短編
桜
「サクラ? ああ、あれか。サクランボの木」
cherry、と声に出すとエースはうーん、と首をひねった。
「間違っちゃいねェな。でも100点じゃねぇ」
そう言って笑う。
「まあ、結構きれいなもんだ」
エースがそんなふうに芸術的な評価をするのは珍しい。サボはもっと美的な感覚に無頓着だから人のことは言えないが。
エースは楽しそうだった。ごつい靴を履いた足取りはいつになく軽い。指摘するとこの国の人間は大抵そうだと言う。知らないうちに随分馴染んだものだ。
「あれは違うのか?」
道の向こう、大きく垂れた枝に無数の花をつけた木を指すと「ああ」と頷き返す。
「あれは?」
花と一緒に小さな葉をつけた木も。
「よく知ってるな」
さすが、とエースは言うがどちらも彼の目的とは少し違うらしい。
本当に、無数の桜が咲いている。春がきて花が咲けば浮き足立つのはどこも同じだが、この国はより一層その傾向が強いようだった。
「ほら、ここだ」
最後は手を引かれて駆け足でたどり着いた場所に立って思わず息を飲む。
広い川が流れて、その両方の岸が枝を埋めるように満開に咲き誇った薄紅の花。薄紅という言葉よりもっとずっと淡いそれは、ともすれば白にも見える。白にすっと薄く紅を刷いたような雲、あるいは霞のような花の天幕が見通せる限りずっと続いている。
言葉を喪ったサボを振り返って「ほら、いいだろ?」とエースは得意げに笑った。自分が咲かせたわけでもないだろうに。でも、ここに連れてきてくれたことには感謝してもいい。
突然ざぁっと風が吹いた。
ふわふわと咲いていた花びらが煽られて宙に散る。視界を覆うほどに乱れ舞い、エースとの間に薄い幕をつくる。
不意にエースが遠く思えて、思わず足を踏み出した。手を強く握る。
「サボ?」
失くした記憶、戻らない過去。どうしてか、内に隠しているはずの恐怖を引きずり出される。
サボの顔を見返して、エースはぎゅっと繋いだ手に力を込めた。じわりと伝わる熱は、炎よりも温かかった。
「サクラ? ああ、あれか。サクランボの木」
cherry、と声に出すとエースはうーん、と首をひねった。
「間違っちゃいねェな。でも100点じゃねぇ」
そう言って笑う。
「まあ、結構きれいなもんだ」
エースがそんなふうに芸術的な評価をするのは珍しい。サボはもっと美的な感覚に無頓着だから人のことは言えないが。
エースは楽しそうだった。ごつい靴を履いた足取りはいつになく軽い。指摘するとこの国の人間は大抵そうだと言う。知らないうちに随分馴染んだものだ。
「あれは違うのか?」
道の向こう、大きく垂れた枝に無数の花をつけた木を指すと「ああ」と頷き返す。
「あれは?」
花と一緒に小さな葉をつけた木も。
「よく知ってるな」
さすが、とエースは言うがどちらも彼の目的とは少し違うらしい。
本当に、無数の桜が咲いている。春がきて花が咲けば浮き足立つのはどこも同じだが、この国はより一層その傾向が強いようだった。
「ほら、ここだ」
最後は手を引かれて駆け足でたどり着いた場所に立って思わず息を飲む。
広い川が流れて、その両方の岸が枝を埋めるように満開に咲き誇った薄紅の花。薄紅という言葉よりもっとずっと淡いそれは、ともすれば白にも見える。白にすっと薄く紅を刷いたような雲、あるいは霞のような花の天幕が見通せる限りずっと続いている。
言葉を喪ったサボを振り返って「ほら、いいだろ?」とエースは得意げに笑った。自分が咲かせたわけでもないだろうに。でも、ここに連れてきてくれたことには感謝してもいい。
突然ざぁっと風が吹いた。
ふわふわと咲いていた花びらが煽られて宙に散る。視界を覆うほどに乱れ舞い、エースとの間に薄い幕をつくる。
不意にエースが遠く思えて、思わず足を踏み出した。手を強く握る。
「サボ?」
失くした記憶、戻らない過去。どうしてか、内に隠しているはずの恐怖を引きずり出される。
サボの顔を見返して、エースはぎゅっと繋いだ手に力を込めた。じわりと伝わる熱は、炎よりも温かかった。