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短編

精神安定剤

朝から風の強い日だった。
ただ天気だけの話ならどうってことはないのだが、何となく船全体にぴりぴりとした空気が漂っていたのは某かの予感があったからだ。
果たして、それはやってきた。
日も沈もうかという頃合い。
空を覆いつくすようにカラスの群れが飛来したかと思うと、次の瞬間、甲板の上に一人の男が立っていた。
かなりの手練れだとは分かっていたので、着地するよりも早く隊長たちが取り囲む。

……が、緊張感は一秒にも満たない。
ふてぶてしく着地の衝撃から立ち上がった男が誰なのか分かると立ち並んだ猛者たちは皆一様に警戒を解いてしまった。
「なぁんだ、サボか」
ここ最近すっかり顔馴染みになった青年だ。
「人騒がせな奴だな」
「もうちょっと普通に来いよな」
「ま、ゆっくりしていけよ」
「すいません、近くに用があったもので」
サボが肩をすくめる。このあーだこーだを本気で言っている奴はいない。サボの素性ーー革命軍参謀総長としてではなくもっと私的なーーを知っているから、絡みたくて仕方ないのだ。
だが同時に気配に敏い男たちはサボが平静でないことも既に理解していた。
ぽんぽんと代わる代わるサボの肩を叩くとあっさり持ち場へ戻っていく。
最後に残ったのは二番隊隊長のエースだけだ。
「……とりあえず部屋来いよ」
素っ気ないくらいの何気なさを装ってそう誘うと、サボはひとつ頷いてエースの後をついてきた。

任務だ、潜入だと分かっていても、どうしても我慢できないことがある。
平民を見下す貴族だとか、己の利にしか興味のない王だとか、この世に思い通りにならないことなどないと嘯く天竜人だとか。
そういう奴らが反吐が出るほど嫌いだ。
殴るのは簡単だ。殺すことだって。
けれど、革命軍の目指す大きな目的のための行動においてその場の感情で計画を壊すことはできなかった。
下働きの男のふりをして潜入した貴族の屋敷で、どういう訳か主人に気に入られた。
圧政を敷く国の大臣を務める男だ。情報を聞き出すには幸運だった。数日間滞在した屋敷で国の中枢に関わる重要機密を手に入れ、仲間に流した。
情報をもとに国を覆す作戦は三日後に決行。
そう伝令を受け取ったところで、たまたま白ひげの船が近海をうろついているという情報を得た。
時間に余裕があるわけではなかったが、どうしても会いたいと思ってしまった。
この肌にまとわりつく気持ち悪さと腹の底に溜まったどす黒い感情を洗い流してしまいたい。
思うや否や、一度持ち場を離れることを一方的に告げてカラスの背に乗った。

扉が閉まると同時に帽子もロングコートも脱ぎ捨ててサボがエースに抱きつく。
しがみつくと表現する方が正確かもしれない。
すらりとしたシャツにベストの端正な背中が強ばっている。
同い年であるはずの男がまるで幼い子供のような仕草ですがるのを言葉なく抱き留める。
エースの肩口に頭を押しつけたサボの表情はエースの視界からは隠されていたが、フーッ、と興奮した猫のように荒い呼吸が聞こえてくる。その強さに照らせば、虎かライオンにでも例える方が的確かもしれない。乱れた呼吸が時折震える。
「……どこ行ってたんだ」
訊ねると切れ切れの呼吸の合間、悪政で知られた国の名前が返ってきて、何がサボの平静を奪っているのかを概ね察する。
サボのいる革命軍はエースやルフィのように気ままな海賊とは性格の違う組織だ。
周到に情報を集め、作戦を練り、戦争を仕掛ける。
その過程でエースには理不尽とも思えるような潜入工作もしているのだと知ったのはそう遠い昔のことではない。
サボは参謀総長という地位でありながらその身軽さを買われ、時間の許す限りあちこちに潜入を繰り返している。
貴族に生まれながら権力の上でふんぞり返る特権階級のあり方を誰より嫌う男が、その度に耐え難い国の暗部を見続けている。
どれほど腸が煮えくり返っていても冷静さを失わず任務に支障をきたさないのはさすがというより他ないが、時折、こうしてエースのもとを訪れるのはその怒りが抑え切れなくなっているのだった。
慰めるだとかあやすだとか、そういうのには向いていない。
エースが自覚しているだけでなくサボも承知しているだろう。
それでもサボはここにやってくる。
慰めて欲しいのでも甘やかして欲しいのでもない。
参謀総長という肩書きと飄々とした表情の下に抑え込んだ人間らしくて獣のような素の感情をほんの少しの間さらけ出せる相手を求めている。
サボが求めるのはエース以外にあり得ない。
その事実に優越を感じる己はやはり刹那的で快楽を好む海賊という生き物なのだろう。
顎に手を伸ばし、埋めた顔を強引に上げさせるとそのまま半開きの唇に口づけた。
サボは瞬間的に目を見開いたが抗うことはしない。
歯列の間から舌を差し入れると、器用に応える。
怒りに震える呼吸が、段々と欲に濡れていく。
熱と一緒に感情も分け合うと、サボは少し落ち着きを取り戻したようだった。
「はー、最悪」
唇が離れると、吐き捨てるように言う。
「あのジジイ、べたべた触りやがって……」
「はあ?」
サボの呟きで今度はエースが表情を険しくする。
「お前、何してたんだ……」
「貴族の家に下働きのふりして潜入して大臣のおっさんから話聞いてた」
「何でそれで触られんだよ」
「なんか妙に気に入られてよ、でもいいように喋るから我慢してたんだけど……うわ、思い出したら鳥肌立ってきた」
こういうのも初めてではなかった、と過去のサボの話を思い出す。
サボの金髪とすらりとした容姿、端正な顔は美しいものが大好きな特権階級にすこぶるウケがいいらしい。
もちろんエースも好いているのだから、階級で区切れるような嗜好でもないのだろうが。
「……次の作戦、おれも混ぜろ」
「なんで」
「サボに触ったクソジジイをぶちのめす」
「自分でぶちのめすからいいって……エースこそ自分の立場考えろよ」
「考えてる」
海賊なのだから気の向くまま戦いに赴くのは当然だ。おれのものに手を出してただで済むと思うなよ。
「白ひげは」
「オヤジだって止めやしねぇよ」
それどころか、エースが戦いに赴く理由がサボにあるのなら「さすが我が息子」くらいのノリで大手を振って見送ってくれるに違いない。
エースの家族は白ひげ海賊団の家族だ。それが特別な情を交わした相手ならなおさら。
「ま、出かける準備は後にしてとりあえず触られたところ全部教えろ」
「なんで」
「消毒ってやつ、しなきゃいけねーだろ」
「消毒?」
露骨にサボが嫌そうな顔をしたので「例えだよ」と解説してやる。
俺より頭はいいはずなのに、時折妙に鈍い。だから心配にもなるのだ。
言葉より行動の方が早いだろうと無遠慮に首もとのタイを緩めてシャツのボタンを開き、鎖骨の窪みに口づける。
「消毒って、そういう……」
ようやく理解したらしいサボは苦笑いして後ろに倒れ込んだ。自然エースが覆い被さる格好になると、サボはエースの首に腕を回して引き寄せた。
額、鼻先、頬、唇。
どこの誰がどこにどんな意図をもって触れていたとしても、サボが己の意志で受け入れるのはエースだけだ。
一度触れ合えば、あとは心地いい熱が燃えるような快楽を連れてくるに違いない。
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