死を記憶する女司書
夢小説設定
ご利用の端末、あるいはブラウザ設定では夢小説機能をご利用になることができません。
古いスマートフォン端末や、一部ブラウザのプライベートブラウジング機能をご利用の際は、機能に制限が掛かることがございます。
ヨサノさんに部屋へと招き入れられたフクザワさんは、少し年嵩な長身の美丈夫だった。上品な黒の羽織を肩に掛け、さらりと伸びた銀髪は蛍光灯にきらきらとひらめいている。
「それじゃ妾 は此れで。社長、その娘 は一応怪我をしていた。あまり無理をさせないよう頼みますよ」
「判っている」
注意を言い置いて退出したヨサノさんを見送ったフクザワさんは改まった様子で私に向き直る。そのすっと伸びた背筋に私も思わず居住まいを正した。まるで私さえも分からない私の中を見つめるような瞳に貫かれる。
「私の名は福沢諭吉。貴殿が道端で倒れていたところを連れ帰った。己の名、今日の年月日は判るか」
簡潔な言葉をもって説明をするこの声は意識を失う前に聞いたそれと同じだ。ベッドの上からではあるものの、なるべく頭を低くお辞儀をして感謝の意を示す。
「ありがとうございます。私は金沢凛子、今日は20XX年XX月XX日です」
「……此処が何処か、職業は何をしているか判るか」
「ええ、と、ここは東京で、私は司書をしています」
突然の質問に訝しく思いつつ素直に答えた。するとフクザワさんは少し言葉に詰まり、目をわずかながら泳がせ、そして観念したように溜息を吐いた。何かあるのかと見つめていると、背に隠すように持っていた私のバッグを目の前に出す。
「先に謝罪する。貴殿の身元を調べる為に鞄の中を検めさせて貰った」
「あ、ああ……いえ、構いません」
確かに女がひとり血まみれで倒れていたのならその身元を確認するだろう。バッグの中を見ることも当たり前のことだと思うし、見られて困るものは入れていない。けれどそれだけの割にフクザワさんの表情は深刻そうだ。
「其処でだが……此処は貴殿の云う処ではない。ヨコハマだ」
「よこ、はま……ですか?」
横浜。中華街や赤レンガ倉庫のある、日本有数の指定都市。私も何度か観光に行ったことがある。けれど問題はそこじゃない。なぜ私が東京ではなく横浜 にいるかだ。事故に遭ったのは都内、職場付近の交差点であるというのに。
「そして貴殿を詳しく調べたが……此の世界に、“金沢凛子”という女の戸籍は存在しなかった。更に云えば、今日は貴殿の云った年の丁度三年を遡る」
「はい……?」
ありえない。渡された身分証明書を隅から隅まで見直す。どこにも不備はないし紛うことなく私のものだ。偽物であるはずがない。けれどこれは、私の存在を保証する力を失くしてしまっている。私の知らない間に。
「ど、して……」
三年の時差をもつ異世界。文学界の著名人と同姓同名である男女。常識と世の理を超えた異能力。私の知る都市でないヨコハマ。存在しない“金沢凛子”。何もかも、まるで悪い夢を見ているようで、私の手には到底負えないことばかりだ。
何かが決壊し、熱い涙となって瞳を覆う。ぼたぼたとあふれるそれは清潔なシーツを濡らし、顔を覆う私の両手を濡らした。身も世もなく泣きじゃくる私を見て、フクザワさんは何も言わない。泣き喚く成人女性など見苦しいであろうに。それでも彼はただ、ベッドの傍らに立っていてくれた。
「それじゃ
「判っている」
注意を言い置いて退出したヨサノさんを見送ったフクザワさんは改まった様子で私に向き直る。そのすっと伸びた背筋に私も思わず居住まいを正した。まるで私さえも分からない私の中を見つめるような瞳に貫かれる。
「私の名は福沢諭吉。貴殿が道端で倒れていたところを連れ帰った。己の名、今日の年月日は判るか」
簡潔な言葉をもって説明をするこの声は意識を失う前に聞いたそれと同じだ。ベッドの上からではあるものの、なるべく頭を低くお辞儀をして感謝の意を示す。
「ありがとうございます。私は金沢凛子、今日は20XX年XX月XX日です」
「……此処が何処か、職業は何をしているか判るか」
「ええ、と、ここは東京で、私は司書をしています」
突然の質問に訝しく思いつつ素直に答えた。するとフクザワさんは少し言葉に詰まり、目をわずかながら泳がせ、そして観念したように溜息を吐いた。何かあるのかと見つめていると、背に隠すように持っていた私のバッグを目の前に出す。
「先に謝罪する。貴殿の身元を調べる為に鞄の中を検めさせて貰った」
「あ、ああ……いえ、構いません」
確かに女がひとり血まみれで倒れていたのならその身元を確認するだろう。バッグの中を見ることも当たり前のことだと思うし、見られて困るものは入れていない。けれどそれだけの割にフクザワさんの表情は深刻そうだ。
「其処でだが……此処は貴殿の云う処ではない。ヨコハマだ」
「よこ、はま……ですか?」
横浜。中華街や赤レンガ倉庫のある、日本有数の指定都市。私も何度か観光に行ったことがある。けれど問題はそこじゃない。なぜ私が東京ではなく
「そして貴殿を詳しく調べたが……此の世界に、“金沢凛子”という女の戸籍は存在しなかった。更に云えば、今日は貴殿の云った年の丁度三年を遡る」
「はい……?」
ありえない。渡された身分証明書を隅から隅まで見直す。どこにも不備はないし紛うことなく私のものだ。偽物であるはずがない。けれどこれは、私の存在を保証する力を失くしてしまっている。私の知らない間に。
「ど、して……」
三年の時差をもつ異世界。文学界の著名人と同姓同名である男女。常識と世の理を超えた異能力。私の知る都市でないヨコハマ。存在しない“金沢凛子”。何もかも、まるで悪い夢を見ているようで、私の手には到底負えないことばかりだ。
何かが決壊し、熱い涙となって瞳を覆う。ぼたぼたとあふれるそれは清潔なシーツを濡らし、顔を覆う私の両手を濡らした。身も世もなく泣きじゃくる私を見て、フクザワさんは何も言わない。泣き喚く成人女性など見苦しいであろうに。それでも彼はただ、ベッドの傍らに立っていてくれた。