CPなし小説
「だいぶ日が長くなって来たよね」
スタジオ練の帰り道、ふいに前を歩いていた航海が呟いた。結人はゆっくりと顔を上げる。ほかの三人も航海を見やっていて、けれど当の航海は橙色に染まった空を見上げていた。四人の後ろ姿に柔らかな影が張り付いているのがなぜか鮮明に見える。
航海の隣を歩いていた蓮がこくりと頷いた。
「うん。少し前までは、この時間ってもう真っ暗になってたのにね」
微笑みながら空を眺める蓮につられるように、結人も夕焼けを見上げる。薄い雲が散らばる空には、すでに太陽の姿は見当たらなかった。函館では遠い山々の稜線に沈んだ夕日は、東京では周りを取り囲む住宅街の中に埋もれていく。夕日の残光を淡く反射させるビルの輪郭が、やけに物寂しげに見えた。
万浬が「そりゃあね~」と口を開いた。
「三月も半分終わっちゃったんだもん。東京の春は函館よりずいぶん早いからね」
頭の後ろで手を組みながらそう言った彼を、航海がようやく空から視線を離しながら振り返る。
「もう桜が咲き始めてるところもあるもんね、シェアハウスのそばの公園とか」
「そうそう、この前ぽんちゃんの散歩をしてるときに桜が咲いてるのを見つけて驚いたよ」
「北海道と東京では開花時期が一ヶ月以上違うからな。それに、今年は例年より開花が早いそうだ」
話す彼らの声を聞きながら、結人は背中のギターケースを背負い直す。慣れ切ったはずの重さが肩にずしりとのしかかる。
と、そういえば蓮が喋っていないな、と気づいた。じっと後ろから観察してみる。五人で行動している最中でも迷子になるくらいマイペースな彼は、今も心ここにあらずといった顔つきをしていた。いまだに橙色の夕焼け空を見つめていて、その瞳にはどこか焦れたような熱がくすぶっている。これまでにもう何度も見てきた眼だ。結人は思わず苦笑をもらした。
「蓮、歌いたいのか?」
確信を持ちながらも問いかけてみると、わずかに肩を揺らした蓮が結人を見た。頬と鼻の先を淡い橙色に染めた彼は、照れくさそうにはにかむ。
「うん。まだちょっとだけ、歌いたい」
その言葉に、会話を続けていた三人が揃って蓮を振り返る。
「蓮くんはほんとに歌ばかだねぇ」
からかうように笑う万浬が蓮の肩をつつく。「もう、万浬」と蓮が困ったように少し眉を下げた。
「けど、カラオケに入るにはちょっと時間がキツイな。お隣さんに預けてるぽんちゃんのお迎えもあるし……」
スマホに表示された時刻を確かめる航海を、凛生がひょいと後ろから覗きこむ。
「五時五十四分か。夕飯の支度もしないといけない時間だな」
「そっか、そうだよね……」
「なら、俺と弾き語りするか?」
結人が言うと、ちいさく俯いていた蓮が勢いよく顔を上げた。驚いたように見開かれた目がきらきらときらめいている。そういえばお気に入りのおもちゃを見せたときのぽんちゃんもこんな顔をしていたな、と思って少し笑ってしまった。
「いいの?」
「おう、当たり前だろ」
「じゃあぽんちゃんの散歩は俺が代わりに行っとくね」
「ありがとう万浬。ならお風呂掃除は僕が代わりにやるね」
「二人とも、夕飯までには帰って来いよ」
「分かってるって」
「蓮、水分補給はしっかりするんだよ。水筒のハーブティーはまだ残ってる? 昼に渡したのど飴はまだ持ってる?」
「うん、大丈夫。ありがとう航海」
それじゃ、またシェアハウスで。そう言って帰っていく彼らに、二人並んで手を振る。夕方の涼しい風が五人の髪を揺らしておだやかに通り抜けていく。
下北沢はライブハウスや音楽スタジオだけじゃなく、公園の数も多い。よく利用する音楽スタジオとシェアハウスまでの道のりにも三、四つの公園があって、そのうち一番広いところを選んで向かう。
滑り台やブランコといった定番の遊具と芝生の広場、ちょろちょろと水を吐き出す小さな噴水があるその公園に、ほかに人影はなかった。スイセンの咲く植え込みのそばのベンチに、二人並んで腰を下ろす。
「弾き語り、久しぶりだね」
蓮が嬉しそうに目を細める。夕暮れと夜の端が溶けあった空は紫色に沈んでいて、薄暗さが重い緞帳のように辺りを包んでいるのに、蓮の瞳の色だけがとても鮮やかだった。
「そうだな。まあ今日はエレキだしアンプもないんだけど」
足元に下ろしたギターケースから海色のレスポールを取り出す。蓮が癖毛の頭をちいさく傾げた。
「結人のギターならなんだっていいよ」
「でも、そんなに大きな音は出ないから歌いにくいかもしれねーぞ」
そう付け加えながら、ストラップを肩に掛ける。馴染みの重さを膝の上に抱えたとき、蓮が「ううん」と首を振った。
「こんなに隣にいるんだから、聴こえないなんてことあるはずないよ」
あまりにも軽やかに言ってのける蓮を、結人はまじまじと見つめた。それから、ふ、と息を吐き出す。
「それもそうだよな」
「うん」
「よし、始めるか!」
「うん!」
「最初は何がいい?」
指ならしでぽろぽろと爪弾きながら、隣の蓮へと問いかける。首を傾げてすこし考え込むそぶりを見せた彼は、けれどすぐに「じゃあ、『星がはじまる』!」と笑顔で告げる。
「よし任せろ!いくぞ、ワン、ツー、ワンツー――……」
最初のワンフレーズを、高らかに楽しそうに蓮が歌い上げる。アンプに繋いでいない素弾きのギターの音はやっぱり心許なく掠れているのに、それでも蓮はさっきの言葉どおりにしっかりと歌を合わせてくる。手元から視線を上げて、澄んだ歌声を響かせる彼を見る。目が合って、ふわりと綻ぶように蓮が笑う。
やっぱり、かなわねぇな。胸のうちでそう呟き、結人は苦笑をもらした。
家の近所の公園の桜が咲き始めたことは結人も気づいていた。暖かな日差しやふと通り過ぎていく風の柔らかさ、それから航海が言っていた日に日に伸びていく日の長さ。そういうものに触れて早い春の訪れを感じるたびに胸に込み上げる感情は、じりじりと燻るような焦燥だった。
冬に上京してきた時から一つ季節が過ぎたけれど、自分たちは前に進むことができているのか。──いや、違う。四人はきちんと進んでいる。スタジオに入って音を合わせるたびに、それぞれ上達しているのが分かる。今日のスタジオ練でも、みんな前回見つけた課題をきちんと解決して、また新たな改善点を見つけていた。
なら自分は、移ろう季節に見合うだけの成長ができているのだろうか。
また、進んで行く後ろ姿を見送ることになりやしないか。
そんな思いが黒い靄のように胸を濁らせていた、のだけれど。
やわらかなのに芯のある歌声がすぐ隣で紡がれる。そのたびに、胸の中の焦燥が少しずつ透明に晴れていく。
長いあいだこのギターの音は誰のためでもなかった。ただ狭いワンルームでひとりかき鳴らすだけの、誰にも届かない独りよがりな音だった。
けれど今、そんなギターの音に合わせて、蓮が嬉しそうに歌ってくれる。歌いたい、とまっすぐに伝えてくれる。
おそらくこれからも、胸の中の黒い靄は何度も立ち込めるのだと思う。けれど、このギターの音で歌いたいと言ってくれるひとが、必要だと言ってくれる彼らがいるなら。
きっともうこの音を手放さずにいられるだろう。
「やっぱり楽しいね」
一曲歌い切った後、蓮は息を弾ませることもなくにこにこと微笑んでいた。
「そうだな。今度、お花見も兼ねてアコースティックの弾き語りでもやろうか」
「わあ、楽しそう! やりたい!」
パッと顔を輝かせた蓮は、それからふと目を伏せた。まっすぐな光を宿す彼のつり目は、伏せると途端に月夜のような静けさを帯びる。
「どうかしたか?」
「うん。あのね結人、いつもありがとう」
「え? 何が?」
改まった言葉に驚いて結人は思わずのけぞった。ぴったりくっつけた腿の上で両手を組みながら、蓮が言う。
「いつも、僕の『歌いたい』に付き合ってくれるから」
「そんなの、当たり前だろ」
「ううん、当たり前なんかじゃないよ」
静かにそう告げる蓮の声が思いのほか断定の色を濃く滲ませていて、結人は、あ、と思った。その気づきが表情に出ていたようで、蓮がほんの少し笑いながら頷く。
「合唱部にいた頃は、それって全然当たり前じゃなかった」
ゆるく組んだ両手に視線を落としながら──実際はもっと遠いところを見つめているのだろうけれど──蓮はそっと呟く。きっと過去の記憶を映しているのであろうその瞳の色が、惨めさや遣る瀬なさで濁っていないか。どうしてもひとりで奏でるしかない音楽がどんなふうに響くのかを、蓮も知っているのだ。結人は慎重に、少し俯いた彼の横顔を窺う。
そのとき、蓮が顔を上げて結人を見た。まるで眩しいものを見つめるかのように細められたその眼差しは、とてもやわらかい。
「だから、いつも結人やみんなが僕の『歌いたい』を一緒に叶えてくれるのが、ほんとうに嬉しい」
はにかむように蓮が笑う。
ギターのネックを掴む手に思わず力がこもった。身体のど真ん中がぎゅっと熱くなる。結人はいちどきつく奥歯を噛みしめて、それからニッと歯を見せて笑い返した。
「これからも、お前が歌いたいときはいつだって何度だって付き合ってやるよ」
そう告げながら、膝の上の青いギターの弦をはじく。微かで曖昧で、それでも確かにきらめきの欠片を宿した音が、春の夜の淡い空気を揺らす。蓮が「うん」と頷いた。
「じゃあ次、どうしよっか」
「『Starry Line』がいいな」
「オッケー、いくぞ」
素弾きで奏でるイントロはいつもとは全然違った音色で、それでも蓮は目を閉じて楽しそうに身体を揺らしている。リズムに合わせて跳ねる癖毛を涼しい風がちいさくなびかせる。すう、とわずかに聴こえた呼吸のあとに響いた歌は、やっぱりまっすぐなほど透明で、嬉しそうに弾んでいた。その歌に寄り添うように、結人は優しくギターを鳴らす。
奏でる両手はそのままに、結人はそっと空を見上げた。濃紺に染まり始めた空には、針で突いたように微かな、けれど確かな光を宿した星が静かに瞬いている。
スタジオ練の帰り道、ふいに前を歩いていた航海が呟いた。結人はゆっくりと顔を上げる。ほかの三人も航海を見やっていて、けれど当の航海は橙色に染まった空を見上げていた。四人の後ろ姿に柔らかな影が張り付いているのがなぜか鮮明に見える。
航海の隣を歩いていた蓮がこくりと頷いた。
「うん。少し前までは、この時間ってもう真っ暗になってたのにね」
微笑みながら空を眺める蓮につられるように、結人も夕焼けを見上げる。薄い雲が散らばる空には、すでに太陽の姿は見当たらなかった。函館では遠い山々の稜線に沈んだ夕日は、東京では周りを取り囲む住宅街の中に埋もれていく。夕日の残光を淡く反射させるビルの輪郭が、やけに物寂しげに見えた。
万浬が「そりゃあね~」と口を開いた。
「三月も半分終わっちゃったんだもん。東京の春は函館よりずいぶん早いからね」
頭の後ろで手を組みながらそう言った彼を、航海がようやく空から視線を離しながら振り返る。
「もう桜が咲き始めてるところもあるもんね、シェアハウスのそばの公園とか」
「そうそう、この前ぽんちゃんの散歩をしてるときに桜が咲いてるのを見つけて驚いたよ」
「北海道と東京では開花時期が一ヶ月以上違うからな。それに、今年は例年より開花が早いそうだ」
話す彼らの声を聞きながら、結人は背中のギターケースを背負い直す。慣れ切ったはずの重さが肩にずしりとのしかかる。
と、そういえば蓮が喋っていないな、と気づいた。じっと後ろから観察してみる。五人で行動している最中でも迷子になるくらいマイペースな彼は、今も心ここにあらずといった顔つきをしていた。いまだに橙色の夕焼け空を見つめていて、その瞳にはどこか焦れたような熱がくすぶっている。これまでにもう何度も見てきた眼だ。結人は思わず苦笑をもらした。
「蓮、歌いたいのか?」
確信を持ちながらも問いかけてみると、わずかに肩を揺らした蓮が結人を見た。頬と鼻の先を淡い橙色に染めた彼は、照れくさそうにはにかむ。
「うん。まだちょっとだけ、歌いたい」
その言葉に、会話を続けていた三人が揃って蓮を振り返る。
「蓮くんはほんとに歌ばかだねぇ」
からかうように笑う万浬が蓮の肩をつつく。「もう、万浬」と蓮が困ったように少し眉を下げた。
「けど、カラオケに入るにはちょっと時間がキツイな。お隣さんに預けてるぽんちゃんのお迎えもあるし……」
スマホに表示された時刻を確かめる航海を、凛生がひょいと後ろから覗きこむ。
「五時五十四分か。夕飯の支度もしないといけない時間だな」
「そっか、そうだよね……」
「なら、俺と弾き語りするか?」
結人が言うと、ちいさく俯いていた蓮が勢いよく顔を上げた。驚いたように見開かれた目がきらきらときらめいている。そういえばお気に入りのおもちゃを見せたときのぽんちゃんもこんな顔をしていたな、と思って少し笑ってしまった。
「いいの?」
「おう、当たり前だろ」
「じゃあぽんちゃんの散歩は俺が代わりに行っとくね」
「ありがとう万浬。ならお風呂掃除は僕が代わりにやるね」
「二人とも、夕飯までには帰って来いよ」
「分かってるって」
「蓮、水分補給はしっかりするんだよ。水筒のハーブティーはまだ残ってる? 昼に渡したのど飴はまだ持ってる?」
「うん、大丈夫。ありがとう航海」
それじゃ、またシェアハウスで。そう言って帰っていく彼らに、二人並んで手を振る。夕方の涼しい風が五人の髪を揺らしておだやかに通り抜けていく。
下北沢はライブハウスや音楽スタジオだけじゃなく、公園の数も多い。よく利用する音楽スタジオとシェアハウスまでの道のりにも三、四つの公園があって、そのうち一番広いところを選んで向かう。
滑り台やブランコといった定番の遊具と芝生の広場、ちょろちょろと水を吐き出す小さな噴水があるその公園に、ほかに人影はなかった。スイセンの咲く植え込みのそばのベンチに、二人並んで腰を下ろす。
「弾き語り、久しぶりだね」
蓮が嬉しそうに目を細める。夕暮れと夜の端が溶けあった空は紫色に沈んでいて、薄暗さが重い緞帳のように辺りを包んでいるのに、蓮の瞳の色だけがとても鮮やかだった。
「そうだな。まあ今日はエレキだしアンプもないんだけど」
足元に下ろしたギターケースから海色のレスポールを取り出す。蓮が癖毛の頭をちいさく傾げた。
「結人のギターならなんだっていいよ」
「でも、そんなに大きな音は出ないから歌いにくいかもしれねーぞ」
そう付け加えながら、ストラップを肩に掛ける。馴染みの重さを膝の上に抱えたとき、蓮が「ううん」と首を振った。
「こんなに隣にいるんだから、聴こえないなんてことあるはずないよ」
あまりにも軽やかに言ってのける蓮を、結人はまじまじと見つめた。それから、ふ、と息を吐き出す。
「それもそうだよな」
「うん」
「よし、始めるか!」
「うん!」
「最初は何がいい?」
指ならしでぽろぽろと爪弾きながら、隣の蓮へと問いかける。首を傾げてすこし考え込むそぶりを見せた彼は、けれどすぐに「じゃあ、『星がはじまる』!」と笑顔で告げる。
「よし任せろ!いくぞ、ワン、ツー、ワンツー――……」
最初のワンフレーズを、高らかに楽しそうに蓮が歌い上げる。アンプに繋いでいない素弾きのギターの音はやっぱり心許なく掠れているのに、それでも蓮はさっきの言葉どおりにしっかりと歌を合わせてくる。手元から視線を上げて、澄んだ歌声を響かせる彼を見る。目が合って、ふわりと綻ぶように蓮が笑う。
やっぱり、かなわねぇな。胸のうちでそう呟き、結人は苦笑をもらした。
家の近所の公園の桜が咲き始めたことは結人も気づいていた。暖かな日差しやふと通り過ぎていく風の柔らかさ、それから航海が言っていた日に日に伸びていく日の長さ。そういうものに触れて早い春の訪れを感じるたびに胸に込み上げる感情は、じりじりと燻るような焦燥だった。
冬に上京してきた時から一つ季節が過ぎたけれど、自分たちは前に進むことができているのか。──いや、違う。四人はきちんと進んでいる。スタジオに入って音を合わせるたびに、それぞれ上達しているのが分かる。今日のスタジオ練でも、みんな前回見つけた課題をきちんと解決して、また新たな改善点を見つけていた。
なら自分は、移ろう季節に見合うだけの成長ができているのだろうか。
また、進んで行く後ろ姿を見送ることになりやしないか。
そんな思いが黒い靄のように胸を濁らせていた、のだけれど。
やわらかなのに芯のある歌声がすぐ隣で紡がれる。そのたびに、胸の中の焦燥が少しずつ透明に晴れていく。
長いあいだこのギターの音は誰のためでもなかった。ただ狭いワンルームでひとりかき鳴らすだけの、誰にも届かない独りよがりな音だった。
けれど今、そんなギターの音に合わせて、蓮が嬉しそうに歌ってくれる。歌いたい、とまっすぐに伝えてくれる。
おそらくこれからも、胸の中の黒い靄は何度も立ち込めるのだと思う。けれど、このギターの音で歌いたいと言ってくれるひとが、必要だと言ってくれる彼らがいるなら。
きっともうこの音を手放さずにいられるだろう。
「やっぱり楽しいね」
一曲歌い切った後、蓮は息を弾ませることもなくにこにこと微笑んでいた。
「そうだな。今度、お花見も兼ねてアコースティックの弾き語りでもやろうか」
「わあ、楽しそう! やりたい!」
パッと顔を輝かせた蓮は、それからふと目を伏せた。まっすぐな光を宿す彼のつり目は、伏せると途端に月夜のような静けさを帯びる。
「どうかしたか?」
「うん。あのね結人、いつもありがとう」
「え? 何が?」
改まった言葉に驚いて結人は思わずのけぞった。ぴったりくっつけた腿の上で両手を組みながら、蓮が言う。
「いつも、僕の『歌いたい』に付き合ってくれるから」
「そんなの、当たり前だろ」
「ううん、当たり前なんかじゃないよ」
静かにそう告げる蓮の声が思いのほか断定の色を濃く滲ませていて、結人は、あ、と思った。その気づきが表情に出ていたようで、蓮がほんの少し笑いながら頷く。
「合唱部にいた頃は、それって全然当たり前じゃなかった」
ゆるく組んだ両手に視線を落としながら──実際はもっと遠いところを見つめているのだろうけれど──蓮はそっと呟く。きっと過去の記憶を映しているのであろうその瞳の色が、惨めさや遣る瀬なさで濁っていないか。どうしてもひとりで奏でるしかない音楽がどんなふうに響くのかを、蓮も知っているのだ。結人は慎重に、少し俯いた彼の横顔を窺う。
そのとき、蓮が顔を上げて結人を見た。まるで眩しいものを見つめるかのように細められたその眼差しは、とてもやわらかい。
「だから、いつも結人やみんなが僕の『歌いたい』を一緒に叶えてくれるのが、ほんとうに嬉しい」
はにかむように蓮が笑う。
ギターのネックを掴む手に思わず力がこもった。身体のど真ん中がぎゅっと熱くなる。結人はいちどきつく奥歯を噛みしめて、それからニッと歯を見せて笑い返した。
「これからも、お前が歌いたいときはいつだって何度だって付き合ってやるよ」
そう告げながら、膝の上の青いギターの弦をはじく。微かで曖昧で、それでも確かにきらめきの欠片を宿した音が、春の夜の淡い空気を揺らす。蓮が「うん」と頷いた。
「じゃあ次、どうしよっか」
「『Starry Line』がいいな」
「オッケー、いくぞ」
素弾きで奏でるイントロはいつもとは全然違った音色で、それでも蓮は目を閉じて楽しそうに身体を揺らしている。リズムに合わせて跳ねる癖毛を涼しい風がちいさくなびかせる。すう、とわずかに聴こえた呼吸のあとに響いた歌は、やっぱりまっすぐなほど透明で、嬉しそうに弾んでいた。その歌に寄り添うように、結人は優しくギターを鳴らす。
奏でる両手はそのままに、結人はそっと空を見上げた。濃紺に染まり始めた空には、針で突いたように微かな、けれど確かな光を宿した星が静かに瞬いている。