第三章
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7.
カチ、カチ、カチ、カチ
一人ぼっちになったベースに、やたらと大きく時計の音が響く気がする。
時計はアナログの方が好きだけど、この秒針の音がどうしても気になってしまうから自分の部屋には置いていない。
音がするのが嫌なんじゃなくて、たまに、やたらと大きく音が響くのが妙に気になるのだ。
カチン、
「っ、」
時計の針が立てる音がひときわ大きく聞こえた気がしたそのとき、フッと教室の明かりが落ちた。
かろうじて消えてはいないものの、天井の蛍光灯はジジジと耳障りな音を立てて明滅する。
心臓がぐっ、と締め付けられたように強張った気がした。
ぞくりと背筋が粟立つ感覚に体を固くする。
カタン、と天井で小さく音がした。
自然と息をひそめて、音のする方を注視する。
カタ、コト、と音を立て、まるで何かが移動しているようだ。
「それ」を見逃さないように、ゆっくりと立ち上がりながら目で追いかける。
その先には、暗がりのような、影。しみか、汚れか、いや。
それは、毛先だった。おそらくは、黒い髪の毛の。
それが生えている。
天井から。
…待てよ…もしかしたらアゴひげという可能性も…。
息を殺して毛先を見つめる。
正直、どうしていいか判断に困るのだ。
心臓が止まっているのではないかと思うくらいに張り詰める。
出口に向かって、じり、と足を動かした。ところで、
するり、と毛が伸びた。
伸びた、というには語弊がある。
長さが変わったのではなく、おそらくは…出てきたんだろう。
……あの毛質であの長さと量は、ヒゲじゃなくて頭髪だな。
誤作動した脳がどうでもいい結論にたどり着いた。
ほぼ同時に、ガラリと音を立ててドアが開いた。
反射的に、ドアに伸ばしかけていた手を身体ごと跳び上がるようにして後ろに引く。
開いたドアの外には、黒服の男の子が麗しい顔面をほんのり驚きに染めて立っていた。
「……麻衣?」
「…ナル……」
ナル、だ。
理解した瞬間、心臓がばっくんと大きく鳴った。
極度の緊張から解放されて、心臓がどくどくと早鐘を打つ。痛いくらいに。
チラリと天井に目をやる。
視界の中に、もう黒い毛は垂れていない。
いつの間にか蛍光灯の明かりももとに戻っていた。
短距離を走り抜けたあとのように深く息をついて鼓動を落ち着ける。
「どうかしたのか」
「いや…」
血相を変えた私を怪訝に思ったらしいナルの問いかけに言葉を濁した。
実のところ、どうもしていない。
まだ、なにも起こっていなかった。
気のせいや、見間違いかもしれない。
気が立っていると、ないものもあるように見えてくるもの。
勘違いだったら、迷惑をかけてしまう…のではないだろうか。
「怖い話いっぱい聞いてたら、なんか一人でいるのがちょっと怖くなっちゃったみたい」
そう言って、へらりと笑えばナルは眉を顰めて怪訝な顔をした。
「…お前が?」
「敏感で繊細な思春期女子だからねぇ」
「どこが?」
「ちょっとマテ。どういう意味だコラ」
いつも通り、いつも通り。
たぶん、いつも通りにへらへらできている…はず。
オバケなんてないさ、な歌ではないが、ただの錯覚かもしれない。
何か起こったとして、偶然で、これっきりかもしれない。
もし次があれば、そのときこそはビビらない。
しっかりと意思を持って見極めて、見間違いでなければ…そのときに相談する。
椅子に座って資料に意識を向けたナルに気付かれないように、細く息をつく。
奇妙な確信があった。
きっとまた、私はあれに遭遇するだろう。
けれど、落ち着いてみれば怖くもなんともないはずだ。
悲哀も憎悪も執念も感じない、あんなものはただの…えーと…毛だ。
うん、毛しか見てないし。
悲壮さと絶望と憎しみを垂れ流す、あの母親に比べれば恐れるに値しない、毛。
大体、何でお前、毛から登場したし。
普通手とか足とか顔とかじゃないの。
そこをあえての、毛。
心霊写真によく手の部分が写るのは、人が何かを表現したいときに一番よく使う部分であるからだ。と耳にしたことがある。
つまり、主張。
その説でいくと、毛に並々ならぬ思い入れが…ハッ、まさか…若くしてヅラ…
「麻衣」
「…っへい!!」
考え込んでいるところで不意をつかれ、寿司屋の板前のような返事になってしまった。
ナルはそれをまったく気にかけない。
そこまでスルーされると、まるで私が普段からこんな人みたいじゃないか。やめてほしい。
「非常にどうでもいいくだらないことを真剣に悩んでいる顔をしていたぞ」
「ちょっと!なぜわかった!…じゃない、それどんな顔!!」
なんなの所長!エスパーなの!?東京ならぬ渋谷ESPなの!?
確かに非常にどうでもいいくだらないことを真剣に悩んでたけど、なにもそこまで的確に指摘することないと思う。口に出したわけじゃないんだから!
なんだか釈然としないのでクソ熱い上にしっぶい煎茶を淹れてやった。
いつも澄ました顔のナルが、口をつけることすらできずに眉をしかめているのを見て溜飲を下げる。
ふーふーして飲むがいい!
そしてそのタイミングで戻ってきたぼーさんもとばっちりで同じレベルのお茶を飲むハメになったのだった。
いや、だって急須のお茶葉、濃く出すのにいっぱい入れたし…一回で捨てるのもったいないし……正直、すまんかった。
***
結局その後は何も起こらずに、その日の調査が終わった。
せいぜいが、戻ってきた綾子と真砂子の恒例アタシが祓うvs何も居ませんわの口喧嘩を、これまた恒例のようにジョンがいさめてボーさんが苦笑する、といういつも通りすぎるやりとりがあったくらい。
解散した後、スーパーで値引きされた惣菜をあさって家に帰る。
作った方が安いのも栄養やらカロリーやら的によいのもわかってはいるが、面倒でつい。
単位数の関係で明日は午前中だけ自分の学校に行くつもりだし、あんまり夜更かしもできない。
というか、今日はいらん緊張を強いられたせいかものすごく眠い。
お風呂もサボりたいくらいに眠いけれど、明日の朝にツケが回ってくるだけなのでなんとか十五分で済ませて夕飯を食べた。
食後に時間をあけるはずが、眠気の強襲によってうつらうつらとしてしまうのであきらめて就寝。
なんとか寝落ちだけは避けて、電気を消して布団に潜った。
その次の瞬間から記憶がない。オヤスミ三秒だ。
ふ、と誰もいないはずの部屋の中で気配を感じて重い瞼を持ち上げる。
明かりのついていない室内は暗く、しかし暗所に慣れた目にはうっすらと輪郭が映る。
室内を見回した目に、薄ぼんやりとした白が掠めた。
天井から何かが垂れ下がっているようだ。
あんなとこに白っぽい人っぽい形に見えるもん、ぶら下げてたっけか。
眠い目をどうにか開いて確認する。
一人暮らしだと、ちょくちょく耳にするのだ。都市伝説のナタ男のような話は。
それはさすがにちょっと勘弁である。
個人的には、カーテンが不自然な揺れ方してると思ったら網戸の向こうから男がつんつんしてた(二階ベランダ)って話がものすごく気味悪くって…
戸締りはきちんとしてあるが、不安がないとは言えないのだ。
某CMのようにライダーを各部屋に配置したくもなる。
結果。
まあ、ナタ男でないことは確認できた。
その白さでも暗闇に慣れた目でも、説明がつかないくらいにはっきりと見えるそれは、女性だった。
ご丁寧に死装束をまとった髪の長い女が、天井から垂れ下がっているのである。
そしてそれは目を見開いて、ずる、ずる、と降りてきているようだ。
なんだ。キ●ガイじゃなかったか。
それならわざわざ起きて警察を呼ぶ必要もない。
携帯で時間を確認すれば午前2時半。よし、まだ4時間は寝れる。
布団を被り直して寝る体勢に入り、目をつぶった。
やれやれ、人が寝てるときに来るなっつーの。
まだ完全に覚醒していなかったのもあいまって、眠気はすぐに訪れた。
が、顔に髪のかかる感触に邪魔されて心地よい眠りに落ちることができない。
手で掃ってもなくならないうっとおしい髪の感触に、仕方なく目を開く。
と、目があった。
目の前に、目があった。その目と目が合った。
目玉だけが浮いていたわけではない。
ちょっと引きで見れば、あわせが逆の白い襟が目に入る。
私は仏式しか知らないが、死装束とは死者があの世へむかう旅装束なのだと聞いた。
なので、手甲・脚絆・草履も身に着けているはずだ。
私が初めて見た納棺では白装束だけ身に着けて、あとは一緒にお棺に入れて燃やすからあっちで勝手に身に着けてね☆スタイルだったが。
幽霊の代名詞ともいえる三角の白いアレにテンション上がりまくったのは覚えている。
目の前の、目ん玉むき出しにしてニタァと笑っている女は、白い着物のあわせが逆なだけ。
そんな装備で大丈夫か。
生前の行いによっては三途の川の深いところを渡らなければいけないんだぞ。罪が軽ければ浅瀬だそうだが。
六文銭持ってれば渡し船に乗せてもらえるらしいけど、持ってなさそうだし。持ってなかったら三途の川のほとりで奪衣婆に服をはぎ取られちゃうんだぞ。
えーと、確か懸衣翁がその服の重さで罪の重さを量るんだったっけ?
そんで四十九日にわたる旅の末、ようやく仏の下っ端になれたりなれなかったり…まあ私にはそんな苦行体験の記憶はないわけですが。
っていうか、
お ま え か よ
イラつきのままに、のぞき込んできていた女を払いのけて布団ごと移動した。
それでもこちらを気にするそぶりの女に腹が立つ。
「こちとら眠いんじゃボケェ。うせろ」
閉じかけた目を薄く開き、寝起きでみっともなく掠れた低い声で釘を刺した。
もう無理。
もう目ェ開けてらんない。
もう何があっても起きるものかと決めて、敷き直した布団にもぐりこみ背を向けた。
私の安眠を妨害するヤツは許さん。
用事でもあんなら昼間に来いってんだ。常識のない奴め………ぐう。
****
朝。
目が覚めて、普段と寝ている場所が違うことに首を傾げた。
はて、なんで布団ごと移動して………
そこまで考えて、ようやく薄ぼんやりと深夜だか早朝だかの出来事を思い出す。
「…………」
とりあえず……昼間にくる幽霊の方が常識ないわな。うん。
後から考えれば、この朝の思考含めて全部、すっかり寝ぼけていたんだと思う。
私って…寝汚かったんだなぁ……。
ちなみに、記憶にはないもののアラームを止めてがっつり二度寝していたらしい。
単位が欲しかった一限目の授業に間に合いそうもないので、登校するのは諦めた。
おのれ…毛め!
やり場のない怒りもこのやっちまった感も全部を幽霊女(たぶん)のせいにしてなすりつける。
妖怪のせいなのねってやつだ!
確か妖怪画にいたよなぁ、毛の妖怪………えーと、けうけげんだっけ。
そんなぽやぽやした思考のまま、欠席連絡のために携帯電話を手繰り寄せる。
「あ、おはようございますー、1-Fの谷山です。いつもお世話になっております~」
生活のためのバイトを理由に休める普通科高校が見つかったことは、本当に幸運だったと思う。
中卒で働いていく覚悟はあったけれど、将来のことを考えたら厳しいものがある。
まず職種が限られているし、それに携わる人の中で生涯の仕事とできるのはごく少数だろう。
かといって大検…はさすがに、自己流じゃキツイ。そんな覚えとらんわ、高校の勉強なんて。
定時制、が最有力候補ではあったけど…
昼仕事に行って、夜学校に行って、帰って寝る。
しかもそれを四年間。
ご飯も掃除も洗濯も各種手続きもぜーんぶ自分でやりながら…
どーしてもできないことはないけど地味にキツイ。精神にクるものがある。
それを踏まえて考えると、三年制普通科高校で奨学金を出してくれてバイトにも寛容な高校に入学できた上、早々に賃金のいい『事務の』お仕事に就けた私はスーパーラッキーだ。
むしろ一生の運を使い果たしてるかもしれない。
まあ、奨学金は学校への借金だから卒業したら取り立てが始まるんですがね。
制度によりけりだとは思うが、大学の奨学金の返済は新卒新入社員には厳しいらしく、奨学金を返すためにサラ金で金を借りる人もいるとかいないとか。滞納するとばっちり保証人にまで催促行くらしい。
このバイト、どんくらい続くかわかんないけど…早めに就職先も考えなきゃだよなぁ…。公務員でも目指そうかなぁ…。
いや、公務員一本は厳しいな。はあ、就職のこと考えると田舎じゃなくてよかったよなぁ…、選択肢がそこそこあるもんな。
もともと布団があった場所にお清め塩を撒きながらぼんやりと考えた。
お清め塩は、お母さんの葬式のときに参列してくれた人に配って余ったものだ。
ああ、
なーんて、考え事をしながら行動をすると多々あることではあるが
「いや、制服着てどうするよ自分」
ボケボケである。
朝からテンション下がるわー。
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「1-Fの谷山さん、アルバイトでお休みですって」
「大変ですね、あの子も…。ものすごく真面目ってわけじゃないけど、しっかりしてますよ」
「っていうか電話出るといつも思うけど、受け答えが高校生じゃないのよねぇ…」
「ああ……。苦労してるんですねえ…」
朝の職員室で、そんな会話がなされたとかなんとか。
ちなみに、電話に出るときは「はい、しb………たにやまです…」となりがちらしい。
アルバイトで電話対応してる人あるある、うっかり私用電話に社名で応答しそうになる。
そんなに依頼の電話が多いのかって?
いやまさか。
殆どは「はい、渋谷サイキックリサーチです。はい、いえ、あ、間に合っておりますので結構です。失礼いたします」で済むご案内電話である。
電話帳に載ってるからしょうがないと思う。