

□「これ持ってくから、シゲちゃんは座ってて!」
○「えー…んー…まぁいいか、ありがと」

ソファに腰かけると、俺はスプーンでお粥を掬ってシゲちゃんの口元に運んだ。

○「たぁべれるよぉ…」
□「いーいーの!ほら、甘えてさ?あーん」
○「んむぅ、」

薄く開かれた唇の間に流し込むと、ごくんとゆっくり飲み込んだ。

□「ゆっくりでいいからね」
○「ん…」

瞳はまだとろんとしているし、頬はまだ少し赤い。だけど確実に、朝より体調が良くなっていた。

□「食べれる?」
○「ん。ちょーだい」

そうやってまた、お粥をあげた。4口ほど食べた頃、シゲちゃんは「もうたべらんない…」と申し訳なさげに呟いた。よく食べられました、と頭を撫でると猫みたいな微笑みを見せた。

○「…こやまさんはだいじょうぶ?感染っちゃってない?」
□「感染ってもいいよ」

シゲちゃんなら、と瞼に口付ける。

□「…どうする?また寝てくる?だったら俺、これの片付け…」
○「……やだ、そんなのだめ」
□「え、っ」

愛されてるくせにと嘆いたシゲちゃんを思い出し、胸が苦しくなる。

○「…となりに、いてほしい…、ゆめのなかでも、あいしてほしい」

やばい。俺、こんなに幸せでいいのかな。
俺はシゲちゃんの身体を抱き寄せ、唇を重ねた。

○「っ、ほん、と、感染っちゃうってば…」
□「死ぬまで愛してあげる。もういらないってぐらい、うるさいってぐらい愛してあげる」

俺たちは寝室のベッドに沈み込み、また抱きしめあって眠りに落ちることにした。

□「…シゲちゃん、もう“愛されてるくせに”なんて言わないでね」

すぅすぅと寝息をたてる彼のさらさらな髪を撫でる。

□「…シゲちゃんこそ、俺以外のたっくさんの人に愛されてるんだからね」

手越、まっすー、山Pや亮ちゃんたち。先輩後輩も、ドラマの共演者だとか、いろんな作家さんたちだとか。愛されてるくせに、は俺の台詞だと思うんだけどね。だって、愛されてるくせに愛されてるっていう自信を持っていないんだもん。

□「…愛されてるんだよ。みんな、シゲちゃんのことが、大好きなんだよ」

愛されてるくせにワガママ言うな、そんなのずるいよ。
シゲちゃんの心は、浄化されたかな。愛されてるって、わかったかな。怖いぐらいの愛情が注がれてるんだってこと、わかったかな?

□「…愛してる」

耳元に囁いて、聞こえないのになと1人で笑う。シゲちゃんの隣で、また目を瞑り眠りに落ちていった。

──だから。…だから、シゲちゃんが1人で赤面してたことなんて、俺は知らなかったんだよ。

…翌日。すっかり熱が完治した俺はリビングへ向かった。小山は今日は朝から仕事なので、すでにここにはいない。…食欲がある訳でもないから、どうしようか。
ソファに座ろうとすると、郵便物とともにメモ書きが残されているのがわかった。

○「…こやまさんか、」

小山の筆跡、やさしい文字。ふっと笑みのこぼれる、小山からのメッセージ。

“シゲちゃんへ、昨日は”

“ありがとう。それから、いろ”
“いろとごめんね(><)”
“しっかり者のしげ。でもたまには頼っ”
“てね♡俺はいつまでも、しげの味方でい続け”
“るから。じゃあ、あんまり無理しないように!”

“慶ちゃんより♡”

○「あぁ、」

ぽろ、と一筋涙が零れる。

○「ほんとに、あいつ…」

馬鹿野郎、また朝から泣かせる気か。バカ、アホ、馬鹿野郎、だけど──

○「あーもう…あいしてるって、ばーか」

もう大丈夫だってくらいの愛をありがとう。たまには俺からも、自分らしい“愛してる”を送るから。
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