このサイトは1ヶ月 (30日) 以上ログインされていません。 サイト管理者の方はこちらからログインすると、この広告を消すことができます。

現パロ高校生

添い寝

一度寝入ったら朝までぐっすり、というおれがその夜はどういう訳だか目を覚ました。
ぼんやりとした頭で寝ぼけ眼のまま便所へ行って用を足し、手をすすぐ水の冷たさでようやく少し覚醒する。
時計は二時を過ぎたところを指していた。
階下に小さく明かりがついているのに気付いて、出来るだけ音を立てないように下りる。誰かの消し忘れというわけではなさそうだ。人の気配がする。
ルフィに限ってこの時間に起きているということはないだろうし、ジジィだったらこんなふうに気配を殺したみたいにそこにいることはないだろう。
だとすれば、そこにいるのが誰かは見るまでもなく明らかだった。
「サボ……」
まだ寝ねェのか。
そう声をかけようとして踏みとどまった。
サボは台所の明かりだけをつけたまま、食卓のイスに足を投げ出すようにして座っている。
十分とは言いがたい明るさの中で、頬に静かな影が落ちていた。
そのどこか物憂げな暗さと、表情に反して明るく光を反射する金髪のアンバランスさに思わず目を奪われる。
かける言葉を失って立ち尽くしていると、サボが先におれに気がついた。
「……どうした?」
軽く微笑んで首を傾げる。淡い緑のスウェット姿なのに、顔立ちの良さは損なわれていないのが不思議だった。
「まだ寝てねーのかよ」
「ん、テスト近いから」
確かにサボの手元には小難しそうな参考書が置かれていた。でも、それは開かれた様子もない。テストだからって特別に勉強したことなどないおれにはよく分からないが、それって勉強してたって言えるのか?
サボはおれに気付くと、さっきまでの物憂げな影をさっさと引っ込めてしまった。
手持ち無沙汰に参考書をぱらぱらとめくっている。
「何か飲む?」
訊いたのはおれで、サボはちょっと驚いてから「うん」と頷いた。
ちょっと意表をつくような表情で、たまには親切ってのも悪くねーなとちょっといい気分になる。
台所に立ったおれは、戸棚からマグカップをふたつ取り出した。オレンジ色のと青いの。この家ではいつの間にかそれぞれ専用の食器が決まっている。ルフィの赤が行儀良く戸棚に収まっているのを確認してから扉を閉じて、今度は冷蔵庫を開けた。
ドアポケットに収まった牛乳を出して、ふたつのマグに順番に注ぐと、それを電子レンジにかけた。鍋で温めるに越したことはないが、この時間に洗い物を増やす方が面倒だ。
レンジがまわる、機械の音だけが空間に響いている。
沈黙を苦痛だとは思わなかった。
サボとの関係は同居人以上友達未満といったところだが、こうやって一緒にいるときの所在なさはとっくに消えている。
レンジの中からうっすらとした熱と甘さと懐かしさを孕んだにおいが漏れてくる。
「何だ?」
サボが訊くので「牛乳あっためてる」と答えた。
「……それってうまいのか?」
「うまいっつーか、よく寝られるおまじない、みたいな? つーかお前、飲んだことねぇの」
サボはこくんと頷いた。
「牛乳って冷たいもんだろ」
「あっためりゃあったかくなるだろ」
「そうだけど」
こういうことは初めてではなかった。
サボはおれなんかよりずっと頭が良くてケンカも強いのに、ごく当たり前の生活の知識が抜けているところがある。
ラーメンを食ったことがないというので振る舞ったらいたく感動してみたり。袋から出して三分茹でるだけのやつだぞ。
ここに来るまでどういう生活をしていたのか、未だによく分からない。ワケアリなことは確かで、それに踏み込んでいけるほどエースは親しい関係になれていない。サボのことを訊けばエースのことも話さなければならなくなる。まだその勇気はない。
チン、と甲高い音がしたのでレンジを開けてマグをサボのところまで運ぶ。
「熱いから気ィつけろよ」
「ん」
おれから受け取ったサボはふぅふぅと息を吹きかけておそるおそるマグに口をつける。
何てことない仕草に妙にドキドキして思わず見守ってしまう。
こくり、と喉が小さく上下して、まろやかな液体がサボの中を滑り落ちていく。
「うまいか?」
なんてことないホットミルクだというのについ訊いてしまう。
「うまい、っつーか…まずくはねぇけど……何か変な感じ。普段冷たいのしか飲まねぇから」
「あー、分かる。でもそれ、全部飲めよ」
「何で」
「言っただろ、よく寝られるおまじない」
「ああ……」
サボは頷いて、またマグを口に運ぶ。
おれはその様子を見て何となく安心し、サボの隣に座った。
ちびちびとホットミルクを飲むサボの様子はどことなく猫を思わせる。うまいものをたくさん与えて、つい手懐けたくなるような。
もしそう言ったらお前の方がそうだ、と返ってくる自覚はある。
多分似たもの同士なんだ。おれとサボは。
「……何で、寝られないって分かった?」
サボが訊く。
「何となくそうじゃねーかなって思っただけ。いくらベンキョーでもこんな時間までやんなきゃいけねぇってことはねぇだろ」
「勉強は嫌いじゃねぇんだよ。ほんとに。でも、あそこにいると息が苦しくなる。自分の居場所じゃないって感じる。明日が来るのが、嫌になる」
サボが通っている学校はお坊ちゃんとお嬢様ばかりが集められたこの辺りでも有名な私立だ。何となくサボがそこに馴染めずにいるのは分かるような気がした。見た目も雰囲気もその場にそぐわないようなところはないし、そこに紛れてしまえばそれなりに上手くやるのだろうけれど、それが本心からではないとか、そういう。
サボは本質的にはおれにかなり近い。ガサツでケンカっ早くて、考えるより先に体が動いてしまうタイプ。頭の出来は多少違うかもしれないが。
「お前さぁ、おれの学校に転校すれば」
思いついたまま言うと、サボは弾かれたようにおれを見た。
「うち、柄悪ぃし揉め事も多いけど、中にはいい奴もいるし。多分めちゃくちゃ気楽」
言ってしまうと、それがとてもいい提案のように思えてくる。そうだ、ジジィに掛け合ってそうしてしまえばいい。ここからだとおれの学校の方が近いし、転学の試験があったってサボの頭なら楽勝だ。
「……は、はは、それ、最高」
「だろ?」
サボが笑うので、おれも笑った。
さっきよりずっといい気分になって、ホットミルクを飲み干す。勢いに任せたせいで舌に小さな火傷を負ったが、それは些細なことだった。
氷が溶けるような滑らかさでサボが転校してきた後のことを想像して話し、サボもそれに合わせて頷いた。
空になったマグカップを洗って台所の電気を消し、階段を上がる。
話が尽きなくてくすくす話をしていると、寝ぼけて呂律の回らないジジィにうるさいと怒鳴られた。仕方ないので二人揃っておれの部屋に戻って、狭い布団を半分ずつ分け合う。
気持ちの問題かホットミルクのご利益か、すぐに眠気が訪れた。
うとうとしながらサボを見ると、いつのまにか静かに目蓋が落ちている。
「……サボ?」
小さく声をかけるが反応がない。どうやらサボも眠ったらしい。その呼吸がゆっくり、規則正しいのが妙にうれしくて、いい気分で目を閉じる。
それが、サボとおれが一緒に眠った最初の夜になった。
2/2ページ
スキ