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【連作】えさぼ♀←モブ



参謀総長が倒れたと、そのニュースが革命軍本部に衝撃をもって駆け巡ったのは「頂上戦争終結」の文字が新聞の一面を大きく飾った日のことだった。
駆けつけた医務室のベッドの上で点滴に繋がれて横たわるサボは、普段の強さなど微塵も感じさせないほど、熱にうなされて憔悴しきっていた。その姿に、サボがまだ二十歳の少女期を脱したばかりの女なのだという事実を誰もが突きつけられる。近くにいるコアラやハックや、あるいはドラゴンさんでさえ。
なぜ、幹部でもない俺にその報せが来て、厳重警戒の医務室に立ち入ることができたのかといえば、それは、その頃俺とサボが少しばかり特別な関係にあったからに他ならない。気を回した仲間が、そっと教えてくれたのだ。
その頃。――もう、過去の話だ。

サボと出会ったのは、俺が孤児として革命軍に保護されて間もない頃だった。俺はほんの子供で、サボはそれ以上に小さかった。ドラゴンさんに連れられて現れたサボは、子供だというのに顔の半分を覆うほどのひどい傷を負って、同時に全ての記憶を喪っていた。
革命軍に保護された孤児がそのまま組織の一員になる例は珍しくない。サボも俺もそうだった。同年代の子供たちの間でも、サボの強さは群を抜いていた。いとも簡単にハックさんを手玉に取り、幹部たちに勝負を仕掛けにいく。記憶がないサボがどんな過去を抱えているのか、その一端が窺えるようだった。
俺がサボを異性として強烈に意識するようになったのは、サボが十七歳になった頃だった。桁外れの強さはそのまま、身長が伸びて体に女らしさが垣間見えるようになった。無骨な鉄のパイプとは反対にそれを振り回すすらりとした手足がしなやかに動き、顔の傷跡を隠すように伸ばした金髪が風にふわふわと揺れるたびにどこか落ち着かない気分になる。それは何も俺だけじゃなかった。ただ、行動に移す人間が少なかったのは、既に幹部であり、大人たちですら誰もが一目置くサボに一歩を踏み出せる人間がいなかったからだ。身の程知らずの俺だけが、バカ正直に告白しては玉砕を繰り返し、ようやくOKをもらった。
「付き合ってくれ」
「分かった、どこにだ?」
というお約束のやり取りを何度も経て、ようやく「付き合ってくれ」が交際の申し込みであると分かると、サボは困ったように笑って言った。
「いいけど……おれ、好きとか恋とか、そういうのよく分かんねえんだよな」
端からその返答は想定済みだったし、いかにもサボらしいと思った。同世代の女が誰が好きだ、かっこいいだとかいう話題に興味を持つ頃になってもサボはその会話には加わらず、ドラゴンさんやくまさんに勝負を挑みにいくばかりだったので。それでも俺が押し切ったのは、形だけでも一緒にいることで周囲を牽制できるという打算と、断られたのでないのだからいずれサボも俺のことを好きになってくれるんじゃないかという淡い期待ゆえだった。
今となってはそれが良かったのかも分からないが、とにかく数年の間、俺とサボは形ばかりの恋人だった。

医務室の前で見張りをしていた仲間は、俺に気がつくとやれやれ、という代わりに肩をすくめて俺を通した。
「今、コアラが出て行ったところだぞ」
わざわざそう言う男の顔には下世話な期待が浮かんでいる。曖昧に笑ってごまかした。俺とサボはキスもその先も、恋人らしいことは何一つしたことがない。
扉の向こう、真っ白な医務室のベッドの上でサボは眠っていた。熱がピークを過ぎたとはいえ、三日も生死の境を彷徨ったのだ。いくらサボといえど、そのダメージはそう簡単に癒えるものではない。
汗で額にはりついた前髪をよける、たったそれだけのことにさえ緊張する。震えそうになる指先に力を込めてそっと触れる。サボの額はまだ熱を持っていた。緊張で俺の指がかすめるとそれだけで気持ちよさそうに表情を和らげる。
「えー、す……?」
夢うつつに名前を呼ぶ声音には、無防備なほどの親しみが込められていた。
その名前の主が誰であるのか、今なら世界の誰だって知っている。伝説の海賊王を父に持つ、白ひげ海賊団の隊長を務めていた男。頂上戦争の引き金となり、終結とともに死んだ男。
サボは、ポートガス・D・エースの死亡記事を見て倒れたのだという。それをきっかけとして記憶を取り戻したらしいということも、もう聞いていた。
寝言のようにその男の名前を呼ぶそれを聞いただけで、分かってしまった。この恋愛ごっこはもう終わる。
悔しさと諦めがじわじわと広がって、俺はそれを受け入れざるを得ない。死んだ男に、その死をもってサボの記憶を呼び覚ました男に、どうやって勝てばいい?

記憶を喪った人間がその記憶を取り戻したら、それは記憶を喪っていた間の彼女と同じ人間だと言えるだろうか。
サボは変わっていないというかもしれない。でも、俺にはそうは思えなかった。
ベッドの上で点滴に繋がれた生活から解放されたサボは、俺に向かって「ごめん」と一言謝った。何のことだとしらばっくれることも出来たけれど、あえてそうはしなかった。
謝罪を口にしながら、サボの瞳は恐ろしいほどに凪いでいた。サボはもう己が何者かを知っている。感情の在り処も。俺が怒っても泣いて縋っても、何の意味もないのだ。
「一つ、教えてくれないか」
口を開いて驚いた。それを訊く自分の声が思う以上に静かだったからだ。サボの感情につられたのかもしれない。
「ポートガス・D・エースのことが好きなのか」
サボは曖昧な表情で「分からない」と言う。
「でも、おれにとって誰より大事な奴だ。やっと思い出した」
分からないのは、サボが恋を知らなかったからだ。己が抱えている感情につけるべき名前を知らないからだ。自分が今、どんな顔をしているか知らないからだ。
ずっと見てきたから俺には分かる。そんなふうに静かな熱を帯びた目で、他の誰かの話をしたことなんてない。
サボを遺して死んだ奴のことがむかつくから、教えてやったりはしないけれど。
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