【IF】未来編
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いつも通り依頼もない、平和なSPRオフィスの午後三時。
紅茶のセットを運んできた麻衣はソファで本を読むナルに一声かけて、その隣に腰を下ろした。
ナルはいいとは言っていないが、麻衣は別に気にしない。
お茶を淹れる麻衣の動きにあわせて髪がふわ、と揺れる。
視界に入ったその動きに誘われて、ナルは何の気なしに指を伸ばした。
長い指が麻衣の柔らかな髪をすく。その感触に麻衣が顔をあげた。
するりと指から逃げる髪を追うでもなく、ナルは麻衣の髪を眺めている。
麻衣は髪に触れたナルの指に視線をやって、自分の髪を一束つまんだ。
「あ~、そろそろ伸びてきたなぁ……」
「…………」
「美容院いつ行こうかな。めんどいなぁ」
「……切るのか?」
「え、うん。調査のときとか邪魔だし」
ナルが眉を顰める。これは何か気に入らないことのある時の表情だ。
ご機嫌を察知した麻衣がちょっぴり怯む。
「な、何?」
「……結べばいいんじゃないか」
「ええ……? だっていちいち結ぶの結構面倒だし、そこまで伸びるまでもうっといし」
「……そうか」
口では納得したように言ってはみせたものの、明らかにまだ不機嫌そうな気配を出している。麻衣は小さく首を傾げた。
「……なに、私が髪切るのヤなの?」
「………」
「ふぅん」
無言を肯定ととった麻衣。ナルはそのまましばらく麻衣を見ていたがフイ、と視線を分厚い洋書に戻してしまう。
非常にわかりにくい彼の照れ隠しなのだが麻衣は気付かなかった。彼女は変なところで鈍い、とはSPRレギュラーメンバーの言である。
こうしてこの話題は幕を閉じたかのように思われた。少なくともナルはそう思い込んでいた。
◆
「おはよーございまーす」
出勤の挨拶をする麻衣。いつも通りのやる気のないような明るいような、独特なイントネーションである。
「…………」
「ナル? どしたの?」
入ってきた麻衣に目を向けたナルは固った。
彼女の髪はなんと、先日までとは打って変わってベリーショートと言えるほどに短くなっている。
切るのをやめたんじゃなかったのか。それともほんの数日前の会話を忘れたのか。
どちらにしろ自分がないがしろにされているようで少しムッとする。
そんなナルの様子に麻衣は首を傾げた。
はて、自分は何か彼の癇に触るようなことをしただろうか。まだ挨拶をしただけなのに。
もしかして機嫌が悪いだけかもしれない。そう思った麻衣は率直に訊ねた。
とんでもない嫌味か無言、もしくは「別に」が返ってくるかと思ったが意外にも普通に返事がきた。
「……切ったのか」
「へ?」
「髪」
「ああ、友達の行きつけが安くしといてくれるってゆーから、いい機会だと思って」
そう言って、毛先をつまんでみせる麻衣。
「これで調査のときも邪魔じゃないよ」
にこ、と微笑むがナルが訊きたいのはそこではない。
「切るのはやめにしたんじゃなかったのか」
「え、そんなこと言ったっけ?」
「…………」
言ってはいない。言ってはいないがあの流れならそうなるだろう。
無言のままナルは麻衣に近づいて髪に触れる。前と変わらずやわらかい髪は、前とは違って長さがない。ふわふわとした感触は増したものの、これでは指に掛かりもしない。
不満気に頭をもふるナルをそのままに、麻衣はくすりと笑う。
「ナル、口に出さなきゃ伝わらないことだってあるんだよ?」
「……麻衣、」
「なに?」
ナルが何を要求しているのか、わかっているくせにすっとぼける麻衣。その目が笑みを含んでナルの目を覗き込む。
言葉が足りないとか、会話が足りないだとか、何度も訴える麻衣の言葉を流していたのはナルの方だ。何せ、言わなくても麻衣は結局、読み取って動くから。
今回のことはその意趣返しといったところか。ナルは一ミリ程度の反省をして、白旗をあげた。
「しばらくは髪を切らないでくれないか」
珍しく下手に出ているのは麻衣の「お願いするときはシタテに!」との教育の賜物だ。と言っても、発揮される時と場合と相手は限られるが。
麻衣はよくできました、とでも言うようなにっこり笑顔をナルに向けた。
「ま、ナルの言うこと聞く義理はないんだけどね」
不覚にも一瞬固まったナルの手からついっと逃げて、麻衣は「さぁーて、お仕事おしごとぉー」と機嫌よく給湯室に向かう。
すぐに正気を取り戻したナルが怒りを含んだ声で名前を呼ぶと、ふざけた調子の声が答える。
「はぁーい。美味しいお茶、淹れてくるから待っててちょーだいゴシュジンサマ」
給湯室に入る直前に振り返った笑顔は照れ笑いに見えたような気がして、ナルは追いかける足を止めた。
給湯室の扉がすぐに閉まってしまったので確かめようもないが、その耳が真っ赤だったことだけは確実に。その短くなった髪では隠れないから、見て取れた。
「……ふぅん」
ナルの声が笑いを含む。
そういうことならまあ、許してやらないこともない。
◆
その後しばらくの間、麻衣の髪が切られることなく伸ばされたというのは余談である。
(……切らないのか?)
(切って欲しいの?)
(いや。もったいないだろう)
(…………!!(こ、このヤロー恥ずかしげもなく……!!))
(麻衣?)
(う、うっさい! もう切る! 明日切る!)