…バシくん、もしかして狙われてる？

相席スタートの山崎ケイさんが、バシくんばかりに話しかけていた。収録でカメラが回っててもずっと。彼も彼で、ふわふわした笑顔を向けていた。

ケイさんだけじゃないんだよ。バシくんを狙ってる人。

バシくんは「女と遊ぶ暇あったらお笑いやれよ」と自分に思うタイプだから狙われてることには一切気づいていないけど、ケイさん以外の女芸人さんも、ガチでバシくんに恋をしている。

「一旦休憩入りまーす」

ふぅ、と息を吐いて首を回す姿が妖艶だってこと、知ってる？

「あ、ねぇ石橋くん」
「あっはい、なんですか」

後ろを振り向いた時の上目遣いがかわいいこと、知ってる？

「NMBが好きなの？私も結構好きで、箱推しなのよ〜」
「え、そうなんですかっ」

嬉しそうに輝く笑顔が死ぬほど綺麗だってこと、知ってる？

「私はあの曲がほんとに好きで…」
「あれ最高ですよね〜」

困ったような笑顔も守りたいほど綺麗だってこと、知ってる？

「…ねぇ、石橋くんってスポーツやってたりする？」
「あぁ、小一から高三までサッカーやってました」
「あら、そんなにやってたのね〜…あっ、特技あったりする？」
「んー、あ、俺立ったままで自分の頭蹴れるんすよ」
「すご〜い！あとで見せてもらえる？」
「もちろんです〜」

彼女がバシくんの肩に手を置いた瞬間、俺のなかで何かが切れた。今すぐにでも、バシくんの手をとってスタジオを抜け出したくなった。だけどそれは「収録再開します」という掛け声により叶わなくなってしまった。

周りからのバシくんへの視線が気になって仕方ない。お願いだから、バシくんが他の誰かに奪られませんように。

「こんな漫画が、最近の女子高校生の間では流行ってるみたいですよ〜、皆さん知ってますか？」
「聞いたことあんなぁ」
「えー、わたし知りません〜」

いろいろな人の意見も、正直どうでもいい。

「この漫画で、恋愛漫画にしては珍しいシーンがありまして。それが…こちらです」

そっと顔を上げれば、その漫画のワンシーンが画面に映っていた。
よくある恋愛漫画のいわゆる“壁ドン”シーンなんだけど、壁側には男、壁ドンをしているのは女の子だった。それを見てキャーキャー騒ぐ女芸人を見て、嫌な予感がした。

「じゃあこれ、やってもらいましょうか！」

当たるなよ、嫌な予感当たるなよ。もしそんなことになったら、俺は、

「え〜、男役が誰かによるわね〜」
「あはは、もう、誑し？」
「誑しじゃな〜い〜！」

冷や汗が浮き出る。

「男役は…四千頭身石橋さんです！」

きゃー、という声に乗っかって、冷や汗がそっと背筋を伝った。
バシくんは「俺？」とこてんと首を傾げている。ねぇ、だから、そういうのやめろって。かわいいから、やめてくれよ。

「俺が壁ドンされればいいんですか？」
「誰にやってほしいん？」
「え!?」

視線、泳いでる。

「私、失礼しても？」
「おっ、じゃあケイさん！」

えー、ずるーい！なんて、そんな声に苛立って苛立って仕方ない。
移動していくバシくんとケイさん。隣でつづちゃんが俺の名前を呼んだけど、俺は無視をした。

「この漫画通りにやってみましょうか！」
「はーい」

気持ちが悪い。だって、バシくんが緊張したままケイさんに上目遣いなんかかましている。

「よーい、…スタートっ」

どん、と少し鈍い音がする。

「“ねぇ、アタシのこと好きなんでしょ?遼大…”」

待って、それは本当にやめて。…キスする流れでしょ？唇近づいてるし、バシくん顔真っ赤だし目瞑ってるし。ふざけんな、マジで嫌だ、止めに行きたい。

「すとーっぷー！キスすな!!」
「あはは！ばし顔真っ赤すぎ！」

つづちゃんは笑い飛ばしたけど、きっと俺の苛立ちを汲み取っての言葉だったのだろう。

「ばし、ばし、こっち見て！おま、っお前顔真っ赤まじ、トマトみたいほんとに！」

ちら、とこちらに視線が来る。

「…はぁ、」

弄られながら可愛がられながら、バシくんは席に戻った。耳まで真っ赤なのは、やっぱり童貞だからなの？かわいいけど、そろそろ我慢の限界だよ。

「──収録は以上になります！ありがとうございました〜」

ありがとうございましたと言うとバシくんの手をとって駆け出した。

「え、あ、ちょっと！」

2人どうしたの、という声に「2人、この後外せない用事あるんすよね〜、俺はないんすけど」とつづちゃんが陽気に返す声がした。ナイスつづちゃん。そしてごめん。あとで漫画買ってあげるから。

「ねぇ、拓実!?どうし、」

華奢な肩を掴んで、そのまま壁に打ち付けた。痛そうに顔を歪めたバシくんの薄く開いた唇は、どこか色気がある。そういうさ、自分の色気にも気づいてない訳？
俺は肩に置く手の力を強めた。

「…み、たくみ、ねぇって、」
「遼大、俺のこと好きなんだろ!?」

こんな大声を出したのなんて、はじめてかもしれない。自分の声が廊下に反響して、バシくんは驚いたように目を見開いた。

「…なん、…で、」

俯いたまま、バシくんは続いて言葉を放つ。

「なんで、…おこるの？」

ぎゅっと拳を握って、そしてその手は震えていた。

「…おれ、ずっと、ほんとにこわくて…触られるの…嫌なのに…っ」
「え、あ、ちょ、バシくん？泣いて、」

ポロポロと溢れ出した涙は、バシくんの頬を伝って床に落ちていく。
拳だけでなく、声までも震え出して。

「おれのことすきならっ、…まもってよ、」

そう小さく叫ぶや否や、バシくんは俺に抱きついてきた。

「…ほんとに、怖かったんだよ…!?触られるのも、キスされそうになるのもっ、全部怖かった！」
「…バシくん」
「壁ドンだってっ、…拓実にされたらドキドキするだろうなって…もしケイさんが拓実だったらって考えてたら、顔赤くなっちゃって…なのに、お前が怒ってて…！」

…そうか。バシくんのあの視線は、声は、真っ赤な顔は。全部、俺だけの、全部、俺だけに──

「好き、好きだよ、だからっ…」

無理矢理、その唇を塞いだ。涙も悲しい言葉も、今は見たくないし聞きたくもない。何度も角度を変えて口付けを繰り返す。苦しいと言いたげに俺の胸元を叩いてくるけれど、俺は倒れそうになる彼の胸ぐらをつかみ引っ張り上げた。

「んん、…っふ…ゃ、……は、ぅ…」
「…は、っ我慢して」
「っ、ひ…！むり、ぁ…ん、っは……」

唾液をお互い交換し合って、俺はごくりと唾を飲み込んだ。ゆっくり唇を離す。ふらふらと身体が揺れたかと思えば、バシくんはその場にぺたんと蹲ってしまった。

「さっきより耳真っ赤だよ。…そんなに俺とのキス気持ちいい？」
「なっ、あっ…ぅ、」

図星だったようで、何も言わずに俯いてしまった。かわいい、早く抱き犯したい。

「ねぇ、早く帰ってシよっか」
「…へ？え、は、早くない？今何時だと思って、」
「時間なんていいから。ほら」
「…優しくしてくれなかったら怒るからね」

おっけー、なんて言ったけど。バシくんは怒っても怖くないし、むしろかわいいんだから。
今日は自分の可愛さをしっかり知ってもらおう。俺は彼の手をぎゅっと握りしめて、楽屋に向かい歩き出した。