CPなし小説
「ねぇ、みんな知ってる? 星って、歌うんだって」
スタジオ練習の休憩中、いつもと変わらないのんびりとした口調で涼が発した言葉は、いつもと変わらない突拍子もないものだった。
「ああ? 星?」
少し離れた位置でスティックの手入れをしていた深幸が怪訝そうに片眉を上げる。
「また涼さんが変なこと言い出した……」
スタジオの片隅でギターをいじっていた礼音はため息混じりに呟いた。
高い実力を誇るGYROAXIAの練習の最中とは言え、休憩中はみなそれなりに寛いでいて雑談に興じることも多い。ただ那由多だけは、鮮赤のイヤフォンを耳に突っ込んだまま我関せずといった様子でじっと椅子に腰掛けている。自分が作った音源を確認しているのだろう、その集中を分かっているので他のメンバーもむやみに声をかけたりはせずにそっとしている。
スケジュール確認のためにスマホを見ていた賢汰が涼を振り返った。
「俺は知ってるぞ、その話」
ふっと微笑んでみせる賢汰に、涼は「さすがケンケン」と嬉しそうに棒付きキャンディを振った。
「どういう話なんですか、賢汰さん?」
急に興味を惹かれたように、礼音がギターをいじる手を止めて賢汰へと向き直る。賢汰は「確か──」と少し視線を宙へ投げた。
「恒星の発するプラズマに、音によく似た振動があるんだったか?」
眼鏡を押し上げながら尋ねる賢汰に、涼は満足そうにその宇宙を映し取ったような色の瞳を細めた。
「うん、そんな感じ」
「へぇ、確かに涼ちんの好きそうな感じの話だな」
「でも、それって音として聴こえないんじゃないですか? 宇宙に空気はないし」
礼音が不思議そうに眉を寄せながら首を傾げる。すると涼は我が意を得たりとばかりにキラリと瞳を輝かせた。
「そう。誰にも聴こえないのに歌ってる。なんだか浪漫があるよねぇ」
「はぁ……」
キャンディを振り回しながら楽しげに語る涼に、礼音は困惑の色の滲んだ目を向ける。深幸も呆れたような笑みとともにため息を吐き出した。
「オレも、故郷の星へ懺悔の歌を歌い続けていれば、いつか星が応えて歌い返してくれるかもしれない──」
「そうだな、いつかアンサーソングが返ってくるかもな」
立ち上がり両手を広げる涼に、賢汰が優しいとも適当ともとれる肯定の言葉を返す。涼はにっこりと穏やかな笑みを浮かべた。
「それはそうと、そろそろ休憩時間は終わりだ」
賢汰が壁に掛かった時計を指差しながら告げる。その瞬間、三人の目付きがキッと真剣みを帯びた。それまでの弛緩した空気が嘘のように、研ぎ澄まされたようなピリリとした緊張感が漂う。
「さ、那由多も……」
練習再開を促そうと那由多を振り返った賢汰は、けれどその続きを告げることなく口を噤む。
那由多は、すでに立ち上がりマイクを掴んでいた。
「さっさとしろ」
吠えるような那由多の言葉に、賢汰はそっと口元に小さく笑みを浮かべた。
*
星は歌う。
昼間に曙が言っていた言葉が、スタジオ練を終え自宅に戻った今もなお胸の中をぐるぐると渦巻いている。
ピピピ、と軽快なタイマーの音が鳴り響き、那由多は荒い息を吐き出しながら筋トレ用の黒いマットの上へと倒れ込んだ。結局、ルーティンである筋トレをしている最中もあの言葉が頭から離れることはなかった。大きく上下する胸に手のひらを押し付ける。タンクトップ越しに伝わる、速く大きな鼓動。思わず舌打ちがこぼれた。
額に流れる汗を手の甲で雑に拭う。そのとき、ふと窓から見える夜空が目に留まった。街の灯りのせいで星などひとつも見えない、どこまでも深く広がる闇のような暗い夜空。窓から少し離れたところにいるせいで、四角く切り取られた空はひどく狭い。
星は歌う。
その言葉がまた、胸の奥で音となって蘇る。
そうだ。俺は星の歌を聴いたのだ。
あの、Argonavisとの対バン前日の夜を思い出しながら、那由多は胸中で呟いた。
「だったらここで歌ってみろ」
そう言った自分の言葉に、「分かった」と頷いて歌い出した男。突然のことだったにもかかわらず歌声は鮮明で、その目を逸らすことなく真っ正面から斬り込むように歌ったアイツ。
あのとき感じたものは、果てなく広がる紛れもない宇宙と、生まれたばかりの星が放つ青い光。真っ直ぐに、ただあるがままに歌を歌い光を放つアイツは、己の在り方とは決して相容れないもので。けれど──だからこそ、ひどく眩しかった。
アイツの歌は、本物だ。
寝転がったままじっと窓の外に広がる夜空を眺めていた那由多は、一度胸の上に置いた手のひらを堅く握りしめ、それから勢いよく立ち上がった。窓辺へと歩み寄り、また夜空を睨むように見つめる。夜特有の静謐な冷気が、窓越しに微かに伝わってくる。筋トレ後の熱く火照った身体を、ひやりとした空気がそっと包み込む。
アイツの歌が本物だったからこそ、あのときの対バンで本気でぶつかった。眩しかったからこそ、アイツとは違う己の光を、歌を、真っ正面で示したいと思ったのだ。
奪いとるつもりで本気をぶつかれば、アイツも本気の熱をぶつけてくる。それに飲み込まれまいとまた激しく声を張り上げて、するとアイツが強い歌声を響かせる。
追い越されまいと高く飛び、飲み込まれまいと激しく燃える。そうしてぶつかり続けているうちに、どこまでもどこまでも飛んでいけそうだと思った。
那由多はそっと硝子の窓に手を伸ばした。ほんの少しの光も見えない、深い藍色に沈んだ夜空。当然のように星などひとつも見えない、すべての音を飲み込まんとするようなただただ静かな暗い空。
けれど分かる。
あの星は、きっと今も歌っている。
「僕に勝てるのは僕だけ」
ふとアイツの──七星蓮の歌声が聴こえた気がした。那由多は挑戦的に口の端を吊り上げる。
「……そして俺に勝てるのは俺だけ」
その微かな呟きが聞こえたのか、ソファーで寝そべっていたにゃんこたろうが大きな耳をピクリと動かした。ニャア、と何か問いかけるように鳴き声を上げた彼女の頭をひと撫でして、那由多は自室へと向かう。もちろん、GYROAXIAの新曲を紡ぎだすためだ。今度の新曲も必ず良いものにしてみせる。そのためならどこまでも高く飛んでみせるし、どこまでも熱くなってみせる。
そうして身の内に灯る炎を大きく燃やし、星より明るく光るのだ。
スタジオ練習の休憩中、いつもと変わらないのんびりとした口調で涼が発した言葉は、いつもと変わらない突拍子もないものだった。
「ああ? 星?」
少し離れた位置でスティックの手入れをしていた深幸が怪訝そうに片眉を上げる。
「また涼さんが変なこと言い出した……」
スタジオの片隅でギターをいじっていた礼音はため息混じりに呟いた。
高い実力を誇るGYROAXIAの練習の最中とは言え、休憩中はみなそれなりに寛いでいて雑談に興じることも多い。ただ那由多だけは、鮮赤のイヤフォンを耳に突っ込んだまま我関せずといった様子でじっと椅子に腰掛けている。自分が作った音源を確認しているのだろう、その集中を分かっているので他のメンバーもむやみに声をかけたりはせずにそっとしている。
スケジュール確認のためにスマホを見ていた賢汰が涼を振り返った。
「俺は知ってるぞ、その話」
ふっと微笑んでみせる賢汰に、涼は「さすがケンケン」と嬉しそうに棒付きキャンディを振った。
「どういう話なんですか、賢汰さん?」
急に興味を惹かれたように、礼音がギターをいじる手を止めて賢汰へと向き直る。賢汰は「確か──」と少し視線を宙へ投げた。
「恒星の発するプラズマに、音によく似た振動があるんだったか?」
眼鏡を押し上げながら尋ねる賢汰に、涼は満足そうにその宇宙を映し取ったような色の瞳を細めた。
「うん、そんな感じ」
「へぇ、確かに涼ちんの好きそうな感じの話だな」
「でも、それって音として聴こえないんじゃないですか? 宇宙に空気はないし」
礼音が不思議そうに眉を寄せながら首を傾げる。すると涼は我が意を得たりとばかりにキラリと瞳を輝かせた。
「そう。誰にも聴こえないのに歌ってる。なんだか浪漫があるよねぇ」
「はぁ……」
キャンディを振り回しながら楽しげに語る涼に、礼音は困惑の色の滲んだ目を向ける。深幸も呆れたような笑みとともにため息を吐き出した。
「オレも、故郷の星へ懺悔の歌を歌い続けていれば、いつか星が応えて歌い返してくれるかもしれない──」
「そうだな、いつかアンサーソングが返ってくるかもな」
立ち上がり両手を広げる涼に、賢汰が優しいとも適当ともとれる肯定の言葉を返す。涼はにっこりと穏やかな笑みを浮かべた。
「それはそうと、そろそろ休憩時間は終わりだ」
賢汰が壁に掛かった時計を指差しながら告げる。その瞬間、三人の目付きがキッと真剣みを帯びた。それまでの弛緩した空気が嘘のように、研ぎ澄まされたようなピリリとした緊張感が漂う。
「さ、那由多も……」
練習再開を促そうと那由多を振り返った賢汰は、けれどその続きを告げることなく口を噤む。
那由多は、すでに立ち上がりマイクを掴んでいた。
「さっさとしろ」
吠えるような那由多の言葉に、賢汰はそっと口元に小さく笑みを浮かべた。
*
星は歌う。
昼間に曙が言っていた言葉が、スタジオ練を終え自宅に戻った今もなお胸の中をぐるぐると渦巻いている。
ピピピ、と軽快なタイマーの音が鳴り響き、那由多は荒い息を吐き出しながら筋トレ用の黒いマットの上へと倒れ込んだ。結局、ルーティンである筋トレをしている最中もあの言葉が頭から離れることはなかった。大きく上下する胸に手のひらを押し付ける。タンクトップ越しに伝わる、速く大きな鼓動。思わず舌打ちがこぼれた。
額に流れる汗を手の甲で雑に拭う。そのとき、ふと窓から見える夜空が目に留まった。街の灯りのせいで星などひとつも見えない、どこまでも深く広がる闇のような暗い夜空。窓から少し離れたところにいるせいで、四角く切り取られた空はひどく狭い。
星は歌う。
その言葉がまた、胸の奥で音となって蘇る。
そうだ。俺は星の歌を聴いたのだ。
あの、Argonavisとの対バン前日の夜を思い出しながら、那由多は胸中で呟いた。
「だったらここで歌ってみろ」
そう言った自分の言葉に、「分かった」と頷いて歌い出した男。突然のことだったにもかかわらず歌声は鮮明で、その目を逸らすことなく真っ正面から斬り込むように歌ったアイツ。
あのとき感じたものは、果てなく広がる紛れもない宇宙と、生まれたばかりの星が放つ青い光。真っ直ぐに、ただあるがままに歌を歌い光を放つアイツは、己の在り方とは決して相容れないもので。けれど──だからこそ、ひどく眩しかった。
アイツの歌は、本物だ。
寝転がったままじっと窓の外に広がる夜空を眺めていた那由多は、一度胸の上に置いた手のひらを堅く握りしめ、それから勢いよく立ち上がった。窓辺へと歩み寄り、また夜空を睨むように見つめる。夜特有の静謐な冷気が、窓越しに微かに伝わってくる。筋トレ後の熱く火照った身体を、ひやりとした空気がそっと包み込む。
アイツの歌が本物だったからこそ、あのときの対バンで本気でぶつかった。眩しかったからこそ、アイツとは違う己の光を、歌を、真っ正面で示したいと思ったのだ。
奪いとるつもりで本気をぶつかれば、アイツも本気の熱をぶつけてくる。それに飲み込まれまいとまた激しく声を張り上げて、するとアイツが強い歌声を響かせる。
追い越されまいと高く飛び、飲み込まれまいと激しく燃える。そうしてぶつかり続けているうちに、どこまでもどこまでも飛んでいけそうだと思った。
那由多はそっと硝子の窓に手を伸ばした。ほんの少しの光も見えない、深い藍色に沈んだ夜空。当然のように星などひとつも見えない、すべての音を飲み込まんとするようなただただ静かな暗い空。
けれど分かる。
あの星は、きっと今も歌っている。
「僕に勝てるのは僕だけ」
ふとアイツの──七星蓮の歌声が聴こえた気がした。那由多は挑戦的に口の端を吊り上げる。
「……そして俺に勝てるのは俺だけ」
その微かな呟きが聞こえたのか、ソファーで寝そべっていたにゃんこたろうが大きな耳をピクリと動かした。ニャア、と何か問いかけるように鳴き声を上げた彼女の頭をひと撫でして、那由多は自室へと向かう。もちろん、GYROAXIAの新曲を紡ぎだすためだ。今度の新曲も必ず良いものにしてみせる。そのためならどこまでも高く飛んでみせるし、どこまでも熱くなってみせる。
そうして身の内に灯る炎を大きく燃やし、星より明るく光るのだ。