このサイトは1ヶ月 (30日) 以上ログインされていません。 サイト管理者の方はこちらからログインすると、この広告を消すことができます。

短編

泣き顔

子供が泣いている。黒い髪の男の子。海のそばの小高い丘の上、誰もいない場所でひとりで泣いている。涙でぐしゃぐしゃになった顔は誰にも見えない。堪え切れない泣き声は打ちつける波の音にかき消された。そうやってひとりになってようやく泣くことができる強がりな子供だった。

サボは、誰も知らないはずのその泣き顔を見ている。泣き声をきいている。
そうして困っていた。
泣いている子供のあやし方なんか知らない。
そういうのはサボの役回りではなかった。もっと適任者がいる。柄が悪いくせに異様にガキに懐かれてしまう兄弟分だ。だけど子供の面倒見が頗るいい男はここにはいない。
なんでいないんだよ。いつもは何も言わなくてもそばにいるのに。責任はないのだけどつい焦る。
子供があんまりにも悲しそうに泣いているせいだ。
泣き止んで欲しいのに、かける言葉をサボは知らない。
頭を撫でる手の差し出し方を知らない。
誰もいないと思っている子供は、ますます激しく泣いていた。
真っ赤になった顔が涙と鼻水でぐしゃぐしゃになっている。

何が悲しいんだよ。
そんなに泣かなくたっていいだろ。
おれは、おれのために海に出たんだ。
苦しかったけど、痛かったけど、自分で決めて行動したことに“くい”はない。
だからそんなに泣かなくていいんだ。
お前はお前のために生きればいいんだ。

泣いている子供に、酷なほど眩しい太陽の光が降り注ぐ。
降り注ぐ熱に、遠い海が揺らめく。
季節外れの陽炎。
不器用に差し伸べかけた手は炎に包まれている。

そういう、夢。

授業をさぼって保健室に足を運んだ。夢見が悪かったせいだ、仕方がないと内心で言い訳をしながら。
ドアを開けると、案の定養護教諭はいない。そっちはそっちでどこかで油を売っているのだろう。
意味もなく足音を忍ばせて、カーテンが引かれた窓際のベッドに近寄る。先客がいるらしい。音を立てないようにそっと覗き込んで、それから脱力した。
「なんだ、エースか」
「おう、サボ」
ベッドの上に寝転がりひらひらと手を振ってくるのはよく知る男だった。だったら遠慮することはないとカーテンを開けてサボもベッドの上に上がり込む。
「サボり?」
「エースもだろ」
「まあな」
「何か変な夢見てさ。寝不足」
ふわぁとあくびをして、エースがスペースを空けてくれたベッドの手前半分に倒れ込む。
「変な夢?」
「子供が泣いてるんだよ。ひとりで」
「怖い系かよ」
「いや、そうじゃなくて……すげえ辛そうでかわいそうなんだけどおれじゃ泣き止ませられなかったんだよな」
「サボ、子供苦手だもんな」
「そう。なんでここにエースがいないんだよって思って困った」
「おれ?」
「得意だろ、子供。お玉とか。マキノのとこの子もあやしてたし」
「あーまあ確かに……サボよりは得意かも」
「だろ」
言いながら、唐突に思い当たる。
夢の中で見た子供。ずっと泣いていた男の子。少し癖のある黒髪に、年齢に似合わない険のある目鼻立ち、そばかすが散らばる頬。
その特長的な容姿をサボは知っている。
「あの子供、エースに似てたな……」
「はあ? おれ?」
エースが首を傾げる。
「うん」
「おれは泣いたりしねェぞ」
「だよな。まあ、夢の中のことだし」
でもそうか。あれがエースだったならサボが助けを求める相手は最初からそこにいたのだ。泣いているのが当人だったら、慰める役はやっぱりサボでなくてはならなかったのだ。
「もったいねェことしたかな」
「何が」
「エースの泣き顔、ちゃんと見ておけばよかった」
「趣味悪ィぞ」
「はは、ごめん」
突然エースの手が伸びてきて、慣れた手つきで首元のタイを外される。ブレザーとシャツのボタンも。
その唐突さにびっくりして、覆い被さろうとする男を思わず見上げる。
「え、ここですんの? ……痛ッ」
剥き出して空気に晒された首元にエースが顔を埋めると、鋭い痛みが走った。野生的で本能的な動きに思わず生理的な涙が浮かぶ。
「いきなり何だよ……」
首元をきつく吸われて抗議すると、「どうせ隠れる場所なんだからいいだろ」と悪びれもしない。自分ではうまく見えないがどうやら痕を付けられたらしい。確かにシャツとタイで隠れる場所ではあるけれど。
エースはにやりと笑った。
「サボは結構すぐ泣くよな。おれ、お前の泣き顔結構好き、……痛ってぇ」
下世話な言い方をするので腹立ち紛れに軽く腹を蹴り上げるとエースは大袈裟に体を捩った。
「それとこれとは違うだろ」
「そうか? まあそうかもな」
サボの抗議なんか気にもしないで、エースはついばむようなキスを落としてきた。ちゅ、ちゅと触れるキスを繰り返されると、朝からなんとなくざわついていた心が次第に落ち着いてくる。
やっぱりあやし上手だ。

「……誰か来たらどうすんの」
触れられる快楽にすっかり流されてしまってから悔し紛れに訊くと、エースは平然と答えた。
「サボ、入ってくるとき鍵閉めてただろ」
さすが、よく見ている。いや聞いていたのか。
「当分誰も来ねぇって。だから」
「……おれは泣かねーからな」
「さぁ? それはやってみてからのお楽しみってな」
無遠慮に触れる肌は、夢の中の陽射しよりも熱い。
8/18ページ
スキ