CPあり小説
最近、なんだか世界が騒がしくなったように思う。
通勤通学ラッシュの人でごった返した駅の構内を歩きながら、那由多はわずかに眉間に皺を寄せた。いつものように両耳には真紅のワイヤレスイヤフォンが刺さっているし、そのイヤフォンからは昨日の──いや、今日の深夜に完成したばかりのデモ音源が流れているというのに。それなのに、妙に周囲の音をひろってしまうのはなぜだろう。平坦な声の駅内アナウンスが意識の端を掠めるように流れていく。那由多はイヤフォンを深く耳に差し込み直した。
人波に流されるように駅を出ると、薄い灰色に濁った朝日が目を刺した。目を眇めつつ空を見上げる。晴れていてさえ濁った色をしている東京の空は、霞みがかっていてどこか遠い。きっと競うように乱立するビルのせいだろう。空を埋め尽くさんとするような無機質なそれがぐんと空を押し上げているのだ。うるさい色合いの広告に彩られたビルの群れを目の端で睨む。
東京の街は、色も匂いも音も、いろいろなものがひどく喧しい。人口の多さがそのまま情報量の多さに直結しているかのようで、少しでもぼうっとしていると饐えたような街の匂いやキャッチセールスの芯の無い声や極彩色の広告などありとあらゆるものが一気に体の内側になだれ込んでくる。
それはとりわけ音が顕著で、人の話し声や叫び声、車や電車が走る音、街頭ビジョンから垂れ流される音など、どこを歩いていたって喧しい音が常に流れ込んでくる。
けれど、それは札幌にいたときも同じだったはずだ。多少程度の差はあれど、いわゆる繁華街の喧騒なんてものはどこも似たようなもののはずなのに。
刺すように冷たい風がそっと黒いコートの裾を揺らす。こほ、と小さな咳をこぼしながら、那由多は歩く。
駅から大学までさほど距離はない。その短い距離を、色とりどりのコートを纏った学生の群れがだらだらと埋めている。眠そうに呆けた顔をしている周囲の学生たちの話す声もまた、さざ波のように身体の下の方に流れ込んでくる。札幌の大学にいた頃は、一度だって周囲の声なんて気にした覚えなどないのに。音楽未満の雑音など耳に入れるだけ無駄だ。その考えを改めたつもりはない。
それでも、なぜか意識はわずかに外に向いている。とろりと低く底を這うベース音のような周囲のざわめきの中に、まるで何かを探しているみたいに。主旋律となり得る何か、鮮烈に胸を揺さぶる何かを。
校舎に入っても寒さは相変わらずだ。マンモス校と呼ばれるだけあって広大な校舎の無駄に長い廊下に、学生たちの話し声がざわざわと反響する。足元に漂う、怠惰で輪郭の無い話し声。違う、探しているものはこれじゃない。眉を寄せつつ、一限目の授業が行われる講義室のドアに手を伸ばす。
「あっ」
そのとき、不意に背後から聞こえた短い声。那由多ははっと顔を上げた。長いイントロが明けてボーカルが歌いだす直前の微かな息遣いのような、さりげないのにとても鮮烈な音。
ああ、そうだこれはアイツの。
思うと同時に振り返る。脳裏に、ふわふわとした締まりのない瑠璃色を思い浮かべながら。
「風太くん、おはよう」
けれど、その声は予想していたのとは違った名前を呼んだ。てっきり自分の名前を呼ばれるものだとばかり思っていた那由多は思わず瞠目する。視界のど真ん中に捉えた夜色の頭の隣には、太陽のように明るい髪色をした男が並んでいた。
「蓮もこん講義取っとっと? 奇遇やねー!」そう言って騒ぐ男は、風神RIZING!のボーカルの神ノ島だ。どうやら彼の方からアイツに話しかけたらしい。
「うん。知ってる人が見当たらないなって思ってたところだったから、風太くんがいてくれて嬉しい」
そう微笑むアイツに、「俺も蓮がおって嬉しかたい!」と神ノ島も笑う。
二人の様子から目が離せずにいると、背後からわざとらしい咳払いが聞こえた。ハッと我に返る。ずっとドア前を塞いでいたから、早く入れという無言の催促だろう。きまり悪さゆえに舌打ちをこぼしつつ、那由多は重いドアを開けて教室に足を踏み入れる。
イヤフォンから流れていたはずの音楽は、いつの間にか止まっていた。
*
なぜあのとき、あの二人から目が離せなかったのだろう。いや、それよりもっと不可思議なのは、なぜアイツの声を聴いた途端思わず振り返ってしまうほどに意識を持っていかれたのか、だろう。ひと気もまばらな公園をひとり歩きながら、那由多は考える。夕暮れを過ぎた空は、焼けるような橙から濃紺を滲ませたような夜色へと変化しつつある。
一限の授業の間ずっと脳裏から消えなかったその問いは、四限の授業が終わってからも、そしてバンドメンバーと暮らす寮へと帰宅してからも頭の中を占め続けていた。どうせこんな状態では帰宅次第開始する予定だった作曲作業だって進まないだろう。煌々と青白く光るばかりのまっさらなパソコン画面を前に苛立ちを募らせる数時間後の自分の姿が目に浮かぶようだ。それで那由多は舌打ち混じりにさっき脱いだばかりのコートを引っ掴み、気分転換をするために寮を出てきたのだ。
夜も近いというのに、相変わらず街は騒々しい。寮のある新宿は眠らない街などと呼ばれているだけあって夜こそネオンがぎらつき喧騒が満ちるものだが、新宿から少し離れたこの場所でもたくさんの音が空を伝うようにして響いてきている。
札幌にいたときよりもいっそう深く意識の縁を侵食する喧騒。有象無象が生みだす音楽にも満たない雑音を、そうと分かっているのにそれでも耳に入れてしまうのはなぜだろう。頬を撫でる風の冷たさに眉をひそめながら、那由多は考える。マフラーくらい巻いて来ればよかっただろうか。そんな詮の無い後悔がちらりと胸を掠め、小さく肩を竦める。いくら札幌よりはマシだと言え、寒いものは寒い。
空の色はいっそう深さを増してきている。街のネオンが空の裾に反射しているとは言え、黄昏時を過ぎればやはり暗い。まばらだった人影も少しずつ姿を消し始めている。
と、不意に歌声が聴こえた。
ぼやけた薄闇を一掃するように透明に澄み渡り、澱んだ喧騒を打ち払うように真っ直ぐに胸に届く歌声。間違いようもなく、アイツの歌だ。
そう言えばこの公園はアイツの寮がある下北沢の近くだ。適当な電車に乗ったような気でいたが、その実、無意識のうちにアイツの居場所のそばへと向かってしまっていたようだ。掠れた舌打ちが小さな白い吐息となってこぼれる。
那由多はぐるりと辺りを見回した。植え込みの向こう、影絵のような木立の間のベンチに、アイツはいた。こちらに背を向けて座っていて、呑気にゆらゆらと頭を揺らしている。
まるで呼ばれるように、那由多はそのベンチへと歩きだした。芝生の広場を横切り、整列する木々の間を通り抜けるとともに、透明な光のように澄んだ歌声が少しずつ大きくなり鮮明さを増していく。
ベンチに辿り着き、気付かず歌い続ける男の背中におい、と声を掛けようとしたとき、低い場所から「キャン!」と甲高い声が響いた。同時に、瑠璃色の頭がゆっくりと振り向く。
「あっ、那由多くん!」
メロディーが途切れ、その代わりに弾んだ声に名前を呼ばれる。
その瞬間、あの問いの答えが小さな泡沫のようにふわりと胸に浮かんだ。
東京に来てから世界が騒がしさを増した理由は、コイツの――七星蓮の歌を探しているからだ。認めてしまうのも癪ではあるが、きっとそうなのだろう。目の前で瞬く夜を宿したような色の瞳に、そう確信する。
色を持つことも輪郭を帯びることもないただどろりとしたぬるま湯のような雑音のなかに、コイツの声が混ざっていないか。コイツの、何もかもが自分と相反するのになぜか目を背けることも耳を塞ぐこともできない歌が聴こえるのではないか。そんな期待とも胸騒ぎともつかない予感が胸にこびりついて離れないから、その声を聴き逃すことが無いようにとただの雑音にまで意識をそばだててしまうのだ。
「こんばんは。こんなところで会えるなんて、嬉しい」
そう言って微笑む七星が、また『運命みたい』だなんて馬鹿げたことを言い出さなくてよかった。なぜなら今のこの邂逅は、那由多の無意識と意志によってもたらされたものなのだから。那由多はフンと鼻を鳴らした。
「おい。さっきの歌、もう一回歌え」
そう告げながら、我ながら横暴だな、とちらりと掠めるように思う。けれど、これでいい。コイツに対しては、これでいいのだ。
一瞬目を瞬かせた七星は、けれど予想通り大きく頷いて微笑んだ。
「うん!」
そして再び流れだすメロディー。この男はいつだって「歌え」と言えば躊躇いなく歌いだす。深夜に突然家まで押しかけて来たときも、予告なしに同じステージに立ったときも、そしてあのディスフェスの会場で、ステージの上から名前を呼んだときも。
そんな男だから、きっとコイツの歌を探してしまうのだ。
楽しげに左右に揺れる癖毛の頭を見つめながら、那由多は思う。
この歌がある世界で、自分の歌を響かせたい。七星蓮の歌がある世界でなお自分の歌を轟かせたい。この歌をねじ伏せるのは、この俺でなければならない。そんな、闘志にも似た決意が炎となり胸の中で燃え盛る。
誰かの歌に対してこんな気持ちを抱くのは初めてだった。じりじりと焦げつくような胸の中で、炎とともに舞う火の粉が詞となり、音となる。
街から響いていた喧騒もネオンもすでに遠く消え去っていた。あるのは七星の歌と、それから胸に灯ったばかりの自分の歌だけ。
嬉しそうに細められた目が那由多を見る。その星空のような色の瞳にいま映っているのは、ただひとり。
僅かに綻んだ唇から、たったいま生まれたばかりの歌が小さく零れ落ちた。
通勤通学ラッシュの人でごった返した駅の構内を歩きながら、那由多はわずかに眉間に皺を寄せた。いつものように両耳には真紅のワイヤレスイヤフォンが刺さっているし、そのイヤフォンからは昨日の──いや、今日の深夜に完成したばかりのデモ音源が流れているというのに。それなのに、妙に周囲の音をひろってしまうのはなぜだろう。平坦な声の駅内アナウンスが意識の端を掠めるように流れていく。那由多はイヤフォンを深く耳に差し込み直した。
人波に流されるように駅を出ると、薄い灰色に濁った朝日が目を刺した。目を眇めつつ空を見上げる。晴れていてさえ濁った色をしている東京の空は、霞みがかっていてどこか遠い。きっと競うように乱立するビルのせいだろう。空を埋め尽くさんとするような無機質なそれがぐんと空を押し上げているのだ。うるさい色合いの広告に彩られたビルの群れを目の端で睨む。
東京の街は、色も匂いも音も、いろいろなものがひどく喧しい。人口の多さがそのまま情報量の多さに直結しているかのようで、少しでもぼうっとしていると饐えたような街の匂いやキャッチセールスの芯の無い声や極彩色の広告などありとあらゆるものが一気に体の内側になだれ込んでくる。
それはとりわけ音が顕著で、人の話し声や叫び声、車や電車が走る音、街頭ビジョンから垂れ流される音など、どこを歩いていたって喧しい音が常に流れ込んでくる。
けれど、それは札幌にいたときも同じだったはずだ。多少程度の差はあれど、いわゆる繁華街の喧騒なんてものはどこも似たようなもののはずなのに。
刺すように冷たい風がそっと黒いコートの裾を揺らす。こほ、と小さな咳をこぼしながら、那由多は歩く。
駅から大学までさほど距離はない。その短い距離を、色とりどりのコートを纏った学生の群れがだらだらと埋めている。眠そうに呆けた顔をしている周囲の学生たちの話す声もまた、さざ波のように身体の下の方に流れ込んでくる。札幌の大学にいた頃は、一度だって周囲の声なんて気にした覚えなどないのに。音楽未満の雑音など耳に入れるだけ無駄だ。その考えを改めたつもりはない。
それでも、なぜか意識はわずかに外に向いている。とろりと低く底を這うベース音のような周囲のざわめきの中に、まるで何かを探しているみたいに。主旋律となり得る何か、鮮烈に胸を揺さぶる何かを。
校舎に入っても寒さは相変わらずだ。マンモス校と呼ばれるだけあって広大な校舎の無駄に長い廊下に、学生たちの話し声がざわざわと反響する。足元に漂う、怠惰で輪郭の無い話し声。違う、探しているものはこれじゃない。眉を寄せつつ、一限目の授業が行われる講義室のドアに手を伸ばす。
「あっ」
そのとき、不意に背後から聞こえた短い声。那由多ははっと顔を上げた。長いイントロが明けてボーカルが歌いだす直前の微かな息遣いのような、さりげないのにとても鮮烈な音。
ああ、そうだこれはアイツの。
思うと同時に振り返る。脳裏に、ふわふわとした締まりのない瑠璃色を思い浮かべながら。
「風太くん、おはよう」
けれど、その声は予想していたのとは違った名前を呼んだ。てっきり自分の名前を呼ばれるものだとばかり思っていた那由多は思わず瞠目する。視界のど真ん中に捉えた夜色の頭の隣には、太陽のように明るい髪色をした男が並んでいた。
「蓮もこん講義取っとっと? 奇遇やねー!」そう言って騒ぐ男は、風神RIZING!のボーカルの神ノ島だ。どうやら彼の方からアイツに話しかけたらしい。
「うん。知ってる人が見当たらないなって思ってたところだったから、風太くんがいてくれて嬉しい」
そう微笑むアイツに、「俺も蓮がおって嬉しかたい!」と神ノ島も笑う。
二人の様子から目が離せずにいると、背後からわざとらしい咳払いが聞こえた。ハッと我に返る。ずっとドア前を塞いでいたから、早く入れという無言の催促だろう。きまり悪さゆえに舌打ちをこぼしつつ、那由多は重いドアを開けて教室に足を踏み入れる。
イヤフォンから流れていたはずの音楽は、いつの間にか止まっていた。
*
なぜあのとき、あの二人から目が離せなかったのだろう。いや、それよりもっと不可思議なのは、なぜアイツの声を聴いた途端思わず振り返ってしまうほどに意識を持っていかれたのか、だろう。ひと気もまばらな公園をひとり歩きながら、那由多は考える。夕暮れを過ぎた空は、焼けるような橙から濃紺を滲ませたような夜色へと変化しつつある。
一限の授業の間ずっと脳裏から消えなかったその問いは、四限の授業が終わってからも、そしてバンドメンバーと暮らす寮へと帰宅してからも頭の中を占め続けていた。どうせこんな状態では帰宅次第開始する予定だった作曲作業だって進まないだろう。煌々と青白く光るばかりのまっさらなパソコン画面を前に苛立ちを募らせる数時間後の自分の姿が目に浮かぶようだ。それで那由多は舌打ち混じりにさっき脱いだばかりのコートを引っ掴み、気分転換をするために寮を出てきたのだ。
夜も近いというのに、相変わらず街は騒々しい。寮のある新宿は眠らない街などと呼ばれているだけあって夜こそネオンがぎらつき喧騒が満ちるものだが、新宿から少し離れたこの場所でもたくさんの音が空を伝うようにして響いてきている。
札幌にいたときよりもいっそう深く意識の縁を侵食する喧騒。有象無象が生みだす音楽にも満たない雑音を、そうと分かっているのにそれでも耳に入れてしまうのはなぜだろう。頬を撫でる風の冷たさに眉をひそめながら、那由多は考える。マフラーくらい巻いて来ればよかっただろうか。そんな詮の無い後悔がちらりと胸を掠め、小さく肩を竦める。いくら札幌よりはマシだと言え、寒いものは寒い。
空の色はいっそう深さを増してきている。街のネオンが空の裾に反射しているとは言え、黄昏時を過ぎればやはり暗い。まばらだった人影も少しずつ姿を消し始めている。
と、不意に歌声が聴こえた。
ぼやけた薄闇を一掃するように透明に澄み渡り、澱んだ喧騒を打ち払うように真っ直ぐに胸に届く歌声。間違いようもなく、アイツの歌だ。
そう言えばこの公園はアイツの寮がある下北沢の近くだ。適当な電車に乗ったような気でいたが、その実、無意識のうちにアイツの居場所のそばへと向かってしまっていたようだ。掠れた舌打ちが小さな白い吐息となってこぼれる。
那由多はぐるりと辺りを見回した。植え込みの向こう、影絵のような木立の間のベンチに、アイツはいた。こちらに背を向けて座っていて、呑気にゆらゆらと頭を揺らしている。
まるで呼ばれるように、那由多はそのベンチへと歩きだした。芝生の広場を横切り、整列する木々の間を通り抜けるとともに、透明な光のように澄んだ歌声が少しずつ大きくなり鮮明さを増していく。
ベンチに辿り着き、気付かず歌い続ける男の背中におい、と声を掛けようとしたとき、低い場所から「キャン!」と甲高い声が響いた。同時に、瑠璃色の頭がゆっくりと振り向く。
「あっ、那由多くん!」
メロディーが途切れ、その代わりに弾んだ声に名前を呼ばれる。
その瞬間、あの問いの答えが小さな泡沫のようにふわりと胸に浮かんだ。
東京に来てから世界が騒がしさを増した理由は、コイツの――七星蓮の歌を探しているからだ。認めてしまうのも癪ではあるが、きっとそうなのだろう。目の前で瞬く夜を宿したような色の瞳に、そう確信する。
色を持つことも輪郭を帯びることもないただどろりとしたぬるま湯のような雑音のなかに、コイツの声が混ざっていないか。コイツの、何もかもが自分と相反するのになぜか目を背けることも耳を塞ぐこともできない歌が聴こえるのではないか。そんな期待とも胸騒ぎともつかない予感が胸にこびりついて離れないから、その声を聴き逃すことが無いようにとただの雑音にまで意識をそばだててしまうのだ。
「こんばんは。こんなところで会えるなんて、嬉しい」
そう言って微笑む七星が、また『運命みたい』だなんて馬鹿げたことを言い出さなくてよかった。なぜなら今のこの邂逅は、那由多の無意識と意志によってもたらされたものなのだから。那由多はフンと鼻を鳴らした。
「おい。さっきの歌、もう一回歌え」
そう告げながら、我ながら横暴だな、とちらりと掠めるように思う。けれど、これでいい。コイツに対しては、これでいいのだ。
一瞬目を瞬かせた七星は、けれど予想通り大きく頷いて微笑んだ。
「うん!」
そして再び流れだすメロディー。この男はいつだって「歌え」と言えば躊躇いなく歌いだす。深夜に突然家まで押しかけて来たときも、予告なしに同じステージに立ったときも、そしてあのディスフェスの会場で、ステージの上から名前を呼んだときも。
そんな男だから、きっとコイツの歌を探してしまうのだ。
楽しげに左右に揺れる癖毛の頭を見つめながら、那由多は思う。
この歌がある世界で、自分の歌を響かせたい。七星蓮の歌がある世界でなお自分の歌を轟かせたい。この歌をねじ伏せるのは、この俺でなければならない。そんな、闘志にも似た決意が炎となり胸の中で燃え盛る。
誰かの歌に対してこんな気持ちを抱くのは初めてだった。じりじりと焦げつくような胸の中で、炎とともに舞う火の粉が詞となり、音となる。
街から響いていた喧騒もネオンもすでに遠く消え去っていた。あるのは七星の歌と、それから胸に灯ったばかりの自分の歌だけ。
嬉しそうに細められた目が那由多を見る。その星空のような色の瞳にいま映っているのは、ただひとり。
僅かに綻んだ唇から、たったいま生まれたばかりの歌が小さく零れ落ちた。