第三章
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4.
笠井さんは、しばらく二つのスプーンを見つめていた。
ふ、と息をついて、床に落ちたスプーンの首を拾い上げる。
「夏休みに、テレビの特番でね…スプーン曲げを見たの」
夏は怖い話系が旬だからね。
何故か超能力系も増えるよね。
笠井さんの視線はこちらを向くでもない。でも、瞳が揺れている様子は見て取れた。
「なんとなく真似しているうちに、スプーンが曲がるようになった」
彼女が、指先で二つに折れたスプーンの首と柄をくっつけた。
手を放す。スプーンの首はポロリ…しなかった。完全に元通りとはいかないが、スプーンはくっついていた。
正直、折るよりスゴイと思う。
さっき私がひん曲げたスプーンを力任せに元に戻そうとしたら、逆に折れてしまうような気がする。
指先が金属の融点を超える熱を持っていたりしない限り、折れたスプーンをくっつけたりはできないと思う。
「何回かやってたら、どんどん深く曲がるようになったのよ。…あんたみたいに、折ったりはできないけど」
「…ゲラリーニ現象だね」
ゲロ?ゲリラ?ゲリラ豪雨も確かに夏が旬だけども。
もちろん口に出してはいない。スプーンでなく話の腰を折ることになっちゃうので自重。
…言い訳がましくなるが、そのナントカ現象は別に一般常識でも時事ネタでもない。少なくとも現代日本では。
笠井さんもわかってなさそうじゃないか。だからそんな目で見んな!ホラーは好きだけど超能力系は割とどーでもいいタイプなんじゃい!
「…昔、ユリ・ゲラーという超能力者の放送を見たり聞いたりした人が超能力に目覚めたの。そういう人のことを『ゲラリーニ』と呼んだのよ」
そう、簡潔に説明してくれたのは、意外なことにナルではなく産砂先生だった。
意外と一般常識だったりしたらどうしよう。それとも、年代的にそのキーワードが騒がれた世代だったとか?
現代っ子でゲラーさんもよく知らない私はゲロのラ行変格活用的な何かにしか思えない。ゲロリーニ…とんでもない胃弱?
ゲラァ(笑)ならよく使う笑い方だが。
ナルはこちらに、冷たい視線を向けていなかった。チラリとも。
いや、本当に表面に出してないのだから、当然といえば当然のはずなんだけど。(断じて期待していたわけではない。そんなドMじゃない)
産砂先生の方に目を向けて、一拍おいてから「お詳しいですね」とその表現が正しかったことを評価した。
詳しい、とナルに表現される内容だ。
興味を持って調べない限り、そうそう知り得る情報ではないのだろう。
つまり、産砂先生は超能力に対して一般以上の関心があるということだ。
でも、じゃあなんで笠井さんは知らなかったんだろう。
「笠井さん、いまでもスプーン曲げができますか。もちろん、超能力の」
「!、できるよっ!」
ナルの問いかけに、笠井さんは眦を吊り上げてスプーンをひっつかんだ。
瞳が揺れる。スプーンを見つめる笠井さんの顔に浮かぶのは、焦りだ。
笠井さんが、スプーンの柄の、一番細い部分に視線を集中させる。
集中しながら、体が前に傾ぐ。
傾ぐ、傾いで、長い髪が顔を覆い隠して、
「そんなことをしてはダメだ」
ナルの声に、彼女の肩が大きく震えた。
「そんなことをしては、本当にゲラリーニたちの二の舞になる」
「っ!」
笠井さんが顔を上げる。両手に持ったスプーンは、曲がっていなかった。
私はゲラリーニたるものが、どんなニュアンスを持ってそう呼ばれるのかを知らない。
が、今のナルの言葉で大体の予想はついた気がする。
「つまり、イカサマなのね」
「っ、違う!」
「麻衣」
ぽつりと漏らした言葉に、必死な様子で笠井さんが噛みついた。
軽率な発言をナルに諌められて肩をすくめる。
「だって、少なくともナルに嘘ついたでしょ」
「!…う、うそなんて…!」
「…麻衣、黙っていろ」
「……はーーい」
いい加減にしろ、とでも言いたげなあきれた口調でナルが言葉を重ねた。
二回目なので、さすがに口をつぐむ。
邪魔する気はないのだ。…これでも、一応。
「…ゲラリーニたちは、そのほとんどが極めて短期間で超能力を失った。それをカバーしようとトリックに頼ったが、その内のいくつかが暴かれて…彼らはペテン師の烙印を押されたんだ。今、笠井さんがやろうとしたのは、そのトリックの中でも典型的な一つだな」
笠井さんをじっと見据えて話していたナルが、チラ、とこちらに目を向けた。
彼は、きっと笠井さんの超能力が偽りだとは思っていないのだろう。
だからペテン扱いをして刺激するな、と。
「…ナル、そのゲラリーニって、子供が多かったの?」
「?ああ、まあ。ゲラリーニに限らず、超能力を発現するのはティーンズが多い傾向にあるな」
道理で。
まるで、子供が考えたようなインチキだった。
視界に入らないところで力任せにスプーンを折り曲げる。いかにも超能力を使ったように。
彼女が本当に超能力者かどうか、スプーン曲げができるかどうかはこの際どーでもいい。
むしろ、どちらかというと、状況と本人の性質的にその"事実があった"のは本当だと思っている。
イカサマかって言ったのだって、さっきの"実証"の話だ。彼女の能力そのものに対しての感想じゃない。
だからこそ。事実を調査しに来たプロの前で虚偽の報告をする意味が解らない。
事実を隠蔽したいときだろう、嘘をつくのは。
つまり、ぶっちゃけ、彼女の幼い自尊心のために余計な時間を食ってるのが単純に気に食わないだけである。
パソコンでソリティアを延々とプレイするのと同じくらい無駄な時間だと思う。
そりゃ、友人だとか、近しい人間相手だったら別だけども。彼女も承知の通りこちらは仕事だ。
ビジネスというよりも、ナルの趣味が大半のようだとしても。
「う、嘘じゃ……曲げたことがあるのは、本当よ!嘘じゃない!」
「そういうトリックを一度でも見つかってしまうと、何を言っても信用されない」
泣きそうな声で食い下がる笠井さんを、ナルがバッサリと切った。
切った、というほど酷い言い草でもないが。
笠井さんがぐっと言葉に詰まる。
「ゲラリーニの能力が不安定なのは研究者なら誰でも知っている。できないときは、できないと言っていいんだ」
……やれやれ。
じと~、と笠井さんを見ていた目から力が抜ける。
これを、優しく言わないのがナルのいいところだと思う。私は好きだ。
優しさじゃなくて、本当にそう思ったからそう言っているだけ。
優しい言葉なんかじゃなくて、単なる事実だからこそ、安心と信頼を持てる。
「それで信用しない人間は、頭から信じる気がないんだから無視していい」
……うん。正論だけども。
でも、そんな綺麗に他人を無視できるナルみたいな人にはそうそうなれないと思うよ。
ましてや日本人の一般的な女子高生じゃ。
「わたしが教えたんです」
産砂先生が、俯いた笠井さんの肩に優しく手を置いて言った。
「他の教師から睨まれて、どうしてもスプーンを曲げなきゃいけない状況で…」
・・・・・。
そんな状況があるものか。
スプーンを曲げたら状況がよくなるのだろうか。悪くなるようにしか思えない。
彼女たちには悪いけど、産砂先生に対してあまりいい印象が抱けない。
当然教師に対する偏見は大いに、そりゃもうたっぷり入っているが、正直教師の中でも嫌いな部類である。
自覚のない、偽善者の教師タイプ。なんかもう、顔からして、そう。全体の雰囲気的にも。
教師の中でも2番目か3番目くらいに嫌いなタイプだ。虫唾がはしる。
何より、産砂先生は「ゲラリーニ」を知っていた。
そのペテンの方法を知っていた。
ならば、どうしてそのトリックを使う事になったのか。
使ったら、どうなるのか。どういう末路をたどったのか。
その顛末を知っていたはずだ。
笠井さんに、トリックを教えた。
笠井さんは、「ゲラリーニ」たちを知らなかった。
私はこれを、「優しい教師」だとは、到底思えない。
.
笠井さんは、産砂先生を信頼しているようだった。
私は黙って、告白をする笠井さんと寄り添う産砂先生を眺めていた。多分、目が据わっていたと思う。
私は教師に対して不信感と偏見が強い。
普通より、5倍は疑ってかかる。
偉そうな教師と礼儀のなってない教師は、同じ態度を取るただのサラリーマンよりクズだと思う。
教育者という道を選んでおいて、教育者という矜持も理念も信念も、責任感も持っていないということだと思うから。
子供たちにとって、親の次に触れる大人という自覚がない。だから教師は嫌いだ。
大人だったら、子供を本気で守ろうと思ったら、できることは案外多い。
朝礼で吊し上げられたなら、その場でゲラリーニ現象について周知するだとか。
そもそも、朝礼で引っ張り出される前に教師間で話をつけるだとか。
第三者として、間に立って話をするとか。
そもそも、問題がここまで加熱する前に、笠井さんに忠告をするべきだったのではないだろうか。
ゲラリーニたちは…おそらく、世間の注目を集め、もてはやされ、…そして、誹謗中傷に沈んだのだろう。
その話を伝えて、彼女にこうなる可能性を示唆した上で、超能力の露出を控えるように忠告するべきだった。
とても、とても面倒くさいことだ。
自分の立場をも脅かし、矢面に立つこともいとわず、当人から疎ましがられる覚悟さえ持っていないと、難しい。
でも、本当に彼女のことを想う「大人」で優しい「教師」だったなら、これくらい、やるだろう。
そうでないから、私は産砂先生のことを偽善者だと思う。
結局、彼女は笠井さんのことではなくて、自分のことしか考えていないんだろうな。
ゲラリーニ現象だとかにも詳しかったわけだし、多分、超能力を持った笠井さんに興味があるんだろう。
私は、偽善者の教師が大嫌いだ。
とても不快だし、気遣わしげな顔をされると無性に腹が立つ。優しくされると鳥肌が立つ。
偽善者ほど自分が正しいと思ってるから、本当に話が通じない。なにせ、対等に話をしようと思っていないのだから。
何より自分が偽善者だと、自己中だと自覚してないあたりが気持ち悪い。
でも、その偽善に救われるっていうならそれでもいいと思う。
偽物だって、善は善。
何も疑わず、優しいと思ったまま卒業すれば、ただのいい思い出になるだろう。
私は大嫌いだし、自分が偽善者のエサになることなんて許せないけど。
不快な思いさえ気にしなければ害のあるものでもない。
だから、私は何も言わずに、二人をただ眺めるのだった。
********************
笠井さんは、ぽつりぽつりと事を語った。
自分の能力が減退してきて、それを産砂先生に相談したこと。
そして、トリックを教わったこと。
全校朝礼で教師に反抗したことで、風当たりがキツくなったこと。
産砂先生自身もバッシングに遭って、顧問をする生物部も叩かれ、部員はやめていったこと。
「なんでこんなメに遭わなきゃなんないのかな…」
なんでも何もないと思う。
どれもこれも、簡単に予測できる結果だ。
集団苛めを肯定するつもりもないが、自分の主張を押し通し、したいようにして自由に振る舞い、それでハブられるのや叩かれるのは嫌、というのはちょっと無理がある。
生まれつき変わっていて、どう頑張っても集団に適合できない性格の持ち主というわけではない。
教師陣と事を構えたくないなら、反抗など最初からしなければいい。
別に諾々と従う必要はない。うまく立ち回ればいいだけだ。
それも、笠井さんの場合、超能力で騒いでるのを咎められた、と理由がはっきりしている。
いうなれば学校に雀卓持ち込んで全校朝礼で吊し上げられたようなものだ。
なら、対処は簡単。学校でやらなきゃいい。
笠井さんの場合、発現に制御がきかないわけでもない。
産砂先生という理解者もいた。
そんなにスプーンを曲げたかったら、産砂先生しかいないところでやればよかったんだ。
他の生徒にやってみて、と言われたら断ればよかった。
インチキだって言われたら、まあ、私だったら肯定する。「今度、手品でスプーン曲げできる方法調べておくね」とでも。
これが共学の学校だったら、スプーン曲げ一つでここまでヒートアップもしなかったのかもしれない。
まあ、教師陣の対応が感情的で排斥的なのも問題を大きくしたと思うけど。
単純…もとい素直な子ほど、教師のやり方が正しいと思い込みがちだから。
だからこそ本当は、教師は自分を律していかなくちゃならないと思うのだけど。
ついでに、笠井さんは産砂先生までバッシングに遭ったことを気にしているようだが、別に彼女は平気だと思う。
『自分の瑕疵ではなく、笠井さんの問題』だからだ。
他人事で、自分が何を言われても別に痛くもかゆくもない。
自覚はしていないだろうが、そういうことだろう。
だから、笠井さんが痛そうな顔をしていても、こんな何でもない顔をしていられるんだろう。
「……それで、例の発言を?」
ナルはこんなときでもフラットだ。
淡々と、核心の質問を投げかけた。
重々しいでもなく、軽んじるでもなく、淡々と。
特に何も思ってないだけかもしれないけど。この人、学校に通ってないし。
「ああ、「呪い殺してやる」でしょ?あんまりムカつくんで、つい言っちゃった」
つい、言っちゃった☆じゃねーーーよ!!
そんなんだからハブられるんだと思う。
見た目に反して、かなりガサツで馬鹿だぞコイツ…。
普通に、こんな風に自尊心が高くて言葉に気を付けないから、初めから敵が多かったんだろう。見栄っ張りなところもあるみたいだし。
高校生にもなってつい、で「呪い殺す」発言は、無い。
「言っただけ?」とナルが質問を重ねた。
どう考えても、今の軽い軽いノリの告白では、到底彼女が本気のようには思えない。
ただの、確認だった。
案の定、笠井さんはきょとんとした顔をみせ、少し笑いを含んだ声で答えた。
「やだ、ほんとに呪い殺せるわけないじゃん。ね」
ね、と話を振った笠井さんに、産砂先生は微笑んだ。
苦笑ですらない。
ほんとに、お前らさぁ…。友達かっての。
教師の…大人の立場として、その発言はアカンって、なんで教えないんだ。ほんと。
ナルは、少し目を細めて「そう、」と呟いただけだった。
彼の中では何らかの判断が下されたんだろうけど、特に感情は読み取れなかった。