【rkrn】害悪天女ちゃん【本文】
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rkrn夢小説共通認識天女ネタのよくある「前に来た天女様」像
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嫌われではないがハッピーエンドでもない
恋愛要素なし
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「謝った方が、いいのかなって……」
歯切れの悪いゆえの漠然とした相談に、黒木庄左ヱ門は首を傾げた。誰に何をしたのか尋ねてもはっきりとしないゆえだが、まあおそらくは六年い組の食満留三郎先輩と善法寺伊作先輩だろう。ゆえは、明らかにあの二人を避けている。
「謝りたいなら謝ったらいいんじゃない?」
「でも、許してくれないかもしれないのに?」
不安そうに垂れた毛先をいじくるゆえに、庄左ヱ門は腕を組んだ。
先日、喜三太に謝罪したいから同席してほしいと頼まれたときは気まずげではあってもここまで踏ん切りのつかない態度ではなかった。ゆえはよっぽど不安らしい。
「うーん……」
謝って許されなかった経験が、庄左ヱ門にはない。しかし、ゆえにはあるのかもしれない。だからこんなに悩んでいるのかも。ごめんなさいひとつにここまで悩む子は、一年は組にはいない。
相手が庄左ヱ門の考える通り、食満と善法寺であるのなら、まあ杞憂だろう。あの二人が誰かを許さないと言うところは想像がつかない。つかないが、本人たちではない庄左ヱ門には「絶対に許す」とは言い切れない。
だが、そもそも、
「それ、関係ある?」
「え……?」
そんなことを悩む意味があるのだろうか。謝るのはゆえであり、許すかどうか決めるのは相手。謝られたあとの相手が許すか許さないか悩むならまだしも、許されるかどうかを悩む意味はない。
「謝るのは、許してもらうためじゃないよ。許してもらうために謝るんなら、やめた方がいいと思う」
後ろめたい行いは、謝ったところでなかったことになるわけじゃない。相手にとってはもちろん、自分にとっても。覆水盆に返らず、というやつだ。
じゃあ謝罪に意味はないのか。もしそう思うなら、そんなものは謝罪ではないから、しない方がまだいくらかマシだろう。
悪いことをしたと思い、認め、相手にそれを伝える。それが謝罪というものだから。
「ゆえちゃんが謝りたいなら謝って、それで許してもらえなかったら……」
「許してもらえなかったら……?」
「どうしたら許してもらえるのか、一緒に考えようよ」
覆水は盆に返らないが、こぼれた水はまた汲んでこれるし、ふき取って乾かすこともできる。それは元と同じではないけれど、時間もかかるけれど。謝るという行動は、その第一歩だと思うから。
「……一緒に考えてくれるの?」
「もちろん。ぼくは学級委員長だからね」
「……そっか。そっかあ」
どうやら緊張が緩んだらしい。少し肩の力が抜けたゆえに、庄左ヱ門は内心ほっとした。ゆえが庄左ヱ門を頼る限り、庄左ヱ門はそれに応えたいと思うのだ。学級委員長として、もそうだけど、単純に。ずっと迷子のような顔をしているこの人を、助けてあげたいと思うのは普通のことだと思うから
「あ。そもそも、ゆえちゃんは謝りたいの?」
「…………」
庄左ヱ門の問いに、ゆえは口をつぐんだ。視線を落として自分の手を見つめている。
ゆえは頭の回転が早い方ではない。決断力があるわけでもないし、けっこう臆病だ。
何か考えている素振りを見せればいいものを、ゆえはこうして黙りこんで考える。本人が一所懸命考えているだけなのだと知っているから、庄左ヱ門は黙って待った。ゆえがどうしたいのかは、ゆえが決めないと意味がない。
「うん、わたし、謝りたい」
長考の末、決死の覚悟を決めたような顔のゆえを、庄左ヱ門はいってらっしゃいと送り出した。
庄左ヱ門は、先輩たちが優しいことを知っている。ゆえにもそれが伝わるといいなと思いながら。
***
丸わかりの気配、どんくさい足音。それがいつぞやぶりに部屋の前で止まって、なかなか入ってこないから、部屋の住人である食満留三郎はもどかしくなって自ら扉を開けた。
扉の前で室内の様子をうかがっていたつもりらしいゆえは一寸ほど飛び上がって驚き、留三郎は呆れた。せめてもうちょっと高く飛べ。
そうして何やらしどろもどろと要領も得ず、どうにか話があるのだと言うようなことを口にしたゆえを、留三郎はとりあえず部屋に招いて座らせた。人間、腰が落ち着けば多少は気持ちも落ち着くというものだ。
「で、話っていうのは?」
「……二人に、謝りたくて」
ちょうどよく戻ってきた伊作と二人並んで座り、話を切り出せば、ゆえは膝に視線を落としたまま、もごもごと口を開いた。
「二人に、とても失礼なことをしたから。ごめんなさい」
ひとつひとつ、言葉を選ぶようにたどたどしく、ゆえは言う。
「あなたたちを知らないのに、ひとまとめにして、そういうものだと決めつけたこと。とても失礼だった。ごめんなさい」
座ったまま深々と頭を下げて、まるで土下座のようになっているゆえを前にして、同室の二人は顔を見合わせた。
そんなにかしこまって一体何を謝りに来たのかと思えば、どうやら、たぶん、ゆえがこの部屋に乱入したあの夜のことらしい。
あのときは怒りというよりは困惑の方が大きかったし、そこまで必死に謝られるほどのことでもない。驚いたし、いっそ気味が悪かったけど、こうして謝られてみればあの奇行の意味も少し理解できた気がした。
ゆえはそのように扱われた経験があって、そういうものだと思っていた。そういうことだろう。
もともと、何をされたわけでもない。ここいらでさらりと水に流そう。伊作と留三郎はこくりと頷きあった。
「なに、ちょっとした勘違いみたいなもんだろう」
「気にしてないよ。顔をあげてくれ」
おそるおそる視線をあげたゆえの顔が、あまりにも。あまりにも叱られているときの犬にそっくりすぎて、伊作と留三郎はこみ上げる笑いを抑えきれずに吹き出した。
「こら、留三郎! 真剣に謝ってくれているのに悪いだろう……!」
「すまない伊作……! しかしお前もまったくこらえきれとらんぞ!」
「いやだって……! ダメだツボに入った……!」
ケタケタと笑い転げる十五歳を前にして、ゆえは困惑したまま二人を眺めることしかできない。なんで笑っているのか、どういう感情なのかさっぱりわからん。
慣れない正座にゆえの足がすっかり痺れて立てなくなるころ、やっと笑いの衝動を抑え込んだ二人は目じりをぬぐいながら頭を下げた。
「真面目に謝ってくれたのに、ごめんね」
「すまなかったな。……ま、これで失礼はお互い様ということにしてくれると助かる」
そう苦笑した留三郎にゆえはぽかんと口を開けた。まじまじとその顔を見つめ、得心がいったようにこくりと頷く。
「わかった、ありがとう。じゃあ。…………おじゃましました」
物慣れないように退出の挨拶をしたゆえが、二人が見送る先で流れるように濡れ縁から転がり落ちて行ったので、同室の二人は回収と手当のために部屋を飛び出すはめになったのだった。
◆
立ちふさがる、小汚い男たち。にやにやと気持ち悪く顔を歪めて、ボロボロの刃物をちらつかせている。
走ったら逃げ切れるだろうか。いや、無理だろう。ゆえは足が遅いから。力も弱いから、抵抗してもきっと何にもならない。ゆえのとりえは、見た目が可愛いことだけだ。
町まではまだ遠い。忍術学園も、近くはない。ここはひと気のない山道。助けは期待できない。
三治郎と兵太夫だけだったら逃げ切れる。三治郎は足が速いし、兵太夫は機転がきくから。でも、ゆえがいるから逃げ切れない。
「へへへ……なにも、命まで取ろうと言ってるんじゃねえ」
どうしよう。
ゆえの頭は焦りと恐怖でいっぱいになった。
お金を奪われるのも、殴られるのも嫌だった。暴力にさらされるのはみじめだ。踏みつけられる度に何かがきしむ。
どうしよう。
二人はゆえがいるから逃げられない。ゆえは足が遅いから逃げられない。
暴力をかざされるのはきらいだ。逃げても、受けても、どちらにしても怒られて、なにもわからないまま、収まるのを待つしかなくて。
どうしよう。
三治郎が、兵太夫が、底抜けに明るいは組のよい子が、そんな思いをするのだけは、絶対に嫌だ。
「わ、わたしが………」
震えて固まる足を無理やり動かして一歩踏み出す。衣を掴む小さな手を震える手で引きはがす。
「この子たちは……この子たちだけは、見逃してください。私は……」
ゆえは可愛い。可愛いから男たちは、ゆえをいためつけたくなる。
「言うとおりに、しますから……」
どうなってもいい、わけがない。痛いのもみじめなのも大嫌い。でも、それでも、ゆえのとりえは可愛いことだけだ。ゆえにはそれしかない。
「ゆえちゃん……!」
小声で咎める三治郎に首を振って、ゆえは目の前の男を伺った。男は値踏みするようにゆえを見る。上から下まで、じろじろと。
「まあまあの別嬪だ」
「肉付きは悪いけどな」
「なあに、今夜の酒代くらいにはならァ」
男たちがわらう。ゆえは後ろ手に二人を押した。
行って。小さい声で囁けば、忍者のたまごには聞こえる。一瞬、ぎゅうっと衣を掴む感触がして、離れる。二人が一気に駆け出す音がして、それに気づいた男たちが怒声をあげた。
二人を追わせてはダメだ。
ゆえはとっさに二人とは反対方向に走り出す。すぐに捕まったけども。でも、二人を逃がすことには成功したらしい。なら、いい。上出来だ。
***
苛立ちまぎれに全身ボコボコに殴られるものと思っていたけれど、意外なことにそうでもなかった。捕まった時に髪を掴みあげられたのと、連れていかれたぼろぼろの建物の中に転がされるとき、乱暴に突き飛ばされたくらいだ。
身体を丸めて打ち付けた肩と背中の痛みを逃がしていると、商品がどうの、品定めがどうのと言いながら男たちが近づいてきた。
手をぐっと引かれて肩が痛む。いたい、と声をあげれば男たちはおもしろそうにニタニタ笑う。
着物のあわせをがばりと開かれて息をのむ。ああ、アレが始まってしまう。
男たちは三人もいて、見るからに汚く、臭く、そして乱暴だ。きっと痛いだろう。ただでさえいつも痛いのに。
二人を逃がせたのだから、後悔はない。ないけど、痛いものは痛いし、痛いのは当然怖い。黒く汚れたきたない手で触られるのもすごく嫌。においも、くさくて嫌だ。
嫌。拒否感に身体が震える。全身に鳥肌がたつ。そしてふと、気付いた。
ゆえは、庄左エ門が握ったゆえの手を、伊作が丁寧に手当してくれた足を、きたないもので汚されるのが嫌なのだ。
最近食べる量が増えたとおばちゃんが喜んで、健康的になってきたと新野先生も褒めてくれた体。くのたまの子たちが褒めてくれて、優しく触ってくれた髪。
やさしい人たちにもらった大事なものが、こんなに雑に踏みにじられるのが嫌なのだ。
嫌。怖くて、悲しくて、くやしい。
それでも何ができるわけでもない。ゆえの力で抵抗したところで、手ひどくされるだけだろう。
かといって、覚悟がきまるわけもない。ひどく胸が苦しくて、申し訳なくて。
怖いものから逃れるように、ぎゅうっと目をつむって顔を反らすことしか、ゆえにはできなかった。
真っ暗になった視界の外で、何か鈍い音がした。うめき声も。ゆえの手首を掴んだ手に一瞬ぎりりと力が入り、そして離れた。
「…………?」
薄目を開けて掴まれていた手首に視線を向ける。掴まれていない。そしてゆえの横、うつぶせに倒れる男は、先ほどまでゆえの手を掴んでいた男だ。
「遅くなってすまなかったな」
「怖かったろう。もう大丈夫だぞ」
聞きなれたやさしい声にぱっと顔をあげる。
いつもの黒い忍者服ではないけれど、見慣れた人がそこにいた。山田先生と土井先生だ。
夢や幻じゃないだろうか。
ぼろぼろの建物のぼろぼろの屋根から明かりが差し込んで、差し伸べられた手を照らす。あたたかそうな、きれいな手。
ちょっと眩しくて暗い方に目を向けた。その先に、男が二人倒れている。暗くて気付かなかった。
どうやら、ゆえをここまで連れてきた男たちは三人とも伸びているらしい。一瞬、命がないのかとも思ったが、それがどちらかはゆえにとってどちらでもいいことだった。そんなことよりも。
「ど、うして……?」
どうして二人がここにいるのか。もしかして、わざわざゆえを助けにきたのだろうか。だとしたら、なんで? だってゆえは、生徒ではない。ただの忍術学園の居候で、厄介者だ。
そもそも、どうしてこんなに早くここに着いたんだろう。兵太夫たちと別れてから、まだそんなに時間は経っていないはずで、別れた場所からも移動している。
もしかして、たまたま近くにいて、ただ単に人が襲われていたから助けただけ、だとか?
差し出された手も取らずにぽかんと見上げるゆえに苦笑して、土井先生はゆえの乱れた襟元をささっと直し、帯も締めなおしてくれた。
「これだよ」
そう言った土井先生の手には小さな袋が乗っている。土井先生がひょいとつまんで持ち上げると、袋からはぱらぱらと小さな粒が零れ落ちた。
よく見れば、色のついた米粒。……前に、土井先生の授業で見たことがある。
「五色米……」
「そう。兵太夫が君の帯につけたんだ」
「三治郎が忍術学園に駆け戻り、この事を報せてくれてな」
話を聞いた山田先生と土井先生が零れ落ちた五色米を辿り、ゆえを助けに来てくれた。そういうことらしい。
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「……忍者ってすごい」
そんなものを持ち歩いていたのも、とっさにそれを利用する機転も、そしてそんなわずかな痕跡を追ってこんな速度でここまでたどり着くことも。全部すごい。
ついでに、こんないかにも暴力で食いつないできたような風貌の男三人を、揉めるまでもなくあっさり倒してしまうのだ。ニンジャ、すごい。
あんぐりと口を開けたゆえがよっぽど間抜け面だったのか土井先生は苦笑して、まだ床に座り込んだままだったゆえをあっさり引き起こす。
「ここに長居するのもあまりよくない。さ、学園に帰ろう」
「うむ。食堂のおばちゃんが、大きな玉子焼き作って待っとるぞ」
当たり前のようにそう言われて、いいのだろうか。こっそりと二人の顔を伺ってみる。いつもの顔。優しい表情。
いいのだろうか、ゆえは。学園に『帰って』も。帰る場所だと思っても。
……先生たちが言うならきっと、許されるのだろう。
どこか後ろめたいような気持ちを抱きながら、ゆえは山田先生たちと一緒に薄暗いボロ屋を後にした。
***
「サテ、ここまでくればまあ、大丈夫だろう」
あたりを見回して一つ頷いた山田先生が休憩を呼び掛けた瞬間、ゆえはぺちゃりと地面に懐いた。
もうつかれた。歩きたくない。
あの男たちに連れていかれたボロ屋は、それ自体はたぶん、忍術学園からそう離れた場所ではなかったのだと思う。
ボロ屋を出てから街道まで進み、街道沿いに歩く山田先生の後ろを何も考えずに歩いていると、山田先生たちはさっと人目につかない藪の中に入り、なんと逆方向に進みだしたのだ。
面食らったゆえはよくわからないながらも、二人の迷いない足取りをなんとか追いかけてここまで来た。
しかしもともと体力のないゆえはもうへとへとだ。これでも体力がついた方なのに。ぜんぜん無理。
足はもう、筋肉も足の裏も全部痛いし。全身だるいし。立ってるどころか座る体力すらもう残ってない気がする。タクシーを呼んでくれ。
「大きな怪我がなくてよかった。帰ったら一応、新野先生に診てもらおうな」
地面に転がるゆえをぽんぽん叩いて土井先生が言う。
確かに叩きつけられた背中や強く掴まれた手首、髪を引っ張られたせいで首も痛いけど、医者にかかるほどのことではないのに。そんなことよりも、たくさん歩いた足の方がつらいし、ここから学園までどのくらい歩くのか考えただけでメンタルが重傷だ。
ふと、頭に大きな手が乗った。ぽんぽんと優しく弾む、あたたかい手。
「よく戦ったな」
山田先生の声には、たまに、不思議な響きがある。いまみたいに。
優しいというか、なにか大きくて、じわじわと指先をあたためるように心地よい、不思議な響き。
「三治郎と兵太夫が怪我なく無事に戻れたのは、間違いなくゆえ、お前さんのおかげだ」
少し間をおいて、先生の声のトーンが少し変わった。
「でもそれで、お前さんが帰ってこないなんてことになっては、みんな悲しむ」
そんなことはない、と言いかけて思い直す。確かに、は組のよい子たちは悲しむだろう。みんな優しいから。すれ違っただけの他人が死んでも悲しみそうだ。
「……でも」
そうは言っても、他にどうしようもなかった。
「だって、わたしが何をしたってあの人たちに勝てるわけない」
逃げても、抵抗しても、どうにもならない。痛いのも、苦しいのも、増えるだけ。
あ、失敗したな、と思った。たぶん、答えを間違えた。
先生たちは強いから、きっとわからない。わからなくてもいいけど。ただ、先生たちに否定されるのはすごく嫌だから、失敗したな、と思った。
ゆえが取り繕う言葉を見つけるより早く、土井先生が「ん」と頷いた。優しい目元。教室で授業をするときみたいに軽く微笑む。
「そういうときは、誰かに助けを求めるんだよ」
「必ず助けてあげるから、我々を信じて待ちなさい」
そう、あまりに、あまりにあっさりと。まるで当たり前みたいに。
教えられたとおりにしたら、さっきみたいに駆けつけて、助けてくれるというんだろうか。
まさかそんな、都合のいいことがあるわけがない。
あるわけがない、と思うのに、あるかもしれない、とも思ってしまう。
あったらいい。もしそうなったら、ゆえはすごく幸せかもしれない。
そこまで考えてしまってから苦笑した。
まず、そんなピンチな状況になりたくないってば。
***
休憩が終わり、再出発してから体感三十分後。
ゆえは地面に懐いていた。
「もう歩けない。むり」
「もーちょっとだから頑張りなさい」
「むりです」
ゆえだってこんなところで野宿がしたいわけじゃない。でも足が上がらない。
「……たすけて」
ちょっと言ってみたものの、さすがに怒られるだろうか。おそるおそる顔を見上げると、山田先生は土井先生と目を見合わせて苦笑していた。
「しょうがないな」
あっさりと、軽々と、なんでもないように、ゆえの「たすけて」は受け入れられた。
こんなことで助けを求めるなと、ツッコミ待ちをしてみただけだったのに。
ぽかんとしていたゆえは気づいたら山田先生におんぶされていた。
「口は閉じていなさい。舌を噛むぞ」
「布かませておきましょうか?」
「アンタね、それじゃどう見ても人さらいでしょうが」
こんなに温かい誘拐があってたまるか。
ゆえは湧き上がるむずがゆい気持ちを持て余したまま、なすすべもなく山田先生の背中にしがみついた。
なお、忍術学園までの道のりは、ゆえの基準で言えばまったく「もーちょっと」ではなかった。タクシーがこい。
◆
夢を見る。
行ったこともない旅行をしている夢。
幼いゆえは毎日楽しくて、にこにことご機嫌で、ここに住みたいと母に訴えている。
母が笑う。
あと■■日したら、家に帰るからね。
ゆえは頬を膨らませて、帰りたくないと駄々をこね、母は困ったように笑うのだ。
目覚めたゆえは不思議だな、と考える。
母に優しい笑顔など、向けられたこともないはずなのに。あんな風にやさしく笑えるなら、あの人はもっと幸せだっただろうに。
この夢を見るのは初めてじゃない。何日か前にも、その何日か前にも。
でも、そう。母が言う「あと■■日」が、だんだん短くなっているような気がする。
そういえば、「ここ」に来る前にも夢を見た。
旅行にでかけることを楽しみに、カレンダーにしるしをつけていく夢だった。そう、そのカウントダウンが0になった日、私はここに落ちたのだった。
家族と遠出したことはないし、母との関係もあんなものではない。あの夢はもしかして、「これ」に関係あるのだろうか。
「……帰りたく、ない……」
ゆえはここにいたい。
忍術学園じゃなくてもいいから、みんながいるこの世界にいたい。
***
繰り返し見る夢のカウントダウンが十日を切ったころ、夢の内容に変化があった。
幼いゆえは地団太を踏み、ずっとここに居たいのだと母に訴える。母は困ったように笑い、そして言った。
「だめだめ、帰るのよ。帰らないなら、ゆえはお名前変えないといけなくなるの。ちがうものにならなくちゃ」
母の冷たく細い指がゆえの頬をするりと撫でる。
ちがうものに。母の娘として生まれたゆえではなく、人との関係が続かないひとりぼっちのゆえではなく。この忍術学園がある世界で、違うものとして……?
ゆえは一連の夢の話を山田先生にだけ話していた。なんとなく、他の、とくには組のよい子たちに話すことははばかられて。
山田先生にこの夢の変化を伝えると、山田先生は難しい顔をしてううむと唸った。
しばらく考え込むように伏せられた目が、ゆっくり瞼を持ち上げてまっすぐにゆえを見た。
「もし帰りたくないと言うなら、それでもいいんだぞ」
「!」
ばっと顔をあげたゆえにひとつ頷いて、山田先生が静かに続ける。
「ゆえが嫌でなければ、名前を考えておこう」
「…………」
嫌なわけがなかった。とても、とても嬉しい。
ゆえは、山田先生が好きだ。何も見ず、聞かず、知らないまま、めちゃくちゃになっていたゆえの足元を照らしてくれた、山田先生が。
だからそんなのは、願ってもいない幸福で。
考える。
ここに残れたら幸せだ。ゆえは好きな人たちの中で、守られて幸せに生きられるだろう。
でも、本当にそれでいいんだろうか。
例えば、乱太郎は。両親の期待を背負って立派な忍者になるために頑張っている。
しんべヱ。お金持ちのお父さんがいて、きっとたくさん贅沢ができるはずなのに、忍者の修行を頑張っている。
きり丸。いい子だしいろんな人が助けたがってるんだから、きっとそれに甘えてしまえばもっと楽に幸せになれるけど、借りを作るのは嫌いだと言ってアルバイトを頑張っている。
庄左ヱ門も、喜三太も。兵太夫も、三治郎も。伊助、虎若、団蔵に、金吾も。
みんな自分の人生を、それぞれ頑張って生きている
ゆえは……つらいからと言って「ゆえ」を投げ出してしまっていいんだろうか。
それは、ずるいことなのではないだろうか。
ゆえは一所懸命、「ゆえ」の人生に責任を持って、まっとうしなければいけないんじゃないだろうか。
だから。それならば。
ゆえは「ゆえ」を捨ててはならない。ゆえの人生は、どんなにいびつでも、戻りたくなくても、ゆえのものだ。捨て去ることなど、きっと間違いで。
だから。
ゆえは、頑張って生きなくちゃいけない。……きっとこれが「正しいこと」だ。
「せんせ、ありがとう。でも、」
震える口の端をぐっと持ち上げる。
正心。正しい心。それが大事なんだって、文次郎が言っていた。
ゆえは忍者じゃないけれど、ここのみんなと同じものでありたいから。
「……わたし、帰っても頑張るから」
「……そうか」
山田先生は静かにひとつ頷いて、「無理はするなよ」とゆえの頭に手を置いた。
◆
ぼんやりとした意識の中、音が聞こえる。エンジン音。車の。
風が吹き込む。カーテンが揺れる。安煙草のにおい。まだのこる西日が差し込んで。敷きっぱなしの薄い布団。時計の音。遠くで流れるアナウンス。電車の音。
時計の長針が10を指す。短針は6を過ぎている。ちいさなテーブルの上のリモコンを取って、テレビをつける。
スピーカーから明るい音楽が流れ出す。画面いっぱいに笑顔が映る。輝かしいそれ。明るく、元気で、楽しそうな。
ああ。
テレビに作り物の彼らが映る。フィクションの彼ら。
ああ。
戻ってきてしまった。もう二度と、あそこには帰れない。
ぼろりと涙が零れる。あとからあとから、ぼろりぼろりと頬を伝う。
寂しい。さみしい。もう会えない。
ゆえの人生の中で一番幸せだった時間。一番好きなひとたち。
あふれる涙で視界が滲まないように、転がっていたタオルを目元にあてたまま懸命に目を見開いて画面を見つめた。
夕方、六時五十分。こどものころは、ずっとおなかをすかせていたような気がする。
学校で給食を食べた後、母親が夕飯を用意する気になるまでは食べるものがなかったから。
することもなくて、おなかもすいていて、ただ時間がすぎるのをじっと待つだけの長い時間を消化するために見ていたテレビの、その中にいた彼ら。別に好きでも嫌いでもなかったそれ。
今このときからは、絶対的な断絶の象徴であり、それでもあの時間を思い出すためのよすがでもある、そのアニメを。
十分間。エンディングが終わるところまで見届けて、涙をぬぐい、洟をかんだ。
ちゃんと生きよう。
教えてもらった。許してもらった。守ってもらった。尊重してもらった。
ゆえがそれまで思っていた形とは違ったけれど、愛してもらった、んだと思う。
きり丸が言っていた通り。贅沢は、一度慣れてしまうと抜け出せないのかも。でも、空っぽのままコスパよく生きるより、欲しがって、思い出に泣きべそかきながら生きるほうがきっと、幸せだ。
大事にしてもらったのだから、自分も大事にしなくてはいけない。だからゆえは、ゆえの人生をちゃんと生きなくてはならない。
いまこの瞬間死んでもいいような、いい加減な生き方をやめよう。まっとうな仕事に就こう。苦しくても学ぼう。人と関わり、絆をつくり、ときには傷ついてでも生きよう。
幸せを求めよう。だってゆえは、幸せを知ったから。
拳を握る。立ち上がる。まずは、自分を削って切り分けて安売りするような今の仕事を辞めなくては。辞めると伝えて、頭を下げて、今まで世話になったと礼を言うのだ。
挨拶も、礼も謝罪も、教えてもらった大事なこと。あの人たちからもらった大事なもので、ゆえは自分を創るのだ。