第二章
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「あたくしには、この井戸が地の底まで続いているように見えますわ。――はるか底に、子供たちの霊がよどんでいる……」
井戸についての、霊媒師の感想であった。
こちらが新たに『水神のタタリ説』(冗談半分、本気半分)でわいわいしている間、真砂子は顔色悪くそう言っていた。
決して井戸の穴をじっくり直視しようとせず、顔を逸らしている。見るに耐えないものなのだろう。
まあ、よどみというものはただの水であっても気分の悪いものだ。
ましてや、子供の霊。そりゃあさぞかし気持わる…もとい直視に耐えなそうですね
堪えきれなくなったのか、真砂子が穴から離れた。
そんなに言うものだから怖いもの見たさで覗き込んでみる。
「落ちるなよー」
「落ちんわ」
声をかけてくるぼーさんに短く返す。
まったく、そんな冗談、フリかと思うじゃないか。やめてほしい。
……冗談だよね?まさかフリでも冗談でもなくマジとか言わないよね?
改めて覗きん込んだ井戸はぽっかりとしていた。
とても…そわそわする。ものすごい嫌な感じ。
そりゃそうだ。霊感ある真砂子にあそこまで脅されてるんだから。
『なにか感じる気がする』状態になるのは当然だろう。つまりは思い込みだ。
間違ってもふらっ…とか行かないように、膝と両手を床について覗き込む。
石の陰影が見えるだけの、くらい、くらい穴。
こういうものを見るといつも思い出す言葉がある。
「深遠を覗くとき、深淵もまた君こちらを覗いている…ってね」
「お、ニーチェか?」
「そーなの?」
ニーチェと言えば「髪は死んだ」しか出てこない。
テスト問題の誤字で一体どれだけの生徒が犠牲になったことか…!
「お前、ほんと…あっさり知識の浅さを認めるよな…」
「私は知らないを知っているのだよ」
「いいから。無理に哲学ぶらなくていいから」
「ちなみに蜂蜜ニート熊の名言アレンジしてみた」
「おま…夢の国にハントされんぞ」
「蜂蜜ハントか…」
そんなアホな会話をしているうちに、すっかり皆居間を出ていた。
…ナルに「なにをしていた」とか言われたら「ぼくは何もしていないをしているんだ!」と返そうかな。
やめとこう後が怖い。
************
ところ変わってベースである。
先ほどの、ぼーさんの除霊の映像を全員で確認中。
ばっちり映像は残っていた。音声も……――女が、子供を呼ぶ声も。
ちなみに、遅れて入った私たちがナルにもらった言葉は「遅い」の一言でした。ちぇっ。
もちろん素直にゴメンナサイしました。空気も読めちゃう阿呆の血が流れております。
映像を見終わった真砂子が、黒い影の正体を口にする。
この家に憑く、女の霊だと。
黒い影は女の霊であること
子供たちの母親のふりをしていること
子供たちは、女によって道に迷わされていること
ミニーの中の人は確かに立花ゆきであったこと
子供たちのリーダーだけれど、こんなことはもうしたくないと言っているということ
…いつの間にミニーと話したんだ真砂子。
それにしたって、ちらっと聞いた礼美ちゃんとお話中の声は全然「もうしたくない」感じじゃなかったぞ。プークスクスしてたろ。
礼美ちゃん曰く、他の子たちはみんな「ミニーの家来」だしな。女王様だったしな。
あ、でも更に上がいたわけか。……母親っていう支配者が。
「――…とみこ、とは?」
「…女の、子供です」
ナルの声に真砂子が応える。
とみこ。確かに、女はそう呼んでいたかもしれない。
「女は、自分の子供を捜していますの。自分の、娘を…」
わたしの、子。と。
気分の悪い声だった。
愛しい我が子を呼ぶ母親だなんて到底思えない。
悲痛な叫びともまた違う。
執着と、憎しみだとか恨みだとか、妄執めいた感情がドロドロと溶けた、声。
「それで、子供を集めているのですわ」
狂ってる、のだろう。母親ゆえに。
子供が惑うのもしかたないのかもしれない。
きっと、女は、子供たちの母親と"同じ"なのだろうから。
「…そういうことか」
ナルが目を眇めて呟いた。なにかに納得できたらしい。
上着を手にとって玄関に向かった背中に声をかける。
「お出かけ?」
「ああ。戻りはいつになるかわからない。後を頼む」
「はいはい。携帯とお財布持った?あとハンカチ」
「持った」
持ってるんだ。ハンカチ。
意外と律儀に返事してくれるものである。
「いってらっしゃい。気を付けてねー」
「ああ」
短い返事を残してドアが閉まった。
「……って、夫婦か!!」
「へ?」
変な顔をしているぼーさんにツッコまれた。
夫婦とは今のやりとりのことか。思い返してみる。
…うーん…ハンカチのくだりのせいか?
「…玄関までお見送りした方がよかった?」
「ノリノリか!!」
ノリノリはアンタだ。
ちょっと笑って、ノートにペンを走らせた。さっきの真砂子の話をメモメモ。
ついでに自分が感じたことも一応メモメモ。
「ていうか、ナルどこに行ったの?」
「さあ?でもまた調べ物でしょ。旧校舎のときだって突然いなくなったかと思ったら情報収集してたし」
綾子の問いに適当に答える。
視線はノートに固定。
ここで手を止めて会話したら、メモろうとした内容が雲散霧消しかねない。私の記憶力 ナメんな。
「大方、「とみこ」の母親のことでも調べに行ったんじゃない?この流れだと」
「あーね…」
「つか、それならそれで一言そう言ってけや…」
まったくである。
がっくりとした綾子とぼーさん。
ぱちくりとしている真砂子。
にこにこしているジョン。すごいさすが神父。
ちらりと上げた目に、ばっちり視線があって思わず手をとめる。くす、と笑われた。
「え?なに?なに?」
「麻衣さんは、渋谷さんのことわかっていてるんやなぁ思いまして」
「おう…」
確かに、無言実行な人なものだからわかりにくい。
けど、突拍子もないことはしないから一旦受け入れて後から理由を考えれば意外とわかることもある。
問題は記憶力と頭の回転の早さが素晴らしいので、何のツールもなしにやってると全然追いつけないこと。
しかもそこから即断即決で行動に移すフットワークの軽さ。
もうあの人は探偵にでもなってしまえばいいと思う。…あ、今やってることと大して変わらないか。
「ま、意図くらい汲み取れるように頑張ってるよ…うん…」
ノートをぽん、と叩いた。
ぼーさんと綾子に肩ぽんされた。
あ、やっぱりメモろうとしたこと忘れた。
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てーんてんてーんまーり てーんてーまり
てんてんてーまりーの 手ーがそーれてー.......
子供が鞠つきをしている。
着物を着た、そう、礼美ちゃんくらいの年のころの女の子。
着物も、七五三なんかで着る振袖ではない。もっと普段着のそれ。
どーこかーらどーこまーで とーんでーった
かーきねーをこーえて やーねこーえて…
男があらわれた。
女の子に話しかけ、その手を引いた。
そのまま、遠くへ。池の方へ。
とーまりとまりで 日ーがくーれて
一年経っても もーどりゃせぬ
さーんねーん経ーっても もーどーりゃーせぬ もどりゃせぬ
『てんてんてまりは とのさまに…
だかれて はるばる たびをして…―――』
女が虚ろな目で口ずさむ手まり歌。
ほつれた髪と、やつれた頬。
あの女だった。あの、母親だった。
女が慟哭した。
池は静まり返っていた。
女が叫んだ。呼んではいない。叫んだ。
赤い子供の着物が、暗い、くらい池に映えていた。
涙が落ちる。
井戸の底に波紋が広がる。
ぐ、と腕を引かれた。
最近見慣れた黒くて綺麗な男の子がいた。
ふと気付く。井戸の底を見ているのは私ではなく、あの女だった。
女が、井戸の淵に手をかけて身を乗り出す。
不思議な気分。さっきまで、あの井戸の淵の冷たさを感じていたように思う。
それなのに、今は女を後ろから見ている。腕を引く、その力の強さだけを感じている。
ずるりと、土に汚れた足袋のつま先が、井戸の中に消えて行った。
***************
誰かを呼んでいる。
あの女みたいに虚ろな声でも慟哭でもない。
目の前にいる人に向けた呼び声。
早く応えてあげればいいのに。
麻衣……えっと…麻衣って…
「麻衣っ!!」
あ、私じゃん。
ばちり、と意識が覚醒した。
したものの、一瞬ココはダレ、ワタシはドコ状態。
えーと…えーと…
とりあえず起き上がる。いてててて…
「麻衣っ!!だいじょぶなの!?なんともない!?」
「んー」
上から綾子が見下ろしてる。おろおろしてる。
とりあえずひらひらと手を振って無事をアピールしておく。
うん、頭がやっと現実に戻ってきた。
ここは井戸の中。
私は谷山麻衣。
綾子の祝詞の最中に、井戸に引きずり落とされたんだったっけ。霊的な何かに。
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ナルが出て行った後、ぼーさんの次は誰がチャレンジするか、という話になった。
ダメ元ってやつだ。
ジョンと綾子が顔を見合わせて、綾子が手を挙げた。ものすごく一応感満載で。
ジョンとぼーさんはホテルの礼美ちゃんの下へ。真砂子も一緒に戻って行った。
対して、女の除霊を試みるのは綾子。機械系はリンさん。
そんで私は…そう、心細いとか随分可愛らしいことを言う巫女に道連れにされたんだったそうだった。
で、祝詞の最中にビクビクする綾子をチクチクしていたら、こう…
ガッ
ビターン
ズルズルズルズル.....と…
………そうか。
腹がヒリヒリするのは、フローリングを引きずられたときに摩擦熱で火傷したからか。
ふ…懐かしい痛みだぜ…。
遊んでてテンション上がってると、痛いイタイって言ってもあんまり本気にしてくれないんだよね…。
壁際に避けていると、リンさんがスト、っと降りてきた。
リンさんパネェ…長身パネェェ…
「怪我は」
「おおむね無事です」
「……どこか痛めでもしましたか?」
「あ、いえ。ただそりゃ擦り傷打ち身火傷くらいは」
「ああ…。…………・火傷?」
あとは無事なはずだ。
足から落ちたし、穴は結構直径があったから頭も多分無事。
足首とか手首の捻挫が怪しいけど、今のところ特に痛みもない。
綾子が椅子を下ろしてくれる。
リンさんの場合、この椅子に乗ればフローリングの穴から頭が覗くだろう。
だが私は無理だ。いいとこ、穴の淵に手がかかるくらい。
…よじ登れなくは、ない。
ちょっと、穴の淵のフローリングさん(とんがりたいお年頃)によって服も腕もバリバリになりかねないが。
目だけは死守しよう。視力だけは…!!
意気込んでいたら、もう一つ椅子が降ろされた。
「…抑えていますから、乗ってください」
「……お願いします」
不安定すぎるはずの椅子はグラリともしなかった。
どーでもいいが綾子。厚意なのはわかるけど、手を貸そうとしないでほしい。むしろどいていてほしい。
中途半端に手ェだすと、怪我するぜェ…?(私が)
穴から這い出たら、やはりバリバリになっていた。腿とか膝とか。
もちろんよじ登った場合、コレでは済まないだろうことは明らかではある。
後からひょいひょいと登ってきたリンさんから呆れた視線をいただいた。
ショートパンツが悪いというのか。
今度から調査のときには作業服でも着て来るべきだろうか。すごく怪しいと思う。
ざっと洗って、綾子から借りたタオルで拭った。血がついてしまったのでこのモコフワは諦めてもらおう。うん。
傷口を確認するとどれもコレも浅い。
落ちるときについたであろう、腕の内側の裂傷が一番深くて大きい傷だと思う。まあ、大したことはない。動脈が傷ついてたらもっと血が出るだろうし。
ただし、絆創膏では覆い切れないのでガーゼを宛てて包帯を巻いてもらった。
利き腕だから自分では出来ない…
「…包帯巻くと、大げさに見えるからヤなんだけどなぁ…」
「お黙り!充分満身創痍よ!!」
そう言いながら半強制的に綾子が手当てをしてくれた。
「他には?どこか痛いところは?」
「綾子…」
いつも通り、気の強い態度ではあるけれども心配してくれているのはわかる。
意外と情に厚いひとだし、…きっと私が落っこちたのは自分のせいだとか思ってるんだろうな。
まあ、綾子が怖がって一緒にいてほしいとか言ったせいなのは間違いではないが。
「綾子。お腹、引きずられたときに摩擦で火傷して痛い」
「アンタなにのーてんきな怪我してんの!出しなさい!」
「今すんごい理不尽なこと言わなかった!?」
しん、ぱい…されてる…んだと、思…う…
「っていうか何よこれ…ちょ、アンタ上の服脱ぎなさい!!全部見てあげるから!」
「ぎゃーーー!?結構です私露出のケはないですからー!!」
無理やり剥かれてこまごました傷の手当てをされた。
痣だらけなのはしょうがないと思うんだ。綾子曰く手の痕も混ざってるらしい。ぞぞっ。
「谷山さん」
服を剥かれていた間、背中を向けてくれていた何気に紳士なリンさんが声をかけてきた。
はて、なんざんしょ。首を傾げて返事をすると、真顔で言った。
「霊障の資料として撮影させてもらってもいいですか」
「…………」
「い、いいわけないでしょ!?リン、あんた何考えてんの!?」
下着姿を写真を撮らせろと。
さすがに即答しかねた。
「背中だけですし、顔も写りません。なんでしたら別途で手当ても出しますが」
「やめてください!なんかそれ逆にいかがわしいから!」
撮影は顔出しNGで別料金ね☆とか、ちょ、それは誤解しか招かない…!!
結論として、撮影に合意した。
…病院で「珍しい症例なので写真撮らせてもらっていいですかー」と言われるアレだと思えば、そんなに抵抗も…ない…。
病院の場合は治療費がちょっと安くなる。そんな感じなら特に何も思わないが、対価として直接金銭を受け取るのはなんか…なんか…!!
そんなわけで、別途手当てだけは断固拒否させてもらった。
…まあ、ほら、いつもお世話になってるしね。さっきも穴から這い出るの手伝ってもらったし…。もともとバイト代もいいし…。そんな感じで…。
*****
「そーいやね、さっき気絶してたときに夢見たよ。やたらリアリティ溢れるやつ」
「夢?なんの夢よ」
「何の…うーん、あの居間の女の夢?」
何の、と表現するには少し難しく感じた。
けど、夢の筋書きの焦点はあの女だったような気がする。
疑問符をつけて断定を避けながらそう答えると、綾子が嫌そうな顔をした。
「やぁね、悪夢じゃない」
「いやー、確かに嫌な夢だったけど、悪夢ではなかったかな」
そう。
そうだ。確かに、あんなの夢に出てきたら悪夢に他ならないはずなのに。
怖い夢とかじゃなかったな。
「へぇ?で、どんな夢なの?」
「最初は女の子が手まり歌を歌いながら鞠つきをしてるの。んで、男の人に連れ去られて、しばらくしてから庭の池で死体が発見される。あの女の霊がその子の母親で、子供を失って絶望して、井戸に身を投げる。まとめるとそんな感じの夢が情感たっぷりに放映された」
「………」
……ごめん。
口に出してみたら悪夢以外の何でもなかったわこんな鬱夢。
口元をひくつかせる綾子と、読めない表情のリンさんを前に、ちょっとどうしていいかわからなくなった。