「約束」♡×○ ♡side
○「…もう、……お前とは、会えない」
♡「え…?」
──帰宅すると、リビングにはちょこんと椅子に座る恋人がいた。
電気もつけず俯いていたから、何か悩んでいるのだろうかと思い優しく声をかけることにした。
ぱちん、と電気をつけてシゲのもとに歩み寄る。
♡「しーげちゃん、どうした?」
しゅるしゅるとネクタイを解きながら、俯いている顔を覗き込んだ。
♡「うん?言わないとわかんないよ?」
○「…ゆ、…や、おれ、っ」
テーブルに置かれた両手は微かに震えていて、声は喉に引っかかって出にくいようだった。
ぽろ、と一筋の涙が彼の頬を伝う。
○「…もう、……お前とは、会えない」
掠れた返答しか、できなかった。
♡「なん…っ、なんで!」
やっと絞り出した声は情けなく震えていて。
○「…だから…バイバイ、」
シゲは家を飛び出していってしまった。
止めようとか、「待てよ」と言おうとか、何も考えることができなかった。
俺はただのサラリーマンで、シゲは小説家。
…あの時出会わなければ。そう、俺があの日、寝過ごしてひとつ後ろの駅で降りなければ俺とシゲは出会うことがなかった。
ひとつ後ろの駅で降りた先には、1人の男性しかいなかった。しかもその男性はホームの中央で蹲っていたんだ。焦って駆け寄って、何を思ったのか、俺は自分の家に彼を連れていくことにした。
それで、俺たちはいつの間にかお互いを好きになっていって。だから、…別に同棲してる訳じゃないし、出ていったって構わないけれど。
俺は携帯を手にして、共通の知人である慶ちゃんに電話をかけることにした。
□『っ、もしもし!?』
♡「…シゲのこと……何か知ってるの」
どうか、一縷の望みでもいいから。
□『…俺の家にいる。今は疲れてるみたいでぐっすりお休み中だ』
♡「え…ど、どういうこと?」
□『悪く、思わないでほしい。俺はシゲちゃんのことが好きだけど、俺がシゲちゃんにキスするだとか抱くとか、そんなことはないから安心して』
慶ちゃんが紡ぐのは、まるで想像もしなかったシゲの悲劇だった。
シゲは今日の夕方、知らない男に拐われ身体を触られ、そのまま犯されたらしい。俺という恋人がいるのにそんなことをされたシゲは心を痛めたようで、俺の前にいたくないために慶ちゃんのもとへ行ったとのことだ。
“お前とは会えない”と言ったのは、汚れた身体のまま抱かれたくないという意味なのだろうか。
その事実は、死ぬほど不謹慎ながらに──尚更シゲのことを愛しく思えた。
♡「シゲに、伝えておいてくれない?」
自分の口で言うべきかもしれない。だけど、シゲの心を傷つける訳にはいかないから伝言の形をとった。
♡「“また必ず会える”と知ってるから。だから…それまで、バイバイ」
うん、という呟きを聞くと俺は電話を切った。
しばらく愛しの恋人に会えないのは、結構きつい。だけど、この約束は絶対に叶えるから。この手で叶えてみせるから。だからそれまで、待っていてね。
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