第二章
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「もう、誰もいませんわ。この家には、もう霊はいない……」
真砂子が、事件の収束を宣言した。
誰もいない。うん、そうだね。家主の家族もホテル。調査員の私たちしかいない。
そう考えると唐突に居たたまれなくなった…。
うわあ、なくなってたり壊れてたりするものないよね…。
いやあったよ。床だよ、床!!
ホンモノの木の板で張ってあるお高いであろうフローリングが一部ばっきり折れて落ちてぽっかり穴が!!
家主さんポカーンだよコレ、間違いなく。
何もいなくなった井戸を、あちゃー…といった感じで覗き込む綾子。
ちょっと後ろからドン!ってしたくなったのはしょうがない。
しても許される気がするな…。半分くらい綾子のせいで悪霊さん真っ只中なあそこに落ちた私だもの。
「なんで浄化したの?」
「望みが叶ったからだ」
「はぁ?」
私が小学生のような企みを実行する前に、何かを察知したのか綾子は身体を起こして問いかけた。…チッ。
でも、そうか。
綾子とぼーさんは家の外で霊を散らしてたから、浄霊の光景は見ていないんだった。
見て、なんとなくスッキリわかった気分になっていたから、綾子の問いは今更なような気でいたわ。
………OLみたいなバッチリメイクの巫女服と茶色長髪の袈裟姿が、屋外で除霊。目立っただろうな。
学生や子供ならまだしも、二人とも二十代も半ばに見える。痛い。痛々しい。せめて夜中でよかったね。
「つまり、自分の子供を手に入れた」
「子供?って富子って子でしょ?どうやって連れてくんのよ」
綾子の「はぁ?」にめんどくさそうな顔で言葉を噛み砕いたナル(彼なりに)が、更に面倒くさそうな顔をした。
「綾子綾子、無理無理。たとえ富子ちゃんが生きてたとしても、そんなおばあちゃんを自分の子だと思えるわけないって。あのひとにとっては小さくて可愛い我が娘なんだから」
「だから、どうしたのかって聞いてんのよ」
「要は、あのひとが望む『富子』を用意したって感じかな」
「だ・か・ら!どうやってよ!」
と、言われても困る。
なんとなくあの板っきれを『富子』ということにしたのはわかったが、それこそ「どうやって?」という話。魔法?シャランラ?
その辺はやった人が答えるべきです。という視線をナルに向けてみた。
心底使えねぇ。って顔をされた。オイコラ。
「ヒトガタ、だ」
「なるほど、ヒトガタねぇ…」
「ああ、あれがヒトガタなんだ。へぇ~」
ものすごく最低限の、ナルの一言。
これで、さっきの浄霊の概要が大体わかったような気がする。
といっても、私の知っているのはフィクションと迷信入り混じったようなにわか知識。
どこまで正しいかは怪しいけれど。
「人の形に切った桐の板を、呪う相手に見立てるんでしょ?」
さすが巫女。綾子がよどみなく、簡潔に説明をしてくれる。
「でもあれ、人を呪う方法じゃないの?呪いの藁人形の原型だもん」
おい巫女。
「何も呪いとは限らんじゃないの?自分に見立てて厄除けのイメージが強いけど、私は」
人形祓いは京都の神社にあったと思ったけれども。
神道系の思想じゃないのか?
一番古くまで遡ればハニワあたりに辿り付くんじゃないかと思うんだが。
王の死出の旅路のお供に、実際の人や馬を生き埋めにしていたものの代用…身代わり人形、として古墳に埋められてるんだったような。あれ?墓守だっけ?
「麻衣の言うとおり、呪術には必ず白と黒がある。白は人を助け、黒は人を害する」
呆れきった顔のナルが解説を入れてくれる。
なんか、小学生の頃にこういう迷信系の話が好きな先生がそんな話をしていた気がする。授業しろ。
教科書の影で「神話・民話集」を読んでいた私であります。
いやいや、ちゃんと教科書を読んでたこともありましたよ。授業とは関係ないところだったけど。
「同じ呪法が白と黒を兼ねることは多い」
「だな。密教の怨敵退散の法も両方の意味に使うもんな」
そうそう。もともと「ヒトガタ」なんて言葉を知ったのだって、小説で某有名陰陽師が呪いの矛先をヒトガタに転嫁してたあたりからだ。
丑の刻参りの呪いの対象を藁人形に転嫁して難を逃れる話とか。
…あの小説、こっちで出てないかな。読みたい。
ちなみに、ぼーさんの言う怨敵退散の法はわからない。「使うもんな」とか、同意を求められても知らん。こちとら素人だぞ。
字面から言ってかなり不穏なものを予想してるけれど、話の流れ的に人に向けることも、厄自体に向けることもあるんだろう。多分。
「あのヒトガタは富子に見立てた。女はあれを自分の子供だと思ったんだ」
ナルは、いつだって冷静で論理的。
説得力のある、根拠に基づいた推論を立てる。
「自分の子供を手に入れたと思って、満足した。だから浄化した」
しっかり実証までして、結論を導いてからの過程の証明。
まるで仮定実証を繰り返す研究者の論文みたいなその論理に、反論なんてする余地はない…ハズなんですけれども。
「そうかなぁ…」
なんとなく。
なんとなく、それは違う気がしたわけで。
いや、根拠があるわけでも、自信があるわけでもないけれども。
もやっとした感情そのまま、気付いたら呟いていた。
視線を集めて口を閉じたけれども、ナルに続きを促された。視線で。
せめて口で言って。と、苦笑しながら続けた。
「多分、あのひと気付いてたよ。限りなくホンモノに近い、偽者だってこと」
「……なら、何故浄化した?偽者で満足できると思うか?」
「満足とは違うと思った。多分、思い出したんじゃない?自分が求めていたものが、何だったかってこと」
要領を得ない感覚的過ぎる言葉に、我ながら苦笑する。
先にナルの理論があって、それを否定した上でなもんだから最悪に聞こえが悪い。
「だから、自分の娘だろ?」
「…まー、そーだけども」
うん、ぼーさんが正しい。
結論を言ってしまえば、そうなんだと思う。
あのひとが、自分が何をどうして求めているのか、忘れてしまっていたんじゃないか。
そんなのは妄想に近い。根拠もなんにもあったものではない、ただの勘。
富子を探していた。富子ってなんだったか。富子は私の娘。私の娘って、どんなものだったか。
子供を集めたけれど満たされなかった。だからもっとたくさん集めた。
手放すことは恐ろしい。奪っていこうとする他の大人は許せない。
あのひとは、どうして満たされないのかわからなかったんじゃないだろうか。
何を憎んでいるのか、何に絶望しているのか、何もわからないまま「子供を求める」ことにしがみついていたんじゃないだろうか。
うん、言われなくてもわかってる。考えすぎである。
私はいったいあの人の何を知っているのかと。
知っているのは、絡みつくようなどろどろの執着と、怨念と、優しい暖かな光だけだ。
ああ、もう。こういうときに思いついたことを、思考に通さないで口から出すもんじゃない。
順序だてて話せそうにない言葉を口の中でもにゃもにゃさせているところに、ナルが終止符を打ってくれた。
「……もういないものの心境を議論しても意味がないな。とにかく、女はヒトガタの富子を手に入れて、未練になんらかの決着がついたんだろう。それで、浄化した」
ありがとうナル。まじで。この恩は絶対に今週中忘れない。
そういえば恩を忘れないのは一生で、恨みは孫子の代、末代もしくは七代先まで祟るよね。
慣用句のような言い回しとはいえ、なんという格差。
そんなわけで、今週中は忘れない。あと四日…いや、日付変わったから三日で今週終わるけど。
「つか、よくヒトガタなんて作れたな。そのために出て行ったのか?」
「そう。あの女の素性を調べに」
ナルの言葉に、真砂子がこっちを見た。
ほらねー?
気持ちを込めてニコッと笑ってあげる。何故かムッとされた。口がへの字だ。
ふん、と鼻を鳴らしたぼーさんが続きを促す。
気持ちはわからないでもない。
解決のメドが立ってるなら言えってんだ…ケッ。ってとこだろうか。
ナルにはホウレンソウが足りない。もちろん、野菜ではなく社会人鉄則の方である。
「女は大島ひろ。女の家が取り壊されて建ったのが、この家だ。富子は女のひとり娘」
名前以外は殊更に新しい情報でもないと思う。
女…大島ひろの霊がいた井戸はフローリングの下にあったし、他に子供がいたらあんなに絶望はしていない…していられないだろう。まあ、こちらは母親の愛情が子供に公平に与えられると仮定して、だが。
「子供はある日消えて…半年後、池に死体が浮かんだ」
「………半年」
六ヶ月。180日。
仕事に追われるでもない、当時の既婚女性には気の遠くなるような時間だっただろう。
というか、それはそれで真相が気になる。なぜ半年もあけて自宅の池に死体が浮かぶんだ。
「……さらわれたのでしょうか」
「!」
リンさんがぽつりと言った。
そう。そうだった。違和感も何も感じなかったけれど、そういえば夢に見た状況とほぼ一致する。
「かもな。女は……」
「井戸に身を投げて自殺した、ってこと」
うんうん、としたり顔で頷いてる綾子。やめて。
話が似すぎて混ざってると思うけど、それ私の夢だから。
多分、井戸から幽霊が出てくるシチュエーションから連想した夢だからぁあああ!!
極力表情に出さないように。
ただし綾子やリンさんが私の夢(まさに寝言)の話をするようなら全力で止められるように。
気を張りながら努めて普通に、自然に。
ナルはきょとんとしていた。一瞬でスタンダードの表情に戻ったけれども。
そりゃ、既出のように初耳情報出されたらきょとんとするわ。
「…それはどうだか知らないが、要は富子の生没年がわかればよかったんだ。ヒトガタを作るのに、必要だったから」
そりゃそうだ。
一体どんな資料を漁れば、大正だか明治だかの女一人の死亡状況がわかるんだ…。
新聞だってそこまで載せないだろう。ましてや言論の自由が確立されていない時代だ。
…と、なると、富子ちゃん誘拐事件の概要はどこから?
まあ、政府に関わることでなし、逆にブン屋が面白おかしく書きたてたかも?
「謎の少女神隠し事件!!」とか。
「ヒトガタ作るのに生没年とか必要なんだね」
「…まあ、本人を知っているわけじゃないからな。名前だけだと同姓同名が居ないとは限らない。本人がそれとわかる情報がなくては…そういう意味で、藁人形には髪、と言うな」
「なるほどね。個人情報保護法も、氏名だけじゃ個人情報とは扱わないしねぇ」
「え、そーなん?」
「うん。氏名と一つ以上の個人を特定できる情報が揃って『個人情報』っていうらしい。例えば、生年月日と氏名。社員番号と氏名。病歴と氏名。電話番号と氏名。エトセトラエトセトラ」
ん?名前は知られてなくて、電話番号だけ流れたとしても結構イヤだぞ?
いやでも電話番号だけなら変えられるか、まぁ。
「…まあ、そんなようなものだ。他に何かあるか?気が済んだなら撤収の準備を」
「うん。ご説明ありがとう、ナル」
話を強制終了しようとしたナルに、お礼とともに笑いかける。
言葉を遮ったような気もするけど、気のせい気のせい。
他に何かあります。二点ほど。
「でも、浄霊にとりかかる前に今の言ってくれたらもうちょっと安心だったかなぁと思います。今度からよろしく」
まず一点。
言わないでおこうかと思ったけども、やっぱり言っておこうとホウレンソウの件。
子供に言い聞かせるような口調になったのは、やっぱり気のせい気のせい。
やけにデキがいいせいかもしれないけど、ナルはやたら頭脳面でのスタンドプレーが目立つ。
人を使うだけの能力があるんだから、もう少し情報を共有させてくれればいいのに。
「それと、ほぼ徹夜状態なわけなので仮眠をとらせてください。主に帰りに車を運転するリンさん。予備のぼーさん」
「予備!?」
「…………」
二点目。
これ重要。ここ重要。
徹夜で運転とか、ダメ絶対。
思考力は低下するし、判断力は落ちるし、眠いし。
正直言って仮眠だけの状態でも止めたい。けど、さすがにこの機材の山だ。
公共交通機関はムリ。ホテルに宿泊もセキュリティ上無し。
この家に至っては、多分典子さんは二つ返事でOKしてくれるだろうけれど、さすがにそう居座るわけにいかない。
だから予備のぼーさんで手を打とう。
幸い、そんなに長距離ではない。半分くらいで交代すれば危険度も下がるだろう。
「あ、私は車の中で寝るから撤収準備進めるね。ナルも、ずっと調べものだったんでしょ。ちょっと寝なね」
「いい。僕も車で寝る。麻衣一人にやらせてデータが損失したら、目も当てられない」
「あ、確かに。それは怖いわ」
「だろう。…その前に、リンと話がある。戻るまで各自休んでてくれ」
よく知らない機械を、説明書もなく無事に取り扱う自信なんてない。
なにより、外国の仕様なのだ。日本のものとはなにかと勝手が違ってどうにも慣れない。
なので、主に頭脳労働だけだったナルのお言葉に甘えることにした。
「あ~あぁっ…ふひー、疲れた疲れた~」
ナルたちが居間を出て、パタンとドアが閉まったところでぼーさんが盛大に伸びた。
座ったまま軽く身体をほぐして、「よっこらせ、」とお年を感じさせる掛け声で座り込んでいた床から立ち上がる。
「…っにしても、ナルが陰陽師だとはねぇ~」
「へ?そなの?」
軽く裾をはたいたぼーさんの言葉に首を傾げる。
「そなの?ってお前、だってヒトガタ使ってたろ?ありゃ、陰陽道の術だ。なんだ麻衣、…ヒトガタ知ってるような顔しておいて、実は知らなかったんか?」
「ニヨニヨすんなや。違わい。ついでに知ってたっていうか、本で読んだだけだし」
ちょっとムッとして言い返す。
いやだって、ニヨニヨむかつく。
知ってるような顔とか…したけど!してないし!
「確かに、陰陽師の本でヒトガタを知ったよ。でもさ、ヒトガタの厄除けとか、身代わりとか、神道とかでもあるじゃん。身代わり地蔵だってその一種だよね?」
「お兄さんは麻衣ちゃんの読書歴がものすごい気になります」
「十五年…いや、十四年かな?生まれてから二年間は流石に我慢した」
「微妙にリアルな話はやめれ!…ま、確かに神道にもあるがな。ヒトガタの本家といや、やっぱ陰陽道だ」
リアルに、ゼロ歳と一歳のときは全く何も読めなかったのだ。
二年間も活字を読まないことなんかなかったから、最終的には離乳食の成分表示や衣類のタグを何度も読み返したよ。
「ヒトガタを特定の個人…それも名前と生没年だけで、そいつ本人に見立てて浄霊に使うなんて高度なワザ、陰陽師にしかできんだろ」
「すごいじゃない、陰陽師なんて」
「っていうか、ナルが陰陽師なのは確定なの?陰陽師に伝手があってヒトガタ作ってもらったとかは?」
「あの短時間で、調べて、伝手で連絡とって、ヒトガタ作ってもらって受け取ってとんぼ返りか?よほど近郊に住んでたとかいうラッキーでもないとなあ」
「それに陰陽師でもなけりゃあのでっかい態度に納得がいかないわよっ」
「陰陽師でもないのに態度がでっかい人が私の目の前に」
無言でべしりと叩かれた。
「まあ、確かに口が回るあたり陰陽師っぽいかも。無駄口嫌うし、嘘は言わないし」
「どういう基準だソレ」
「読んだ本では言葉を重要視するような印象だったからそんな感じ。あ、つーかナルが陰陽師だったら渋谷一也って偽名だったりして」
「うっわ、有り得る。つーか渋谷にオフィス持ってる渋谷さんとか、ほぼ間違いなく偽名だろ。そもそもあいつ一也くんって顔してねーんだよ」
「それどんな顔」
全ての語尾に草が生えているような徹夜明けのテンションである。
呪術に縁深い人は本名を隠し、身を守るというのが通説だ。
件の陰陽師の本(と言っても実は小説)曰く、「名は一番短い呪(しゅ)」だそうで。
名前を知られる、と言うことはその相手に魂を握られる、ということらしい。
武家政権時代は武家の間でも大活躍した「忌み名」の習慣もあるから、少なくとも日本では割りとポピュラーだと思う。
現代に至っては、今上天皇のお孫様は忌み名の方が有名だけれども。
そんなわけで、ナル、偽名疑惑。
渋谷一也…、一也…、也…、なり…
今度「かずなりくーーん」って呼んでみようかな。
ものすごく嫌そうな顔をするのが目に浮かぶ。
さて、お喋りはこれくらいにして、ハンドルキーパーさんは早く寝んしゃいな。
「綾子、真砂子。なにナチュラルに逃げようとしてるの?君らは当然手伝ってくれる・よ・ね?」
「うっ」
「…あたくしは麻衣とは違ってか弱いのですわ」
「アタシだってそーよ!爪が折れちゃったら嫌だもの」
「重い機材云々以前に、掃除とか典子さんへの連絡とか、この居間の惨状の説明とかいろいろあるのっ!さあ働け!」
「せめて渋谷さんが戻られるまで、麻衣さんも休憩しておくれやす~!」
「大丈夫、車で寝るから!」
さーて、ハキハキ撤収しちゃおう!そして早く車で寝よう!
撤収も済み、典子さんへの説明も終わり、居間のフローリングについては全力でゴメンナサイして、やることは全部終わった。
玄関先でお見送りしてくれる典子さんと礼美ちゃん。
典子さんはまだ、少し不安が残るようだ。
まあ、心霊現象がなくても、こんなに若い女性と幼い子供の二人で、この大きな一軒家…というのはちょっと不安だろう。
お兄さんができるだけ早く帰るって言ってもね…。
「典子さん、なんならお兄さんが戻られるまでうちに来ます?ものすごく狭いですけど、狭いだけに安心感ありますよ」
「貧乏性」
「なんですと!?」
ぽそり、と呟いたナルの一言に思わず反応。
そ、そうか。狭い方が落ち着くのは貧乏性…なの、か?
「…げふん。あんなこともあった後ですし、よかったら」
「…麻衣ちゃんのおうち?」
「と、いうか部屋だけどね。サイズ的に」
誤魔化して、改めてお誘いするとちっさい方が釣れた。
目を輝かせてるとこ悪いけど、このお家と比べたら犬小屋ですよ。一軒家ですらないから。
もちろんそれくらいわかってるであろう典子さんが苦笑する。
「ううん、そんな。ご家族にも悪いもの。それに、私だって今回のことで、少しは強くなったつもりよ?」
「典子さんは、初めから強い人でしたよ。でも、ムリしないでくださいね?心細かったら…事務所に連絡下さい。最初はリンさんが出ると思いますけど」
「おい」
「え?」
「うふふ、ありがとう。そうさせてもらうわね」
不機嫌な声を出したナル。
何故だ。だって友達でもないのに個人の電話番号貰っても処分に困るじゃないか。
軽やかに笑う典子さん。
やっぱり強い。ハタチとは思えない精神力だ。
「さて、じゃ、そろそろ」
「ええ、本当にありがとうね」
ナルも機嫌が傾いてきたし、そろそろ退散しようと会話を終わらせる。
と、くい、と服の裾が引かれた。礼美ちゃんである。
「……麻衣ちゃん、また来てくれる?」
不安そうに、寂しそうに俯いた。あざとい。
これは「いや無理」とか言ったら泣く。そして私悪者。いや、言う気はないけれど。
かといって、安易に約束はできない。
子供の一日は長い。一年なんていったら、ものすごく長い。
安易に約束して、破って、また今度ね。は、だからものすごくショック。
「そーだな、じゃあ、礼美ちゃんの誕生日。また会いにくるよ」
「ほんとっ!?」
――私が嘘ついたことある?
――ない…
っていやいや。私、姫ねーさまじゃないから。
チコの実たくさんもらわないから。
「うん、ほんとほんと。何月何日?」
「10月!10月7日!」
「十月七日ね。…もしかしたらね、今回の礼美ちゃんたちみたいに困ってる人を助けに行ってるかもしれないけれど、そしたらそれが終わってから来るね。約束」
「うん、ゆびきりげんまん!!」
「わお、命がけだね。ゆーびきーりげんまん、嘘ついたらはりせーんぼんのーます、ゆびきった!」
血判状レベルで契約させて、安心したのかにっこにっこ笑顔の礼美ちゃん。
元気に手を振ってくれたのでひらひらと振り返しておいた。典子さんも上品に手を振ってくれる。
最後に青空をバックにした洋館を眺めて、
まったく気に留めず、スタスタ先へ行ってしまった黒い背中を小走りで追いかけた。
車に乗り込んで、バタン、とドアを閉めた。
ナルはすでに乗っている。が、珍しく私の隣。後部座席。
何故なら、予備ドライバーのぼーさんが助手席に座るからである。
そのぼーさんはほぼ私と同時に車に乗った。
よし、終わった。
べしゃり。
「つ、かれ、たぁ~~……」
「当然だ、馬鹿」
後部座席にべしゃっと潰れた私を、べしっとナルが叩いた。
おおう…お邪魔でしたか。すみませんねぇ。
上体をよっこらしょ、と起こして座りなおし。寝やすい体勢を探す。
どっと疲れが押し寄せてくる。頭と身体が重い。
「どした?麻衣」
「気にしないでくれ、ぼーさん。こいつはスイッチが切れるとこんな感じだ」
「ごめん寝る。じゃ」
別にいつもじゃないやい。
ただ、痛いのとか体調悪いのとか、人様の前スイッチが入ってると我慢できちゃうけれど切れた途端に押し寄せてくるってだけで。特に仕事時。
学校も同じなもんで、一回熱出したまま登校して、そのままオフィスに行ってほとんどない仕事をして、帰りがけにぺしゃりと潰れたことがあってから散々ナルに馬鹿にされている。
そのせいかどうか、ナルたちしかいないときはスイッチが切れることもしばしば。
そんな言い訳をしたかったけれど、頭も口も回りそうにない。
なんとなくみんなの話し声が耳に入るけれど、脳まで届かない。
幕を下ろすように、ゆっくりと意識が落ちていった。
「滝川さん」
「んあ?」
助手席でうとうとしていた滝川に、珍しくリンから声がかかった。
交代か?と思ってそちらを見ると、非常に珍しいことにいつもの仏頂面が笑いを含んでいた。
「後部座席。少し面白いものが見れますよ」
いつも大きくない声を、さらに潜めて。リンはバックミラーをちらりと見た。
はて、と滝川は後ろの座席に目を向ける。
「…写メ写メ」
「やめてください。起きます」
小憎たらしい年相応でない少年と、年相応のようでいて年相応でない少女が寄りかかりあって爆睡していた。
寄り添うなんて色気のある表現ではない。まるで猫の兄弟のような感覚が見て取れる。
「なあ、あいつらドア側に寄りかかってたよな?なんでああなった」
「さあ…冷房が効きすぎましたか」
暖を求めて無意識に隣の発熱してる物体にくっついたのか、と。
「動物か」
滝川は爆笑した。
ただし、子供二人を起こさないように声を潜めて。
「あ!」
それはクレヨンのラクガキだった。
居間の棚の影に隠れるように、小さく、拙い文字で、礼美の好きなピンク色で。
ごめんね さよなら
礼美はにっこりと笑った。
ママはいなかった。パパもいなかった。お姉ちゃんはいたけれど、いつもいてくれるわけじゃない。
新しい「ママ」は優しくしてはくれたけれど、礼美も「ママ」も、近付くには足りないものが多すぎた。
寂しかった礼美に寄り添ってくれた、大切だったお友達。
だから、礼美はにっこりと笑った。
「ばいばい、ミニー」
礼美の、初めての親友。