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短編

内緒のしるし

ああ、こいつ寝不足だなと気付いたのは飲み会が始まって最初の一杯目が空になったあたりだった。
サボもおれもそこそこに飲んで、ほどほどに気持ちよく酔う、そういうタイプだ。
でも今日のサボはちょっと様子が違う。
他の奴らから話しかけられてもどこか上の空でずっとおざなりな返事を返すばっかりだ。
気持ち悪いならおれに寄っかかってもいいのだが、外ではそういう甘えを一切見せない男はむしろ隣に座るおれから適度な距離を保って崩さない。
ふわふわ酔うとはがそうとしてもくっついてくるくせに。要は意地っ張りなのだ。

しばらく黙って見ていたが、ビールのジョッキが三杯目に差し掛かったところで限界を迎えたらしいサボがついに「帰る」と切り出した。
顔色が悪い……と言っても、四六時中つるんでいるエースでなければ気付かない程度だから、周囲は「えーっ」と不満の声を上げた。
やっとのことでサボの向かいの席を確保した女子は本当に嫌そうだった。
好きなら気付いてやれよ、と思わないでもないが、そういうことに細々気付くおれ以外の誰かが現れては困るので何も言わない。
「わり、明日締め切りのレポートがあるの思い出して」
サボはいかにも平静を装ってそういう言い訳をする。
普通に体調が悪いって言ったっていいと思うが、それで心配されることを嫌う性質なのだから仕方ない。
めんどくさい性格してんな、と思うがきっとお互い様だ。
おれがサボの体調不良を見逃さないように、サボもおれのちょっとした異変にはすぐに気付く。
「えぇ、いいじゃん!レポートなんて~」
「や、ほんとに単位やばくてさ。金、エースに払わせておいて」
引き止める声を振り払うようにサボが立ち上がった瞬間、おれは座布団の上に置いた手元をみた。ほんの一瞬、絡めるように触れていったサボの小指。
たまたまぶつかっただけか?
それとも。
判断は早かった。
「悪ィ、おれも帰るわ。金二人分でいくら?」
「え!? えっと」
慌てる幹事にたまたま財布に入っていた万札を突き出して「釣りは今度でいいから」と言うと、返事を待たずに立ち上がり、店を出る。サボはもう外に出ていたが、ふらふらと頼りなく歩く背中を見つけるのは簡単だった。人も車も行き交う週末の街中で危なっかしいったらない。
「サボ」
横に並んで声をかけると大きな目がまんまるに見開かれる。
「エース……」
「誰の単位がどうやばいって?」
少なくとも卒業単位を三年で取りきっている男の言うことではない。
「気持ち悪ィならちゃんとそう言え」
「や、なんかめんどくせぇじゃん」
そう言いながらもサボはほっとしたようにおれに身を寄せた。絡めるように手を手を繋ぐと指先が冷たい。貧血気味なのだろう。
「水飲むか?」
頷くので、通りがかりの自販機でペットボトルを買ってキャップをひねってやる。
手を離すとかすかに眉を寄せるので水を渡してまた手を繋ぐ。
「…よく分かったな」
ぶらぶらと帰り道を歩きながらサボが言う。
「まーな。お前最初から今日やばそうだったし、帰り際のあれ、ヘルプかなと思って」
「ん、付き合わせちまったな」
「いーって。今さらだろ」
他の誰にも気付かれないようにそっと触れていった指先、それがサボの「助けて」の合図だった。うまく口に出せない不器用な甘えをおれにだけ見せてくれるのがうれしい。
「寝てねーの?」
「うん、ドラゴンさんに教えてもらった論文が面白くて気付いたら朝だった」
「すげーなあ。今日はちゃんと寝ろよ」
要件人間と揶揄されるくらいドライなところもあるが、その代わり興味を持ったことにはとことんのめり込む性格だ。気が付いたら二徹三徹も珍しくないので、おれが知らないところでぶっ倒れていないか時々心配になる。一緒に住んでいてこうなのだから別々に暮らしていたら気が気じゃなかった。
「うん、眠くなってきた……」
くぁ、と小さいあくびが漏れる。繋いだ指先が温かくなってきているから嘘じゃないだろう。
「家まではがんばれよ」
「ん、エースじゃねェから大丈夫」
「失礼だな」
軽口を叩いてくすくすと笑い合う。大分調子が戻ってきたらしい。こうやってちょっとしたことを心配したり笑ったりできる距離が心地いい。サボの隣が、誰にも譲れないおれの場所だ。
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