死を記憶する女司書
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樋口が軽率にも黒蜥蜴を探偵社へけしかけ、招いた損失の尻拭いや此れからの為の準備を済ませた頃には夜中を回っていた。身嗜みもそこそこに疲労に身体を引き摺り乍ら家に帰る。掛け時計の針は真上をやや過ぎ、昼間の件で負傷した銀 は既に眠っていた。
静まり返った我が家の寝台 に、己の咳が響く。夜になれば更に非道 くなる其れに厭気が差しつつ、慢性的なものだと諦めが混じった。
恐らく今夜も眠れまい。酸欠に呼吸を荒くして、口元に付着した血を手の甲で乱暴に拭う。白いシーツに点々と落ちた鮮烈な紅を見て昼間の一幕を思い出した。
細く、少しでも力を込めれば骨は直ぐに折れ、白い肌に血潮が映えそうな脆い女。黒檀を思わせる豊かな髪や淡雪の肌も手伝って、金沢は日本人形のような出で立ちだった。
不意に寝台から起き上がり、外套の衣嚢へ手を突っ込む。指先が外套とは違う柔らかな肌触りの布に触れ、其の儘其れを引っ張り出した。
淡色の美しい花が描かれた純白のハンカチだった筈の其れは、何時の間にやら僕の血に汚れている。時間が経った所為で其の色はくすんだ褐色を帯び、ふわりと薫っていた金沢の残り香も失われたようだった。
よく見ると汚れたハンカチの右下の端に金糸で“K”というイニシャルが刺繍されている。繊細に施された其れは持ち主の女の性格を窺わせた。
「兄さん、帰ったの?」
「……這入れ」
ドア越しにくぐもって聞こえた銀の声。咳の音で起こしたか。丁度善いと呼び寄せれば、細く開けた隙間から滑り込むように這入って来た。
「此れに似た新品のハンカチはないか」
シーツを汚す血痕を見て眉を寄せる銀に、手にしていたハンカチを差し出す。するとつい先程迄は顰められた眉を上げ、少し驚いたような表情をした。何時もより心なしか表情が忙しない。
「如何したの? 其れ、兄さんのものには見えないけど」
「或る女に不本意にも借りを作った。返さねばならん」
「……判った。待ってて、持って来るから」
ハンカチを受け取って云う銀に静かに頷けば奴は部屋を出て行く。然し其処で、はたと或ることに気が付いた。僕は金沢と次に落ち合う話などしていない。
「……まあ、持ち歩いていれば善いことか」
彼れの恰好を見た限り、観光にやって来た訳でもないヨコハマの住人であった。今日のように歩いていて出会うこともあるだろう。其のときにでも返せば済む話だ。其処迄考えて我に返った。
何故こうも金沢のことが頭から離れないのか。己も理解しかねる悶々とした考えを頭を振って払い落とし、銀を待ちつつ再び寝台に身を沈めた。夜明け迄はあと数刻あるだろう。
静まり返った我が家の
恐らく今夜も眠れまい。酸欠に呼吸を荒くして、口元に付着した血を手の甲で乱暴に拭う。白いシーツに点々と落ちた鮮烈な紅を見て昼間の一幕を思い出した。
細く、少しでも力を込めれば骨は直ぐに折れ、白い肌に血潮が映えそうな脆い女。黒檀を思わせる豊かな髪や淡雪の肌も手伝って、金沢は日本人形のような出で立ちだった。
不意に寝台から起き上がり、外套の衣嚢へ手を突っ込む。指先が外套とは違う柔らかな肌触りの布に触れ、其の儘其れを引っ張り出した。
淡色の美しい花が描かれた純白のハンカチだった筈の其れは、何時の間にやら僕の血に汚れている。時間が経った所為で其の色はくすんだ褐色を帯び、ふわりと薫っていた金沢の残り香も失われたようだった。
よく見ると汚れたハンカチの右下の端に金糸で“K”というイニシャルが刺繍されている。繊細に施された其れは持ち主の女の性格を窺わせた。
「兄さん、帰ったの?」
「……這入れ」
ドア越しにくぐもって聞こえた銀の声。咳の音で起こしたか。丁度善いと呼び寄せれば、細く開けた隙間から滑り込むように這入って来た。
「此れに似た新品のハンカチはないか」
シーツを汚す血痕を見て眉を寄せる銀に、手にしていたハンカチを差し出す。するとつい先程迄は顰められた眉を上げ、少し驚いたような表情をした。何時もより心なしか表情が忙しない。
「如何したの? 其れ、兄さんのものには見えないけど」
「或る女に不本意にも借りを作った。返さねばならん」
「……判った。待ってて、持って来るから」
ハンカチを受け取って云う銀に静かに頷けば奴は部屋を出て行く。然し其処で、はたと或ることに気が付いた。僕は金沢と次に落ち合う話などしていない。
「……まあ、持ち歩いていれば善いことか」
彼れの恰好を見た限り、観光にやって来た訳でもないヨコハマの住人であった。今日のように歩いていて出会うこともあるだろう。其のときにでも返せば済む話だ。其処迄考えて我に返った。
何故こうも金沢のことが頭から離れないのか。己も理解しかねる悶々とした考えを頭を振って払い落とし、銀を待ちつつ再び寝台に身を沈めた。夜明け迄はあと数刻あるだろう。