CPなし小説
蓮の歌声を聴くと、まるで天体観測でもしているような気分になる。
ときどき、航海はそんなことを考える。
ライブのときはもちろん、練習のときもカラオケで歌うときも、さらには日常生活の中で突然歌い出すときも。歌うときの蓮は、満点の星空を映しているかのように燦然と輝く瞳をしている。楽しくて楽しくて仕方がない、といった様子の横顔は子どもみたく真新しい情熱に溢れている。それに、少し天然で人並み外れて純粋な蓮は、歌声だって森深くの空気のように澄き透っている。
楽しそうに歌う彼の歌声を聴くだけで、はるか頭上に広がる藍色の夜空とそこに砂を撒いたように散らばる無数の星が脳裡に浮かび上がるのだ。
それほどまでに、蓮の歌声は清廉で輝きがあって、ひどく真っ直ぐだ。
授業の合間の空きコマの、無人の講義室の片隅。外の世界から隔離されたエアポケットのようなその場所で、航海は一人シャーペンを弄んでいた。
昨日桔梗からもらったばかりの新曲のデモを聴きながら、ノートに歌詞の欠片を書き留めている途中なのだ。けれど、なかなかしっくりくる良いフレーズが思い浮かばない。うーん、と小さく唸り声を洩らしたそのとき、不意に手元に影がさした。
顔を上げる。目の前に、微笑む蓮が立っていた。
何やらぱくぱくと口を動かす蓮に、航海は慌てて耳に押し込んでいたイヤホンを外す。
「新曲、作ってるの?」
しばらく声のない音楽に没頭していたから、蓮の声が妙に鮮明に聞こえる。航海は苦笑をこぼした。
「うん。まあ、完成はまだまだ遠そうだけどね」
「楽しみ。となり、座っていい?」
「うん、どうぞ」
航海は一つ席を移動する。嬉しそうに隣に腰を下ろした蓮は、明からさまにそわそわとしている。もし蓮が犬だったならパタパタと勢いよく尻尾を振っていることだろう。素直な反応を返してくる蓮に思わず頬が緩んでしまった。
「……聴く?」
「いいの? 嬉しい!」
イヤホンを差し出せば、案の定蓮はキラキラと目を輝かせる。いそいそとイヤホンを手に取った蓮は、それから少し口をもごつかせた。
「あの……良かったら、ノートも見てみたい」
「えっ」
おずおずと告げられた言葉に、航海は面食らってしまった。ガタン、と椅子が大げさな音を立てる。
「いや、まだ全然歌詞になってないし、それどころかフレーズだってほとんど思いついてないんだけど」
慌てて言い募れば、眉を八の字に下げた蓮がこてんと首を傾げる。
「…………だめ?」
航海はうっ、と言葉を詰まらせた。
少し下から覗き込むように見上げてくる瞳は、まるで幼い子どものようだ。その顔、その声でそう言われてしまえば、航海はいつだって「ダメ」だなんて言えなくなる。
「仕方ないな……ちょっとだけだよ」
「ありがとう、航海」
はにかむように、嬉しそうに微笑まれると、もう文句なんて言えるはずもない。航海は小さく苦笑する。
イヤホンをつけた蓮は、食い入るようにノートを見つめはじめた。その横顔を航海はそっと眺める。
さっきまでのふわふわした表情は影を潜め、ノートを見つめる蓮の眼差しは真剣な光を宿している。やっぱり、彼が歌にかけている熱意はどこまでも熱くて、ひたむきだ。
その真っ直ぐな光を灯した瞳が自分の綴った言葉を見つめていると思うと、なんだか身の置き場がないような落ち着かなさが込み上げてくる。航海は小さく身動ぎをした。もちろん、目の前のノートに没頭している蓮がそれに気付いた様子はない。
二人きりの講義室は心地よい静寂に満ちている。廊下で騒ぐ男子学生の笑い声も、近くの講義室から漏れ聞こえる教授の話し声も、すべての音が遠く響く。今この静寂を感じているのはただ自分ひとりだけなのだと思うと、少し胸の奥がむずがゆいような気分になる。優越感にも似た思いを抱きながら、航海はノートの上をすべる蓮の眼差しを眺め続ける。
しばらく経って蓮が耳のイヤホンを外した。それから、パッと輝くような笑顔を向けてくる。
「すごい! なんだかドキドキする!」
「いや、まだ歌詞できてないって」
ぽりぽりと頬をかきながら、身を乗り出してくる蓮をたしなめる。それでも蓮の勢いは止まることなく、堰を切ったように饒舌に語り出してしまった。
「このフレーズ、サビ前のワクワクする雰囲気のところにすごく合うと思う。それからこっちのフレーズは……」
「ちょ、待って待って!」
航海は勢いよく手を横に振った。
「恥ずかしいから!」
「そっか……ごめんね」
小さく眉を下げた蓮は、けれどすぐにまたふわりと笑う。
「でも、どのフレーズもすごく綺麗だ。やっぱり航海の歌詞は、はやく歌いたくなるね」
真っ直ぐな言葉と視線に胸を射抜かれ、大きく鼓動が跳ねる。航海は目を見開いた。
純真、清廉という言葉が似合いの、生まれたばかりの白い星の光のような蓮。そんな彼の発する言葉はいつだって心の底から、本心から語られるものだ。だからこそこんなにも真っ直ぐで、輝いている。
つまり、蓮の歌声が清廉で燦然としていて真っ直ぐなのは、それが心から発せられた言葉だから。自分が書いた歌詞を、蓮が自分自身の言葉として咀嚼して解釈して、共感してくれている証なのだ。
思わず、ふ、と頬が緩む。胸に広がるあたたかさを感じながら、航海は小さく微笑んだ。
「そう言ってもらえると嬉しいよ。歌詞作り、頑張るね」
穏やかに告げたその言葉もまた、心の底からの言葉であった。
蓮が生み出す星空のそのひとかけらを、自分の言葉が担っている。それが、どうしようもなく嬉しい。航海はシャーペンを握る手に力が籠るのを感じた。
この歌もきっと、澄んだ夜空に瞬く白い星となるだろう。
ときどき、航海はそんなことを考える。
ライブのときはもちろん、練習のときもカラオケで歌うときも、さらには日常生活の中で突然歌い出すときも。歌うときの蓮は、満点の星空を映しているかのように燦然と輝く瞳をしている。楽しくて楽しくて仕方がない、といった様子の横顔は子どもみたく真新しい情熱に溢れている。それに、少し天然で人並み外れて純粋な蓮は、歌声だって森深くの空気のように澄き透っている。
楽しそうに歌う彼の歌声を聴くだけで、はるか頭上に広がる藍色の夜空とそこに砂を撒いたように散らばる無数の星が脳裡に浮かび上がるのだ。
それほどまでに、蓮の歌声は清廉で輝きがあって、ひどく真っ直ぐだ。
授業の合間の空きコマの、無人の講義室の片隅。外の世界から隔離されたエアポケットのようなその場所で、航海は一人シャーペンを弄んでいた。
昨日桔梗からもらったばかりの新曲のデモを聴きながら、ノートに歌詞の欠片を書き留めている途中なのだ。けれど、なかなかしっくりくる良いフレーズが思い浮かばない。うーん、と小さく唸り声を洩らしたそのとき、不意に手元に影がさした。
顔を上げる。目の前に、微笑む蓮が立っていた。
何やらぱくぱくと口を動かす蓮に、航海は慌てて耳に押し込んでいたイヤホンを外す。
「新曲、作ってるの?」
しばらく声のない音楽に没頭していたから、蓮の声が妙に鮮明に聞こえる。航海は苦笑をこぼした。
「うん。まあ、完成はまだまだ遠そうだけどね」
「楽しみ。となり、座っていい?」
「うん、どうぞ」
航海は一つ席を移動する。嬉しそうに隣に腰を下ろした蓮は、明からさまにそわそわとしている。もし蓮が犬だったならパタパタと勢いよく尻尾を振っていることだろう。素直な反応を返してくる蓮に思わず頬が緩んでしまった。
「……聴く?」
「いいの? 嬉しい!」
イヤホンを差し出せば、案の定蓮はキラキラと目を輝かせる。いそいそとイヤホンを手に取った蓮は、それから少し口をもごつかせた。
「あの……良かったら、ノートも見てみたい」
「えっ」
おずおずと告げられた言葉に、航海は面食らってしまった。ガタン、と椅子が大げさな音を立てる。
「いや、まだ全然歌詞になってないし、それどころかフレーズだってほとんど思いついてないんだけど」
慌てて言い募れば、眉を八の字に下げた蓮がこてんと首を傾げる。
「…………だめ?」
航海はうっ、と言葉を詰まらせた。
少し下から覗き込むように見上げてくる瞳は、まるで幼い子どものようだ。その顔、その声でそう言われてしまえば、航海はいつだって「ダメ」だなんて言えなくなる。
「仕方ないな……ちょっとだけだよ」
「ありがとう、航海」
はにかむように、嬉しそうに微笑まれると、もう文句なんて言えるはずもない。航海は小さく苦笑する。
イヤホンをつけた蓮は、食い入るようにノートを見つめはじめた。その横顔を航海はそっと眺める。
さっきまでのふわふわした表情は影を潜め、ノートを見つめる蓮の眼差しは真剣な光を宿している。やっぱり、彼が歌にかけている熱意はどこまでも熱くて、ひたむきだ。
その真っ直ぐな光を灯した瞳が自分の綴った言葉を見つめていると思うと、なんだか身の置き場がないような落ち着かなさが込み上げてくる。航海は小さく身動ぎをした。もちろん、目の前のノートに没頭している蓮がそれに気付いた様子はない。
二人きりの講義室は心地よい静寂に満ちている。廊下で騒ぐ男子学生の笑い声も、近くの講義室から漏れ聞こえる教授の話し声も、すべての音が遠く響く。今この静寂を感じているのはただ自分ひとりだけなのだと思うと、少し胸の奥がむずがゆいような気分になる。優越感にも似た思いを抱きながら、航海はノートの上をすべる蓮の眼差しを眺め続ける。
しばらく経って蓮が耳のイヤホンを外した。それから、パッと輝くような笑顔を向けてくる。
「すごい! なんだかドキドキする!」
「いや、まだ歌詞できてないって」
ぽりぽりと頬をかきながら、身を乗り出してくる蓮をたしなめる。それでも蓮の勢いは止まることなく、堰を切ったように饒舌に語り出してしまった。
「このフレーズ、サビ前のワクワクする雰囲気のところにすごく合うと思う。それからこっちのフレーズは……」
「ちょ、待って待って!」
航海は勢いよく手を横に振った。
「恥ずかしいから!」
「そっか……ごめんね」
小さく眉を下げた蓮は、けれどすぐにまたふわりと笑う。
「でも、どのフレーズもすごく綺麗だ。やっぱり航海の歌詞は、はやく歌いたくなるね」
真っ直ぐな言葉と視線に胸を射抜かれ、大きく鼓動が跳ねる。航海は目を見開いた。
純真、清廉という言葉が似合いの、生まれたばかりの白い星の光のような蓮。そんな彼の発する言葉はいつだって心の底から、本心から語られるものだ。だからこそこんなにも真っ直ぐで、輝いている。
つまり、蓮の歌声が清廉で燦然としていて真っ直ぐなのは、それが心から発せられた言葉だから。自分が書いた歌詞を、蓮が自分自身の言葉として咀嚼して解釈して、共感してくれている証なのだ。
思わず、ふ、と頬が緩む。胸に広がるあたたかさを感じながら、航海は小さく微笑んだ。
「そう言ってもらえると嬉しいよ。歌詞作り、頑張るね」
穏やかに告げたその言葉もまた、心の底からの言葉であった。
蓮が生み出す星空のそのひとかけらを、自分の言葉が担っている。それが、どうしようもなく嬉しい。航海はシャーペンを握る手に力が籠るのを感じた。
この歌もきっと、澄んだ夜空に瞬く白い星となるだろう。
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