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短編

君を想う

1

花の名前なんて知らない。
でも、おまえのいるところにまで届けばいいと思う。

罪人の息子だ。母ももういない。そういうおれを最初に受け入れてくれたやつがいなくなった。何度寝ても覚めてもサボがいないという事実を受け入れられない。
憔悴したおれはついにぶっ倒れて、動転したルフィによってマキノのところに運び込まれた。夢の中ではいつもサボがいて、でも目を覚ますといない。
額に当てた布を取り替えにきたマキノがついでを装っておれに差し出したのは小さな黒っぽい粒が入った袋だった。
「花の種よ。元気になったらまいてみて」
そんな女々しいことを、と思ったが頷かなければ帰してもらえなさそうな勢いだったのでしぶしぶ頷いて、熱が下がるとすぐに山に帰った。
どう丸めこまれたものか、ルフィがしきりに「種まかねぇのか?」と言うので、家の側近くの土に小さな穴を開けて種を埋めた。
何か世話をしたというわけでもないのに、種は勝手に芽吹き、葉を伸ばし、やがて花を咲かせた。白い花だ。見たことはあるが、名前は知らない。すっと伸びた茎の先に咲かせた花はさほど大きくもないのに風に吹かれるたびに重たそうに揺れた。花の数は全部で二十くらいだろうか。どれだけ種をまいたか、数を数えてもいなかったがそう悪くない成果に思える。
花なんて、と思っていたが、風にそよぐ姿を見ているうちにいても立ってもいられなくなった。ルフィに留守をまかせて花を片っ端から摘み、ちょっとした花束になったそれを抱えて海まで走る。崖の上でまとめた花の束を崩すと、海に向かって勢いよくばらまいた。追い風に煽られた白が散り散りになって飛んでいく。
サボのところまで届けばいい。
墓もない、体の在り処すら分からない、この海のどこかで眠っているはずの兄弟のところに。
別々に海に出ることになるかもしれない。
口で言いながら、本当にそうなる日を想像したことがあっただろうか。
どれだけ考えても、うまく思い出せない。
その足でマキノのところまで行き、花の種をねだるとマキノは苦笑しながら新しい袋をおれの手の上に乗せた。
帰るとまた種を埋める。やがて花が咲くと、今度は少しだけ残してまた摘み、それを海まで持っていく。花を手折る罪悪感よりも、それをサボに見せたい気持ちの方が上回った。けれど不思議なもので、それを繰り返すうちに花は少しずつ増えていった。だんだんと一人では抱えきれないほどになると、ルフィと一緒に海に行くようになった。ルフィは花を撒くと決まってどこかにいるサボに向かって言葉をかけた。
「サボー! 元気かー?」
バカ。元気だったらおれたち似合わない花抱えてこんなところまで来てねェよ。
でも、そういうルフィの存在に救われたのは間違いない。
その習慣は、おれが島を出るまでずっと続いた。

今でも時々思い出す。あの花は今も咲いているだろうか。――あの花のうちひとつでも、サボのところまで届いているだろうか。





2

船を乗り継いで目指したのは東の果て、懐かしい場所だった。
暗いうちに船を岸に置いて、人目を避けて島の奥へ向かう。道のりは体が覚えていた。ついこの前まで忘れていたというのに。自嘲しながらも足は止めない。躊躇う時間も後悔する時間もない。許されているのはほんのわずかな間だ。
懐かしい景色、おれがいた頃よりずっと生い茂った木々。でも、自分が成長したからか行く先に広がるのは記憶にあるような、途方もなく入り組んだジャングルではなかった。暗いせいか人の足跡は見つからなかった。今この場所に立ち入る人間はいないのだろうか。いや、もともと人間が少ないこの場所だから、おれたちはここを住処に決めたのだった。
木々が入り組んで生えた地上には星の光も月の光もろくに届かない。周囲に自分以外の気配がないことを確認してから指先に炎を灯して視界を確保する。その行動にそれ以上の意味はなかったが、己が生み出した炎に照らされていると自然と安堵を覚えている自分に気付いた。感傷的になっている。らしくないと笑われるだろうか。
「……あった」
目的の場所に立つと思わず声が零れた。
おれにとっては十二年ぶり。でも、エースは五年前、ルフィは二年前までここにいたはずだ。ルフィが旅立ってからは誰の手も入っていないのかもしれない。あちこちが傷んでいたが、おれたちが自分で作り上げたかつてのねぐらは確かにそこにあった。
足元に注意を払いながら上がり込み、一通り中を確認してから壁に寄りかかるようにして入り口近くに座り込んだ。当然中は空っぽだ。溜まった埃が服を汚すのも気にならない。それさえもおれが今日この日にここにいた証になる。

眠るつもりはなかったが、移動に慣れた体でも長旅に疲労が溜まっていたのかもしれない。あるいは目的の場所に無事ついた――帰ってきたという安堵だろうか。深い夜の中にいたはずなのにふと目を開くと外は既に明るかった。
「……やべ」
太陽はまだ高い位置まで上っていないが、本来ならそろそろ戻ることを考えなければいけない時間だ。もともと時間がないところに無理を言って寄り道したので、合流に遅れようものなら小言のひとつやふたつは覚悟しなければならない。
慌てて立ち上がりそして外に出て――おれは息を飲んだ。
「何だ、これ」
記憶を上書きするように広がる、記憶にない景色。
あたりを取り囲むように一面、白い花が広がっている。名前も知らない花だ。でも、朝露を帯び、木々の間から漏れる太陽の光を反射した無数の花が風揺れている様子に目を奪われる。昔、鬱蒼とした山奥だった場所に広がる花。どこからか飛んできた種子が芽吹いたのだろうか、――あるいは。
ここでいくら考えても答えは出ない。次にルフィに会ったら訊いてみよう。
綻ぶ口元を隠す必要はなかった。こみ上げてくる感情をそのまま表情に乗せ、数え切れない花の一輪をゆっくりと手折る。風に吹かれた花びらがふわふわと揺れる。
花なんて似合わない。でも、これだけは特別に思える。細い茎を包むように大事に手にして、おれはゆっくりと帰路についた。
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