短編
嘘と大喧嘩
力が全てを決める世界ならよかった。
そうしたら、いくらでも強くなって周りを全部黙らせて、お前と一緒にいることを選べる。
でも、現実はそんなに単純にはできていなくて、金とか、権力とか、社会的な立場とか、そういうものに嫌ってほど縛られている。そしておれは、その全てに逆らってお前を幸せにできるほど、大人になれてはいないのだった。
「お前とはもう会わない」
心の揺らぎを悟られないように。そう意識すると、言葉はおのずと短くなった。
エースは一瞬固まってから「は?」と不快そうに顔を歪めた。
「何言ってんだ?」
そりゃそうだよな。おれがお前にそう言われたら、おれだって同じ反応をする。
「そのまんまだよ」
「意味分かんねェんだけど」
「だから、別れようって言ってんの……ッ!」
言い切る前にぐっと襟元を掴まれた。おれ一人分の重さなんて関係ないような強い力でつま先が浮く。喉が詰まって苦しかった。でも、甘んじてされるがままになる。多分今、おれよりもエースの方が苦しい。
ごめんな。
でも、おれは絶対おれのせいでお前の人生をめちゃくちゃにしたくない。
『あの子、相当な悪さをしていたようじゃないか』
『父親も相当な人間なんですってね』
『それを表沙汰にしたら、あの子の人生はどうなるんだろうなあ』
それが、自分と血の繋がった親の言葉だなんて思いたくもない。だが、自分たちの安寧とそれに必要なおれの将来のためなら何でもする奴らだと知っている。
おれとエースの学校は相当に離れているから、お互いに会おうという気がなければもう会うこともない。考えるだけで身を切られるように辛かったが、それでエースがルフィたちと穏やかに暮らしていけるならそれでいい。その穏やかな生活を手に入れるまで、エースがどれほど寂しい思いをして苦労してきたか知っている。
震える手でおれの胸ぐらを掴むエースの目は怒りに満ちていた。
「マジで言ってんのか」
「ああ、……マジだ」
おれの言葉に本気で怒ってくれることがうれしい。エースにとっておれが特別な人間なんだって思える。こんなときに、おかしいかもしれないけど。
ふ、と笑うと横っ面に拳が飛んできた。バランスを崩したところで足元を払ったエースが馬乗りになってくる。
流石に喧嘩慣れしている。でもこっちだって負けてない。下から拳を振り上げると、エースの体がよろめいた。取っ組み合いの喧嘩をするのは久しぶりだ。
出会った頃は喧嘩ばっかりだったのに、いつの間にこんなに好きになってしまったんだろう。
多分、ガープのジジィがいたら徹底的に両成敗されただろうし、ルフィがいたら泣いて止めようとしただろう。そのくらいの激しさでおれたちは殴り合った。
「絶対ェ許さねえぞ!」
「はァ? おれが決めることにお前の許しがいるのかよ⁉︎」
「お前のことじゃねェ! おれとサボのことだろ!」
その言葉に、思わず、ぼろ、と涙が溢れた。そういう言い方はずるい。おれはこの嘘をつきとおさなきゃいけないのに気持ちを保てなくなる。
「えぇ?」
おれが泣いてしまったせいでびっくりしたエースが体を引く。一瞬で喧嘩の熱が冷めるのが分かった。あーしまった。これは失敗かもしれない。
エースはさっきまでの鬼気迫る様子はどこへやら、おろおろとおれの心配をし始めた。
「おい、大丈夫か? どっか痛めたか?」
痛めてねェ訳ないだろ。殴り合ってたんだぞ、おれたち。
「痛えよ」
どこが、と訊き返される前に、ぎゅっとエースの腕を掴んで顔を隠すように胸元に頭を押し付けた。こんな恥ずかしくて情けない顔なんか見られたくない。
何も言わなかったが、急におれがしがみついたことでエースは何となく事情を察したようだった。
「あー、親になんか言われたのか?」
訊かれてこくんと肯く。
気まずい沈黙が流れた。おれはエースに抱きつくみたいな格好のままで、エースの空いた片手は行き場を失っている。
しばらくしてから、エースが口を開いた。言葉を探すみたいにぽつり、ぽつりと言葉を紡ぐ。
「おれはさ、お前が本気で別れたいって言うんなら考える。すぐにはうんって言えないかもしれねェけど」
「うん」
「でも、さっきのはそういうんじゃねえだろ。なんか、すぐウソって分かったし」
「え」
「普段のサボとなんか違った。んで、へらへら別れるなんていうからついカッとなっちまったけど」
動物みたいな勘のよさだ。で、動物以上の喧嘩っ早さ。そういうところが好きなんだけど。
「多分、おれのためなんだよな。そうじゃなきゃお前が嘘ついてまで別れるとか言わないだろうし」
随分な自惚れだ。でも、合ってる。おれがエースのこと好きって、そんなにだだ漏れなのか。
「……人ひとりの人生ダメにするくらい、簡単だ、とか言われて……」
「あー、分かる。なんか言いそう。お前の親」
「それで、おれのせいでエースのことダメにするのは嫌だって思って」
「うん」
「おれが親の言うこときいて、エースと別れたらもうエースに手出さないかなって」
「あ〜、なるほど。バカだなお前」
エースは俯いたおれの頬に手を当てて無理やり顔を上げさせる。いや、殴られたところめちゃくちゃ痛ェんだけど。でもおれが顔をしかめてもエースは意にも介さない。
「痛ェのくらい我慢しろ。ぶっちゃけ、おれの方が痛かった。精神的に」
そうだよな。
「……ごめん」
謝ると、エースは「そうじゃねェって!」と叫んでばちーんとおれの両頬を叩いた。悪いのはおれだけど、少しは力を加減してほしい。
エースはごそごそと制服のポケットを探ると銀色の鍵を取り出した。おれが学校のロッカーの鍵につけているのと同じキーホルダーがついている。
「これ、なーんだ」
「バイクの、カギ……」
エースがバイト代を貯めて買ったばかりのバイクの鍵だ。二人乗りができるので、おれももう何度か後ろに乗せてもらった。
エースはその鍵をチャリチャリと手の中でもてあそびながらおれに訊いた。
「おれの人生がダメになるって、何がどうなったらダメなんだ?」
「それは……」
「仮にダメになったとして、バイクに乗って行けるとこまで行ったらいいんじゃね? そんときは責任取ってサボも一緒だけどな」
突拍子のない発想に目を瞬かせると、エースはにやりと笑った。
「おれのこと知ってる奴が誰もいないとこに行けばいいんだよ。そしたらダメとか勝手に判定する奴もいなくなるんじゃねえ?」
「でも、ルフィとか白ひげのオヤジさんとか」
「離れてどうにかなるような関係じゃねえよ」
エースにとってすごく大事な人のはずだ。でも、なんでもないっていうふうに笑う。
「じゃあおれは?」
訊くと、ぎゅっと手を握られた。
「サボはおれと一緒にいないとダメだ。目ェ離したらどっか行きそう」
「なんでだよ」
「頭良いのに時々めちゃくちゃバカみたいなこと考えるから。今日みたいに」
そう言われてしまうと返す言葉もない。
エースはぐっと顔を近づけてきた。少し首を伸ばしたらキスできそうな距離。
「離れたくないくらい好きなんだよ。ここまで言わなきゃ分かんねェ?」
そのままもっと顔が近づいて、ちゅっと音がした。一秒遅れて唇を奪われたのだと自覚する。
「お前とならカケオチしてもいい。だからもう、別れるなんて冗談でも言わないでくれ」
駆け落ちって。
でも、その言葉が魅力的に聞こえてしまうくらいにはおれもエースに惚れている。
ぎゅっと目を閉じた。そうしなければまた泣いてしまいそうだったから。
おれたちは子供で無力で、でも、エースはもう何が本当の幸せなのかちゃんと知っている。エースがそれを教えてくれたから、おれは繋いだこの手を離そうなんて、きっと二度と思わない。
力が全てを決める世界ならよかった。
そうしたら、いくらでも強くなって周りを全部黙らせて、お前と一緒にいることを選べる。
でも、現実はそんなに単純にはできていなくて、金とか、権力とか、社会的な立場とか、そういうものに嫌ってほど縛られている。そしておれは、その全てに逆らってお前を幸せにできるほど、大人になれてはいないのだった。
「お前とはもう会わない」
心の揺らぎを悟られないように。そう意識すると、言葉はおのずと短くなった。
エースは一瞬固まってから「は?」と不快そうに顔を歪めた。
「何言ってんだ?」
そりゃそうだよな。おれがお前にそう言われたら、おれだって同じ反応をする。
「そのまんまだよ」
「意味分かんねェんだけど」
「だから、別れようって言ってんの……ッ!」
言い切る前にぐっと襟元を掴まれた。おれ一人分の重さなんて関係ないような強い力でつま先が浮く。喉が詰まって苦しかった。でも、甘んじてされるがままになる。多分今、おれよりもエースの方が苦しい。
ごめんな。
でも、おれは絶対おれのせいでお前の人生をめちゃくちゃにしたくない。
『あの子、相当な悪さをしていたようじゃないか』
『父親も相当な人間なんですってね』
『それを表沙汰にしたら、あの子の人生はどうなるんだろうなあ』
それが、自分と血の繋がった親の言葉だなんて思いたくもない。だが、自分たちの安寧とそれに必要なおれの将来のためなら何でもする奴らだと知っている。
おれとエースの学校は相当に離れているから、お互いに会おうという気がなければもう会うこともない。考えるだけで身を切られるように辛かったが、それでエースがルフィたちと穏やかに暮らしていけるならそれでいい。その穏やかな生活を手に入れるまで、エースがどれほど寂しい思いをして苦労してきたか知っている。
震える手でおれの胸ぐらを掴むエースの目は怒りに満ちていた。
「マジで言ってんのか」
「ああ、……マジだ」
おれの言葉に本気で怒ってくれることがうれしい。エースにとっておれが特別な人間なんだって思える。こんなときに、おかしいかもしれないけど。
ふ、と笑うと横っ面に拳が飛んできた。バランスを崩したところで足元を払ったエースが馬乗りになってくる。
流石に喧嘩慣れしている。でもこっちだって負けてない。下から拳を振り上げると、エースの体がよろめいた。取っ組み合いの喧嘩をするのは久しぶりだ。
出会った頃は喧嘩ばっかりだったのに、いつの間にこんなに好きになってしまったんだろう。
多分、ガープのジジィがいたら徹底的に両成敗されただろうし、ルフィがいたら泣いて止めようとしただろう。そのくらいの激しさでおれたちは殴り合った。
「絶対ェ許さねえぞ!」
「はァ? おれが決めることにお前の許しがいるのかよ⁉︎」
「お前のことじゃねェ! おれとサボのことだろ!」
その言葉に、思わず、ぼろ、と涙が溢れた。そういう言い方はずるい。おれはこの嘘をつきとおさなきゃいけないのに気持ちを保てなくなる。
「えぇ?」
おれが泣いてしまったせいでびっくりしたエースが体を引く。一瞬で喧嘩の熱が冷めるのが分かった。あーしまった。これは失敗かもしれない。
エースはさっきまでの鬼気迫る様子はどこへやら、おろおろとおれの心配をし始めた。
「おい、大丈夫か? どっか痛めたか?」
痛めてねェ訳ないだろ。殴り合ってたんだぞ、おれたち。
「痛えよ」
どこが、と訊き返される前に、ぎゅっとエースの腕を掴んで顔を隠すように胸元に頭を押し付けた。こんな恥ずかしくて情けない顔なんか見られたくない。
何も言わなかったが、急におれがしがみついたことでエースは何となく事情を察したようだった。
「あー、親になんか言われたのか?」
訊かれてこくんと肯く。
気まずい沈黙が流れた。おれはエースに抱きつくみたいな格好のままで、エースの空いた片手は行き場を失っている。
しばらくしてから、エースが口を開いた。言葉を探すみたいにぽつり、ぽつりと言葉を紡ぐ。
「おれはさ、お前が本気で別れたいって言うんなら考える。すぐにはうんって言えないかもしれねェけど」
「うん」
「でも、さっきのはそういうんじゃねえだろ。なんか、すぐウソって分かったし」
「え」
「普段のサボとなんか違った。んで、へらへら別れるなんていうからついカッとなっちまったけど」
動物みたいな勘のよさだ。で、動物以上の喧嘩っ早さ。そういうところが好きなんだけど。
「多分、おれのためなんだよな。そうじゃなきゃお前が嘘ついてまで別れるとか言わないだろうし」
随分な自惚れだ。でも、合ってる。おれがエースのこと好きって、そんなにだだ漏れなのか。
「……人ひとりの人生ダメにするくらい、簡単だ、とか言われて……」
「あー、分かる。なんか言いそう。お前の親」
「それで、おれのせいでエースのことダメにするのは嫌だって思って」
「うん」
「おれが親の言うこときいて、エースと別れたらもうエースに手出さないかなって」
「あ〜、なるほど。バカだなお前」
エースは俯いたおれの頬に手を当てて無理やり顔を上げさせる。いや、殴られたところめちゃくちゃ痛ェんだけど。でもおれが顔をしかめてもエースは意にも介さない。
「痛ェのくらい我慢しろ。ぶっちゃけ、おれの方が痛かった。精神的に」
そうだよな。
「……ごめん」
謝ると、エースは「そうじゃねェって!」と叫んでばちーんとおれの両頬を叩いた。悪いのはおれだけど、少しは力を加減してほしい。
エースはごそごそと制服のポケットを探ると銀色の鍵を取り出した。おれが学校のロッカーの鍵につけているのと同じキーホルダーがついている。
「これ、なーんだ」
「バイクの、カギ……」
エースがバイト代を貯めて買ったばかりのバイクの鍵だ。二人乗りができるので、おれももう何度か後ろに乗せてもらった。
エースはその鍵をチャリチャリと手の中でもてあそびながらおれに訊いた。
「おれの人生がダメになるって、何がどうなったらダメなんだ?」
「それは……」
「仮にダメになったとして、バイクに乗って行けるとこまで行ったらいいんじゃね? そんときは責任取ってサボも一緒だけどな」
突拍子のない発想に目を瞬かせると、エースはにやりと笑った。
「おれのこと知ってる奴が誰もいないとこに行けばいいんだよ。そしたらダメとか勝手に判定する奴もいなくなるんじゃねえ?」
「でも、ルフィとか白ひげのオヤジさんとか」
「離れてどうにかなるような関係じゃねえよ」
エースにとってすごく大事な人のはずだ。でも、なんでもないっていうふうに笑う。
「じゃあおれは?」
訊くと、ぎゅっと手を握られた。
「サボはおれと一緒にいないとダメだ。目ェ離したらどっか行きそう」
「なんでだよ」
「頭良いのに時々めちゃくちゃバカみたいなこと考えるから。今日みたいに」
そう言われてしまうと返す言葉もない。
エースはぐっと顔を近づけてきた。少し首を伸ばしたらキスできそうな距離。
「離れたくないくらい好きなんだよ。ここまで言わなきゃ分かんねェ?」
そのままもっと顔が近づいて、ちゅっと音がした。一秒遅れて唇を奪われたのだと自覚する。
「お前とならカケオチしてもいい。だからもう、別れるなんて冗談でも言わないでくれ」
駆け落ちって。
でも、その言葉が魅力的に聞こえてしまうくらいにはおれもエースに惚れている。
ぎゅっと目を閉じた。そうしなければまた泣いてしまいそうだったから。
おれたちは子供で無力で、でも、エースはもう何が本当の幸せなのかちゃんと知っている。エースがそれを教えてくれたから、おれは繋いだこの手を離そうなんて、きっと二度と思わない。