【rkrn】害悪天女ちゃん【本文】
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嫌われではないがハッピーエンドでもない
恋愛要素なし
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気付いたら、森の中で若い男に抱きかかえられていた。
「あ、気がついたみたい!」
「痛いところはありませんか?」
若い男のほかにやたらと元気な子供が三人、わぁわぁ騒いで話しかけてくる。
「ここ、……?」
見渡す限り木が生えている。森。さっきまで、ビルの立ち並ぶ街の中、マンションの階段を下りていたはずなのに。車すら見当たらない。
「おねーさん、空から落ちてきたんスよ」
「ふわふわ~! って!」
「おねーさんはもしかして、天女様なんですか?」
「こらこら、三人とも。ちょっと待ってあげようよ。……大丈夫ですか? どこか、お怪我でも」
困ったように眉を下げた若い男が私の顔を覗き込む。吊り目にちいさい瞳。目つきは悪いはずなのに、不思議なことにキツい印象はまったくない、むしろかわいい顔立ちに見えるその男を、子供たちがいさくせんぱいと呼んで囲んでいる。
きゃいきゃいとじゃれあう子供の一人は大きな丸い眼鏡をかけていて、ぼさぼさの赤毛。その子供の名前を、まんまるに太った子供が口にした。
「らんたろう!」
だからきっと、珍しく楽しい夢を見ているのだなと、そう思ったのだ。
◆
その娘は、奇妙ないでたちをしていた。
六年は組、保健委員会委員長、善宝寺伊作が連れてきた年頃の娘。
顔かたちは可愛らしく、体は細すぎるほどに華奢。身にまとう衣は風変りで、その布の質感ですら珍妙であった。
身一つで山に現れたというその娘は、空から浮かぶように落下してきたのだという。落ちてきたところに腕を差し出し保護したという善宝寺がいうのだから、嘘ではないだろう。ちなみに、娘を抱えた直後足元が崩れて斜面を転がり落ちたらしいが、これはいつものアレであるから良しとする。
「して、その娘は」
「帰り方もわからず、行く先もわからないと言うので……」
「連れてきてしまった、と」
「……すみません」
眉を下げる善宝寺に、教員たちはそれぞれ肩をすくめた。仕方がない。善宝寺はこういうタチの男なのだから。
それでいて忍としての能力は人一倍高いこの男のことだ。娘が何か企みを抱いているような人間であれば、学園に招き入れることはしなかっただろう。手当をして世話を焼くことはするだろうが。
「天から落ちてきたというのは?」
「それもわからない、と」
「まさか自分の身分や名前もわからんと言うんじゃないだろうな」
「身分はともかく、名は名乗りました。ゆえ、と」
その娘、ゆえはというと、小鳥の餌かと思うような量の食事をとって、くのたま長屋に設けた一室で眠りについたらしい。今はくのいち学級担当教員の山本シナがついている。
きょろきょろと物慣れない様子であたりを見回していたくらいで特段怪しい動きもなく、むしろ顔立ちに反して幼げな雰囲気すらあったというその娘を。
「どうしたもんかのう……」
学園長、大川平次渦正はそう唸って自らの顎を撫でた。
ここは忍術学園。一応、存在を秘された、忍者の学園である。
ほいほい一般人を保護して世話をする施設では、決してない。
ましてや、行く当てがないような女を。
「……すみません」
肩身が狭そうに縮こまった善宝寺の肩を、一年は組実技担当教員、山田伝蔵はポンと叩いてやった。
なに、気にすることはない。どうにかなるし、どうにでもなるもんだ。
◆
ゆえという娘は、奇妙であった。
鼻にかかったような子供っぽい声でへらへらと媚びへつらったかと思えば、なんてことのないようなことで怒って喚く。
特に三年生より下の下級生には当たりがきつく、先日などは一年生に対して本気の怒声をあげたものだからさすがの伝蔵も頭を抱えた。まあ、相手が図太さに定評のあるは組だったから特段ダメージを受けた様子ではなかったが。
それはそれとして、怒鳴りつけられた山村喜三太が涙目でしょんぼりと落ち込んだものだから、彼の所属する用具委員会委員長の食満留三郎となぜか立花仙蔵両名の娘に向ける目が厳しくなった。当の喜三太は十分後にはケロリとしていたものだが。
娘の、人懐こいかと思えばそうでもなく、男にはすり寄り、女には近寄りたがらないその様子があまりにも奇妙だった。見知らぬ場所で同性と異性がいれば、まずは同性に寄るのが人の常である。
「ところでお前さん、年はいくつだ?」
「……なんで?」
極めつけが、この礼儀のなさ。
伝蔵は若作りでも何でもない、四十をとうに超えた男である。
年長者に対して敬うこともなく値踏みするような目を向ける。そのことに、伝蔵は思うところがあった。
「お前、山田先生に対し質問を質問で返すとは。失礼だぞ」
「よせよせ、潮江文次郎。お嬢さんに迂闊に年齢を訪ねたわたしが悪い」
目力も強ければ語気も強い男、潮江文次郎を宥めて娘を見れば、ごく普通に怯えたらしく表情を硬くしている。文次郎は優しい男ではあるが厳めしいツラをしているからまあ、しょうがない。
だが年齢を訊いた伝蔵に対し、不快とも少し違う、単に言いたくない様子でもなく、どこか警戒するような気配を見せたのは。理由に興味があるではないが、きっとそれが妙なちぐはぐさの根源とも繋がるのではないだろうか。そうあたりをつけたところで、しかし、それを探る意味も別になかった。
「ン~、そうさな、七つくらいかな?」
「そんなわけなくない!? いくらなんでも!」
山田伝蔵がこの少し足らない娘に関わる上で、それがどんな背景であれ関係のないことなのだから。
◆
「お前さんが本当に欲しいモンは、そんなモンじゃなかろうに」
癇癪を起して騒いでいた女を捕まえた山田先生がそう言ったとき、その場で女と言い合いをしていた鉢屋三郎は意味の分からなさに威勢を削がれ、思わず言葉に詰まってしまった。
女はあまりにワガママで、自分勝手にこの忍術学園の和を乱している。𠮟りつけるならまだしも、教師である山田伝蔵がまるで、憐れむような声でそんなことを言うその意味が、三郎にはとんとわからなかったのだ。
そんな風に付け入る隙を見せては、女は嬉々として飛びつくだけだろうに。そう思って睨みつけた先で女は、目を丸く見開いて、放つべき言葉を失ったように口をぱくぱくさせていた。
「……だって、」
掠れた声が惑うように漏れて、それが女の声であることを、三郎は一瞬遅れて理解した。今まで聞いた、媚びた声とも甲高い怒声とも違う、普通の女の子の声。
山田先生に向けた瞳がせわしなく揺れる。わななく唇から震える声が不格好に転がり落ちる。
「だって、じゃあ、どうしたらいいか、わかんない」
大きな目からぼろ、と涙が零れた。それに怯えるようにひぐ、と息をのんだ女は、踵を返して逃げ去ってしまった。
「……なんだ、あれ」
「鉢屋三郎、お前もまだまだだな」
「ええ……?」
やれやれ、と息をついた山田先生に三郎は首をひねった。どのあたりを指しての「まだまだ」なんだろう。
◆
忍べてもいない足音に、気付かないわけもなかった。
同室の善宝寺伊作が拾ってきた女、ゆえのものだろうそれが、夜も更けた六年長屋の廊下に響き、この部屋の前で止まる。
何をしに来たというのか。物盗りとも、まさか暗殺とも思えない。
衝立の向こうの伊作に様子を見ようと矢羽根を飛ばし、食満留三郎は寝たふりを決め込んだ。
建付けのいい扉がするりと開く。
たし、たしと足音が床を踏みしめて、そうして女の気配は、留三郎のすぐ近くまでやってきた。
さて、何をするつもりやら。
しゅるり、と衣擦れの音がする。ん?
のばされた手をとっ捕まえてみれば驚いたのか息をのむような声が上がる。それは確かにゆえの声で、その表情は硬くこわばっていて、そしてその寝衣は帯を抜かれてすっかりはだけていた。細く開いた戸から漏れ入る月明りに照らされて、白い肌がぼんやりと青く闇に浮く。
「んなッ……!?」
思わず声をあげたのは、間違っても艶っぽい意味ではない。予想外の結果が目の前に現れたがために反応に困ったせいである。それはそれで忍たま六年生としては失格なのでは。それはそうだけども。
留三郎の声にならない悲鳴を聞いて衝立の向こうからひょっこり顔を出した同室の善法寺伊作は、無言でゆえの衣の乱れを整えてきっちりと帯を巻き、それから灯明に火をを灯した。
仕切り直しだ。ごほんと咳払いをして留三郎はゆえに向き直る。
「で、何をしに来た?」
「見てわからない? ナニしにきたの」
まあ、見たらわかる。そういう目的でもなければ、あんなあられもない姿で他人の部屋は訪れないだろう。いや、そもそも年頃の娘がこんな夜中に寝衣で男の部屋を訪ねること自体────
納得しそうになった留三郎は慌てて首を振った。違う、そういう話はしていない。
「いやいや、おかしいだろ。なんで俺なんだ」
留三郎はこの女に、好かれているとは思っていない。伺うような視線を感じたことはあるが、特別親切にしてやったこともない。むしろ、喜三太の件で厳しい視線を向けた自覚もあるし、その視線に対してツンとした態度を取られていると感じている。そんな相手に夜這いなど。まったく意味がわからない。
これで女の狙いが伊作であれば、許容はしないがまだ理解はできた。だというのに。
「入ってすぐそこにいたから?」
なぜそんなことを聞くのかと言わんばかりの怪訝な顔で娘がそんなことをほざくので、懐の広いことで有名な食満留三郎もさすがにひっくり返った。
「誰でもいいのかオノレはっ!」
「誰でもいいのはそっちでしょ?」
「はぁ!?」
身に覚えのない誹りに声をあげた留三郎だが、すぐに怒りを引っ込める。ゆえの表情は人を誹るような色を含んでいなかったのだ。まったく意味が分からない。もはや不気味だ。
「ゆえちゃんは、えっと……えっちなことがしたくてここにきたの?」
「なに言ってるの? したいのだってそっちでしょ?」
なんとか説得を試みようとした伊作も返事に窮する。どうしよう、意味が分からない。
どうにも会話がかみ合わないのだ。ゆえが言う『そっち』には、どうやら伊作も含まれるらしい。もちろん二人には、女にそう受け取られるような言動をした覚えもない。相手が誰でもいいから身体を重ねたいだなんて、思ったことすらないのだから。
返事に困って口をつぐんだ二人に、動揺したのはゆえの方だった。
「なんで……なんで? じゃあ、どうすればいいの? どうすれば……」
いつも様子のおかしいゆえではあるが、今日の言動はことの他おかしい。何かを恐れているような、焦っているような。灯火に照らされたゆえの目元に涙が浮かんだことに、留三郎はぎくりとその身をこわばらせた。あ、泣く。
思わず座ったままのけぞった留三郎の寝衣の衿を、ゆえががしっと掴む。掴んで、がばりと左右に開いた。
「続ける方向かよっ!」
さすがに止めようと立ち上がった伊作は足元にたごまった布につんのめってひっくり返った。どったんばったん。
「はいはい、そこまで」
突然現れた山田先生が、留三郎にのしかかる女をべりっと引きはがした。女は何が起きたのかわからないような顔をしている。さっきまでの焦燥の色すら失せるほどに。
「すまんかったな、お前たち。この子は私が寝かしつけておくから、気にせんでくれ。じゃあ、おやすみ」
「「お、おやすみなさい……」」
女を肩に担いだ山田先生が廊下に消えていくのを見送って、留三郎と伊作は顔を見合わせた。どっちも同じくらい、困惑した顔をしていた。
「ゆえ、お前さんがどうすりゃいいのか、明日教えてやろう」
小脇に抱えなおしたゆえに、伝蔵はひそめた声でゆっくりと囁いた。
「だから今日は、もう寝なさい」
「えっ、山田先生……!?」
「土井先生、この子は今日はここで寝かせます」
「ええ……? は、はあ……」
困惑する土井半助をよそに、伝蔵は自分の布団に少女を寝かせて当たり前のような顔で布団の横に添い寝した。とん、とんと掛布団を叩く様は、まさに子供の寝かしつけそのもの。
何らかの抵抗を試みたらしい少女の気配が眠気をまとい、静かになって、
「……おじさんくさい」
「うっさいわ」
そんな小声の憎まれ口と。
とん、とん、と布団を叩く柔らかい音と、外に聞こえる夜鳥の声、虫の音、風に触れた木々のざわめき。夜の闇はすべてを包みこみ、いつしか寝息も闇に溶け込み、そして─────
────朝が来る。
「今日からしばらく、ゆえに庄左ヱ門をつける。庄左ヱ門、ゆえにいろいろ教えてやりなさい」
「はい」
「は?」
「ゆえ、庄左ヱ門の言うことを、まずは素直に聞いてみなさい」
「待って。なに、どゆこと?」
朝食の席で山田先生に頼みごとをされ、いいお返事をした庄左ヱ門、十歳。庄左ヱ門に面倒を見られることになったらしい十代後半のゆえが困惑するのも無理はない。見た目と年齢だけで言えば立場は普通、逆だろう。
「山田先生、ぼくが代わりますよ。年も近そうだし」
「尾浜勘右衛門」
居合わせて名乗り出た五年い組、尾浜勘右衛門は別に、面倒ごと、もといゆえに興味があるわけではない。同じ委員会の後輩である黒木庄左ヱ門を思いやってのことである。
そんな十四歳の美しい自己犠牲を見た山田先生は、なぜか不満そうな半眼で勘右衛門をじろっと眺めた。
「勘右衛門じゃあな~~~……。やはりここは、庄左ヱ門が適任だろう」
「うそお」
「どゆこと……?」
堂々と立つ庄左ヱ門と満足そうに顎髭を撫でる山田先生。
勘右衛門とゆえの心が一つになった瞬間である。もっとも、どっちもそんなことは望んじゃいなかったが。
◆
一年は組、学級委員長、黒木庄左ヱ門。
彼を一言で表すのであればしっかり者、といったところだろう。しかしタダのしっかり者ではない。図太く、冷静で、ずけずけとものを言う、度胸があって我の強いしっかり者である。
ゆえのことを一年は組のものだと思って扱いなさい、と申しつけられた庄左ヱ門は、素直に、真面目にその通りにした。誤りを正し、正しくないことは正しくないとズバズバ切り捨て、冷静に指示を出す。
何度目かのやりとりの末、ゆえが爆発したところで黒木庄左エ門は動じない。
「なんでわたしが、あんたみたいなガキの言うこと聞かなくっちゃいけないの!?」
「それはぼくが、一年は組の学級委員長だから!」
「学級いいんちょ…………はぇ??」
「行こう、ゆえちゃん。授業始まっちゃうよ」
「……ほぇ……??」
自分の土俵で話を進める男、マイペース集団一年は組のまとめ役たる庄左ヱ門は、ゆえの暴走にめっぽう強かった。相性というやつだ。なるほど、山田先生の見立ての通りである。
しかも先日までは年上の人間だからと敬語を使っていた庄左ヱ門、一年は組と同じようにと言いつけられたのですっかりそのように口をきく。こういうところが実戦に強く図太いは組のなせる技。山田先生が勘右衛門にはないと言った部分だった。
予想もつかない角度から大真面目にとんでも理論をぶつけられ、情報処理のために反応が鈍くなったゆえの手をしれっと引いて教室に現れた庄左ヱ門に、は組の面々がどうした何があったと騒ぎ立て、「それが実は、かくかくしかじかで」「そーなんだ!」とあっさり受け入れるまでがお約束。
そしてそんなお約束であっさり一年は組に受け入れられたゆえは、またもや事態を飲み込むために時間を要した。
飲み込もうと飲み込まなかろうと、は組はは組。そうゆえが割り切るまでには、もう三日ほどかかる。
◆
「~~~ッ、庄左エ門のばかっ! もう知らない!」
そう叫んだゆえは踵を返し、バタバタと走り去ってしまった。足は遅い。遅いけど、一年は組のよい子たちはあまりに突然の癇癪に驚いて、ぽかんとそれを見送った。
「……ばか? 僕が?」
「そこじゃないと思うよ庄ちゃん……」
きょとんとした顔で振り返る庄左ヱ門の肩を叩いて、乱太郎は苦笑した。
どうやら、いつも通り庄左ヱ門につきっきりであれやこれやと注意され、溜まりに溜まったゆえの不満が爆発したらしい。
庄左エ門に非はないが、彼の軌道修正が強引なことも知っている面々が苦笑する。
「どうする?」
「う~ん……。ゆえちゃんは割とビビリだから、ほっといてもそのうち戻ってくるんじゃないかな」
「迷子になっちゃってたりして」
「学園内で?」
「さすがにないって」
わはは、とは組に笑いが起こる。
ゆえはすぐにへそを曲げるが、は組がいつも通りに笑っていれば、そのうちへそを曲げたことも忘れて混ざっている。変に機嫌を取ろうとするよりも、ちょっと放っておいてあげるくらいがちょうどいいのだ。
一人で知らないところに行ったり、学園を出ていくような度胸があるわけでもない。
たぶんきっと、その辺でヘムヘムにちょっかいでもかけていることだろう。
***
その頃、当のゆえは順当に学園内で迷子になっていた。
は組の予想と違い、残念ながらゆえに帰巣本能は備わっていなかったのだ。
地下迷宮と呼ばれる新宿駅とて少し見渡せば構内図や案内板があるというのに、この学び舎にそんなものはない。
ほとほと困り果ててしゃがみこむ。ぐう、と情けなくお腹が鳴った。
忍術学園にきてからというもの、ご飯が美味しくてついつい食べる量が増えている。そしてその分、空腹を感じやすくなった気がする。
「おなかすいた……」
お腹がすいたせいか、なんだか気分が落ち込んできた。
あんなこと、言わなきゃよかった。庄左エ門は怒っているだろうか。ゆえはいつもそうだ。カッとなって、いやなことを言い、人に嫌われる。
気分と一緒に体まで重くなった気がしてしゃがみこむ。と、近くの茂みがガサガサと揺れた。もしかして、は組の誰かだろうか。それか、山田先生とか。
ゆえがぱっと顔をあげると、全然知らない人がいた。知らん。誰。
柔らかい緑色の服だから、学園の生徒ではあるだろう。まだそんなに大きくないから、五、六年生ではなさそう。何色が何年生だっけ。はて……
「なんだ、どうした? お腹すいてるのか?」
不思議そうな顔でゆえの顔を覗き込む少年に、ゆえは躊躇いつつもこくりと頷いた。
「じゃ、食堂に行こう!」
ぱっと手を差し伸べられる。当然のように与えられる親切に、ゆえはいつもたじろいでしまう。
その手を取っていいのか迷ってしまって中途半端に持ち上げた手を、少年は自分からがしっと掴んでゆえを引き上げた。力が強い。太陽の光が少年の目の中でキラキラと輝く。
そういえば、庄左エ門が言っていた。ちゃんと名乗るのは大事。
「あ、あの……わたし、ゆえ。えっと……」
「ゆえちゃんだな! ぼくは三年ろ組、神崎左門! よーし、食堂はこっちだーー!」
楽し気に走り出す少年──左門に手を引かれ、少し足をもつれさせながらもゆえはほっとした。食堂まで行けば、一年は組の教室への戻り方も長屋への帰り方もわかる。
ぐう、きゅるる。…………まずはご飯を食べたい。
***
「こっちだ~~!」
走る左門に手を引かれ、藪を抜け、木の枝をくぐり、森を走り、林を突き抜け、たどり着いたそこは。
太陽を反射する水面。岩にぶつかり散る白波。ざあざあと音を立て、寄せては引いていく波の裾。
「う、海…………!?」
「あれ? 違ったかな。じゃあこっちかーー!」
「えっ、来た道と違うんだけど……!?」
左門はゆえの手を引いたまま、海沿いににまっすぐに走り抜けてまた林の中に飛び込んだ。来た時とは別の。
いくらなんでも忍術学園の敷地内に海はないだろう。じゃあ、ここは忍術学園ではなくて。いつの間に学園から出たのかゆえにはわからなかったが、一つ確かなのは、おばちゃんがいる忍術学園の食堂は忍術学園の中にあるということだ。だから忍術学園に戻らなくてはいけない……のでは!?
来た道を戻るべきではないだろうか、と思ったゆえではあったが、左門は近道を知っているのかもしれないし……一抹の不安を抱きながらも口をつぐんだのであった。
***
時折強く吹き抜ける風。何か動物の鳴く声。見渡す限りの森、空、岩肌。
「山っっっ!!」
「うん、山だな!」
ゆえの嘆きに左門が元気よく答える。
いくらなんでも、さすがに、おかしい。
じと目でゆえが左門に視線を投げかけても、すでに左門は前を向いていた。
「よし、忍術学園はこっちだ~!」
「ねえ! ほんとに!?」
「進退は疑うなかれ! だ!」
「えーーー!?」
走り出す左門に相変わらず手を引かれ、ゆえはくたくたの足をなんとか動かす。こんな山中に置いて行かれてはたまらない。ゆえは本当に忍術学園に帰れるのだろうか。不安しかない。
ゆえは泣きたくなった。庄左エ門、迎えにきて!と心で叫ぶ。いくら庄左ヱ門とはいえ、ゆえがこんなところにいるとわかるわけもない。無理である。わかっていても救いを求めたいときが、人にはあるのだ。
***
「ここはどこだーー!?」
「ほんとにどこ!? アマゾン!?」
熱帯雨林の真ん中で、ゆえは叫んだ。ここはどこだ。少なくとも学園の裏山ではなさそう。
もうさすがに、いくらなんでも、確信した。
「じゃあこっちだっ」
「ぜったい違う!!」
神崎左門。この少年、とんでもない方向音痴である。
ゆえはまた走り出そうとした左門の手を一所懸命に握りしめ、足を踏ん張って引き留めた。左門がキョトンとした顔でゆえを見る。
「じゃあこっち?」
「いやわかんないけど! テキトーはやめよう!?」
左門のたどり着く場所はランダムガチャだ。回し続ければもしかしたら、そのうち忍術学園を引く時が来るかもしれない。しかし、ゆえの体力はそこまでもたない。もつわけがない。
ゆえはともかく、左門は学園の生徒だ。もし夜になってもずっと戻らないなら、きっと心配した大人が探して迎えにくるはずだ。頼むからそうであってほしい。
どうしたらいいかはわからないが、少なくともこれ以上ランダム移動しないほうがいい。というか、ゆえにはもうこれ以上徘徊する体力がない。
必死の形相で左門を引き留めるゆえを見て、左門は気まずそうに頬をかいた。
同じ組の次屋と違って、左門には方向音痴の自覚はある。進退を疑わずに突き進むのが己がモットーではあれど、その結果の迷子にお腹をすかせた女の子を巻き込んだことには罪悪感がないではない。しがみつくゆえの一人くらい、引きずって前に進む程度左門にとってはわけないが、そういうわけで左門は一旦足を止めたのだ。とりあえず前に進んだ方が早く帰れるのに、とは思いながらも。
こうして膠着状態になった二人の、その数分後。下草をガサガサ踏み分けながら、救世主は現れた。
「左門! 見つけた!」
「作兵衛~!」
ぱっと表情を明るくした左門を見て、ゆえはやっと手から力を抜いて地面にへたりと座り込んだ。
左門を小突いて縄をつけた作兵衛がひょいとしゃがんでゆえに目線を合わせる。
「左門を止めといてくれてありがとな」
「…………」
「こいつ、決断力のある方向音痴だからよ。さ、帰ろうぜ」
差し伸べられた手。ゆえはその手をじっと見つめた。
数時間前にも同じように、左門が手を差し出してくれたのだった。その結果がいま、これ。
「…………」
「……いや、俺は方向音痴じゃねーから大丈夫だって、ほんと」
***
今度こそ、ついに、やっと、忍術学園の門をくぐれた。ゆえは安堵に泣きそうになった。
出門表にサインせずに出かけたことを小松田に叱られて少しムッとしたが、そんなことよりも無事に帰りつけたことが嬉しくて、素直に出門表と入門表にサインする。
「ゆえちゃん!」
呼びかけられて声の方に顔を向けると、庄左エ門が息を切らして駆け寄ってくる。
「庄左エ門。悪ィな、左門の迷子に巻き込まれてたみてぇでさ」
「なるほど。それでどこを探しても見つからなかったのか……ゆえちゃんを見つけてくれてありがとうございます、富松先輩」
作兵衛から事情を聞いた庄左ヱ門が頭を下げてゆえに向き直る。ゆえはぎくりとした。
庄左エ門を見てほっとしている場合じゃなかった。ゆえは、ほんの数時間前、庄左エ門に嫌な態度を取って逃げ出したばかりなのだから。
気まずくうつむいたゆえの視界に、ゆえより背の低い庄左エ門がひょっこり入り込んで苦笑した。
「おかえり、大変だったね」
ゆえはぱっと顔をあげた。あんまりに驚いて。
庄左エ門が怒っていないのはうすうすわかっていたけれど。
おかえり、だなんて言われるとは思ってもみなかったから。
固まるゆえに、庄左エ門は懐から包みを出して差し出した。
「これ、おにぎり。ゆえちゃん、ランチ食べ損ねただろ?」
「………!」
受け取った包みを急いで開くと、そこにはちょうどいい大きさのおにぎりが三つ。
ぱくりと頬張るとそれはもうすっかり冷めてはいたけれど塩気がきいていて、食べた端から体をぽかぽか暖めるようだった。
ひと口のみ込めば胃が空腹を思い出したかのようにぎゅうぎゅうと痛む。ひとつめをあっという間に食べ終わって、ふたつめに手を伸ばしたところで庄左エ門と目が合ったゆえはびしりと動きを止めた。
「んぐ……。しょ、庄左エ門、あの、あのね……」
「ん?」
誰に嫌われようと、今まで別に気にしたことがなかった。だって気にしたところで嫌われるのだから、なら、気にしたってしょうがない。
でも何か、なにか言わなきゃいけないような気がして、ゆえは言葉を探した。
謝る? でも怒ってないし。むしろ、謝ったせいで怒られることもあるし。
そういえばさっき、庄左エ門はゆえに意外なことを言った。おかえり、と。
そんなの、言われたことがなくて。テレビの中でしか見たことがないやりとりで。
「その、……ただいま」
「うん、おかえり、ゆえちゃん」
「……ん」
庄左エ門を見て、たしかにゆえはほっとした。庄左エ門の側がゆえにとっての安全地帯だった。現に、ご飯も用意してくれた。庄左エ門はすごい。まだ十歳なのに。
これはあれだ。この気持ちはそう、言葉にするなら、たぶん。
庄左エ門しか勝たん。
これ。
◆
今日も今日とて賑やかな一年は組。土井の担当クラスの生徒たち。
何やら集会を開いているのか、やんややんやと聞こえる声にほんの少し耳を澄ましてみる。どうやら、忍術について話をしているらしい。
ちょっと前に六年生の善法寺伊作と一年は組の乱きりしんが拾ってきた女の子、ゆえと、土井の授業に出てきた忍術の話をしているようだ。
「聞いてる分には面白いけど、覚えられる気はしない。みんなあんなの覚えるの?」
「そりゃあぼくたち」
「忍者のたまご、忍たまだからね!」
「ひよこどころかたまご」
「玉子焼き!?」
「割って混ぜて焼いて食うの……?」
「甘ぁ~いのが好き~~!」
「ぼくは出汁のきいた、大根おろしついてるやつが好き。ゆえちゃんは?」
「…………食堂のおばちゃんのたまごやきなら、ぜんぶ好き」
「「「それはそう!」」」
そんなやりとりを微笑ましく思った土井は、次の抜き打ちテストをゆえの分まで用意してやった。
ふわ、とあくびをしていたゆえは目の前に置かれたテスト用紙に目をむいて、間違ってますよとばかりにこちらを見たから土井はにっこり笑って頷いた。間違ってないぞ。お前の分だ。
庄左ヱ門がゆえの方に自分の硯をよせてやり、予備の筆も渡してやっている。至極迷惑そうな顔で受け取ったゆえは、しぶしぶとテスト用紙に向き合った。盛大に眉をひそめながらも取り掛かったのだから随分と素直になったものだ。
まあ、字はへたくそだし、テストの結果は凄惨たるものではあるが。とはいえ、点数に関しては組はのきなみそうなので。
テスト用紙の余白にへたくそな字で書かれた文字に、土井はふっと笑って朱墨を筆に含ませ、返事を書いた。
『せんたく式に してください』
『記述で答えられるよう がんばりましょう』
◆
ごほごほと咳をつく。
ひとしきり咳きこんで息をつき、水をひとくち含む。
荒れた喉を潤した山田伝蔵は、もう一度息をついてから枕に頭を預けた。
のどの痛み、咳、頭痛と発熱。校医の新野先生から診断が下りている。感冒。ようは風邪である。
このところ生徒の成績表作成やら出張やらで忙しく寝不足が続いていたのに加え、季節の変わり目がたたったのだろう。若いころはこれくらいの無理、なんでもなかったものだけど。年かねえ、なんてひとりごち、天井を見上げる。廊下に丸わかりの気配がある。あるんだよな~、さっきから。
「……用事がないなら戻りなさいよ。うつるといかん」
戸の向こうにそう声をかければ、手をかけていたのか戸ががたりと音を立て、ぱたぱたと足音が離れていく。やれやれ。
別に、死にそうなほどに重症なわけではない。随分と咳が出るから、子どもたちに感染させないように隔離しているだけで。だというのそわそわと落ち着かないのが一人、伝蔵が休んでいる部屋の前を行ったり来たりとうろついている。あの足裏を引きずるようなどんくさい歩き方は、ゆえのものだ。あの子はやたらとどんくさく、こないだはけんけんぱすらできずにコケていた。
忍術学園に来てすぐの頃はいろいろとお騒がせだったゆえは、庄左ヱ門をつけた日からぱたりと大人しくなった。どうやらは組に振り回されるのに忙しいらしい。ちまいのと一緒になってあちこち転げまわっているのをよく目にする。
発熱と頭痛を感じながらぼんやり思考を回していると、どんくさい足音がまた近付いてきた。部屋の前で止まり、ためらうように間があいて、しばらくすると戸がコツコツと叩かれる。
「せんせ、入っていい……?」
どうやら用事を作ってきたらしい。伝蔵は苦笑して体を起こし、入室の許可を出してやった。
そっと戸を開けたゆえはなにやら湯飲みの乗った盆を持っている。片手で盆を持ち後ろ手に戸を閉めるのが危なっかしい。
よちよちと伝蔵のもとまでやってきて、枕元にそろそろと盆を置いて、やっとゆえはほ、と息をついた。
「これ、咳のくすり……。くずゆだって」
葛湯は薬ではないが。まあ、なんとなくいきさつが読めた伝蔵は笑ってしまった。きっとさっき咳きこんでいたことを新野先生か保健委員会の乱太郎あたりに相談して、用意してもらったのだろう。まあ、なんとも可愛らしいことで。
湯飲みを受け取りひと口飲むと、とろりと重みのあるほんのり甘い湯がゆっくりとのどを撫でる。少し生姜も入っているようだ。
「うん、こりゃあいい。ありがとうな、ゆえ」
「え、いや……」
ゆえは何やら乱太郎が、だのおばちゃんが、だの、ごにゃごにゃと言っている。礼の一言くらい軽く受け取ればいいものを。
「サテ、わたしはひと眠りしようかね。ゆえ、これのお礼を伝えておいてくれ」
「はい」
素直にこくりと頷いて立ち上がり、部屋を辞そうとしたゆえはしかし、戸に手をかけたところでぎこちなく振り向いた。はて、とそれを眺める伝蔵を伺うように言いよどんだ娘は、それでもなんとか振り絞る。
「その……お、おやすみなさい」
「ん? ああ、おやすみ」
何気ない挨拶ひとつ、言いにくそうに口にして、返事があったことに慣れないような、安堵したような顔で去っていくゆえを見送って、伝蔵は布団に寝転んだ。
なんてことのない礼と挨拶に慣れない娘。だが、知らないわけではない。それは果たして、どういう────いや、自分から話すまでは何も聞くまい。
やれやれ、難儀なことである。
◆
「ねえ待って」
「いやいや、触ってみたら意外と平気かも~」
「そうなの? ねえそんなことある?」
「あるかも?」
「マジで言ってる?」
喜三太の声に狼狽する娘の声。
庄左ヱ門の肯定に、娘の声が悲壮みを帯びている。
「ひっ……ぺちょっ……ぬめっ……! むり、むりむりむり! とってとってとって……!」
「ナメクジさん、ゆえちゃんと仲直りできてよかったねえ」
「のぼってくる、無理、とってよぉ! は、はやくっ!」
ひょいと覗き込んだ長屋の一室で、喜三太を泣かせたと聞いていた娘が、喜三太に泣かされている。
立花仙蔵はなんとなくアレやコレのいきさつを察知して、娘にちょっぴり同情した。
「あっ、立花仙蔵せんぱいじゃないですか~~~!」
「げぇっっ……!!」
「ねえとって! コレとっててばーー!!」
仙蔵を見つけて目を輝かせる喜三太に呻いた仙蔵は、しかし払い落とすこともできずにナメクジが這う腕を伸ばして半泣きになっている娘をほうって立ち去ることもできず。
そのあとなんやかんやあって長屋の一角で小規模な爆発が起きたが、ナメクジたちは無事であった。めでたしめでたし。
◆
もうちょっとだけ続くんじゃ