死を記憶する女司書
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嵐のように荒れ狂った感情も、やがては落ち着き凪いでいく。涙もとうとう出なくなると、フクザワさんはハンカチを差し出してくれた。甘えてそれを受け取って、なまじりにあてがい涙を吸わせる。
落ち着いた心に湧いてくるのは、子供のように泣き喚いてしまったことへの後悔と羞恥だった。初対面の男性の前でなんて醜態を晒してしまったのだろう。ちらりと窺うようにフクザワさんを見るけれど、その様子から私への感情を読み取ることは難しい。
「……取り乱してしまい、申し訳ありません」
「否、突然のことに混乱するのは当たり前であろう。心中は察するに余りある。話を続けて悪いが、貴殿の鞄から本を見つけた」
フクザワさんから差し出されたそれは、たまたま入れていた与謝野晶子の歌集『夢之華』だった。言わんとすることを察し、彼を見る。
「其れも又、此の世界の何処にも存在していない。詰まるところ」
「――私は、この世界の人間ではありません」
彼の言葉を引き継いだのは、ある種の諦観に似たものによって。そして私は全てを打ち明けた。
「その本は私の生きた世界にいた与謝野晶子――大正及び昭和時代の女流歌人が著した歌集です。彼女の有名な詩に、ヨサノさんの異能力が冠する名でもある『君死にたまふこと勿れ』という作品もあります。そしてフクザワさん、あなたと同姓同名の福沢諭吉という方もいました。あなたとは違う著述家として」
「……成る程」
フクザワさんは私が勝手に喋る言葉を一言たりとも遮らず、また否定することもなかった。ただ静かに耳を傾けて、全てを飲み込むようにひとこと言っただけ。それでは逆にこちらが不安になってしまった。
「疑わないのですか? 血まみれで倒れていた女のつまらない妄言だと、笑わないのですか?」
あまりの呆気なさに私は思わず拍子抜けしてしまう。するとフクザワさんは不服そうに目を眇め、私を見下ろした。鋭い眼光に思わず肩が跳ねる。
「私は此れでも人間の言葉の真偽を見極めることが出来る。貴殿が真実 を云っていると、確かに伝わった」
「あ……ありがとう、ございます……」
あまりにも堂々としたその答えはもはや私の反論など許さず、たじろいでしまった。フクザワさんは私が思っていた以上に優しいお方なのだろう。彼に助けられて本当に良かったと安堵する。
けれどどうしよう。私は突然この世界に来たのであって、還る方法なんて分からない。還れる機会が訪れるまではこの異世界で生活するより他はないのだ。しかしそうはいっても私は本来この世界にはいない存在。戸籍がなければまともなところで働くことさえも叶わないというのに。
「武装探偵社 に来ないか」
不安と絶望に押し潰されそうな私の前に、武骨な指に飾られた手のひらが差し出された。
「此の事を秘密にしたいのであれば二人だけの秘密にしよう。戸籍のことも出来得る限りの努力をする。――“金沢”、来い」
元より私の命はここで息をするより前に消えてしまっていてもおかしくなかった。それを救ってくださったのは他でもないフクザワさんだ。このひとに救われた命を投げ打つことなど、私にはできなかった。
「――はい、“福沢”さん」
だから私は迷うことなくその手を取る。福沢さんの手は、つめたい美貌からは想像もできないくらいに、優しいぬくもりを宿していた。
落ち着いた心に湧いてくるのは、子供のように泣き喚いてしまったことへの後悔と羞恥だった。初対面の男性の前でなんて醜態を晒してしまったのだろう。ちらりと窺うようにフクザワさんを見るけれど、その様子から私への感情を読み取ることは難しい。
「……取り乱してしまい、申し訳ありません」
「否、突然のことに混乱するのは当たり前であろう。心中は察するに余りある。話を続けて悪いが、貴殿の鞄から本を見つけた」
フクザワさんから差し出されたそれは、たまたま入れていた与謝野晶子の歌集『夢之華』だった。言わんとすることを察し、彼を見る。
「其れも又、此の世界の何処にも存在していない。詰まるところ」
「――私は、この世界の人間ではありません」
彼の言葉を引き継いだのは、ある種の諦観に似たものによって。そして私は全てを打ち明けた。
「その本は私の生きた世界にいた与謝野晶子――大正及び昭和時代の女流歌人が著した歌集です。彼女の有名な詩に、ヨサノさんの異能力が冠する名でもある『君死にたまふこと勿れ』という作品もあります。そしてフクザワさん、あなたと同姓同名の福沢諭吉という方もいました。あなたとは違う著述家として」
「……成る程」
フクザワさんは私が勝手に喋る言葉を一言たりとも遮らず、また否定することもなかった。ただ静かに耳を傾けて、全てを飲み込むようにひとこと言っただけ。それでは逆にこちらが不安になってしまった。
「疑わないのですか? 血まみれで倒れていた女のつまらない妄言だと、笑わないのですか?」
あまりの呆気なさに私は思わず拍子抜けしてしまう。するとフクザワさんは不服そうに目を眇め、私を見下ろした。鋭い眼光に思わず肩が跳ねる。
「私は此れでも人間の言葉の真偽を見極めることが出来る。貴殿が
「あ……ありがとう、ございます……」
あまりにも堂々としたその答えはもはや私の反論など許さず、たじろいでしまった。フクザワさんは私が思っていた以上に優しいお方なのだろう。彼に助けられて本当に良かったと安堵する。
けれどどうしよう。私は突然この世界に来たのであって、還る方法なんて分からない。還れる機会が訪れるまではこの異世界で生活するより他はないのだ。しかしそうはいっても私は本来この世界にはいない存在。戸籍がなければまともなところで働くことさえも叶わないというのに。
「
不安と絶望に押し潰されそうな私の前に、武骨な指に飾られた手のひらが差し出された。
「此の事を秘密にしたいのであれば二人だけの秘密にしよう。戸籍のことも出来得る限りの努力をする。――“金沢”、来い」
元より私の命はここで息をするより前に消えてしまっていてもおかしくなかった。それを救ってくださったのは他でもないフクザワさんだ。このひとに救われた命を投げ打つことなど、私にはできなかった。
「――はい、“福沢”さん」
だから私は迷うことなくその手を取る。福沢さんの手は、つめたい美貌からは想像もできないくらいに、優しいぬくもりを宿していた。