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短編

卒業

少し暖かくなったと思ったらまた寒くなって、それを何度か繰り返して、特別な日の朝は無事穏やかな朝日に包まれていた。いつもより少し早く家を出て、通い慣れた通学路を肩を並べて歩く。これが最後だと思うと少し感傷的な気分にもなるのだが、隣を歩く男は飄々としてよく分からない鼻歌さえ聞こえてくる。
ちらりと見ると、鼻歌が止まって「どした?」と首を傾げる。首元まできっちり締めたネクタイに、行儀良くボタンを留めたブレザー。金色の髪が朝日に透けてきらきら光る。それもまた、普段通り。

学校に着くと普段とは全然違う雰囲気だった。校門で待ち構えていた後輩に取り囲まれて、胸元に花を取り付けられた。おめでとうございます!と笑う笑顔の中には、もちろんおれたちの弟の姿もある。
どこかふわふわした足取りで教室まで階段を上った。途中すれ違った隣のクラスの担任は袴姿で、女子が「きれい!」「かわいい〜!」と歓声を上げている。
行き合ったイスカに「今日くらいはちゃんとしろ」とぐいとネクタイを締められる。加減を知らないから首まで絞まってカエルが潰れたような声が出た。サボは隣で笑っている。しょうがねえな、式の間くらいは我慢してやるか。

卒業式の前、直後、最後のホームルームの後。
合計三回。
サボが見知らぬ女子に呼び出された回数だ。
そのたびにサボはブレザーのボタンを減らして帰ってくる。何があったかなんて聞くまでもなくて、そのたびにおれの気分は少しずつ下降した。
卒業アルバムにメッセージ書いて、と代わる代わる訪れるクラスメイトの要求に応えていると、サボが寄ってきた。
「何、お前も書いてほしいの」
「いや、別に」
一緒に暮らしてるんだから今更だろ、という言い分はいかにもサボらしい。情緒とかそういうのとは無縁だから、コアラには要件人間と罵られている。
でも、だからこそ気になった。
お前、ブレザーのボタンどうしたの。どいつに、どんな顔してやったの。告白されて、どんな返事したんだよ。
教室から少しずつ人が減っていく。
連んでメシ食いにいく奴ら、親と一緒に帰る奴ら。付き合ってる奴と最後の制服デートに行く奴ら。
おれはそのどれでもない。
「帰る?」
サボが訊くので頷いた。家に帰って、ジジィに卒業証書を見せてやろう。それくらいの孝行はしてもバチは当たらないだろう。
昇降口を出ようとしたところで、呼び止められた。
「――エース、先輩!」
名前どころか、顔も知らない女子生徒。先輩、とつけるからには後輩なのだろう。
小柄で肩口で切りそろえた髪が印象的な、いかにも女子らしい女子。
おれが振り向くと息を飲んで、それから意を決したように口を開く。
「あの、少し、お時間いただけませんか?」
真っ赤な顔をして、絞り出すみたいに言う。
「あ、ええと」
けれど、おれが彼女にまともな返事をすることは叶わなかった。
「悪い、おれら急いでるから」
サボがそう言っておれの腕をぐいと引っぱったせいで。
「え、おい」
後輩女子もおれもよく分からないまま、サボだけがはっきりとした態度で外履きに履き替えたばかりのおれの腕をぐいぐい引っ張って学校から出て行く。
昇降口が遠くなって、女子の姿はすぐに見えなくなってしまった。
「サボ、おい」
校門も出て、生徒の姿がまばらになったところでようやくサボはおれの言葉を聞くみたいに歩みを止めて腕を離した。
「さっきの何だよ、あれじゃかわいそうだろ……って、何してんだ」
サボはきっちり締めていたネクタイを解いてシャツのボタンを上から二つ外した。そのままおれの首に持て余したネクタイを引っ掛ける。ネクタイなんて式が終わってすぐ外してしまったおれの首もとに、サボのネクタイがおれのものみたいに緩くかけられている。
「さっき、どうするつもりだった?」
「え?」
「さっきの女子に呼び出されて、告白されて、何て答えるつもりだった?」
「告白……って」
卒業式に後輩から告白されるなんていかにもなシチュエーションだ。憧れないと言ったら嘘になる。でも、さっき呼び止められたのは、そうかもしれないし、そうじゃないかもしれない。けれど、サボは妙な確信を持っているらしかった。それって、お前がモテるから?
「告白されりゃ嬉しいけどよ。でも名前も知らないのに付き合いますとかはねェだろ」
「……そっか」
半信半疑ながら答えると、サボは小さく息を吐いた。ていうか、告白されたとか、お前の方こそだろ。
「お前はどうしたの」
「え?」
「そのボタン。全部女子にやったんだろ」
直球で訊くと、サボは気まずそうに目を逸らした。
「そう、だけど」
「告白された? 何て返事した?」
「された、けど全部断った。そしたらせめてボタン寄越せって」
「持ってかれた?」
「てか、引きちぎられた」
「女子こえー……」
大袈裟にリアクションして見せながら、内心ほっとしていた。サボはどうだろう。でも、それを訊くのは今じゃなくてもいい気がしていた。帰ってルフィと一緒にメシ食って、ジジイに卒業を報告して、その先もサボが隣にいる生活は続いていくはずだ。

この曖昧で心地のいい関係をもう少し、卒業しないまま。
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