海軍if
海軍if3
-SABO-
海兵になる、と一番最初にそう決めたのはサボだった。
海賊に憧れていたサボが突然道を変えたのには理由がある。
「なあ、なんでジジィはエースとルフィを海兵にしたいんだ?」
会話のきっかけなんて覚えていない。たまたまエースもルフィもいなくて、サボと飲んでしたたかに酔ったガープだけが顔を突き合わせていた。エースもルフィもガープの孫だがサボにはそういう関係はない。ただサボのことも分け隔てなくかわいがり、容赦なくしごく、そういう意味ではサボにとって数少ない信頼できる大人だ。
だからこそ不思議だった。なぜ、それほどまでに二人を海兵にすることに拘るのか。もちろんガープ自身が海兵だからというのはあるだろう。海賊に憧れる孫の将来を危惧するのも分かる。だが、基本的に放任で自身がいないときにはルフィたちを山賊に預けるような豪放磊落な男が、どうして頑ななまでに孫たちの将来を縛ろうとするのか。
訊くと、ガープは盃を傾けながらサボを見下ろした。
「ふん……」
その視線にいつにない緊張を覚える。肌がぴりぴりした。見定められているという感覚。ガープは思わず肩を強ばらせたサボを正面から見据え、こう言った。
「お前は、何があってもあいつらの味方だと約束できるか?」
サボは即座にうなずいた。エースもルフィも盃を交わした大切な兄弟だ。他の誰が敵になっても、サボだけは絶対に味方でいる。
強い目をして己を見上げるサボを一瞥して、ガープは盃を傾けながらゆっくりと語り出した。
エースの出生のこと。エースとルフィそれぞれの父親のこと。
世界中から敵視されかねない身の上であるがゆえに、世界で最も安全な場所に――己の手元に置きたいというガープの身勝手な願い。
脳みそと筋肉が直結している疑いのある男の説明は決して分かりやすいものではなかったが、それでもエースとルフィの複雑な立場と、ガープなりの真摯な思いは理解できた。
海賊になるつもりだった。危険は承知していたつもりだ。でも、話を聞けばそんなに楽観視はできないようだった。特に、エースの父親の問題は。
万が一海賊として捕まれば即処刑じゃろう、とガープは言った。世界で最も危険な男だと言われた海賊王の後継者として、殺される。
エースの生まれに纏わる話を、全く知らなかった訳じゃない。それが、エースを悩ませていたことも言葉や態度の端々から感じていた。
だが、立場のある大人から真実として話されたことはサボにとって大きな衝撃だった。
狭い山や街で悪さをするのとは違う。もっと残酷で暴力的な正義が、エースを殺すかもしれない。エース自身が望んだ訳でもない、その血のために。
「……もしエースが海軍に入ったら、ジジィが守ってくれるのか?」
「ああ」
「それは、ジジィが偉いからか?」
「……まあそうじゃな」
「じゃあおれが海軍に入って偉くなったら、おれがエースを守れるのか?」
訊くと、ガープは目をすがめた。睨み付けられているように感じてたじろぐ。
「お前、本気で言っているのか」
重い声で言われる。少し考えを巡らせてから、サボは頷いた。それが一番いい方法だと言うのなら自分の夢を捨てることにもためらいはなかった。
「海軍に入る」
そう言うとエースは呆然として、それから怒ったように胸ぐらを掴んできた。
「何で突然! お前は海賊になって自由に生きるって……!」
「うん。でももう決めた」
自由への憧れは今でも強くサボの中に存在する。でも、自分の自由よりエースの命の方が大事だと言ったらそれはおかしいことだろうか。サボにとって、エースは他の誰にも代えられない大切な兄弟だ。もちろん、ルフィも。
二人の海賊になりたいという憧れまで摘むつもりはなかった。二人が自由に生きられる世界を作りたい。大それた願いでもサボにはそれしか考えられなかった。
サボが本気だと分かると、ガープの動きは早かった。どういう方法を使ったのかは知らないが、サボの戸籍を実親のもとから切り離し、自分の養孫とした。あれだけ逃れたかった両親とあっさり縁が切れてしまったことには驚いたが、それだけガープも本気だったのだろう。
エースは散々悩んだようだったが、最終的にサボとともに海兵となることを決めた。
ガープは当然喜んだ。サボとエースは十五歳になると、ガープに連れられて海軍への正式な入隊を果たしたのだった。
それから二年。
サボとエースは共に海軍で多少名の知れた存在になりつつある。英雄ガープの強さを継ぐ、将来有望な二人の孫だ。
でも、そう単純な話でもないのだと理解しつつもある。
エースの実の父親が誰であるのかは、上層部にとっては公然の秘密のようだ。
海軍で活躍する限り追及する気はないというのが大方の見解だとしても、赤犬のようにあからさまにエースを敵視するような者もいる。
二年を過ごすうちに、ここがエースにとって安全な場所なのか、分からなくなってきている。
従順にしていればエースの命を取ろうと考える者はいないかもしれないが、万が一手のひらを返されるようなことがないとも言い切れない。
例えばもし、赤犬が軍の指揮権を握るようなことがあったら。
最悪の想像に背筋が震える。
もう深夜と言っていい時間だった。エースは先に戻っているはずだ。サボが単独行動を取っているのは、エースがいないところでガープに赤犬とエースが邂逅した件を報告していたためだ。
赤犬の様子を伝えると、ガープは頭が痛いと額に手を押し当てていた。
ガープが現役のうちはきっと大丈夫だ。でも、もし退役したらその後のことは分からない。
最初から安全な道なんてないのかもしれない。
海軍に残るにしろ、それ以外の道を選ぶにしろ、強くならなければ生き残れない。それが世界の真理だ。
ここにいてエースを守るにはサボが自分で立場を築いていくしかない。
ようやく部屋にたどり着いたときには言葉にできない疲労感が全身を覆っていた。寝るためのスペースが与えられたばかりの部屋には簡素な二段ベッドが置かれるばかりだ。
扉を開けると暗かったが、よく知る穏やかな寝息が聞こえてきてほっとする。
エースは二段ベッドの下に寝ている。上の段はサボのために空いていたが、サボは迷わずエースのいる下段にもぐり込んだ。
「んん、……サボ?」
寝ぼけた声でエースが呼ぶ。熟睡してしまえば何をしても起きない男だから、きっとサボを待っているつもりだったのだろう。
「わり、起こしたな」
謝りつつも狭いベッドに収まるためにぎゅうと抱きつくと、エースは寝ぼけ眼のまま「へーき……」と当然のようにサボを抱き締め返す。
距離感がおかしいとよく言われる。でもガープと話をした夜以来、サボはエースの体温が傍にないと落ち着かなくなってしまった。エースも鷹揚にサボを受け入れたので、いつの間にかこの近さが当たり前になった。
もしかしたらエースが海軍に入ることを決めたのはサボの不安を感じ取ったからかもしれない。だったら、エースがここにいるのはサボのせいだ。
でも離れられない。エースが生きていることを確かめていなければ、サボは自分が生きている意味を見出だせない。
どれだけ背が伸びても、強くなっても、二人の少年は子供のように手足を絡め合って丸まって眠る。
他の誰も見ていない、深い闇の底で。
-SABO-
海兵になる、と一番最初にそう決めたのはサボだった。
海賊に憧れていたサボが突然道を変えたのには理由がある。
「なあ、なんでジジィはエースとルフィを海兵にしたいんだ?」
会話のきっかけなんて覚えていない。たまたまエースもルフィもいなくて、サボと飲んでしたたかに酔ったガープだけが顔を突き合わせていた。エースもルフィもガープの孫だがサボにはそういう関係はない。ただサボのことも分け隔てなくかわいがり、容赦なくしごく、そういう意味ではサボにとって数少ない信頼できる大人だ。
だからこそ不思議だった。なぜ、それほどまでに二人を海兵にすることに拘るのか。もちろんガープ自身が海兵だからというのはあるだろう。海賊に憧れる孫の将来を危惧するのも分かる。だが、基本的に放任で自身がいないときにはルフィたちを山賊に預けるような豪放磊落な男が、どうして頑ななまでに孫たちの将来を縛ろうとするのか。
訊くと、ガープは盃を傾けながらサボを見下ろした。
「ふん……」
その視線にいつにない緊張を覚える。肌がぴりぴりした。見定められているという感覚。ガープは思わず肩を強ばらせたサボを正面から見据え、こう言った。
「お前は、何があってもあいつらの味方だと約束できるか?」
サボは即座にうなずいた。エースもルフィも盃を交わした大切な兄弟だ。他の誰が敵になっても、サボだけは絶対に味方でいる。
強い目をして己を見上げるサボを一瞥して、ガープは盃を傾けながらゆっくりと語り出した。
エースの出生のこと。エースとルフィそれぞれの父親のこと。
世界中から敵視されかねない身の上であるがゆえに、世界で最も安全な場所に――己の手元に置きたいというガープの身勝手な願い。
脳みそと筋肉が直結している疑いのある男の説明は決して分かりやすいものではなかったが、それでもエースとルフィの複雑な立場と、ガープなりの真摯な思いは理解できた。
海賊になるつもりだった。危険は承知していたつもりだ。でも、話を聞けばそんなに楽観視はできないようだった。特に、エースの父親の問題は。
万が一海賊として捕まれば即処刑じゃろう、とガープは言った。世界で最も危険な男だと言われた海賊王の後継者として、殺される。
エースの生まれに纏わる話を、全く知らなかった訳じゃない。それが、エースを悩ませていたことも言葉や態度の端々から感じていた。
だが、立場のある大人から真実として話されたことはサボにとって大きな衝撃だった。
狭い山や街で悪さをするのとは違う。もっと残酷で暴力的な正義が、エースを殺すかもしれない。エース自身が望んだ訳でもない、その血のために。
「……もしエースが海軍に入ったら、ジジィが守ってくれるのか?」
「ああ」
「それは、ジジィが偉いからか?」
「……まあそうじゃな」
「じゃあおれが海軍に入って偉くなったら、おれがエースを守れるのか?」
訊くと、ガープは目をすがめた。睨み付けられているように感じてたじろぐ。
「お前、本気で言っているのか」
重い声で言われる。少し考えを巡らせてから、サボは頷いた。それが一番いい方法だと言うのなら自分の夢を捨てることにもためらいはなかった。
「海軍に入る」
そう言うとエースは呆然として、それから怒ったように胸ぐらを掴んできた。
「何で突然! お前は海賊になって自由に生きるって……!」
「うん。でももう決めた」
自由への憧れは今でも強くサボの中に存在する。でも、自分の自由よりエースの命の方が大事だと言ったらそれはおかしいことだろうか。サボにとって、エースは他の誰にも代えられない大切な兄弟だ。もちろん、ルフィも。
二人の海賊になりたいという憧れまで摘むつもりはなかった。二人が自由に生きられる世界を作りたい。大それた願いでもサボにはそれしか考えられなかった。
サボが本気だと分かると、ガープの動きは早かった。どういう方法を使ったのかは知らないが、サボの戸籍を実親のもとから切り離し、自分の養孫とした。あれだけ逃れたかった両親とあっさり縁が切れてしまったことには驚いたが、それだけガープも本気だったのだろう。
エースは散々悩んだようだったが、最終的にサボとともに海兵となることを決めた。
ガープは当然喜んだ。サボとエースは十五歳になると、ガープに連れられて海軍への正式な入隊を果たしたのだった。
それから二年。
サボとエースは共に海軍で多少名の知れた存在になりつつある。英雄ガープの強さを継ぐ、将来有望な二人の孫だ。
でも、そう単純な話でもないのだと理解しつつもある。
エースの実の父親が誰であるのかは、上層部にとっては公然の秘密のようだ。
海軍で活躍する限り追及する気はないというのが大方の見解だとしても、赤犬のようにあからさまにエースを敵視するような者もいる。
二年を過ごすうちに、ここがエースにとって安全な場所なのか、分からなくなってきている。
従順にしていればエースの命を取ろうと考える者はいないかもしれないが、万が一手のひらを返されるようなことがないとも言い切れない。
例えばもし、赤犬が軍の指揮権を握るようなことがあったら。
最悪の想像に背筋が震える。
もう深夜と言っていい時間だった。エースは先に戻っているはずだ。サボが単独行動を取っているのは、エースがいないところでガープに赤犬とエースが邂逅した件を報告していたためだ。
赤犬の様子を伝えると、ガープは頭が痛いと額に手を押し当てていた。
ガープが現役のうちはきっと大丈夫だ。でも、もし退役したらその後のことは分からない。
最初から安全な道なんてないのかもしれない。
海軍に残るにしろ、それ以外の道を選ぶにしろ、強くならなければ生き残れない。それが世界の真理だ。
ここにいてエースを守るにはサボが自分で立場を築いていくしかない。
ようやく部屋にたどり着いたときには言葉にできない疲労感が全身を覆っていた。寝るためのスペースが与えられたばかりの部屋には簡素な二段ベッドが置かれるばかりだ。
扉を開けると暗かったが、よく知る穏やかな寝息が聞こえてきてほっとする。
エースは二段ベッドの下に寝ている。上の段はサボのために空いていたが、サボは迷わずエースのいる下段にもぐり込んだ。
「んん、……サボ?」
寝ぼけた声でエースが呼ぶ。熟睡してしまえば何をしても起きない男だから、きっとサボを待っているつもりだったのだろう。
「わり、起こしたな」
謝りつつも狭いベッドに収まるためにぎゅうと抱きつくと、エースは寝ぼけ眼のまま「へーき……」と当然のようにサボを抱き締め返す。
距離感がおかしいとよく言われる。でもガープと話をした夜以来、サボはエースの体温が傍にないと落ち着かなくなってしまった。エースも鷹揚にサボを受け入れたので、いつの間にかこの近さが当たり前になった。
もしかしたらエースが海軍に入ることを決めたのはサボの不安を感じ取ったからかもしれない。だったら、エースがここにいるのはサボのせいだ。
でも離れられない。エースが生きていることを確かめていなければ、サボは自分が生きている意味を見出だせない。
どれだけ背が伸びても、強くなっても、二人の少年は子供のように手足を絡め合って丸まって眠る。
他の誰も見ていない、深い闇の底で。