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女体化(連載・短編)

生存ifえさぼ♀

自分のどこかに欠けた部分がある。普段は全然意識もしていないのに、急にそれが気になるといても立ってもいられなくなる。

寂しい。虚しい。この空白をはやく埋めてしまいたい。
焦燥は言葉にせずとも伝わってしまうものらしかった。

サボがそういう虚無感を抱えているときには必ずと言っていいほど誰かが近付いてきた。
大抵は旅先で知り合った見知らぬ男だったけれど、革命軍の仲間だったこともある。
心の隙間を突くように甘い言葉をかけられれば、それが性的な期待を含む誘いだったとしても断る理由はなかった。
空白は埋まらない。でも、熱と快楽は一時虚しさを忘れさせてくれる。

その日酒場で声をかけてきたのは知らない男だった。
任務先での潜伏中、まだ本部からの指令は届かない。
退屈な一人の夜だった。
「おねーさん、俺と遊ばない?」
冗談めかした口調にあからさまな期待を隠さない。そういう分かりやすさは嫌いじゃない。
頭のてっぺんから爪先まで値踏みをするように眺めるのはお互い様だ。
軽いが暴力的な匂いは少ない。遊び慣れている男だと思った。誘いのノリは軽ければ軽いほど後腐れがなくていい。
ふっと笑って頷くと、グラスに残ったスコッチを一気に煽った。酒の熱がちりちりと喉を焼きながら体の内側を滑り落ちる。仮初めの熱。でも、酔いにでも任せなきゃ遊びはできない。

ホテルに誘われたけれどやんわりと断って繁華街の路地裏に雪崩れ込む。
屋内は万が一のリスクがあるし、手っ取り早い方がいい。
そういうある種の下卑たシチュエーションを気に入ったらしく、男は上機嫌でサボの体を路地裏の壁に押しつけた。
近づいてくる唇をゆるく首を振ることで拒絶すると深く追っては来ない。互いにとってこの行為が一時の遊びだという共通認識が出来上がる。
背に回された手がゆっくりと這いまわり、なだらかな曲線を描く尻を撫でる。ぞっと肌が粟立った。快楽と嫌悪はよく似ている。今感じているのがどちらでも大差はなかった。
男の片手がシャツの裾から入り込み、もう片方の手がきっちり結ばれた首元のタイにかかる。

けれど、それが男の手によってほどかれることはなかった。
サボを路地裏から引っ張り出すように、宙ぶらりんに放り出していた手を急に引かれた。無防備だった体はバランスを崩した。
けれど、よろけて男から離れた体は体格のいい男にあともたやすく受け止められる。
「何やってんだ?」
まだ聞き慣れない――けれどよく知った声に弾かれて顔を上げると世界的にすっかり有名になった海賊がいた。
「エース……」
先の戦争で大怪我を追った彼は白ひげ海賊団の母船で療養していたはずだ。記憶を取り戻してからいても立ってもいられずに一度見舞いに行ったけれど、その時にはまだ寝たきりで簡単な会話を交わすのが精一杯だったのに。
「エース……まさか、“火拳”のエース……!?」
サボが呼んだ名に反応して男が震える声を上げた。
頂上戦争の記事で出回ったエースの顔写真は瞬く間に世界中に広まって、今や子供でも知らない者はいないという状況だ。
言い当てられたエースは愉快げに顔を歪めてにやりと笑った。
「悪ィがこいつには先約が入っててよ。遊びなら他を当たってくれねェか」
“火拳”の女――事実はどうあれ、エースの言葉で男がサボをそう認識したのは間違いなかった。億越えどころか世界政府との戦争を真っ向から生き延びた海賊と知ってなお食い下がる者は市井にはいない。そんなのは世間知らずの馬鹿のすることだ。
エースの言葉に男はこくこくと頷きながら一歩下がり二歩下がり、――あっという間に路地裏の奥に消えてしまった。
サボは恨みがましくエース見上げる。エースはちらりとサボを見下ろして、それから短く「行くぞ」と言った。
十歳のころは同じ高さだったはずの目線に今では十センチ以上も差がある。握られたまま決して離そうとはしない手の力も全然違う。それが妙に残念で悔しい。

夜の街を、半歩遅れてエースについていく。
「エース、ケガは?」
「もう治った」
「なんでここに?」
「サボがいるって聞いた」
「誰から」
「革命軍の女」
コアラに違いない。任務先をそう簡単に教えてしまっていいのか。内心で恨み言を綴るのはこの状況がどうしようもなく気まずいせいだ。
「……怒ってる?」
「どっちかっつーと怒ってるな。お前、ずっとあんなことしてんの?」
「…………」
答えられなくて俯く。当然エースは答えを察した。
「おれだって褒められたもんじゃねェからくどくど説教する気はねェけどさ」
エースの声は静かだった。言葉で言うほど怒っているようには思えない。でも、その分あきれられるのが怖かった。
サボの怯えが伝わったのか、エースはちらりと振り返った。そうして「サボに怒ってるんじゃない」と言う。
「自分に腹が立ってしょうがねえ。ずっと一緒だったら絶対、お前にこんなことさせなかったのに」

――心にずっと穴が空いている。それは喪っていた記憶なのかもしれないし、記憶と一緒に欠けてしまった足りない感情なのかもしれなかった。
足りなかったパズルのピースの有り処が分かっても、無邪気にそれを欲することはできない。
そうするには、離れていた時間が長過ぎる。
背負ってしまったものが大きすぎる。

「どこに行くんだ?」
「沖におれたちの船が停まってる」
「待てって、おれ任務中……!」
思わず慌てるとエースはちらりと振り返った。
「中止だとよ。んで、空いたサボの時間はそのまま休暇に当てるから好きにしていいって」
どうしてその話が当のサボを飛び越して交わされているのか、全然意味が分からない。
エースの歩幅に引きずられるように大股に歩いているとあっという間に港に着いてしまった。漁船に紛れてエース専用の小型船――ストライカーが波間に浮かんでいる。
「よ、っと」
「え、ちょっと」
サボが慌てるがエースは動じる様子もなくあっさりとサボを横抱きにした。自分で立てない不安定さに思わず抱きつくと、エースは満足げに笑う。
「しっかりしがみついてろよ」
そう言うと助走もなしてストライカーに飛び乗る。ふわりと体が重力から解き放たれて、けれどエースの腕にしっかりと支えられているから怖くはない。
小さな船の簡単な座席にサボを座らせて、エースは今更のように宣言した。
「おれは今からお前を拐う」
サボは思わずエースを見上げた。目をまんまるにしたサボにエースは笑う。
「ガキの頃の約束、覚えてねェ?」
「覚えてる……けど」
取り戻した膨大な記憶の中に、確かにそれは存在した。
『海に出て名を上げて、大人になったら一緒になろう』
海賊王を父に持つエースがどんな思いでそれを口にしたのか。
「サボ、おれはお前と一緒になりたい」
あの時と変わらない熱を孕んで、エースは再びそれを口にした。
けれどサボはそれに頷くとことも首を振ることもできなかった。エースのことは好きだ。幼い頃からの気持ちは今に引き継がれている。だからこそ怖かった。一度エースに受け入れられたら、きっと際限なく求めてしまう。心に空いた穴を埋めることを全てエースに委ねてしまう。それは依存だ。
サボが黙り込むと、エースはゆっくりとストライカーを発進させた。
進む向きと反対に潮風が優しく頬を撫でる。うれしいのに悲しくて、なぜだかひどく泣きたい気分だった。
「お前に好きな奴がいたら、諦めようって思ってた」
波と風の音の合間を縫ってエースの声が届く。記憶にあるよりずっと低い男の声だ。
「でもそうじゃねェならおれは……お前を諦められねェ」
見上げるとエースの腕に刻まれた刺青が目に入った。エースの名前に紛れて何かの間違いみたいに刻まれた“S”のイニシャル。
言葉にしたばかりのエースの想いの証拠だ。
「……おれ、は、……」
それが分かるから、いっそう言葉に詰まる。
「結論を急げとは言わねェよ。でも、さっきみたいなのを繰り返すならおれにして欲しいって思ってる」
「さっきみたいなの?」
「行き当たりばったりで男と寝るなってこと。別に、おれのこと好きじゃなくてもいいから」
「……無理だ」
だって、彼らとエースは全然違う。エースはサボの言葉を違う意味で受け取って眉を下げた。
「サボから見て、おれって男としてダメか?」
「ちが、そうじゃなくて……」
その反対だ。でもそれを言葉にするのはエースと想いを交わして、余計エースに抱かれるということだ。エースに抱かれるのは、行き逢っただけの男と行為をするのとは全然違う。
「そうじゃ、なくて」
言葉に窮すると、エースが困ったように笑う。大きな手があやすように髪を撫でた。性愛でなく、兄弟としての親愛を伴った手に訳もなく安心を覚えた。
そうして気付く。
体ばかり大きくなってかたちばかり異性と交わることを覚えたところで、心はまだてんで子供なのだ。
体を交えなくても、エースに触れられるだけで欠けていた部分が満たされていく。性別も関係も越えて、全部がエースに向かっていく。
サボの安堵が伝わったらしい。エースはふっと息を吐いた。
「とりあえず、船に帰って飯食おうぜ。話したいこともあるし、仲間も紹介してェ」
頷くと、ストライカーはぐんとスピードを上げた。やがて水平線の向こうに頂上戦争を生き延びた大きな船が見えてくる。
風に髪を遊ばせて、サボは軽く目を閉じた。
この想いをいつか恋と呼ぶ。それまでエースは待っていてくれるだろうか。
傍らに優しい熱を感じる。もう寂しいとは思わなかった。
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